出会いは電車の中
よろしくお願い致します。
大学の夏休みを利用して、電車での一人旅。のんびりと窓越しに田園風景を見る。半分も埋まっていない指定席車両は人声もなく、線路を走る音だけが耳に響く。
大勢での旅も良いが、孤独であるが故に自由な旅もまた良いものである。今日の目的地は決まっているが、明日はどこに行こうか。バイトをみっちり入れて稼いだお金も充分。高すぎるのは無理だけど、名物料理も味わおう。
……なんて、始まったばかりの夏休みの開放感に浸っていられたのは、ほんの10分前までだった。
電車が駅に着いて、乗ってきたのは一目で分かる欧米系外国人さん三人組。例のごとく、ごついバックパックを背負っている。あの中には何が入っているのか、いつも気になる。いや、衣服なんだろうけど。
キョロキョロと自分達の指定席番号を探して前から歩いて来たその三人組は、おもむろに俺の前の席を回転させてボックス席にしやがった。
ラックに入れていたペットボトルも前席と一緒に回転して見えなくなった。
さすが対人距離が近いと噂の方々!他人が座っていてもボックス席化とは畏れ入る。他の空き席に、いや、自由席に移動したい。いえ、すみません、させて頂きたい……。
心の中でそう願う、動揺激しい俺に対して彼らは立ったままじっと見てから、先頭に立っていた背の高い男性がスマイルした。
こんな時はヘローと挨拶すべきなのか、それともナイストゥーミーチューの方が良いのかと悩んでいる間に、彼はどでかいリュックを上の荷台に置いて、仲間の荷物も上げようと手にしている。
その男は筋肉隆々の金髪碧眼マッチョマン。なのに爽やかな顔立ちがまた嫌らしい。
うん、勝てない。腕力もモテ度も。両腕の変な模様のタトゥーもとても俺を威嚇しているな。
胸の筋肉が浮き出てる程にピチピチの白地Tシャツには、意味が分からず選んだのであろう、『貧乳』と黒字で太く書かれていた。
俺は目を反らす。見てはいけない。突っ込んではいけない。
残りの二人は女性だった。片方はマッチョマンよりも明るい金色の長髪をポニーテール風に縛った、すらりとした体型の女性だ。ちょ、凄い美人。目が少し合って微笑んだ顔がとても良い。
でも、俺がマッチョマンに殺されるかもしれないので止めて頂きたい。
絶対に二人は恋人同士。美女におびき寄せられた男達は、皆、マッチョマンの腕力アピールの生贄になっているはずだ。いや、それを期待して美女は俺に微笑んだのでは。楽しい夏休みを続けるには万が一の不幸を避けるべきである。俺は悩みに悩んで選んだ極上の挨拶、ハウドゥーユードゥーを引っ込めた。
ボックス席にされたのは不満であるものの、旅は道連れ世は情け。折角同席になったのだ。最低限のコミュニケーションを取ろうとしている努力は見せたい。
俺はもう一人に目をやる。こいつもカップル+1の旅で居心地が悪かったであろう。俺による日本の優しさを堪能するがよい。
アイコンタクトと会釈で『こんにちは。歓迎します。私は英語が出来ません』と伝えたい。それが俺に出来る最大のおもてなしだ。すまん。それに、同席で窓ばかり見ているのも感じが悪いしな。
子供だった。デフォルメされた動物の顔だけがデカデカとプリントされたTシャツを着た、小学校高学年くらいの黒い髪の女の子だった。しかし、クリクリした目、その目の色の薄さや白い肌から間違いなく異国人さまであった。美女さんと系統は違うものの、この子も将来は綺麗になりそうな顔付きだ。
少女は可愛らしい。おでこを出すように揃えた前髪も似合っている。しかし、男と共にTシャツのセンスは絶望的だな。なんだ、そのグロテスクカラーのカエルの絵柄は。あっ、イチゴヤドクガエルっていうのね、下に平仮名で書いていた。水族館ででも買ったのか。
少女と目があった瞬間に、よし来たと会釈したのだが、さっきの女神のような美女とは対照的にフンと鼻で笑われた。これなら、まだ窓を見詰めている方がマシだった。居心地が更に悪くなったじゃないか。
俺の苦心が伝わった上での対応なら、ファッキューと中指立てで返したい。もちろん、マッチョマンがいなければの話だ。
荷物を置き終わった三人はどしりと座る。俺の前は、さっきの黒髪女の子だ。美人なあの子はボックスの対角線上。そして、マッチョマンは俺の横だ。
狭い。ひじ掛けを通り越してムキムキの腕がはみ出ているのは不可抗力なのか、それともわざとなのか。せめて、美女を前に座らせて下さい。黒髪女の子は無表情でこっちを見つめて来て怖い。とても悪質だ。
出来たな。ここは日本の片田舎に突如現れたゲルマン帝国である。ローマ帝国なのかもしれない。哀れなる被征服民である俺は、マッチョマンのひじを避けつつ、じっと窓の外の風景を見る。
隣のマッチョマンがポリ袋をガサガサしているのが聞こえる。
その音が気になりつつも振り向けない俺は、窓の反射越しに見るという高等テクで、マッチョマンが缶ビールを取り出していることを知る。ピストルかもと若干死を覚悟したわ。
そして、マッチョマンは缶ビールを一本ずつ投げて連れに渡す。おい、小学生にもアルコールかよ。さすがだな。日本のローカルルールなんて無視か、お前らの国では飲めるのか。やりたい放題だな、帝国民は。
マッチョマンは缶ビールを二つ持っている。その巨体では二本でも足りないだろうなと俺は納得しつつ、盗み見を終えて線路脇の木が流れていくだけの風景に目を移した。
「これ、どうですか?」
マッチョマンが突然俺に話し掛けてきた。とても流暢な日本語だ。
日本語できるのに、そのTシャツなのか。さっきまでの緊張が少し、いや、かなり緩和した。言葉の壁が崩壊することがこれほど人類に安らぎを与えるとは。
一人窓を見つめる俺を察したマッチョマンの気遣いが温かい。いや、この状況を作ったのがお前だったよ。声まで男前なのも気に障るが、まぁ、置いておこう。ビールは好きだし、お前は貧乳らしいしな。
「ありがとうございます。是非頂きます。」
俺は出来るだけ丁寧に返答し、マッチョマンからビールを受け取った。
そこから小さな宴会が始まった。一人一本ずつかと思っていたビールは何本も袋に入っていたのだ。それを俺達は飲み続けた。他にも客がいる車両で、さして面白くない雑談を大声でしゃべるマッチョマン。迷惑であっただろうが、ゲルマン帝国の一員と化した俺には関係なかった。さすがに同じような大声は出さないものの、ちょっと気になる美女様と日本語コミュニケーションしたかったのだ。
どこの国から来たのだとか、年齢や名前、日本でどこに行ったのかなど、たわいもない話をしていた。
しばらく経って、次の駅にそろそろ着くのであろう、電車が減速を始めた。どうもマッチョマンの大声と美女の可憐な声でアナウンスを聞きのがしていたようである。相変わらず、黒髪女の子は俺を見つめている。ごく稀に缶ビールをすする。そりゃ、子供にビールは苦いわな。ジュースを買ってやれよ、マッチョマン。我が国では児童虐待という立派な犯罪でありますぞ、たぶん。
「そろそろかな?」
美女が連れの二人に訊く。
「どうだろう?アンジェは分かるか?」
「んー、そろそろ」
黒髪女の子はアンジェというらしい。さっきも名前を聞いたはずなのに、覚えていなかった。美女さんへの緊張感もあって、変な酔い方をしたのだろうか。
「じゃ、行こっか。」
美女さんが立って荷物を取ろうと荷台に手を伸ばす。しかし、マッチョマンがその動きを予測していたのか、いつの間にか立ち上がって美女の代わりに荷を下ろす。うーん、このマッチョマン、気まで回るとは、胸の文字以外に非の打ち所がない。
感心と敗北感を抱きながら見ていると、
「手のひらをこちらに出して」
と黒髪女の子が言ってきた。この娘、初めてしゃべったんじゃないか。
俺は異国の別れの挨拶かと思い、素直に右手を少女に向ける。少女も手のひらを出して俺の手のひらに合わせる。
うん?
何か手がじんわり熱い。体温高めの人かと思いつつ、頃合いで手を離そうとした。
あれ、動かない。
少女と合わせた手がピタリとくっついたままである。
少女の口がニヤリと笑う。もしかしたら、くすりと笑ったのかもしれなかったが、俺にはニヤリに見えた。なにせ、第一印象から悪い娘だったし。
俺は合わせた手を見る。
ん?
もう一度見直す。
……少女の手と融合してる!!
俺の手首の先から少女の手のひらが生えていた。いや、少女の手のひらから俺の手首が生えているといった方が正しいのか!
混乱しながらも金髪二人組に助けを求めて目をやる。二人はじっとその手を見てから、ウィンクしてきた。何それ、俺、酔いすぎか?
もう一度、自分の手を確認しようと視線を動かしたタイミングで、視野が暗転した。あっ、完全に酔ってたのね。ごめんなさい。会ったばかりですが、介抱宜しくお願いします。心の中で謝罪とお願いをした。
気付いたら、真っ白い床の上で寝転んでいた。側には、服装は違うものの、さっきの三人組がいた。
「ようこそ、私たちの世界へ」
金髪の美女はそう言った。相変わらず微笑んでいた。