服がない
状況が飲み込めない。電車の中にいたはずが真っ白い大理石みたいな床に仰向けに寝転んでいる。毛布を掛けてくれているが、背中に直で当たる床の感触からして、どうも裸らしい。
酔い潰れた俺は嘔吐して汚してしまったのだろうか。顔を横にして寝かされていたのはお腹からリバースされたものを喉に詰まらせないようにとの配慮だったのだろうか。ゆっくりと頭の中を整理して、やっと気付く。
どこだよ、ここ! 駅のホームくらいで寝かせておけよ。
明らかにラチられている。両腕タトゥーはやはり危険な男だったのだ。
「心配は要らない。安心しろ」
少し青みがかった白い布を身に纏った男、マッチョマンがそう言ったが、それで安心する奴は皆無だろう。
彼の服は古代ローマのトーガみたいな感じで、マッチョマンの重低音の声が整った顔立ちと体型に合わさって荘厳さがビンビンだ。貧乳Tシャツはどうしたのか。
「こっちに持ってくるために仮死させただけだ」
言い終えて男はガハハと豪快に笑うが、こっちは笑えない。余りに状況が分からなさすぎて言葉が出ない。
「ごめんね、アンジェがどうしても連れてきたがってね」
続いて、色は淡いピンクではあるものの、マッチョマンと同じ様な感じで布を纏った美女さんが言う。
誰だよ、アンジェ。まるで下校中に虫を捕まえて持って帰った言いっぷりだな。早く元のところに戻してきなさいとお母さんに怒られろ。
「連れてきたことは仕方ない。しばらくは我々が面倒を見る」
「しばらく? 今すぐ帰らせろよ。」
俺は相手に敵意がなさそうなので強気で話す。
「遠いために簡単には行かなくてな。すまんが時間が掛かる」
「なかなか難しいのよ。手続きとか無視だし」
「いや、さっさっと帰らせろよ」
「こちらも悪気はないのよ。帰るのはしばらく待って」
んー、美女さんが困った顔をするので、俺も困る。
「……どれくらい?」
「知りたい?」
黒髪少女よ、質問に質問で返すな。確か、こいつは電車の中でずっと無言で俺を見ていた奴だ。たぶん、こいつがアンジェだな。
存在感が圧倒的な金髪二人のせいで忘れていた。女の子は、ジャージ姿であった。側面に二本の白いラインが入った紺のジャージ上下。左胸の部分に青葉中と入った黄色い刺繍と、2-3安藤と手書きで書かれた白い布が縫い付けられている。
あっ、小学生でなくて中学生だったのね。電車では動物キャラクターTシャツだったから幼く見えたのか。安藤アンジェ?安藤かどうかは知らんが、他人のジャージなど着ないだろ。
このクソガキが俺を連れ去った元凶か。同級生の男共に、『あいつの名前、あんあん、うるせぇな。グヘヘ』と陰口を叩かれていて欲しい。
俺が余計なことを考えていたため、少し沈黙した感じになった。それが向こうには催促の返事になったのかもしれない。黒髪少女が再び口を開く。
「2億年くらい?」
おい、とんでもない時間を言いやがった。もう人類がタコみたいな別の生物に進化してんじゃねえの。もう少しマシな嘘を言えよ。
「アンジェ、やめなさいよ。2億年かどうかも含めて、あなたは安心しなさい。絶対に支障なく戻してあげるから」
この美女さんに言われると何となく心が落ち着いた。
「でね、ここで待ってもらうのもアリなんだけど、どうせなら私たちと一緒に来ない?暇潰しにはなるわよ」
「どこに行くんだ?」
「珍しい物を見つけたり、食べたりするためにフラフラするの」
なんだ、それ。散歩じゃねーか。温泉地でブラブラするようなものか。
「基本は私たちに付いてきてくれたらいいから」
「では、行くか」
俺が返事する前に大男は言った。早すぎるわ。強引さにびっくりするわ。お手軽な散歩でも、俺はまだ準備も出来ていない。
アンジェがぼそっと言う。
「行くにしても、こいつ裸」
ナイス、安藤さん! 意外に俺のことを気にしてくれていた。
「ぬはは、裸一貫からのスタートも面白いかと思ったのだが」
マッチョマン、それ面白くない。そもそも、誰かに見つかった瞬間に散歩終了だぞ。お前らも事情聴取で無駄に貴重な経験を味わうことになるんだぞ。
「裸族と一緒にいたくない」
アンジェ、それは真っ当な意見だが、俺の事を気遣った風に言い装った方が人当たりが良くなるぞ。人生の先輩からのアドバイスだ。
「服は着させろよ。とりあえず、俺の服はどこだ?」
「持って来られなかった。あったとしても今のお前ではブカブカだしな」
ブカブカとな?
アンジェが続ける。
「14歳。私と同じ」
歳の話は誰もしていないが、大丈夫か、この娘。俺の服はどうなってるんだ。
ふと思い出す。
そうだ、服より手だ!なんか電車の中で、このアンジェとかいう娘の手とくっついていたはずだ!こいつと切り離されている今、手首から先はどうなっているのか。
掛けられた布の中から、恐る恐る右手を目の前に出す。