2・少女剣士と、洞窟暮らしの少年
ルーゲ海の先を知る者はいない。
その無限とも考えられている海のどこかに、エターニア大陸は浮かんでいる。
テザリナ王国は、エターニアのちょうど中心くらいにあり、土地の広さ、人口、軍事力、機械技術のいずれにおいても、大陸中で最大の大国。
呪われし魔女キーチェは、かつてテザリナを滅ぼそうとして、実際にそうなるところだった。
しかし、そうはならなかった。
結局、たったひとつの悲劇が、彼女を止めた。
そしてそれから、彼女の弟ルセルはずっと、テザリナの首都ハイジェンの北側の外れの森にある洞窟で、静かに生きている。
-ーハイジェン外れの森-ー
今では、すっかり我が家である洞窟から出てきたルセルは、かつてキーチェとドラゴンたちが、この国、テザリナに地獄のような光景を作り出した時に比べて、そんなには変わっていない。
背が伸びたのと、声が少し低くなったくらい。
それ以外はほとんど変わってない。
「はあ、はあ、やあっ」
もうずいぶん前からそれを続けてたのだろう。
洞窟の前で、息を切らしながら、木剣の素振り練習をしていた少女。
明るめなオリーブグリーンの髪のポニーテール。
ボーイッシュな雰囲気だけど、女の子らしいおしゃれさも感じさせる服装。
「マリー」
「ルセル」
名前を呼ぶや、実に楽しげな笑顔で振り向いてくれる。
「ん」
「へ?」
いきなり、マリーの振り回していたそれと同じような木剣を渡され、ルセルは戸惑うしかない。
「へ、じゃないって、勝負勝負。実は新しい技、考えてさ」
「ああ、うん」
「なによ、私なんて相手にならない?」
「いや、全然そんな事ないだろ。うん」
そうして、軽く戦う流れとなった二人。
「ルセル、今日こそ手加減抜きだよ」
右手に持った剣を腹部の辺りで水平に保つマリー。
「今日こそっていうか、手加減なんてしたことないけど」
ルセルの方は、両手で持った剣を垂直より少し斜めにしたような構え。
マリーは身軽で素早い。
「やっ」
しかし、力はそんなには強くない。
急接近からの横斬りをあっさり迎え打ち、止めるルセル。
「いっ」
技というか、確かに優れた技術だった。
あえてそんなに力を入れなかったのだろうマリーは、ルセルの防御の反動を利用し、木剣を器用にねじり、回転させ、無防備となっていた反対側から、追撃してきたのだ。
「く」
思いきり地を蹴り、後ろに跳んで、なんとかマリーの追撃を避けたルセル。
「やあっ」
さらに、踏み込んできての突き。
なんとかルセルは、 自分へと伸びてきた木剣の先を自分の剣ではらい、反撃に、今度は自分の方が横斬りを放つ。
しかしマリーは、それを読んでいたのか、強引に自分を止めたのか、即座に地面を蹴って勢いよく後ろに少し下がり、ルセルの斬撃をぎりぎりかわす。
「もらった」
それで、今度こそだった。
少し下がったかと思いきや、また少し近づいてきたマリーの木剣がルセルの体を容赦なく叩いた。
だが実は、どれだけ強く叩こうが別に全然痛くもない。
その木剣は特殊な加工が施されてあって、同素材同士の場合を除いて、物に当たるとグニャリと曲がり、衝撃などほぼ皆無な代物だから。
ようするに、テザリナの優れた工学技術が生んだ、ただの安全な練習用である。
「ねえ本当にさ、手加減してないんだよね。わざとじゃないんだよね?」
勝ちはしたが、しかし、それが本当の意味での勝利なのか、いまいち自信が持てないらしいマリー。
「なんでそんなに不安なんだよ。いや、ほんと、お前強くなったよ。もう俺じゃあんまり勝てる気しないくらい」
尻もちをついたが、すぐに立ち上がるルセル。
マリーは、ハイジェンに十数個くらいあるらしい孤児院のひとつ、レントハウスで育った孤児。
ルセルには眩しいくらいに明るい性格で、孤児院の後輩達にも慕われているよきお姉ちゃんらしかった。
テザリナ軍剣士団の、有名らしい女剣士のクローディアに憧れ、いつか自分も剣士として入団するのを夢見て、今は孤児院近くの宿屋で働きながら、独学で剣術練習を続けている。
ルセルが彼女と知り合ったのは2年ほど前のこと。
人目を気にせず練習出来るので、もともとマリーはよく街外れの森に来ていた。
テザリナの領土内なら、森だろうが山だろうが徹底的な管理によって危険な野生モンスターは一切いない。
しかし、旅人を敵視する亡霊が住まうという噂のその森は、噂はともかく、確かに似たような景色ばかりで迷いやすく、マリーはある時、どこがどこだか全然わからなくなってしまう。
サバイバルに関しては素人もいいとこな当時の彼女は、果実や、野生動物を見つけられる事もなく、空腹のあまりについに倒れてしまう。
そこを運よくルセルに見つけられ、助けられたのだった。
気がついた時、ルセルの洞窟で寝かされていたマリーは、話をする内に、彼がテザリナ軍の正統剣術に妙に詳しい事に気づく。
実際ルセルは、それに関して非常に詳しく、かつ、実際にそれを一時期学んでいた事もあった。
それで剣士団志望のマリーは、ルセルとの手合わせを望み、結果、あっさり負けてしまった。
ついでに完全に我流なために型も何もなく、めちゃくちゃすぎである事を何気なく指摘されたマリーは、リベンジを誓うと共に、ルセルに練習を見てもらうようにもなった。
そしてそんなこんなで、二人は仲良くなっていった。
また、優れてるかは微妙ながら、少なくとも人に教えれる程度には、ちゃんと戦闘の術を知っている指導者を得て、本来才能はあったのだろうマリーは、どんどん強くなっていったのだった。
「俺は飯にするけど、お前はどうする?」
「んん、じゃあ、おこぼれ、もらっちゃおっかな」
「わかった」
それから洞窟奥の、氷と冷水により天然の冷蔵庫と化している領域から、保存していた切り肉を持ち出してきたルセル。
肉を片手のルセルがまた洞窟から出てくると、マリーは焚き火の用意をしていた。
互いにずいぶんと馴れたものである。
「ルセル、聞いて。私ね、戸籍登録してから、もう少しで12年経つんだよ」
それが凄い大発見かのように、嬉しそうなマリー。
「えっと、マリー、12歳?」
「違うって。孤児院に入った子は、その時点から新しい戸籍を得るの」
しかし、レントハウスに引き取られた時の自分の年齢を知らないので、マリーは自分の実年齢は知らない。
「で、とにかく、12年経つから、次の軍の入隊試験、私受けれるんだよ」
テザリナの法律か、軍の入隊条件か。
とりあえず戸籍を持ってから12年経たないと、軍の入隊試験は受けれないらしい。
「そっか」
そっけないというより、ルセルは少し複雑そうだった。
「前から、なんとなくは、思ってたんだけどさ。ルセルは、軍隊が嫌いなの?」
2年の付き合いで、彼の、つい表に出てしまう態度というか、感情の変化というか、そういうのを少しは察する事が出来るようになったマリー。
「別に軍隊が嫌いなわけじゃない。ただ」
一瞬迷うような仕草を見せたが、しかしルセルはマリーの目を見て、真顔のままはっきりと言った。
「テザリナの軍はその政府の下にある。俺が嫌ってるのはそいつらだ、テザリナの政府」
大陸で、最も強大な力を有する者たち。
この世界で最も恐ろしき罪を背負った者たち。
かつて、ルセルが、一番大切な人を裏切ってまで守った者たち。