0.友達特権で転生だって…?
<気分はどうだい? ちょうどハーブティをいれ終わったところでね>
薄っすらと目を開ける。
真っ白な空間に、溶けてしまいそうな白い円卓に猫脚の椅子がニ脚添えられている。
一方には自分が、そしてもう一方にいま、誰かが座った。
見覚えのない顔だ。
覚えのない場所に覚えのない顔。これは一体どういう状況なのだろう。
コトリ、と音を立てて茶器が目の前に置かれた。
<あなたの世界の言葉に合わせると、ラズベリーティーが一番似ているわね>
どうぞ、と手を差し出されて、多少迷いながらもカップに口をつけた。彼女を疑う気持ちは、生まれなかった。
……彼女?
<この世界のものを口にして、体が慣れてきたみたいね。わかる? 私のこと>
薄ぼんやりとした光の輪郭をじっと見つめると、細部がつまびらかに浮かび上がってきた。
ウェーブのかかった栗色のセミロングに細い切れ長の目。目鼻立ちはどことなく幼く見える。
「ここは…? 一体…」
<神の世界。この次元に存在している神はそれぞれに空間を持っているから、私の世界といっても齟齬はないけれどね。
そしてあなたは私の世界への来訪者。思い出せる? あなたは病で死んだの>
病、という言葉に記憶がうかび上がる。
俺が患っていたのは、治療法のない病気だった。
ランドセルを下ろし、制服に身を包んだころ、日に日に体の調子が悪くなったいった。
手足の自由が利かず、常に呼吸器が外せない。次第に増えていく全身から伸びる管は、まるでがんじがらめの鎖のようだったことを覚えている。
「俺は、死んだのか」
ストンと胸に落ちた。
<落ち着いているわね。じゃあ次の話をしましょう>
「次の話? これから地獄にでも向かうのか」
<お望みならばそうしてあげてもいいけれど。あなたは生まれ変わり――転生する気はあるかしら。もちろん記憶はそのままで>
「転生だと?」
彼女は口元を歪ませてから、カップに口をつけた。
<どうかしら? 悪い提案じゃないとは思うけれど>
「悪くはないが、意味がわからない。なぜ俺が? 不治の病で死ぬ人間なんて、俺以外にもいくらでもいるだろう」
「倉石芹亜という名前に聞き覚えはあるわよね?」
幼馴染の名前だ。病床にふせっている時、何度もお見舞いに来てもらったのを覚えている。
<わたしが倉石芹亜。こんにちは、まーくん>
「は?」
満面の笑みで繰り出された衝撃に、頭が揺さぶられた気がした。
まーくんとは、生前幼馴染の女の子から呼ばれていた名だ。更紗 真守、名字が女の子っぽくていやだと話したら翌日からそう呼ばれるようになった。
<信じられないかな>
彼女は上目遣いでこちらを見る。
「ごめん。どうも、記憶がはっきりとしなくて」
倉石芹亜という幼馴染がいたことははっきりと覚えている。病室でなんども顔を合わせたことも。
けれど、その幼馴染が目の前の姿と一緒だといいきることができなかった。
「別に気にしてないわ。死後は生前の記憶があいまいになることは、よくあることだもの」
彼女は一呼吸おいてから言った。
「だから、私には信じてほしいとしか言えないわ」
「わかった。いや実際良くわかってないが、仮にそうだとして、なんで神様が普通の人間やってるんだよ…」
俺の記憶が定かでない以上、この話の確証を得ることはできないと会話を進める。
<いい質問ね。私も最近までは人間だったの。とある神様に拾い上げてもらって、今に至るってことね>
「とある神様だって? まだここに他の神様がいるってことか?」
だだっ広い、目が潰れそうな白が永遠と続く世界。何かがいる気配は感じない。
<今はそうね、別のところに行っているみたい。それで、わたしがあなたを特別視する理由には納得してもらえたかな。わたしはね、あなたがそんな終わり方をするなんて、納得が出来ない。あなたには自由に生きてほしかったから>
「転生するのは、まぁいい、受けるよ。結局記憶を失ってやり直すか、そのままやり直すかってことだろう?」
<そんなことないわ。転生を受け入れなかったのなら、貴方にはずっとここにいてもらうつもりだもの>
「は? 何の冗談だ?」
なんだその脅迫は。
<ずーっと私と一緒に、ここにいましょう?>
ね?と小首をかしげる彼女に、本気の圧を感じた。こいつは本気だ、本気で俺をここに閉じ込めようとしている。
「どうして、俺に選ばせる? 選択肢なんて奪えばいいじゃないか」
<無理やりは嫌いなの。あなたを退屈させるつもりはないけれど、あぁやっぱり外に出たくなったなんていわれたら悲しいじゃない>
目を潤ませてそういうが、中身は俺を監禁するかどうかについてだ。
「分かった、転生する。いや、転生させてくれ」
両手をあげて懇願する。あら残念彼女は言った。残念無念で上等だ。
<…あなたが転生する世界は、前世とはちょっと違うわ。
剣と魔法のファンタジー、というとわくわくするでしょう?>
猫のようにいたずらっぽく微笑む彼女に、一抹の不安を覚える。
「剣も魔法も使ったことなんてないぞ」
<そのうち慣れるわ。それに何かあったらわたしを呼んでくれれば、いつでもチカラになるもの>
「それはありがたいが」
じゃあ詳しい説明を、と話を区切った眼前に一枚の便箋がひらひらと舞い落ちた。
薔薇の茎の絵で縁取られている、どことなく堅苦しい便箋だ。
内容に、というよりはその現象自体に放心していた彼女が、はっと我に帰り飲みかけのハーブティーを便箋にぶちまけた。
「お、おい…」
<時間がないわ! 内容はどうでもいいから、この名前だけ覚えて!>
指先は便箋の最下行を示す。
そこには、聞いたことのない名前が書かれていた。不思議と、液体で濡れているはずなのに文字がくっきりと浮かんでいる。
自然と視線を上滑りさせると、そこにはこう書かれていた。
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親愛なる 運命 セリアーヌへ
直接会えないことが残念だけれど
あったら邪魔されるもの、しょうがないわよね。
そろそろおもちゃ箱で遊ぶ時間は終わり、
時計の針をすすめましょう。
聡明なあなたなら、わかるわよね?
フォルナリアより
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<こっちに来て!>
差し出された手に一瞬反応が遅れた。
足首を何者かに掴まれた気配を感じる。引きずり込まれる感覚に、咄嗟に何かを掴んだが空をきる。
<位相をずらされた!? ■■■■■■のしわざね!>
「俺は、どうすればいい!」
すでに体は半分沈んでいる。全身が沈むまで、もう幾ばくもないだろう。
<すぐに転生が始まるわ。迎えに行くから、転生したら今ここのときのことを思い出して!>
返事は返せなかったが、かろうじて突き出した右手で親指を立てた。
そして、世界が暗転する。