星の明かりに映るキミ
【言い訳】
単発作品として一応楽しめるようにまとめてありますが(ですから投稿時の設定としては「単発作品」になっています)、シリーズ化するつもりで書いていたため、未回収の伏線や未解決の問題がたくさん残っているかと思います(そもそも、致命的なことに、恋愛と異能力が十分に相互作用していませんし)。
執筆する時間的余裕ができ次第続きを書く予定でいますので、何卒ご了承ください。
「亜香里さん、ちょっと相談したいんだけど、」
B組の才女、七星亜香里は、しばしばこういう相談を持ち込まれる。 彼女の能力、「内の目」は、目にした人の考えていることを見通すことができる能力だ。 普段かけている眼鏡を外して対象となる人の姿を見るだけで、相手の思考、好み、感情など全て把握できる。 それゆえ、時々このように恋愛相談の相手として選ばれるのである。
「アレの話ね。 誰の心を視てほしいの?」
「A組の、えっと、背の高いやつ、いるじゃん。 えっと、」
「わかった、高橋のことね。 彼の好きな人が誰なのか、調べればいいの?」
「ううん、違うの! ただ、もうすぐバレンタインでしょ? 高橋くんが甘いものを好きかどうか、っていうことだけ、調べてくれれば、満足なの」
「ずいぶん控えめなお願いなのね。 オッケー、視ておくわ。 結果は後でLINEすればいいかしら?」
「うん! 亜香里さんありがとう!」
相談者の少女は、亜香里に勢いよく抱き着いた。
先述のとおり、亜香里には「内の目」という異能力がある。 小学二年生のある朝、突然瞳の色が青みがかったことに気が付いた両親が病院に連れてゆき、その日のうちに「異能力発現」という診断を受けた。 親の躾はやや行き過ぎたレベルで厳しく、「過去をうじうじ見続けるな」と怒られながら、元の学校への挨拶も許されることなく、そのまま特殊能力を持った子どもたちが育てられる特別学校、通称「異能力コース」への編入が決定してしまった。 亜香里たちの通っている「桐ノ葉学園高等科」は、そのような性格を持った学校の中でもかなり能力の高い子どもたちが集められるが、亜香里の場合は自分のみならず、同じく異能力者である母親の権力などにも助けられ、この学校に通っている。 厳しい母親の意向で全て決められた編入先であったが、今となっては亜香里は特に恨みなどは抱かず、桐ノ葉学園にすっかり馴染み、楽しく過ごしている。
この日も、A組の少女を助けた後、すぐに友人がニコニコと近づいてきた。
「亜香里、今日もモテモテだねえ」
「うふふ、すごいでしょう? ……と言いたいところなんだけど、女の子にモテても仕方ないのよね……」
「意中のマコトくん以外は眼中にないんでしょ、長い付き合いだから、よくわかってるよ」
「ちょっと麻紀! 教室でそのことは言わないでって言ってるでしょう! 聞かれたらどうするの!」
「大丈夫だよ、心配性だなあ。 これでも一応、周りにマコトがいないって確認してから、こうやって言ってるんだから」
「よかった、まったく、驚かせないでよ」
「まあ、実は確認したのは、「意中のマコトくん」って言った後なんだけどね」
「ちょっと?!」
中等科からの親友、東雲麻紀。 彼女の能力は、周囲にどんな人間がいるのか瞬時に把握できる能力、「心音探知」。 言ってみれば「人間レーダー」みたいなもので、半径五百メートルにどんな人間がいるのか、その人の名前は何なのかわかる、というものだ。 彼女の場合は、異能力の発現時に髪の色が一気に明るい茶色に変わったようで、見た目は所謂ギャルに近い。
「まあ許してよ、亜香里が可愛くて、こうやってからかってるんだよ」
「本当かしら……。私の反応を楽しんでるだけじゃない?」
「そこまで言うなら視てみればいいじゃん。 ほれ」
そういうと、麻紀は亜香里の眼鏡に手を伸ばし、取り去った。
《亜香里、マコトくんの話すると、いかにも恋する乙女、みたいな反応するから、面白いよねえ》
「ほらやっぱりからかってるじゃない! もう!」
亜香里は眼鏡を取り返すと、頬を膨らませながら装着しなおした。 学園の規則で、「異能力の常時使用は禁止とする。 日常生活において常時発揮されてしまうタイプの異能力に関しては、これを抑制する工夫を施すこと。」というものがあるから、学園に編入する際に、「異能関連技師」の亜香里の父親が作ってくれた眼鏡だ。 確実に「内の目」を遮断するのみならず、スケルトンな黒い淵がオシャレで、亜香里はとても気に入っている。
「はいはいごめんね亜香里。 可愛いなあ!」
「もう今年は麻紀には友チョコあげないから、覚悟しておきなさい」
「えっ、後生だからそれだけは! ごめんってば亜香里いいい!」
よく晴れた冬のお昼頃、今日も学園では何の騒動もなく、平和に時間が過ぎてゆく。 窓の外では、紅葉しすぎてやや黒みをおびた葉が木から離れ、庭に落ちてゆく。 この光景が不吉なことを暗示……することも、特にない。 異能力という一見物騒なものを扱っていながら、この学園は、本当に平和な、心落ち着く場所なのである。
「ダメだ! オレはもう終わりなんだ!」
同日、ほぼ同時刻、同じくB組の教室で頭を抱えて嘆く男がいた。 彼の名は猪瀬明良。 名は体を表す、とはよく言ったもので、オオイノシシのような巨躯を誇る、筋骨隆々な大漢である。異能力発現の影響で出来た右手の大仰な火傷跡のようなものが、更に彼のいかつさを増幅している。 ……そうは言っても、猪瀬百合という、可憐という形容詞がそのまま人間となったような妹がいるので、「名は体を表す」はいつも成立するとは限らない。
「どうした、明良。 また異能力を暴走させて先生に怒られたのか? 今度こそ退学?」
「違う! 第一、オレが暴走したところで、全面完全防火のこの学園じゃ、何にも起きないだろう! っていうかオレは一度も退学勧告なんてされてない!」
「じゃあどうしたっていうんだ、ミスター素行不良」
「誰がミスター素行不良だ! 明良、っていう名前の通り、オレは極めて優等生なのは、お前だって知ってるだろう」
「まあね。 ……で、本当にどうしたんだ?」
明良は、彼の友人、鷹野真実に向き合って、世界の終わりが近づいているかの如く、重々しく、悩みを打ち明けた。
「バレンタインだよ。 バレンタイン。」
「……お前、嫌なことを思い出させてくれたな。 やっぱりミスター素行不良だ」
「悪いのはオレじゃない。 企業の作戦にうかうか乗っかって、わざわざ「モテる男」と「モテない男」を、チョコレートという卑劣極まりない道具を用いて可視化してくる企業たちだ! なあ真実、知ってるか、チョコレートっていうのはな、南米とかアフリカの貧しい農家の皆さんの、血と汗と涙の上に作られている「神の食べ物」なんだよ。 なのに、それを」
「……そろそろ見苦しいからやめておけ、明良。 俺だって、お前と同じ側の人間だ。 気持ちは痛いほど解る。 でもな、明良。 いくらチョコレート企業を悪く言ったとしても、俺たちがモテないのは、覆しようのない事実なんだよ……」
こう言い放つと、真実も、明良の仲間に加わって、二人で教室に負のオーラを放ち始めた。 女子たちがキャッキャと恋の話をして教室の空気を明るく彩りあるものにしている一方で、輝度も彩度もゼロな空気を、このように非モテ男子が作っている。 そういうわけで、教室の色彩的コントラストは、この季節、いつもよりはっきりしている。
「あーあ。 俺、クラス中の女の子を「支配」して、チョコレート作ってもらっちゃおうかな」
「いや、真実、お前の「傀儡師」の能力、最大で五人までしか操れないんだろう。 しかも、「傀儡師」の限度は十五分だろ。 十五分で、チョコレートが作れるとでも思ったのか」
真実の異能力は「傀儡師」。 これは、人の行動を物理的に操ることができる異能力である。 同時に五人まで操ることができるという性能は学園でも一目置かれ、それゆえに高校二年生ながら、国防大学(国防軍附属の学校で、国防軍のエリートを養成する大学である)への推薦進学権を持っている。 しかし、最大で十五分までしか操れないという欠点があり、進学するまでに一時間くらいまで延ばすように、と国防大学からは言われているようだ。
「え、十五分くらいあればできるものじゃないの?」
「女子力ゼロのオレでさえ、そんな短時間じゃ作れないことくらい知っているぞ……」
「ば、バカにするな。 たまたまチョコレートの作り方を知らなかっただけで、ほかの料理なら知っているぞ。 ほら、何か料理名を言ってみろ、華麗に作り方を答えてやる」
「うーん……あまり期待していないが、じゃあ白ご飯の炊き方を言ってみろ。 ベッタベタな間違い方はしないでくれよ。 洗剤がどうのこうの、とか……」
「えっ、洗剤使わないの」
「嘘だろ……。 真実、お前はモテるとかモテないとか以前に、まず生活力を付けようぜ……」
「嘘に決まってるだろ、白米の炊き方くらい知ってるよ、一人暮らししてるんだから。 それに、料理の上手なお嫁さんをもらう予定だから、いずれにしても心配いらないって」
「なんか不安だな……。 しかもなんて前時代的な発想……」
「ねーねー、あかりー」
「どうしたの? まつり」
「まことがさ、そこで、「料理ができるお嫁さんがほしい」って話してるよー」
「まつり、いつの間に「地獄耳」防止の耳栓を外していたの?!」
同日。 そんなドス黒いオーラを放ちながら明良と真実が会話している教室の反対の端で、亜香里と麻紀、そして鳥須賀茉莉が、某「中までチョコたっぷり」なお菓子をシェアしながら、雑談に興じていた。 茉莉は「ジャスミン」と読むのだが、本人はその仰々しい名前があまり好きではないらしく、漢字を直接音読みした「まつり」というあだ名を好んでいる。それをアピールするためか、一人称も「まつりちゃん」で通しているようだ。
茉莉の異能力は「地獄耳」。 彼女の左耳は、半径五十メートル内で生じているすべての音や声を漏らさず聞き取り、更に聞き分けることができるのである。 これも、亜香里の目と同様、何もしなくても発動してしまう能力であるため、茉莉は普段は左耳だけ特殊な耳栓をしている。 この耳栓も異能関連技師に依頼して作成したものであるが、その技師は偶然にも亜香里の父親であった。 この耳栓のデザインにも匠のこだわりが見え、左耳を彩るピアスとしても極めて良い製品となっている。
「いやー、「地獄耳」を使わなくても、あきらとまことがバレンタインの話をしてるのが聞こえたからさー。 ほら、異能力とか別にしても、まつりちゃん、地獄耳じゃないー?」
「だからって、盗み聞きすることないじゃない……」
「盗み聞きとは失礼なー、恋は情報戦だよー」
そう言いつつ、しぶしぶ茉莉は耳栓を左耳に装着しなおした。 ジャスミンのような白色の装飾が、茉莉のショートカットな黒髪によく映える。
「で、亜香里。 愛しのマコトくん、料理ができる女の子がお嫁に欲しい、だってさ」
「ああもう、麻紀までそんなこと言わないでよ……」
「まつりちゃんの記憶だと、あかり、料理めっちゃ苦手じゃなかったっけー」
「い、言わないで……」
「まつりちゃん頭良いから、よーく覚えているよ。 あの惨劇は、五年前のバレンタインのこと。 パッと見、とっても美味しそうな自作クッキーを、あかり持ってきたよね。 でも、実際に食べてみると、原材料にダイヤモンドでも入っているのか、ってくらいに硬くてー」
「そうそう、しかも、亜香里はイチゴ風味のチョコクッキーって言ってたけど、イチゴ風味もチョコレート味もしなくて、なぜか苦くてしょっぱくて……」
「だからやめてってば! ちゃんと反省して、あれからずっとバレンタインのチョコは市販のを使っているんだから許してよ!」
麻紀も茉莉も、至極気楽に亜香里をからかっているのだが、当の亜香里は、比較的真剣に「料理が苦手な私は、果たして真実のお嫁さんとしてふさわしいのだろうか……」と少し悩む羽目になった。
「それはそうと、まきは今年はどうするのー? 今年こそは、あきらにチョコレートあげるのー?」
女子の止まることのない恋バナのターゲットは、麻紀に移った。
「えっ、も、もちろん!」
「でも麻紀、去年は渡せなかったんだよね?」
「う、うん……」
亜香里をいじっていた時の勢いはどこへやら、自分の話になると、麻紀はとたんに歯切れが悪くなった。 赤面させ、明るい色の髪の毛をクルクル指でいじりながら、口を尖らせうつむいている。
「ふふふ、二人とも恋する乙女だねー。 まことがイケメンなのはわからないでもないけど、あのファイヤーボンバーおじさんのどこがいいのやらー」
「ファイヤーボンバーはともかく、おじさんじゃないから! 確かに老け顔だけど……」
「まあ、どっちかっていうと、かっこいいタイプよね。 大丈夫よ、麻紀、私は否定しないわ」
「なんか亜香里の言い方も釈然としないけど……」
「まき、今年こそは頑張るんだよね? 有能なまつりちゃんが協力しようかー?」
「ううん、大丈夫。 一人で頑張るよ」
「お? 何の話だ?」
突如として、恋バナ花咲く女の園に似合わぬ巨躯が、彼女たちを上から見下ろした。
「うわ、ファイヤーボンバーおじさんだー。 まつりちゃんびっくりー」
「誰がファイヤーボンバーおじさんだ! ……お前らがそのあだ名を大声で言ってるもんだから、気になって来ただけだ」
地獄耳を持っていない明良や真実にとっても、彼女たちの大きな声での会話はなんとなく聞き取れたようだ。 ましてや、明良にとっては、自分のあだ名である「ファイヤーボンバーおじさん」という単語によって、カクテルパーティ効果(自分の名前はよく聞き取れるという現象である)すら起きていたのだから、明良が気になるのも無理はない。
「だ、大丈夫だよ、猪瀬。 アタシは、おじさんって思ってないから」
紅潮が耳にまで至った麻紀が、必死に弁解する。
「マジか! 東雲、お前いいやつだな!」
「良かったじゃん、明良。 同年代って認めてくれる人がいたなんて」
「いやいや、あきらが未成年だって思う人、少数派だと思うよー」
「いいんだよ、茉莉。 一人でも心優しい子が、オレのことを同年代だって思ってくれるなら、オレはそれで満足だ」
「あ、でも、同年代っていうのは少し難しいかな。 社会人三年生とかには見えるから安心していいよ、猪瀬」
「東雲、お前だけは味方だと思っていたのに!」
心臓が高鳴りながらも、冗談を交えて好きな人と普通に会話できる麻紀を、亜香里は心底うらやましそうに見ていた。
しかし、この場で一人だけ黙っているのもおかしいので、亜香里はとりあえず口を開いてみた。
「ところで、猪瀬くんは、どうしてファイヤーボンバーおじ……えっと、ファイヤーボンバーって呼ばれてるのかしら?」
「もう慣れたから、普通にファイヤーボンバーおじさん、で大丈夫だぞ、七星。 オレがこんな不名誉なあだ名を頂戴したのは、去年の「異能力練習」の授業のことで……」
明良が語り始めると、すかさず茉莉が、ちょうど明良の視界を遮る位置に手を挙げた。
「はーい、話が長くなるから、賢いまつりちゃんが代わりに話しまーす」
「オレの見せ場を取らないでくれよ、茉莉……」
茉莉は少し考え、まだ亜香里の机の上に残っていたチョコたっぷりな棒状のお菓子を取り、くわえながら器用にしゃべった。
「そうは問屋が卸さぬぞー、と言いたいところだけど、たまには幼なじみの顔を立ててあげましょう。 感謝したまえよ、あきらくん」
「あーはいはい、茉莉にはいつも感謝してる。 ありがとう」
「おー、珍しく素直じゃないかー、殊勝な心掛けであるぞ」
幼なじみの雑な絡みに、あきれ顔で頭を掻きつつ、明良は話を続けた。
「ほいほい。 とりあえず説明するな。 「異能力練習」の授業で、ほら、オレの「高温火災」とか真実の「傀儡師」みたいな、火力や限度があるタイプの異能力者は、能力場を調節して、限界を突破する経験をしてみよう、っていう話があったろ。 それで、オレも実験棟の一室を借りて、いつもより高温で広範囲な炎を出す練習をしてたんだよ。 そうしたら、隣の部屋で練習してた真実の「傀儡師」が何故かこっちの部屋にも反応して、オレの行動が縛られたんだ。 そのせいで、オレの頭に飛んできた自分の炎を防ぎきれなくて、髪の毛がチリチリになっちまった、っていう話だ。 真実も茉莉も面白がって、「ファイヤーボンバーしてる」だの「老け顔なのに更に面白くなった」だの言って、こんなあだ名がついた、ってわけだ」
そう言って明良はスマートフォンを取り出し、一枚の写真を亜香里に見せた。 髪の毛がチリチリになった直後の明良自身の写真である。 そのさまは、普段しとやかで物静かな亜香里をも、大声で笑わせるほどのインパクトがあった。
「これは傑作ね! あっははは!」
「おい七星、お前までオレを笑うのか!」
「だって面白すぎるもの! 確かにファイヤーボンバーおじさんね! あははは!」
「結局おじさん扱いかよ! 東雲、味方はお前だけだ、見捨てないでくれよ」
「仕方ないなあ、ずっと味方でいてあげるから、安心して」
麻紀の発言に、素早く茉莉が食いついた。
「おやおやー、まき、今の、なんかプロポーズっぽくなかったー?」
「へっ、茉莉、何言ってるの?! そんなわけないじゃん!」
「あれれー、顔が赤いですぞー?」
「こ、これは、教室が暑いだけ! まったく、冬だからって暖房こんなに強くして!」
「はいはいー、そういうことにしてあげましょうかねー」
わざとらしく手を団扇のようにしてパタパタあおぐ麻紀を、茉莉はニヤニヤ見つめていた。
「ただいま」
「おかえり、姉ちゃん」
麻紀が家に帰ると、双子の弟の東雲葉介がリビングでポテトチップスを食べながら、漫画を読んでいた。
「葉介、一枚ちょうだい」
「はいはい、どうぞ」
葉介の差し出したポテトチップスは、麻紀も好きなのり塩味であった。 食べた後で人に会うのであれば、歯にのりが付いてしまって都合が悪いが、麻紀にはこれから予定もないので、心おきなくのり塩のポテチをつまめる。
「手が汚れるのいやだから、「あーん」してよ、葉介」
「やだよ恥ずかしい」
なんだよケチ、と口を尖らせながら、しぶしぶ麻紀は自分でポテチの袋に手を突っ込み、一気に二枚取って、ばりばり気味の良い音を立てながら、大好物を味わった。
「ポテチはやっぱりのり塩に限るよねえ」
「俺もそう思う」
至極たわいもない会話を交わし、麻紀は自分の部屋に戻り、すぐに室内着に着替える。 グラビアアイドルも顔負けのプロポーションを誇るためか、学校が支給したワイシャツは彼女にとってはキツすぎたのだ。 成長期が始まる前までは閉めるべきボタンはすべて閉めていたのだが、中学二年に入ったころから急に胸が大きくなりはじめ、高校の入学式での「ボタン飛ばし事件」以来、下着の見えないギリギリのところまでボタンを開けることにしているのだ。
「はー、苦しかった。 しかも欲望に負けて、またポテチ食べちゃった。 ダイエットしなきゃ……。 亜香里はよく「胸から太って腹から痩せる、なんて羨ましすぎるわ」なんて言うけど、そういう体質も困りものなんだよねえ」
制服から、ピンクを基調とした可愛らしい室内着に着替えると、ぬいぐるみが枕元を埋め尽くしている白色のベッドに寝ころんだ。
「バレンタインまであと一週間。 茉莉も言ってたけど、やっぱり情報収集が大事なんだろうな……。 でも、猪瀬の好みとか、甘党かどうか、とか、知らないしな……。 かと言って、猪瀬、いっつもマコトくんといるから、亜香里に視てもらうわけにもいかないし……。 ああもう! どうしよう!」
「姉ちゃん、うるさい。 ホコリ立つから、ベッドの上で暴れないでよ」
麻紀がベッドで暴れながら独り言を言っていると、リビングからけだるげな葉介の声が聞こえた。 全体に東雲家の壁は薄いので、ベッドで暴れている音も、ポテチをバリバリかじる音も、なんとなく全部聞こえてしまう。
「ごめんごめん。 ……あ! そうだ葉介!」
名案を思い付いた、と言わんばかりの顔で、ドアを開けて直接葉介に話しかけた。
「ん? どうした姉ちゃん」
「うちのクラスの猪瀬って知ってる?」
「猪瀬? ああ、ファイヤーボンバーじじいのこと?」
「なんかもっとひどいあだ名になってるけど……まあ、その人のことなんだけどさ、」
「あの猪瀬なら、かなりの甘党だよ」
「なんで聞きたいことわかったの?! 心を読む異能力なんて持ってたっけ?!」
「俺の異能力は「心紋探索」だけだよ。 姉ちゃんの考えていることがわかりやすすぎるだけ」
葉介の異能力「心紋探索」も、おおむね麻紀の「心音探知」と似たような異能力である。 ただし、「心紋探索」は、「特定の人物がどこにいるのか発見できる」という能力であり、無差別に位置を特定できる麻紀の能力よりは用途が限られる。 その分、五百メートルという制限のある「心音探知」と違い、「心紋探索」は半径十キロもの広範囲をカバーすることができる。
「知ってるよ、双子だし、毎日しゃべってるもん。 で、どうして猪瀬が甘党だってわかったの? 「心紋探索」で、ケーキ屋さんにでもいるのがわかったとか?」
「ううん。 実はうちのA組にも、猪瀬にチョコレートをあげようとしている女子がいてさ。 その子に、姉ちゃんからのと同じ質問をされたんだ。 「ファイヤーボンバーじじいくんって甘いもの好きかな?」って。 それで今日、偶然廊下で遭遇したから、それとなく甘党かどうか訊いてみたんだ。 それで知ってた」
「ファイヤーボンバーじじいくん、って奇妙極まりない呼び方だなあ。 って、そんなことはどうでもいい! アタシにライバルがいるってこと?!」
「そうなるねえ。 頑張ってね、姉ちゃん」
「こうなったら、今すぐにでもスーパーに行って、いろいろ吟味しなきゃ! 行ってきます!」
慌てて部屋から財布だけ持ち出し、麻紀は玄関に向かって走り出した。
「姉ちゃん! ちょっと待って! 服! 服着替えて!」
ふわふわパジャマのような室内着のまま飛び出そうとした姉の腕をつかみ、焦る姉を制止した。
「まったく、慌てすぎだってば……。 つくづく、世話のかかる姉だなあ」
そう言いつつも、葉介はこのおっちょこちょいな姉が大好きだ。 そんな姉が、別の男に熱を上げて、こうも取り乱しているさまを見ると、胸にチクリとした痛みがないでもない。 しかし葉介は、努めてそれを無視していた。
「とは言ってもねえ……。 他の女子と差をつけたチョコレートなんて、どうすればいいんだろう……」
葉介の制止により、無事きちんとした外着に着替え得た麻紀は、スーパーまでの道のりで、ああでもない、こうでもない、と頭を抱えながら百面相をしていた。
「あれ、麻紀ちゃん?」
すると、家の近くから続く細い道を抜け、大通りに合流したところで、左から麻紀に声をかける者があった。
「ああ、マコトくん。 どうしたの? 買い物?」
「うん、 ちょっと夕飯の買い出し。 麻紀ちゃんは?」
「だいたい同じ感じかな」
「そっか。 ご一緒してもいい?」
「うん、もちろんいいよ」
真実は、学校帰りにそのまま買い物に来たようで、制服にコート、といういで立ちであった。 一人でじっくりチョコレートの材料を検討することはできなくなったが、明良の親友である真実と同行すれば、何かしら良い情報が得られるかも知れない。 そんな風に思って、真実の買い物に付き合うことにした。
「麻紀ちゃん、普段とずいぶん服が違うね。 なんかもっと派手な感じの服を着てるイメージだった」
襟元にふわふわがついている白いコートに、赤を基調としたチェック柄のスカート、その下には黒い厚手のストッキング、という麻紀の服装を見て、真実が言った。 麻紀は少し口を尖らせ、不服そうな表情をした。
「地毛が茶髪っぽくて、ちょっと釣り目だから、結構そんな感じに思われるけど、アタシ、ギャルとかじゃないからね」
「どっちかというと、普段の制服の着方が、ギャルっぽいんだけどね……」
「ん? どうしたの?」
「い、いや、なんでもない。 こっちの話。 それで、麻紀ちゃん家は今晩は何食べるの?」
「へ?! ええと……あ! 鍋! 鍋とかかな! ほら、寒いし」
今晩の料理のことを少しも考えていなかった麻紀は、とりあえず思いついた料理名を言うことにした。
「本当? 俺も今日は鍋な気分なんだ」
どうやら、不自然な料理名ではなかったらしい。 ほっと胸をなでおろした麻紀の耳に、驚くべき言葉が飛び込んできた。
「どうせなら、うちに来て、みんなで鍋にしない? 明良と、あとは亜香里ちゃんと茉莉ちゃんとか呼んでさ」
明良の名前が聞こえた時点で、麻紀の腹は決まっていた。 真実に聞くのも悪くないが、本当に明良に好みのチョコレートを作るためには、明良本人に話を聞くのも良いだろう。 また、そういう打算を抜きにしても、明良がその場にいるというだけで、麻紀にとっては非常に嬉しい状況であるからだ。
「行く行く! でも、ご家族の方に邪魔にならない?」
「大丈夫、うち一人暮らしだから。 地元に「異能力コース」のある高校が無くて、わざわざこっちに来たんだ。 でも、いつも一人きりで食事するのは寂しいし、明良を呼んで男二匹で食べるのも、なんか悲しいだろ? 冬の寒さがいっそう身に堪えるっていうかさ」
「あはは、風流な言い方をするんだねえ。 任せておいて! アタシたちで良ければ、にぎやかの手助け、させてもらうよ」
「助かるよ。 亜香里ちゃんと茉莉ちゃんへの連絡は、麻紀ちゃんにお願いするね」
「らじゃ!」
夜七時。 学園の最寄り駅である市川駅に、五人は集まった。
「よかったじゃん、二人とも。 進展するかもよー?」
茉莉が、明良と真実に聞こえないように、亜香里と麻紀に言った。
「知ってるよ。 アタシはそのために来たんだもん。 亜香里も頑張るんでしょ?」
「私は……。 ええ、まあほどほどには頑張るけれど……」
突然、麻紀から「鍋パしよう! マコトくんも来るよ」とLINEが届き、取るものも取りあえず集合した亜香里は、まだまだ心の準備ができていなかった。
「寒いところ申し訳ないけれど、ここから少し歩くよ」
女子の思惑など全く気付かず、真実が四人を先導し始めた。
「らじゃー。まつりちゃん頑張ります。 しかし寒いですなー」
降水量があったら確実に雪になるほどの寒さに、茉莉は首を縮めた。 それを見た麻紀は、手を茉莉に差し出した。
「じゃ、手を繋ぐ? 茉莉」
「いえーい。 まきとラブラブだー。 あかりも繋ぐー?」
「私はいい。 手袋もあって、寒くないから」
「じゃあ繋いであげなーい。 気が変わったら、まことにでも頼んでねー」
「な、何言ってるの茉莉?!」
茉莉の冗談に、亜香里は寒空に似合わぬほど赤面した。もちろん繋げれば、そんなに幸せなことはないが、まともに話すことすらできない亜香里には、流石にハードルが高すぎる。
「あはは、亜香里ちゃん、手つなぐ? なんてね」
そこに、真実自身が、更に冗談をつなげた。
「えっ、あっ、いや、大丈夫、です……」
「だよね、流石に嫌だよね。 ははは」
亜香里は、虫より小さな声で「別に、嫌だっていうわけじゃないのだけど……」とつぶやいたのだが、隣を歩く明良と話している真実には、その声が聞こえるはずもなかった。
「あら、まこちゃん。 お帰り。 お友達かい?」
真実の住むアパートにつくと、二十歳くらいの美しい女性がちょうど入れ違いにアパートから出かけるところに遭遇した。 手に空っぽのトートバッグを持っているあたり、買い物にでも行くのであろう。
「ツルさん、ただいま帰りました。 ちょっとだけうるさくなるかも知れませんが、許してくださるとうれしいです」
「大丈夫、お婆ちゃんは耳が遠いから、少し騒いだって聞こえやしないよ」
「耳も全然衰えてないでしょ、ツルさん。 まあ、どうしてもうるさかったら、言ってください」
「あら、ありがとうね。 みなさん、楽しんでいってね」
ツルさんと呼ばれた女性はにっこり笑って、長い黒髪を揺らしながら会釈すると、駅のほうに向かってスタスタと歩き去った。 その歩き方や速さは、体力の盛りの二十歳前後のそれであった。
「なあ真実、今のは誰だ? 何度かお前の家には来てるけど、初めて見たぞ」
「あれ、明良も知らなかったっけ、ツルさん」
家のドアを開けて、食卓らしい低いテーブルに四人を案内しながら、真実はツルさんの説明を始めた。
「あのお婆さんは、亀田ツルさん。 隣の201号室に住んでる」
「お婆さん? 見るからに若い女性だったけれど」
亜香里が、皆が疑問に思っているであろうことにつっこんだ。
「そーだよー。 少なくともあきらよりは若いでしょー」
「茉莉……お前ひどいぜ……」
「俺もそれは思った」
「真実まで?!」
ふふ、と楽しそうに笑うと、真実はツルさんの情報を追加した。
「ツルさんは、今年で確か……五百歳くらい、だったかな。 若い時に異能力「鶴は千年亀は万年」が発現して、不老不死になったんだって。 旦那さんもいるけど、今日は平日だから、まだお仕事から帰ってきてないのかな」
「その旦那さんは、何歳なんだ?」
「なんでも、お見合い結婚した時に、ツルさんの異能力が伝染したみたいで、同じ異能力を持っているらしいんだ。 旦那さんは、ツルさんより三歳年上のはずだよ」
「すごい人なんだねー」
茉莉は、変化に乏しい表情を少しだけ変化させながら、驚きを表した。
「不思議なこともあるのね。 異能力が似るのは、血が繋がっている人同士だけだと思っていたわ」
緊張を隠すために、スマホで「五百年前っていうことは……だいたい戦国時代なのかしら」など調べながら、ようやく亜香里が発言した。
「学校ではそう習ったけど、ツルさんによると、昔は夫婦の異能力同期はよくあった話らしいよ。 今よりも結婚の儀式がしっかりしていたから? とか言ってた」
「なるほど、今度調べてみるとするわ」
「さすがあかり、勉強熱心な才女ですなー」
「ほ、本当に興味深い話だ、って思ってるもの……」
「さて、そろそろ野菜の準備をしようと思うけど、食べられない野菜がある人、いる?」
テーブルから立ち上がって、真実がキッチンに向かいながら言った。 行動も話し方も比較的ゆっくりしている茉莉が、素早く手を挙げた。
「まつりちゃん、キノコ食べられないー。 食べたら死んじゃうー」
「嘘つくな、茉莉、お前の場合はただの好き嫌いだ。 茉莉の母さんも言ってたぞ、しっかりキノコを食べさせてやってくれ、って」
「うえーしぬーしんじゃうー」
大げさに床に倒れる茉莉を見て、麻紀も一緒に床に寝ころんだ。
「なんだかマコトくんの部屋って落ち着くよね。 初めて来たとは思えないくらい居心地がいいよ」
「あはは、ありがとう。 気に入ってくれたら、いつでも来ていいよ」
「だってー。 あかり、また来ようね」
「なんで私に振るのよ?! また来たいな、って、もちろん思ってるけど……」
「おうおう、みんなで来ようぜ! あっそうだ、真実、野菜着るの手伝うぞ。 二人でやったほうが早いだろ」
明良がどっこいしょと巨躯を立ち上げ、腕まくりをした。
「おう、明良。 助かる」
「あ、私たちも手伝うよ!」
麻紀も立ち上がってそこに加わろうとしたが、
「悪いな女性陣、このキッチンは二人用なんだ」
「あきら、それ、ネコ型ロボットのアニメのスネ〇くんのパクリでしょー」
「バレたか」
「ファイヤーボンバードラ〇もんの話は無視するとして、麻紀ちゃんたちはお客さんだから、ゆっくりしていてほしいんだ。 だから俺たちに任せておいて」
という真実の気遣いによって、むさ苦しくも男二匹によって料理は進められることとなった。
「さてー、男性陣が料理をしてくれているところでー」
明良がキッチンまで遠ざかったことを確認すると、茉莉が、何かを企んでいるような微笑みを浮かべて、亜香里と麻紀にささやいた。
「ええ。 作戦会議、しましょうか」
緊張の種である真実が遠くに行ったからか、亜香里はいつもの調子を取り戻した。
「アタシ、亜香里に頼みたいことがあるんだけど」
「任せて。 何をすればいいの?」
麻紀は、真実の家に招待された瞬間から用意していた、渾身の策を披露した。
「猪瀬の好きなお菓子を、視てほしいの」
亜香里は、名案、とばかり、一度笑顔になったが、すぐに顔を曇らせた。
「でも、うっかり鷹野くんのこと視ちゃうかも知れないから、それは難しい……。 「好きなお菓子」で脳内の情報を検索すると、おのずと、近い脳内アドレスに存在する「好きな女の子」の情報まで視えてしまうから……」
万が一にでも、真実の好きな人を視てしまいたくない、との一心で、これまでの生活では、近くに真実がいる場面では、是が非でも「内の目」を使わないようにしてきた。 ここでも、自分に課したその掟を破るわけにはいかない。
麻紀は、その言葉を待っていた、とばかり、右手でピースサインを作り、亜香里に向けた。
「大丈夫、亜香里、それに関しては、きちんと作戦があるの。 視てもらう前に、マコトくんは私が、買い出しとかに連れ出しておく。 ドアや壁に隔てられたら、亜香里の異能力は効かないから、安心でしょ?」
話を聞きながら、亜香里は少し恐ろしく思えて自分で自分の腕を抱きしめていたが、それを聞いて腕組みを解いた。
「ええ、それなら大丈夫。 わかったわ、猪瀬くんの好きなお菓子ね。 任せておいて」
「ありがと、亜香里。 かわりに、私は何をすればいい?」
「じゃ、じゃあ、連れ出している間に、好きなお菓子、聞いておいてもらおうかしら」
「オッケー、ちゃんと聞いておく!」
「ありがとう。 助かるわ、麻紀」
「はいはーい! お嬢様方、鍋が完成いたしましたよ!」
作戦会議も終わり、完全に雑談に興じていると、真実が鍋を、明良がガスコンロを持ってきた。
「真実、お前、ちゃんと料理できたんだな」
「当たり前だ。 だから言っただろ、一人暮らししてるから大丈夫だ、って」
「うむ……認めるとしよう……」
ゴトリ、とガスコンロがテーブルに置かれ、その上に鍋が置かれた。
「そういえば、そんな話してたよねー。 バレンタインは許せぬ、とかなんとかっていう会話の中で」
「なっ、おい茉莉、それ聞いてたのか」
「ごめんごめんー。 楽しそうな話をしてたみたいだったから、ちょっと「地獄耳」使わせてもらったよー」
へへへ、と頭を掻きながら、茉莉は言った。
「まったく……」
「そういえば、」
麻紀が口を開いた。
「茉莉の「地獄耳」とか、亜香里の「内の目」とか、あと鷹野の「傀儡師」とかって、場合によってはプライベートを侵害しているようなものだけど、なんだか茉莉と猪瀬って、そのあたり寛容というか、おおざっぱだよね。 言い方はちょっと悪いけど、気にならないの?」
明良は、ふむ、と少し考え、
「オレらみたいな異能力者は、多かれ少なかれそんなものだから、なんていうか、お互いさまみたいに思ってるのかも知れないな。 あと、茉莉に関しては幼なじみっていうこともあって、こいつは異能力を悪用しない、っていう信頼があるからかな」
「おやおや、嬉しいことを言ってくれますねー、あきらくんー」
はいはい、と、茉莉の頭に手を置いて軽くなでながら、明良は続けた。
「それを言ったら、お前と七星も、同じだろう?」
「そうね」
亜香里は、自分の眼鏡を触りながら言った。
「今日なんか、麻紀、私の眼鏡をわざと外して、わざわざ自分のことを視せてきたわ。 これもきっと、信頼関係のなせることなのね」
「そうだよ、アタシ、亜香里のこと大好きだから!」
えへへ、と麻紀が亜香里に抱き着く。 だが、暑苦しいわ、と、すぐに亜香里が引き剥がしてしまった。
「……でも、この「内の目」のせいで、昔、少しいじめられたこともあった」
少し悲しげな表情で、亜香里は話し始めた。
「学園の規則にあるから、この眼鏡を着けていつも生活しているけど、中等科の時に、この眼鏡は偽物で、実は頭の中がいつも覗かれてるんじゃないか、って言ったクラスメートがいたの。 それで、薄々そう思っていたクラスメートが少なくなかったみたいで、その日から、物を隠されたり、ノートに「気持ち悪い」だの「消えろ」だの「視るな」だのと落書きされたり……」
すっかり真実の部屋はシンと静かになり、鍋がグツグツと煮える音だけが響いていた。
「そんな日が続いて、私も、私の異能力が嫌いになってきた。 どうして、こんな気持ち悪い能力を持って生まれたんだろう、とか、そもそも、普通の家系に生まれたほうが幸せだったんじゃないか、とか、いろいろ考えた。 似た異能力「内の寄生虫」を持つお母様に相談したけれど、慰められるどころか、情けない、と殴られて、どこにも私を理解してくれる人はいないんだ、って思って、生きているのもつらくなった。 唯一良かったと思っているのは、その時から親友だった麻紀が隣のクラスで、麻紀にまでいじめが及ばなかったことかしら」
「あかり、そんなことが……」
「でもね、」
顔を上げて、声の調子も明るくして、亜香里はなお話し続けた。
「そんな私の能力を、素敵だ、誇っていいんだ、って言ってくれた人がいたの。 その人の異能力も私と同じ系統のもので、人の動きを操るものだったんだけど、昔、「頭の中も操ってるんじゃないか」っていじめられたことがあったらしいわ」
「それって……」
真実は、はっとして亜香里を見た。
「そう、あなたよ、鷹野くん。 あなたの言葉のおかげで、私は自分に自信を持てた。 胸を張って、いじめてきた人たちに立ち向かって、自分の眼鏡のことや異能力について、きちんと話せた。 怖い人に話をしに行く時なんかは、鷹野くんも一緒に来てくれたわね」
すっかり緊張も解けた亜香里は、一呼吸おいて、真実に言った。
「あの時から、ずっと言いたかった。 ありがとう、鷹野くん。 本当に感謝してるわ。 そして、そんなあなたのことが……」
「ことが?」
「……いえ、なんでもないわ。 尊敬してるわ、鷹野くん」
話に熱が入ってしまい、勢い余ってうっかり言ってしまいそうになったが、この気持ちは、しっかり意を決してから言いたい。 そのためにも、このバレンタインは必ず成功させなければならない、と心に誓った亜香里であった。
亜香里の話によって、少しシリアスな雰囲気になってしまったが、一同はすぐいつもの和気藹藹とした楽し気な雰囲気になり、キムチ鍋をつついた。 途中、茉莉が「お肉はおいしいねー」などと言いながら肉ばかり食べててしまい、同じく肉好きの明良に怒られていたが、ひとまず皆が一通り満足した。
「さてと」
麻紀が立ち上がり、亜香里と茉莉に目配せをしながら、話を切り出した。
「マコトくん、もうそろそろ飲み物が無くなってきたんじゃないかな」
「え? ああ、本当だ。 冷蔵庫にはあったかな?」
真実はテーブルの上の空いた二リットルペットボトルたちを見て、続いて立ち上がって冷蔵庫を確認しに行った。
「うん、やっぱり無いね。 俺、買ってこようか」
「そ、そのことなのだけれど。 ちょっと私、猪瀬くんに話があるから、かわりに麻紀と一緒に行ってくれないかしら?」
さっきの麻紀の目配せで「作戦開始」ということが伝わったため、亜香里もうまく話を運ぼうとした。
「というわけで、アタシと少し買い出しに行かない? マコトくん」
「うん、俺は構わないよ。 飲み物って案外重い荷物だから、そこにいるガタイの良いおっさんが適任だと思ったけど、そういうことなら仕方ないね」
「おい、誰がおっさんだ」
「あきらに決まってるじゃんー」
「……まったく、もう諦めたよ、おっさん呼ばわりは。 じゃあ東雲、頼んだぞ」
ふふ、と楽しそうに笑いながら、麻紀は床に無造作に置いてあった白いコートを拾い、袖を通した。
「うん、それなりに多めに買ってくるね。 みんな結構飲むペースが速いみたいだし」
「そうだね。 じゃあ麻紀ちゃん、行こうか」
真実も、ハンガーにかけてあった黒色の上着をひょいと取った。
「行ってくるね」
「はーい、行ってらっしゃーい」
バタン、とドアが閉じた。 これで、亜香里は間違って真実の心を視てしまう可能性はなくなった。
「……で、七星、話って何だ?」
「ああ、そのことね。 えーと、その、なんていうか……」
テキトウに「話がある」と言って明良を引き留めたは良いが、亜香里には特に明良に話したいことはなかった。 もともと話をするのが得意な方でもないため、慌てると余計に話ができなくなる。挙句、
「ば、バレンタインデー、何か予定はあるかしら?」
と、誤解を招きかねない質問をしてしまった。
「え? 七星、もしかしてオレのこと」
明良はドキドキしながら亜香里の真意を確認したが、
「そういうわけじゃないから勘違いしないよーに、あきら」
「え、ええ、ごめんなさい、勘違いさせてしまって。 申し訳ないけれど、そういう意味じゃないの。 ただちょっと聞いてみたくて」
と、一瞬で二人に否定されてしまった。 明良は相当ドキドキした様子で、自分のコップに入っていたコーラを飲み干し、答えた。
「おお、ビックリした。 七星みたいな育ちの良い大和撫子、っていうか美人に、そういうこと言われたら、誰だって勘違いしたくなるだろ」
「うわー、あきら、口説いてるー。 おっさんのくせにー。 きもいぞー」
「なんというか、重ねて、ごめんなさいね、猪瀬くん」
亜香里はこう言うと、自分のオレンジジュースを飲み干した。 ずいぶん前の時間に注いだジュースだったため、氷は既に溶けきっていた。 立ち上がり、冷蔵庫に氷を注ぎに向かう――もちろん、亜香里の本来の目的は氷を注ぐことではなく、冷蔵庫に背を向けている明良の背後を取り、バレないように眼鏡をはずし、アキラの味覚的な好みを視ることにあった。
「今年のバレンタインデーは月曜か。 だったら、学校に行く以外には特に用事はないな。 部活も月曜日はないし。 で、七星たちは?」
話を振るため、急に明良が亜香里のほうに振り返ったので、亜香里は危うく眼鏡に手を触れるのを見られそうになった。 ギリギリのところでそれは防ぐことができたものの、亜香里は緊張でドキドキし、冷や汗すら出てきた。
「えっ? ええ、私も同じようなものよ。 ま、まつりは?」
「まつりちゃん? まつりちゃんはねー、どうでしょうー?」
「ごまかすようなことでもないだろ、もったいぶるなよ」
「実はなんと! まつりちゃん、バレンタインデーは先約があるんだよね!」
「は?! 嘘だろ?! 茉莉、お前リア充だったのかよ!」
「へっへーん。 まつりちゃんはモテモテなのだー」
正面にいる茉莉の方を明良が向いている今こそ、亜香里にとっては明良を視る絶好の機会であった。 明良が再び振り向かないことを祈りつつ、亜香里は「内の目」を発動した。
(視るべきは、明良の嗜好のデータ……。 どうすればいいかしら、「好きなお菓子」あたりで検索をかけて……)
幸いにも、亜香里の予想通り「好きなお菓子」という名前で、明良の脳内には嗜好が登録されていた。
《好きなお菓子:チョコレートフォンデュ》
(……困ったわ。 チョコレートフォンデュなんて、バレンタインに贈るお菓子としては不適切じゃない。 他には……そうね、「好きな甘味」なんかどうかしら)
亜香里は脳内データベースの閲覧を続行した。 データベースは五十音順で整理されているから、「お菓子」と「甘味」であれば、わざわざ再検索するまでもなく、閲覧を進めていけばすぐ見つかるであろう。
(好きなお菓子、好きなおかず、好きな思い出、好きな折り紙、好きな女の子……っ?!)
結局「好きな甘味」まで視続けることは出来ず、明良の心拍数が何故か上昇し、見るからにそわそわし始めたので、、亜香里は慌てて眼鏡をかけなおした。
《猪瀬明良。 好きなお菓子:チョコレートフォンデュ。 好きな女の子:》
亜香里には、この後に続く名前を、麻紀に伝える勇気はなかった。
「ねえ、マコトくん」
星が綺麗に輝く寒空の下、麻紀と真実は白い息を吐きながら歩いていた。 麻紀の提案で、近くにあるスーパーより三倍くらい距離のあるコンビニまで向かい、限定の飲み物を買うことにしていた。 ……もちろん、これは亜香里の作戦のための時間稼ぎであったのだが。
「うん? どうしたの麻紀ちゃん」
「回りくどいのはアタシ得意じゃないから、もう直接訊くね。 マコトくんにお菓子をあげたい、っていう女の子からの依頼で、マコトくんに訊きたいことがある。 いいかな?」
「えっ?! えっと、え、どういうこと?」
突然な話に、真実は自分で自分の足につまづき、危うく転んでしまいそうになった。
「いや、言ったままの意味だよ。 マコトくんのことを好きな女子のために、アタシがスパイとして、マコトくんをこっそり連れ出して、こうやって調査をしているってわけ」
言った後で、麻紀は少し冷や汗をかいた。
(こういう言い方をすると、今日の鍋パのメンバーにその女の子がいる、ってバレちゃうかな。 でもいつかはバレるんだし、それに、自分のことを好いてくれる人のことを好きになり易い、っていう話もあるから、多分問題ないよね……?)
このようなことをいろいろ考えていたが、あまりに予想外の展開についていけず、真実は完全に混乱している。
「あ、えっと、まあ理解したよ。 それで、訊きたいことって何?」
どうやら勘付かれる心配もなさそうだ、と麻紀は胸をなでおろし、話をつづけた。
「理解してくれたようで助かるよ。 質問はね、マコトくんの好きなお菓子は何? だって」
さっきの自分の驚きをなだめながら、真実は考え、答えた。
「クッキーが好きかな。 チョコも好きだから、チョコチップクッキーとかはよく食べるよ」
「おおー、予想以上に詳しい答えが返ってきた!」
あはは、と麻紀は笑いながら、スマホで誰かに早速報告した。 「傀儡師」を使い、無意識のうちに彼女のスマホの向きを傾ければ、その相手は見えるかもしれない。 しかし、真実はそのようなことをしたがるタイプではない。 むしろ、あくまで正々堂々と意中の人に向かい合いたい、と考えるタイプであった。
「あ、でも」
真実が心中密かに「傀儡師」を使いたい衝動と戦っているとも知らず、麻紀が続けた。
「その子、昔、クッキーを作ってひどい失敗をしてるから、あんまり期待しないほうがいいかも?」
「ああ、大丈夫。 作ってくれたものは全部美味しくいただくから」
「マコトくん、モテないモテないって自分で言いながら、そういう誠意みたいなものもあるし、話も面白いから、正直、もう彼女いるのかと思ってたよ」
「嬉しいけど、完全に誤解だよ。 俺、まるでモテないし、それに、モテてもあんまり意味はないしね」
「あれ、モテるの、嬉しくないの?」
「うーん、なんていうか、その、」
恥ずかしそうにはにかみながら、真実は答えた。
「ほら、好きな人から告白されないと、意味ないかな、って」
麻紀の目は、期待と不安とで丸くなった。
「マコトくん、好きな人いるの?!」
「いいじゃん別に! ああもう、恥ずかしいからこの話はおしまい!」
重要な情報を取り逃がした気がした麻紀は悔しそうに口を尖らせた。 が、それはすぐに杞憂であったとわかる。
「なんだよイケズう。 まあ今度聞き出すから、覚悟しておいてね」
「はいはい」
真実の返答を最後に会話がいったん途切れ、三十秒ほど沈黙が続いた。 そして、意を決し、自らその沈黙を破った。
「ところで、麻紀ちゃん。 情報を提供したかわりに、俺もひとつ、訊いてもいいかな」
「うん。 なあに?」
真実は急に立ち止まり、少し後ろを歩いていた麻紀のほうに振り返った。
「亜香里ちゃんって、彼氏、いるのかな?」
世に多くあるラブコメ作品のような展開を目の当たりにして、麻紀は不思議なドキドキを感じていた。 亜香里や真実に対する羨ましさと、運命の神は案外ハッピーエンドが好きなのではないか、という期待であった。