2.満腹妖精
まず感じたのは四肢の重みだった。
転生前に入院生活ではなじみ深かった鈍重さだ。
うっすらと開く瞼から覗く光は、眼球を焼くほどの眩しさを伴っていた。
「みて、ほら見てよ! 成功したんだ! すごい、すっごーい!」
「確かに何かは呼び出せたみたいですけど…」
「これ間違ったのよんでねぇ?」
俺は拘束されているのだろうか。そう思えるほど、身体の自由がまるで効かない。
指先一つの自由すら奪うとは、そうとう熟練の拘束魔法の使い手に違いない。
アストロノアには余裕ぶって見せたが、これは想定を上回るほどの危機状況だ。とにかく相手の姿を確認しなければ。
痛みに耐えながら瞼を開くと、そこにいたのは。
「こいつ俺等とそんな変わらねぇように見えるぞ。ホントに村の宝物庫から依代くすねてきたのかよ」
「あったりまえじゃない! なに、わたしが嘘ついてるって言うの?」
「そうじゃねぇけどさぁ。モンテも何か言えよ。こいつ絶対おかしいぜ」
「依代かどうかはボクも保障する。けど、ガイデルの言うことも一理ある。まるで病人みたいだ」
桃色の長髪の少女と、だいだい色の短髪の少年、眼鏡を掛けた少年の3人。
彼らはかわるがわるに声をあげている。
「だろ? おいリリー、これのどこが救国の英雄なんだよ」
「そんなこと言われたって、わたしだってわからないわよ。英雄の話ならガイデルだって聞いたことあるじゃない!」
「冷静に考えるなら、村長が偽物を掴まされてたってことだね」
「おいおい、ここまで来て振り出しかよ…ったく、時間がねぇってのに」
「なによ、みんなして。この人が英雄さんかもしれないじゃない! 村を救ってくれる人かもしれないじゃない! ねぇ、ねぇあなた、英雄さんですよね?」
痛い痛い。頬を叩くな。
「痛がってねぇか。つかどう見ても瀕死にしか見えないんだからやめろって」
「わからないじゃない! これは世を忍ぶ仮の姿じゃないってだれが決めたのよ」
「俺等しかいないのに忍ぶ必要がどこにあんだよ…」
「リリー落ち着いて。とりあえず手当をしよう、ここで死なれたら依代を盗んだことも召喚魔法を勝手に勉強してたこともバレちゃうよ」
「そ、そうね。モンテの言うとおりだわ。英雄さん英雄さん、ちょっとまっててくださいね。今食べ物と飲むものを持ってきますから」
そう誰かがいい、何かが軋む音がした。足音が遠ざかる。
軋む音は扉? だとしたらここは屋内ということか。
しかし、彼らはまだ年若い少年少女だった。彼らが指一本すら動かせなくなるほどの拘束魔法を使えるのだろうか。それに、俺が病人のようだというのは…?
考えるたびに頭痛がひどくなる。うめき声をあげながら頭をゆすった。
そして気付いた。
俺の身体が、まるで病人だと言われた理由が。
四肢は枯れ枝のようで、上半身はろっ骨が浮き出るほどやせ細っていた。
拘束魔法などではない、ただ俺の筋力が衰得ていただけだったのだ。心当たりはまるでないが、このままでは朽ちて死ぬのが必定。
それに今の俺は布切れをかぶせているだけで、その下に衣服を纏っていない。ということは、召喚陣を蓄積したメモ帳がないということだ。
頭に残している召喚陣など十数個ほどしかない。しかし、その中に一つ今の状況をなんとかできる陣がある。
あるにはあるが、召喚陣を描くには痕跡を残せるものが必要だ。
そんな事を考えていると、誰かが戻ってきた。
身体の近くに何かが置かれる音がする。
「ご飯、持ってきましたよ」
「ねぇ、体力がつくものの方がいいと思うの。やっぱりお肉とかパンとか持ってきた方がよくない?」
噛み切れるわけがないからやめてくれ。
「スープでいいんです。大体そんな目立つもの持ってきてなんて言い訳するんですか」
「ネコにあげたっていう」
「絶対嘘だってわかる嘘をつくのはやめてください。ほら、飲んでください。芋のスープですから薄味ですが、ちょうどいいかと」
頭が持ちあげられる。木のスプーンからぬるい液体がちびちびと流し込まれる。
この少年は非常に気の利くタイプのようだ。飲み込むのにも時間と体力を使うが、ペースも緩やかで手なれた様子だった。
2,3口運ばれてから、俺は少年に話しかけようと口を開いた
「―――――――ィ」
うまく話せない。舌が回らない。もどかしさだけが上半身を駆け巡った。
「待ってください。ゆっくり、ゆっくりで構いません」
「え、なになに」
寄せられた耳に、もう一度要求を口にする。
「何か痕跡が残せるものを、そして…むむ、上手くいくかはわかりませんが、やってみましょう。リリーも手伝ってください」
「オッケー! …で、なにすればいいの?」
「図形を描くんです。この小屋には何か描くものか、粉はありませんか?」
「えっと。あ、あるよ! 前にフォレストタイガーに試してみた魔タタビがこの辺に」
「フォレストタイガーってこの辺の危険指定魔物じゃないですか。よく生きて帰ってこれましたね」
「みんなそういうけど、チョット大きめのネコじゃない? あ、あったよー」
暫くすると、少年が耳元に歩み寄る足音がした。
「腕を動かします。多分間違ってないと思いますが」
腕が持ち上げられて、指先が何かに触れた。
恐らく少年が書いた召喚陣だ。
俺は陣を構成する触媒に魔力を通す。
「うわっ、なにこれ」
「これが、魔法…?」
触媒に魔力を通した時、陣は燐光したはずだ。彼らはそれをみて言っているのだろう。
召喚魔法を発動するときに呪文はいらない。召喚陣がそれの代替となるからだ。
だからこんなふうに口が利けない場面であっても、魔法は発動する。
俺が発動させたかった召喚魔法は、妖精を召喚する魔法。
「はいはーい! 満腹妖精さん呼ばれまして来ましたよ~。あら、かわいい子供たち。肥えたらおいしそう…じゅるり。って違いますよ~怖い妖精さんじゃありませんからね~。あら、呼んだのはこいつですね~…………ん~なんか見たことあるようなないような~」
蝶の様な四つ羽根を伸ばし、いたずらっぽい笑みを浮かべているそれは妖精の中でもとびきり評判の悪い妖精だ。遭難者や餓死寸前の人間に近寄って、望む食料を魔法で与えるのだが、与えられる食料には高い依存性があり、いくらでも食べてしまう。また、食料には食べた人間の肉を満腹妖精の好みに変える。しばらくすると集団の満腹妖精が人間にたかり、栄養のある部分を根こそぎ食いつくしてしまう。
性質の悪い寄生虫のような妖精だが、一ついいところがある。
「こんなに痩せてしまってかわいそうですね~。美味しいご飯ですよ~。食べて食べて、美味しく…いやいや美味しいご飯ですよ~」
決して口は開かない。彼らは種の誓約によって無理やり食べさせることはできない。
魅力的な食糧並べたてられるが、これは幻覚効果によって魅せられているだけにすぎない。
「これは…みているだけで気持ち悪くなりそうです」
「うげぇ、これなんか腐ってない…」
「お黙りなさい! まぁどれだけ我慢してもあなたには美味しそうにみえるでしょ? ね、食べちゃいましょうよ~美味しいですよ~」
「……ぃや」
満腹妖精のいいところだが、それはりんぷんにある。
満腹妖精はその特性上、どんな場合でも相手に食欲と食事を可能にさせる体力を与える事が出来る。りんぷんは身体に触れると、体内の魔力を食事が可能なレベルまでの体力に変換するのだ。
暫くすると、骨ばっていた身体にじょじょに元に戻っていく。
それにつれて、満腹妖精の表情が歪み始めた。
「あれ、あれあれ? まっさかな~ここ人間界ですよ~? 人違いですよね~」
「残念ながら、人違いじゃない。ありがとう助かったよ。動けなくて困ってたところだったんだ」
「……………あっ、用事思い出しちゃった! か~えろっと~」
満腹妖精がふらふらと召喚陣に戻っていく。そして陣の真上にたどり着くと、にこやかな表情でこう言った。
「知ってると思いますけど~苦しんで苦しみぬいて~できれば死んでくださいね~」
消える。
そして一度陣を使った陣を構成した触媒はもう使えない。
俺の身体は多少マシになったが、問題はここからだ。
「すっっっっごい! 召喚魔法使えるんだね英雄さん!」
「確かに魔法が使えるのは才能ですが、救国の英雄が召喚魔法を使っていたという記録はなかったはず…」
「君たちには助けられた。とても感謝している。が、半日ほど一人にしてくれないか」
そろそろ来るはずだ。
・・・
副作用が。
「どういうこと?」
「理由を話してもらえますか」
「時間がない。見苦しい姿を見せたくはなかったけど…」
俺は急いで床に置いてあった魔タタビで別の召喚陣を描き、そこに魔力を通す。
燐光を放った陣からは無数の蔦が飛びだし、俺の手足に絡みついた。蔦の一つに噛みついて、舌を噛まないようにした瞬間。
来た。
満腹妖精のりんぷんの副作用。
それは、激痛。
まず末端が痺れ始め、腫れあがる。腫れあがる時は骨が折れるほど殴打されたような痛みがはしる。全身がバラバラになりそうな痛みが手足から駆けあがり、心臓、頭を刺激する。
あまりの痛みに悶絶する間もなく気絶する人間が絶えないらしい。
満腹妖精は、逃げようとする人間を痛みで束縛する。りんぷんを浴びれば食欲がマシ、逃げれば激痛が体中を襲う。
「~~~~~~ッ!!!!!」
痛い。
痛い痛い痛いいたいイタイ痛いイタいイタイ痛イイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ。
その日、痛み以外の感覚を得ることはなかった