クエスト:ゴ〇ブリン討伐
短編『猪獣人になったんだが、オークと間違われて喰われそうです。』の続編です。
※グロい描写があります。苦手な人はご注意ください。
「ねえぇ~、猪瀬くん、ゴブリン退治に行かない?」
クラス一の美少女(俺判定による)、岸部さんはそんなことを言ってきた。
この時、もし彼女の誘いを断っていたら、果たしてどういう結末になっていただろうか。口にするのも憚られる悪夢のような禁忌に触れて精神に傷を負うようなこともなく、心穏やかに日々を過ごせていたのだろうか。
まあ、以前殺されそうになったとはいえ、こうして日がたってみると、俺にとって岸部さんはやっぱり岸部さんだった。どんだけ脈がなかろうとも、彼女に誘われてしまったら断るなどという選択肢はやっぱり存在しなかっただろう。チョロすぎると言われても否定できない。
そろそろこの世界でも夏に差しかかろうとしていて、気温がだいぶ高くなってきた頃。
とある事情により、猪獣人の俺は、世捨て人のごとく山奥の森でひっそりと隠れ住んでいる。この異世界の森には危険な動物や魔物がひしめいており、近隣の者もそうそう近寄っては来ない。
そんな俺の住処を訪ねてきたのは元クラスメートたち四人のパーティだった。彼らと会うのは二ヶ月ぶりくらいだろうか。前に来たときは彼らに喰われかけたけど、なんやかんやあって一応和解している。
今回、彼らがやってきたのはクエストのお誘いだった。
「ゴブリン?」
「そう。ファンタジーによく出てくる雑魚モンスター」
麻田さんの〔モンスター知識〕スキルの文字情報によると、体長は1mほどで、弱くて知能もない。ただし、知能がない分、その行動は予測がつかない。繁殖力が極めて旺盛で、群れをなす。
だいたい俺の知ってるゴブリンとそう違いはないっぽい。ただ、ウ=ス異本みたいに他種族と交配したりはしないそうだ。
「討伐証明部位は前翅右側」
羽があるっていうところからすると、この世界では妖精系なんだろうか。
「まあ、実は私らもゴブリン退治は初めてなんだけどね。普通はあんまり報酬がよくないから。でも、今回良さげなのがあったの。クエスト内容はこれ」
岸部さんはそう言って、一枚の羊皮紙を見せた。
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クエスト:ゴ#ブリン討伐
第84開拓村を占拠しているゴ#ブリンを殲滅すること。
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それは、クエストの依頼票だった。
第84開拓村というのは、ここから山を二つほど越えた先にある小村で、そこがゴブリンの群れに襲われたそうだ。弱いとはいえ数が多いために抗しきれず、村人たちは撤退を余儀なくされ、村は放棄された。
クエストはその村に巣食うゴブリンを退治せよ、ということらしい。
その他、報酬金額や条件などがこの世界で使われている言葉で書かれている。一応、俺も他のクラスメート同様、この世界への転移時に〔言語理解〕のスキルが付与されていたので、読むのは問題ない。
ただ、どういうわけか、一部まったく読めない奇妙な文字が混じっている。というか、これは文字なのだろうか。見つめていると、だんだんその文字の輪郭がぼやけてきて、ぐねぐねとうねって見えるような感じがして、ちょっと気持ち悪くなってくる。こんなの初めて見た。ゲシュタルト崩壊を視覚化するとこうなるのだろうか。
「なあ、この『ゴ#ブリン』ってとこに混じってる変な文字、何なんだ?」
「ああ、それは神聖文字で、忌まわしきものを記述するときに使われるんだそうだ」
神官で宗教関連に詳しい神林が説明してくれた。なんでも、女神さまがこの魔物を忌み嫌っていて、その名さえ正しく書くことを禁じてしまった。それで、記載するときは必ずその奇妙な文字を含めないといけなくなったそうだ。字がおかしく見えるのは、女神さまの力なんだと。
「他に、その名前を口にすると呼び寄せてしまう、なんて伝承もあってね。だから禁忌になってるんだ」
「なんだそれ。大丈夫なのか?」
「まあ、おれ達はそこまで気にするほどではないんじゃないか。どうせザコだし」
「ならいいけど……」
この時は、まあそんなものか、と流してしまった。神によって忌み嫌われる、というのがどういうことなのか。もっときちんと掘り下げておくべきだったのだ。
「でも、俺は冒険者登録なんてしてないけど、クエストに参加していいのか?」
「猪瀬くんにはランクとか関係ないかもだけど、いい経験値稼ぎになるんじゃないかしら。今回、数がやたら多いから、少しでも人手が欲しいの。報酬はきちんと分配するわよ~」
「んー、でも、俺はどっちみち人里には近寄れないから、金をもらってもしょうがないってのもあるんだけどな」
俺はこの世界に転移させられたときに、猪獣人にされてしまったんだが、猪獣人は見た目が豚鬼に似ているために、この世界の住人に見つかると殺されてしまう。俺としてはそんなに似ているとは思えないんだけども、住人たちにとっては区別がつかないものらしい。
だから、人里を避けて、こんな山奥で暮らしてるのだ。
当然、街には近づけないので、冒険者登録もできない。せっかく異世界に来て、冒険者ギルドなんていう組織もあるというのに、残念なことこの上ない。
「現物支給でもいいわよ~? 街でしか手に入らないようなのを買ってくるのでもいいし。何か欲しいものとかない?」
「まあ、それならいいかな。何にするかは後で相談させてくれ。じゃあ、よろしく」
「「「「よろ~」」」」
こうして俺は彼女たちのパーティに臨時で参加することとなった。
今にして思えば、ここはもっと慎重であるべきだった。そうしていれば、もしかしたら、潜んでいた陥穽を察知できたかもしれない。
起きたことは変えられない。後悔とは、後で悔やむから後悔なのだ。だから後悔ばかりしていても何も始まらないといわれる。
しかし、たとえ悔やむことに意味はなくとも、起きたことを検証し、教訓とするのは決して無駄ではないだろう。
そう思うほかない。
*
もう日も暮れそうなので、俺の住処で一泊して、翌朝村に向けて出発した。
村までは直線距離で20Kmほどだろうか。途中、遭遇した魔物などはすべて岸部さんたちが瞬殺していた。みな身体能力が高いこともあって、昼前には第84開拓村に到着した。
周囲は小規模な畑がいくつかあり、村内には十軒ほどの平屋と、屋敷というにはやや小ぶりの家屋、簡素な倉庫っぽい建物があった。
畑は踏み荒らされたのかボロボロの状態で、これでは今期の収穫は無理だろう。村を囲う簡素な木柵はところどころ壊されていた。
通りには農具や工具、その他のゴミが散乱し、家屋には損壊が見られた。ところどころ、得体の知れない液体がこびりついていた。
「静かだな……」
「静かね……」
辺りは静まり返っていた。だが、俺の〔気配察知〕スキルでは多数の敵が潜んでるのを感じていた。
ただ、数こそ多いが、いずれも大した強さではなく、何の脅威も感じられなかった。
「右手一番前の家屋に六匹、左手三軒目に十三匹、あのでかい倉庫は三十匹潜んでる。他にも多数。全体ではおそらく二百に近いんじゃないか」
〔索敵〕スキルを持つ剣崎が細かく報告してきた。相変わらず詳細な〔索敵〕がうらやましい。
「どうする?」
「麻田さんの〔焼火球〕とかは?」
「あれは確実だけど、家屋への被害も大きすぎて、評価に響く」
このクエストで求められるのはあくまで対象の殲滅であって、村の損害は含まれていない。最悪、村を丸ごと焼いてしまっても報酬そのものは変わらないそうだ。
しかし、それをやってしまうと、村の復興は極めて厳しくなる。
第84なんてついてるくらいに、この地域ではたくさん開拓が試みられてるわけだけど、その半数以上は失敗してるという。それでも諦めずに開拓をするのは、人類の生存領域を拡げていかなければならないからだ。開拓村はそのための重要な橋頭堡であり、そうそう簡単に失うわけにはいかない。
止むを得ない事情があれば別だが、そうでなければ冒険者ギルドでの貢献度評価が下がり、ランクアップが遠のいてしまうそうだ。
そんなわけで、〔焼火球〕やその他の大規模破壊魔法などは却下となった。
なお、討伐証明部位提出による討伐報酬はクエストとは別扱いになってるけど、ゴブリンではたいした金額にはならないので、基本的には無視するそうだ。
「まあ、一軒ずつ確実に処理していけば済むんじゃないか?」
「今のわたしらの戦闘力ならだいじょぶなんじゃないかな。ゴブリンは頭悪くて連携も取れないそうだし」
剣崎や岸部さんが気楽そうに言った。まあ、前に彼らが豚鬼と戦ってたのも見てたけど、ほんと強かった。ゴブリンが豚鬼よりはずっと弱いなら、さほど心配はいらないのだろう。
だが、それは慢心だった。最初から躊躇せず、最大火力をもって村すべてを焼き払うべきだった。
俺たちは何を相手にしようとしているのか、まったく知らなかったのだ。
*
前衛は騎士の岸部さんと剣士の剣崎。後衛には魔術師の麻田さんと神官の神林。全体を俯瞰する神林が出す指示のもと、俺は遊撃という形になる。俺は臨時なので、そうそう連携とかできないから、妥当なところなんだろう。
俺たちは静かに一番手前の家屋へと近寄った。
遊撃の俺が玄関の扉を開け、前衛が中に突入し、一気に片付ける算段だった。後衛は念のため外で待機。
窓は鎧戸で閉じられており、中の様子はわからない。かすかに、カサ、カサカサカサという何かが擦れるような音がしていた。
しかし剣崎の〔索敵〕スキルによって、敵の配置についてはだいたい判明していた。
ここで、行動に移る前に、内部の様子を何らかの形できちんと目視確認していれば、この後の展開ももう少しマシなものになっていたかもしれない。遮蔽物ごしでも位置や強さを察知できる〔索敵〕系スキルの弊害とも言えるだろう。
だが、冒険者として、あまりにも初歩的すぎるミスではあった。
俺たちはそろそろと扉に近づいた。
扉はきちんと閉まってはおらず、少し隙間が開いていた。俺は取っ手に手をかけて、後ろに続く岸部さんと剣崎を見やった。
二人が揃って頷いたのを確認して、俺は勢いよく扉を開いた。
「!!!」
手筈どおり、前衛二人が家屋に踏み込んで、そこで―――そこにいたモノを見て、凍りついた。
あまり物事に動じなさそうな岸部さんが「ひっ」と小さく息を呑んだのが聞こえた。
何か異常が起きたのか。状況を把握すべく、俺も中を覗き込んでみた。
そして、想像していた光景とあまりにも異なるものを目にして、段取りとかすべて頭から吹っ飛んでしまい、ただ呆然とそこに立ち尽くした。
そこに群れていたのは、ゴブリンと聞いて思い浮かべるような、緑色の醜悪な小人ではなかった。
全然別の、もっと忌まわしいモノだ。
見る者に名状しがたい畏れを抱かせるのに充分なその姿形だけでも神を冒涜していると言えよう。女神さまが禁忌とするのも当然である。
そして、これによく似た生物を俺は知っている。
―――体長は1mほどで、弱くて知能もない。ただし、知能がない分、その行動は予測がつかない。繁殖力が極めて旺盛で、群れをなす。
大きさを除けば、その生態はたしかに俺の知るあの生物の説明として間違ってないだろう。
―――討伐証明部位は前翅右側
確かに、羽はついてる。妖精のようなかわいらしさは微塵もないが。
平べったい楕円形の体はほんのり赤みがかった黒色で、全体が油脂で覆われてるのかテラテラと嫌らしい光沢を帯び、硬そうな六本の脚にはたくさんの棘が並び、くりくり蠢く丸い頭部から二本の長い触角が弧を描いて伸びゆらゆらと揺れてて、奥のほうでは一匹がひっくり返って脚をジタバタさせて腹が半分欠けて白い中身がはみ出してそこに別の一匹が頭を突っ込んでモグモグしててつまりこれは共食いあああああああ゛ゞゞゞゞゞ無理ムリむリム理こんなのムリしかもでかくてめのまえにいてこれはだめだふれてはいけないやばいやばいやばいやばいあいあいあ! いあ!!
そのあまりにも悍ましい光景を目にして、俺の正気度は一瞬で大幅に減じた。
つまり、これは「G」だ。やたらデカいが、「G」だ。その名を口にするのも汚らわしく、常人の精神では正視に耐えない悪夢のごとき造形の台所の黒い悪魔、その巨大化版だ。
ゴブリンなどというかわいらしい妖魔ではない。
小さければまだしも、どう見ても1mどころの大きさじゃない。そんなモノが群れている姿を目にして、いかに豪胆な者であっても正気でいられるであろうか。
事実、すでに戦闘経験をたくさん積んでいるはずの岸部さんたちですら動けなくなっていた。この世界の人ならまだしも、俺たち元は日本人で、あんな巨大サイズのなんて見たことなかったし。
あゝなぜ、こんなモノをゴブリンと勘違いしてクエストを受けてしまったのか。俺だけじゃなく、誰もが小説における典型的なゴブリン像を思い浮かべて疑わなかったのだ。テンプレ的な固定観念によるものと言えなくもない。
「ゴブリン」ではなく「ゴ#ブリ・ン」。この世界での呼び名には末尾に「ン」がついてこそいるが、そんなのは些細な違いでしかない。
俺たちは、神聖文字が何を意味しているか、もっと深く考えるべきだったのだ。
どのくらいの間硬直していただろう。数秒か、それとも数分か。家屋の外にいて、まだソレを目視していない麻田さんたちが怪訝に思ったのか、「どうしました?」と言ってるのが聞こえた―――ような気がする。
だが、無情にも、事態は動き出してしまった。
ふと、一番手前にいたGがピクリと動いた。
次の瞬間、その大きさからは想像できないほど、しかしその形からは納得してしまうような素早さで、スササササササササッとこちらに近寄ってきた。
アレに人間を襲う意思があったかというと、大いに疑問ではある。アレにはそんな思考能力などない。意味もなく、ただ移動しただけなのではないか。
だが、正気度の下がっていた俺たちには、そんなこと関係なかった。ただひたすら、アレが迫ってくる、それだけで恐慌をきたしていた。
「ひっ!?」
「どぅわっ!?」
「きっ、ぎゃああぁあっ!?」
心底驚いたのか、岸部さんすら女の子にあるまじき悲鳴を上げていた。異常な強さの豚鬼変異種相手に互角に渡り合える岸部さんでも、Gだけは生理的に受け付けないようだ。
俺たちは無様に腰を抜かして、一斉に家屋から飛び出した。
「な、なに!?」
「どうした!? 中に何があった!?」
未だ事態を把握していない浅田さんと神林に問われるが、俺も前衛二人もうまく喋れない。
「でっ! 出た!」
「ご、ごきっ!」
「ゴゴごごごっ、ご○ブリ!!!」
其の名を唱えるべからず。女神の禁忌はアレの名前が現出して音として空気を震わせることすら許さず、一文字だけ謎の効果音によって掻き消された。女神さま、どんだけアレが嫌いなのかと。気持ちはよくわかるが。
「だからゴブリンがどうし…………っ!?」
再度問いかけた神林も、戸口から現われたものを見て驚愕した。
麻田さんに至っては、ぐりんと白目をむいてその場でぱたりと倒れてしまった。
外に出てきたソレは、ぴたりと動きを止めた。
……と思ったら、急にシャカシャカシャカシャカと岸部さんのほうに詰め寄った。
―――その行動は予測がつかない。
「ひいぃっ!!!」
岸部さんは、咄嗟に盾を突き出して〔盾強撃〕をかました。
ゴスっと嫌な音を立てて、ソレは弾き飛ばされた。ひっくり返って脚をジタバタさせている。
唖然として見ていると、ソレは不意にバっと羽を拡げて、宙に浮かび上がろうとした。
「ひっ! ひいっ!! ひいぃっ!!!」
岸部さんは半狂乱して剣と盾をでたらめに叩きつけていた。彼女はクワッと限界まで見開いた目に涙を滲ませ、顔をひきつらせて歪んだ笑みを浮かべていた。般若もかくや、というものすごい形相だった。
俺と剣崎もそれに加わった。
俺は鉈を、剣崎は剣をめったやたらと振るった。技術も何もなかった。援護だとか連携だとかはまるで頭に思い浮かばなかった。ただただ、アレを破壊しなければ、とそれしか考えていなかった。理屈じゃないのだ。アレを前にして、理性を保つなど至難のわざと言わざるを得ない。
ゲーム的にいえば、その外見によって混乱系の状態異常が引き起こされた形か。見ただけで正気を失うって、どこの旧支配者かと。
しまいには後衛の神林までもが聖職者の杖で必死になって殴り始めた。
「ああ゛あ゛あ゛ッ! おォォォぉああ゛あ゛あ゛ーーーーーーッッ!!」
「このっ! このッッ!! このぉォォッッッ!!!」
「死ィッ! ねッ!! ヤッあぁああああっーーー!!!」
俺たちは口々に絶叫し罵りながら、無我夢中で執拗に袋叩きを続けた。
ソレはもがき暴れたが、剣や杖が叩きつけられるたびに脚がもげ、羽が取れ、腹部の硬い外殻の隙間から真っ白な内臓がはみ出して、赤黒い体表とのコントラストを描いた。
返り血ならぬ、返り体液と返り内臓が飛び散って、俺たちに降りかかったが、発狂した俺たちは気にせずに武器を振り続けた。
ソレの頭部がポロリと胴体からもげた。
「ふッ! んんっっっ!!!」
岸部さんが裂帛の気合で剣を振り下ろした。
まっ白く生々しい軸索だけで胴体と繋がっているその頭部を断ち割られて、そこでようやくソレは動きを止めた。まだピクピクと脚や腹が痙攣しているが、もう再び生きた生物として動き出すことはないだろう。全体としてはほぼ原型を留めていなかった。
「はぁ……はぁ……はぁ………………」
狂乱が去って、荒い息を吐きながら、俺たちはその場に座り込んだ。跡形もないくらいに損壊したソレの残骸を取り囲んで。
全身、ドロドロに汚れきっていたが、それを拭う気力さえなかった。
虚脱状態となっていたのだろうか。しばらくは沈黙していたが、
「へっ……」
「ふっ……ふふっ……ふへっ……」
「くっ……くくくっ……」
俺たちの間から、意味もなく乾いた笑いが湧いた。
「ふふっ……ふへっ……う……うぇ……ふへっええええっ……」
そして、岸部さんの笑いは途中から嗚咽が混じっていた。他のメンツも、引きつった笑みを浮かべながら、泣いていた。
悲しいとか、うれしいとか、そういう涙ではない。ただただ、極度の緊張から開放され、心の底から安堵したことで自然とあふれた涙だった。
*
あれから失神していた麻田さんを起こし、体制を整えてから、最初の一軒に巣食っていたアレらを駆除した。それだけでもかなり重労働で、みんな疲労困憊となった。たぶん、あの豚鬼よりも厄介な気がする。なにせ、アレはしぶとい。攻撃すればもがいて暴れる程度で、アレが攻撃してくることはないのだが、なかなか死なないのだ。
まだ村内には二百匹近いアレが潜んでいる。まともに戦おうという気力はすでに尽きていた。
「焼こう」
静かに、岸部さんが宣言した。俺たちは無言で頷いた。
彼らのギルドでの評価は落ちるだろうが、そんなことを言ってられない。
アレは滅ぼさねばならない。断固として。
たしかに人間にとって害はあるが、アレに罪があるわけではないだろう。しかし、存在自体がダメなのだ。人間とは絶対に相容れない。
だからこそ、人の信仰に依って立つ女神さまもアレを禁忌とした。
たとえ口先でどれほど博愛の精神を説かれたところで、受け入れられないモノは受け入れられない。所詮、人間とはそういうものなのだ。
そして、姿が猪に変わろうとも、俺は本質的に人間だった。
燃料として所有していた灯油を分けてもらい、分担して村のすべての家屋に降りかけていく。
「〔火 炎 嵐〕」
麻田さんがそっと一言呟くと、村全体が炎の渦に包み込まれた。
魔法の炎と、灯油に引火した炎、建材自体が燃える炎、そしてアレらに付いた炎とで、村は灼熱の地獄と化した。ひょっとしたら、アレが身にまとう油も火の勢いを強めていたかもしれない。
発声器官がないためアレらは絶叫することもできず、ただ羽の震える音とドタンバタンとのた打ち回る音が響いていた。
木材の焦げる臭いにアレが焼ける濃密な悪臭が混じり、あたりに立ち込めた。猪獣人は嗅覚が発達してるため、俺にとってはちときつい。
地獄のような光景だったが、特に何も感じることはなかった。奴らを一挙に殲滅できた喜びや爽快感も、あるいは多数の生物を理不尽に殺した後悔なども、まったく何も感じなかった。疲労だけでなく、さっき半狂乱になってた反動もあったと思う。
何にせよ、俺たちは成すべきことをし、成し遂げた。
俺たちはぼうっとしながら、村が燃え落ちるのを見つめ続けた。
その日は俺の住処に戻って、彼らもそこで一泊することになった。疲労で何をする気にもなれず、みんなさっくり寝てしまった。
翌朝、日がだいぶ高くなった頃に起きだしてきた。一晩寝たおかげか、昨日よりはみんなだいぶ顔色がよくなっていた。
落ち着いたところで、今後のことを少し話した。
クエストのほうは、まずギルドに報告に行き、ギルドの調査員が村の状態を確認しに行って、その調査員が戻ったところでクエストは完了となる。おそらく報酬が支払われるまで一週間ほどはかかる見込みだそうだ。その後、俺の欲しいアイテムを街でみつくろって、ここに持ってきてくれることになった。
「じゃあ、またね~」
そう言って彼女たちは街へ帰っていった。
またね、か。
俺はこの異世界に来てからというもの、人と関わることがほぼなかったので、なにかすごく久しぶりに聞いた。
誰かとそういうやりとりをする機会なんて、もうないんじゃないかと思っていた。
冒険者になるのも諦めていたけれど、今回ちょっと冒険者の真似事ができたし、それはそれで良かったかもしれない。
まあ、今になっていろいろ思い返すと、反省すべき点は多々ある。
開拓村で見たモノはトラウマになってそうだが。それだけはぜひとも早いとこ忘れたいところだ。
願わくば、あんなのと二度と遭遇せずに済みますように。
そうして、俺はいつもの隠者生活に戻った。
ふと、視界の端で、赤黒い何かがちらりと見えたような気が。たぶん見間違いだろう。そうに違いない。
俺は振り返って……。
カサ……カサカサカサ……
(了)
お読みいただきありがとうございます。
Gとゴブリンの類似に思い至って、そこにGへのトラウマが混じったために、こんなお話に……。
ボツ会話
「油蟲を殺す者だとちょっと語呂が悪いかしら」
「語呂以前にエンガチョだろう」
v1.1神聖文字に使った文字コードがPDF版では表示されなかったため、差し替えました
v1.2表現が足りなかったかなというところをちょっとだけ追加修正