1.止まった女神と被召喚魔法
手帳にペンを走らせる。
「ここに天秤と針を、十字には蛇と角を」
「勉強中?」
影が紙に落ちたのにつられて、ふと顔を上げた。
真っ赤な髪の女の子だ。
真っ黒なワンピースに、首元にあるネックレスに時計が下げられている。
「勉強なんて大したものじゃない。ただのメモ」
「ふぅん、それで次は何を呼び出すつもりなの。大きな蛇?それとも鬼?」
「あぁ、実は全然考えてない。適当に書いてるから何が出てくるか、何も出てこないか」
「なにそれ。実験ってこと?」
「もしかしたら悪魔とかが出てくるかも」
「ふぅーん」
冗談めかして言うと、口をとがらせた少女はペンを奪い取り、内側に凹んだ曲線を2本、2本の曲線が支えているような渦巻きを落書きした。
「よし」
「よしじゃないよ。なにしてるの」
「これあたしのだから。忘れちゃだめだよ」
「あたしのって、もう使われてるかもしれないのに」
「だいじょうぶだいじょーうぶ。上書きされるので」
「されるわけないでしょ。陣は統書録に記録されてるんだから」
「そこは超ウルトラミラクル美少女の特権よ」
「美少女なんて年じゃ…ん?」
遠くから呼び声が聞こえる。幼さを感じる声だ
。
「ふぇりくす〜。ふぇりくす〜」
「こっちこっちー」
「やっっぱりここにおったな。さがしたんじゃぞ!」
座ったままでも目線が対等のちびっこは、アストロノアという。
見惚れるような銀髪に、真っ赤な瞳、そして頭には犬耳が、たなびく裾からは尻尾がゆれている。
「外に出るときはひとこと言えとゆうとろうが。お主がひとりでにいなくなると、心配でしょうがないわ」
犬耳が垂れ、尻尾が地面を弱々しく叩いていると、その後ろから同じく犬耳はやした黒髪の女性がにゅっと姿を現した。
立っていれば少し目線を下げる必要がある程度の身長が出てきたわけだけれど、影にでも潜んでいたのだろうか。
「そうですそうです。ご主人様がいなくなったらお館様はそれはもう空が割れるような勢いで泣き叫ぶわ、ご乱心のあまり庭から世界の裏側まで掘り進んでしまいそうになるのですよ」
黒髪の犬耳娘、シェロドラは歌でも歌うように言った。
「そ、それはいいすぎじゃろ」
「ここで見た目通りの童女アピールをすればご主人様も『君を放ってはおけない、一生君のそばにいることを誓おう』となってハッピーエンドルートに突入しますよ」
「なん…じゃと…。あ、あのな、一緒にいて、ほしい…のじゃ」
「ずっとは無理だけど、一緒にご飯も食べてるし、たまに一緒に寝てるよね」
「お、おぉぉぉぉい馬鹿者!一緒に寝てるのは内緒じゃろうが!」
「は? お館様と一緒に寝てるだと? ご主人様の分際で舐めた真似してくれるじゃありませんか」
「一緒に寝る?」
「寝首をかく権利を与えるとはいい覚悟ですねぇご主人様も」
三白眼でナイフの腹を舐っているこのシェロドラはアストロノア大好きっ娘でありながら、アストロノアが百面相したり、慌てふためいたり、背伸びした行動を観察することをこよなく愛している倒錯娘である。
「こら!仲良くしないとだめじゃぞ!」
「ぶはっ!ご立腹のお館さまも素敵すぎ…ばたり」
「のじゃ!? 大丈夫かシェロドラ! 死ぬではないぞー!」
悪気がないのはわかるけれど、出血しているけが人に対して肩をゆさぶるのはやめた方がいいと思う。
とはいえシェロドラが鼻血を出して倒れるのは珍しいことではない。
シェロドラの影に呼びかけた。
「ティロドラいるんだろ。シェロドラの事を任せていいか」
「チッ、なんでボクが…。せっかく昼寝してたのに」
シェロドラの陰から機嫌悪そうな少年の声が響く。
「人の影の中で寝てるのが悪い。ほらほらさっさと連れてった」
追い払うように手を振ると、舌打ちともにシェロドラが影に呑み込まれていく。
残ったのは、風にそよぐ草地だけ。
「後はティロドラが何とかしてくれる。いつもの事なんだからそんなに慌てなくてもいいよ」
「…うむ、そうじゃの」
後ろ髪をひかれたような声を吐きだした後、頭をふる。
「何か、変わったところはあったじゃろうか」
「変わらないね。彼女はずっと止まったままだ。まるで周りの景色を置き去りにするみたいに」
「置き去りに、か。彼女を置き去りに進んでいるのは妾達の方かもしれぬな」
俺達の視線は同じところを向く。
俺をこの世界に転生させた神。セリアーヌと呼ばれた、運命の女神。
どういう経緯か彼女はこの草原で、彫像のように固まっていた。
触れれば温かみすら感じそうであるが、触れた指先から感じるのは生者とは思えぬ冷たさだけ。
「我が主をこの様な状態にしたのは、時の女神じゃ。奴は絶対に許さぬ」
怒気を露わにするアストロノアの頭を撫でた。
「そのために俺は召喚魔法を学んでるんだ。まぁ気長に待つさ。時の魔法を打ち消せる、魔王を呼び出せる召喚魔法をさ」
「わ、わかった、わかったから頭を撫でるのはやめるのじゃ!」
脱兎のごとく飛び退ったアストロノアに、頭を撫でていた手が置いてけぼりになる。
「はっはっはっ、アストロノアは面白いなぁ」
「面白くないのじゃ! 妾をからかうのはやめぃ!」
顔を真っ赤にしながら抗議をあげるアストロノアは、見た目相応の姿で保護欲がそそられる。
「ほーら、ナデナデしてあげるぞ~」
手帳を懐にしまい、わしわしと手を動かしながらにじり寄る。それはさながら肉食獣と草食獣。
先手必勝とばかりに飛びかかった。
「やめぃと、いっておる!」
「ぐふぉっ! い、いい右フックだ…。世界、とれるぜ」
「いいか、妾は帰るが日が落ちるまでには戻るのじゃぞ。返ってこなければご飯抜きじゃ」
「あ、あい」
うつ伏せに倒れながら、歩き去る背中を追った。小さな背中は、震えているように見えた。
夕暮れまではまだ時間がある、俺もいつまでも遊ぶのはやめて総当たりを進めるか
そう、
思った
時
全身が浮遊感に包まれる。強い衝撃が辺り一面に走っているのか、草が一様に波打ち始めた。
光の筋が眼前から、空に向かって伸びた。そいつは俺を囲うように一周する。
「フェリクス!? なんじゃこれは!」
「わからない! 離れてろアストロノア!」
「ふざけるでない、絶対に助ける。フェリクス動けるか」
「まるで動かない…! 空から抑えつけられているみたいだ。だけどこれは…いや、そうか…!」
「何じゃ分かったことがあるなら教えるのじゃ!」
「これは多分、円のみの召喚陣…。なにか俺に由来のあるもので喚び出されそうになっている」
「これが召喚魔法じゃと!? なら拒否ができるはずじゃろ、はよう拒絶の意志を示せ!」
「それが…全く言うことを聞かないんだよなこれが。なんでだろ」
「『なんでだろ』じゃなーーーーーーいのじゃ! なんで落ち着いておる!」
「…アストロノア、これが召喚魔法なら俺に由来する物でまた喚び出せるはずだ。だから今すぐ屋敷に戻って準備をしてくれ」
「な、なるほど。だから落ち着いておったのか。だが妾は召喚魔法何ぞ使った事ないぞ!」
「ティロドラなら使えるはずだ。後は、頼む。そろそろ身体がひっぱられ―――」「フェリ――」
身体が、何者かに引っ張られる感触。あぁ、またかと思った。