失恋だって百回すれば魔法使い
「陽子これで何回目よ」
周囲に聞こえぬよう小声で向かいの陽子に語り掛ける。
窓から差し込む柔らかな西日が生徒達のズックで磨き上げられた光沢のある床を照らす古びた木造の図書室。
頬杖をつくあたしの向かい、黒縁の冴えない眼鏡をかけた陽子は首を竦めて恥ずかしそうに答える。
「べ、別にいいでしょ何度目でも」
悪い子では無いし、見てくれも悪い訳でも無い。唯一大人しすぎる性格が災いしている。
そのくせやたら惚れっぽくて、告っては振られを繰り返している。
親友のあたしとしては振られる度に聞かされる愚痴に閉口しつつも一向にめげることなく惚れ続ける陽子のポジティブさに驚嘆していたのも事実。
最初の頃は呆れて聞いた居た愚痴も回数が増えるにつれ感心に変わりやがて心配に変わり指折り数えるのもやめてしまった。
秋の気配も近づいて、図書室にたむろする生徒達も心なしか詩的な気分に浸っているのか物寂し気。
物思いに耽るあたしの目の前、陽子は自慢の万年筆を懸命に走らせ、一体何通目なのかもわからないラブレターを書いている。
今時ラブレターなんぞとあたしは思うが、「将来小説家になりたいんだ」そんなことを恥ずかしげもなく言う陽子は、そもそも文を書くのが大好き。
文字を書きたいが為に小遣いを貯めて高校生には不釣り合いなブランド物の万年筆を手に入れて、手に入れた時は見せびらかす自慢する大変だったが、可哀そうに物書きに興味の無い周囲には苦笑しか返してもらえなかった。
「陽子さー、告ってうまくいったらどうするの」
万年筆を持った手を頬に押し当て、どんな文言を書こうか思案しているらしい陽子にあたしは問いかける。
「どうするって……考えた事無いな」
呑気な陽子の返事に苦笑が抑えられない。まあ、こういうところが陽子のいい所なんだけど。
「あんた、山ほどラブレター書いてて、そんなことも考えずに告白してたの!」
大きくなりそうになる声を慌てて顰めて向かいの陽子を睨む。
決して大柄とはいえない陽子がますます縮こまる。
「正直、告白してもいい返事が貰えるとは思ってないし、、、」
だったらなんで告白する!と怒鳴りそうになって、ここが図書室だと思い返して踏みとどまる。
陽子のこの性格は子供の頃からで、ムキになってもこっちが疲れるだけと分かっていながら、付き合い続けている自分が情けないながら反面愛おしくもある。
こういうのが馬が合うって言うの?
「竹馬の友」ってこういう関係をいうのかななんて自信の無い妄想を浮かべるあたしの目の前で、陽子は恥ずかしそうに時々身悶えして見せながら且つあたしの顔色を窺いながらそれでもペンを走らせる。
「実はまだ誰に渡すか決めてないの……」
秋の日差しを眺めながら親友の恋文の執筆を邪魔すまいと大人しくしていたあたしも、流石にこの陽子の言葉に項垂れる。
一体この子は何のために恋文を書いているんだ?
唖然として向かいの陽子に目を向ければ、小さくなってこっちを上目遣いで見ている。
行き先の無いラブレターを書いている。
その意味がわかりかねて陽子の顔をまじまじと見つめてしまう。
「書いていればさあ」
一拍置いて陽子は言う。
「いつか王子様が現れるんじゃないかと思って……」
子供の頃から夢見がちで、本が好きで、少女趣味なのは重々知ってはいたが、まさかここまでお目出度いとは。
本の中から凛々しい王子様が出て来るとか御伽噺の世界じゃないかととっちめたい気持ちも芽生えるが、母親になったつもりでぐっと堪える。
あげた視線の先、万年筆を頬に充てる陽子の後ろで西日が本棚の影を大きく横に伸ばしている。
溜息しか出ない。
図書室の出口で陽子を待っていると、陽子は司書を務めている男子生徒と何事か頬を染めて話していた。
「お待たせ!」
頬を染めて出て来た陽子にあたしは容赦なく詰問する。
「何を話した!」
満面の笑顔で訊ねるあたしに、見られていたことに気付いた陽子が頬を染めて答える。
「何時も来ているねって、、、」
西日の照り返しも有るんだろうけど、陽子の頬は見事に朱が差している。
図書室を出て歩く廊下、並んだ陽子の肘をあたしは肘でつついてとどめを刺す。
「んで、何貰ったんだよう」
わざと下卑た物言いで訊ねるあたしに陽子は桜色の笑顔で答える。
「内緒!」
どうやら今回のラブレター、陽子はあげる方ではなかったようだ。
秋の西日に温められながら、あたし達はまた一つ大人に近づいたんだなとしみじみ噛みしめた。