医者の述懐(前編)
「……どうしてこうなってしまうんでしょうね」
私はただ見つめていた。
人の世界で紡がれた、欠片でしかない物語を。
現在とも過去とも言えない時間の流れの中で。
切なくて儚くてどうしようもない運命を……。
ここは、狭間の扉。
死と生の間。
私が司る領域。
。☆・医者の述懐・☆。
「あ〜暇だな〜」
おれの名前は賀城 清貴。
自慢じゃ無いが現在恋人募集中の二十三歳だ。
……って研修医だから忙しくてちっともそんな暇がねぇ。
「くそ〜……」
そんなことをブツブツと呟きながら病院の廊下を歩いた。
この病院に来てまだ一週間だが、大分慣れた。
『―――微風が穏やかに囁く こんにちは お嬢さん わたしとお話をしませんか』
そんなとき、どこからか歌が聞こえた。
高くて綺麗な声だった。
その声がテンポよく詞を紡ぐ。
『少女は頷きました それが旅の始まり 終わりへと続く道筋』
気がつけばその声の聞こえてきた病室の前に立っていた。
入る前に患者の名前が分かるように設置された名札には《西棟一〇二 美咲 花南》と書かれていた。
「……すげぇ」
思わず感嘆の声が洩れていた。
「……そこにいるのは誰?」
だけど、声がデカすぎたみたいだった。
病室の向こう側から歌い手と同じ声が聞こえてきた。
「え、えと」
吃驚してわたわたと誰も通らない廊下を忙しなくキョロキョロしていた。
「あの……どうぞ」
そんな時に控えめな声でそう言った。
だからおれはドアに手を伸ばし、静かに開けた。
ゆっくりと広がっていく向こう側は一面の白。
そんな中にいた一人の少女。
さっきの綺麗で儚い歌声と似たような雰囲気を感じた。
「……」
おそらくおれはポカンと間の抜けた顔をしていただろうな。
思っていたよりも若かった。
彼女の顔は十五・十六歳程度のあどけないものだったからだ。
「あの……」
そして彼女は戸惑っている表情でおれを見ていた。
「お名前は?」
「あ、おれの?」
しまった。
テンションが変だ。
「え、ええ」
彼女は彼女でコクコクと頷く。
「……賀城 清貴」
「がじょう きよたかさん?」
「そ。年賀状の《が》に城に清く貴いって書いて、がじょう きよたか」
「へぇ…」
彼女は手の平におれが言ったとおりの漢字を書いて納得したように呟く。
「えっと、君の名前はミサキ カナンって読んでいいのかな?」
「えっ、ええ。名前のほうはよくカナとかはなみなみって読まれますけど」
……いやまんまで読まれるのは悲しいだろ。
そう思った後、疑問を投げかけた。
「ところで、さっきの歌は君のか?」
するといきなり彼女の頬が赤く染まった。
どうやら恥ずかしかったらしい。
「え、あっ、は……はい」
「すごく上手くて吃驚した」
だから、おれは笑って素直に思った感想を言った。
あまり歌には感心の無いつもりだったが、足を止めてしまうほどに。
「えっ! それ、本当ですか?」
すると彼女はベッドの上からズイッと身を乗り出しておれにそのあどけない顔を近づける。
「あ、ああ」
いきなりで心臓が飛び出るかと思った。
思い出してみれば…いくら少女とはいえ大人になっていく過程の年齢なわけで。
そして、おれは情け無い話だが……女に全く免疫が無いわけで。
「……嬉しい」
その答えを聞き、彼女は幸せそうに微笑んでいた。
どこか儚さを感じさせながら……。
「おや? 美咲君の?」
気がつけば、おれは彼女の担当医の宮守さんに訊いていた。
彼女のことを。
「え、ええ」
この宮守さんという人ははっきり言って変わり者だ。
顔は年の割に若く見える方だと思うが、性格が一般の人とかなりズレている。
そして、今は暇つぶしをしているのか……回転椅子に座ってクルクルと回って遊んでいる。
「惚れたの、キョタ君?」
「ブッ」
病院内なのに、喫煙室でもないのに、煙草片手にいきなりそんなことを言ってきた。
大体、
「な、なんです……《キョタ》って」
「だって清貴だから、キョタ」
そこまで親しくないおれに変なニックネーム付けて呼ぶのはやめて欲しい。
「普通に迷惑です」
「じゃあ、ぼくのことは《ミヤピー》でいいから」
「いや、そんな問題じゃ」
しかも《ミヤピー》って……。
三十歳直前の男が何を言ってるんだ。
「そんなオヤジ扱いするような目でぼくを見ないでね〜」
実に飄々とした態度でそう言う。
この病院の院長先生や看護士さん達はこのトンデモ医師に何を思ってるんだ?
「で、美咲君はね」
その瞬間、宮守さんの表情が引き締まった。
なんだ、この切り替えの早さ……。
おれはゴクリと唾を呑み込む。
「やっぱり、やめとく」
「……は?」
だが、今の緊迫した空気はぶっ壊された。
宮守さんはガラッと回転椅子から立ち上がって、ニッコリ笑顔でおれを見る。
「君には重いからね。研修医君」
そのままスタスタとおれの横を通り過ぎると同時にポンッと軽く肩を叩いて、部屋を出て行った。
「―――……」
その時おれは……どうしようもない無力感に襲われていた。
あの時と同じような無力感に……。
その時のおれはまだ子供だった。
家が火の気に包まれてもなにがなんだか分からなかった。
だから自分がどんな状況にいるのかすら分かってはいなかった。
真っ赤に燃えていた。
炎によって天井が抜け落ちる。
それが自分の頭上に落ちてきたとき何も感じなかった。
『―――ダメっ!』
でも、その叫びがおれを現実に引き戻すキッカケになった。
おれを守るかのように抱き締め、炎に包まれた板からおれを庇った。
『……ねぇちゃん?』
『ぁ……つい……』
その呼びかけに苦痛の声が返ってくる。
『ぇ?』
そしておれは愕然とした。
彼女に塞がれている視界のわずかな隙間から見えたものを。
その背後に佇む人影。
それは……炎の中にいるのになんの表情も無く佇んでいる、真っ黒に統一された服と漆黒の鳥のような翼を称えた淡い緑の瞳を持つ男。
『っ!』
その男はどこか寂しげな表情をしてこっちを見ていた。
その横にはフワフワと二つの白い球体に近い何かが浮かんでいる。
『あ……ぁあ』
感情が壊れそうになった。
本能的に《人間》じゃないと悟った。
『うわぁあぁぁぁあぁぁぁああ』
ガラガラと周りが崩れていく中で不意に男の姿が歪んだかと思えば消えた。
『―――っ……おい、居たぞっ』
その直後、瓦礫を踏みながら入ってきたらしき消防士の野太い叫びが聞こえた。
『本当だ。まだ、息はある』
『早く助け出さなければ』
『おいっ。この娘の下に少年がいるぞ!』
『こっちはほぼ無傷だ』
そんな緊迫感のある会話と共におれの体を一人の消防士が抱えた。
『大丈夫だからな』
その声を聞いておれはやっと泣いた。
張り詰めていた糸が切れてしまったように……。
そしておれは姉さんと共に火に包まれた我が家から助け出された。
でも―――姉さんは死んだ。
救急車の中で静かに息を引き取った。
どこの病院にも受け付けられず、たらいまわしにされて……結局、手遅れになってしまったから。
「……はぁ」
おれは少し昔のことを思い出して深く溜息を吐いた。
医者になりたいと思ったのはそれが原因だったのは言うまでもないことだ。
だけど問題は……美咲 花南はおれの姉とどことなく似ていたこと、だな。
これじゃあ、年下+姉の面影でロリコン+シスコンじゃねぇか……。
うわ〜……凹む。
「あ! 賀城さんじゃん!」
いきなり誰かだそんなおれに明るい声を掛けてきた。
振り向いて姿を確認すれば、ガクランを着た高校生だった。
「ん? あぁ、桃乃か」
で、おれはそいつ――桃乃 凌の名前を呼ぶ。
「どうしたの? ブツブツ年寄りみたいに呟いて」
「悪かったな。大きなお世話だ」
おれは苦笑して、ガシガシと自分よりも低い位置にある髪を掻き乱した。
「なっ、やめろよぉ〜」
普段は天真爛漫で鈍感なくせに、こうゆうことにはやけに鋭い発言なんかするからだ。
というか、普通に八つ当たりだけどな。
「……まぁ」
そしてコホンッと軽く咳払いしておれはこう言った。
「気分転換のついでに好きなジュース、奢ってやるよ」
みるみる桃乃の表情が枯れ木に花を咲かせたかのような輝きを見せて、ニカッと子供らしい笑顔になる。
「サンキュー! ゴチになります」
手を合わせて《いただきます》のポーズを取っている。
やっぱ……子供だな。
「なぁ……賀城さん」
今は待合室の椅子に腰掛けて座っていた。
おれの隣には炭酸飲料を片手に少し暗めの表情の桃乃がいる。
「ん? なんだ?」
缶コーヒー・微糖を飲みつつおれは訊き返した。
桃乃らしくねぇ表情だなぁと思いながら……。
「賀城さんは医者になるんだよな…」
「そのつもりだが?」
一瞬、何が言いたいのか分からなかった。
「いや……秋桜のことなんだ」
その名前を訊いた瞬間、話が繋がった。
彼女――堂鈴 秋桜はこの病院の患者だ。
「あの可愛い娘か」
「なっ! 秋桜は俺のだからな!」
「さらっと惚気んな」
軽く拳でコツッと桃乃の頭を叩く。
事実、彼女はこの天真爛漫小僧の恋人である。
まぁ、一言でいえば……結婚したら尻に敷かれるタイプだ。
「そんで……医者に秋桜の病気のことを訊きたいんだけど、賀城さん何か知らない?」
「う〜ん……おれは研修医だからなぁ。難しい病気は詳しいことを教えてもらえないんだ」
「……そっか。秋桜の病気……重いのか」
しまったと思い、はっとした。
つい、口が滑った。
確かに詳しくは知らないがそれでも……。
「い、いや、別に治らないわけじゃないぞ」
「ホント?」
ジッとこっちを見られて言いにくかった。
確かに治らないわけではないが……とても技術の要る手術をしなければならない。
おれの知る限りそんなことが出来そうなのは宮守さんだろうな。
他にもベテランの医師がいるが彼らですら難しく危険なものだ。
無論、おれのような研修医が出頭していいような手術じゃない。
「大丈夫だ。おれの知ってる人でとんでもない腕前の人がいるから」
「そっか……良かった」
桃乃は安心したように言葉を吐き出し、少し大人びた穏やかな笑顔を浮かべた。
「賀城さん、ありがとな」
飲み終えた缶を空き缶専用のゴミ箱に捨て、桃乃はそう言った。
「帰るのか?」
「うん、また明日来るし」
「そうか。じゃあ、またな」
「賀城さんも早くカノジョ作れよ〜」
おれが普通に別れの挨拶をしようと思った時、無邪気な笑顔でそう言われた。
「大きなお世話だ!」
そしてココが待合室だということを忘れて、大声でそう言ってしまった。
その後駆け寄ってきた看護婦に説教された。
また彼女の病室の前を通り過ぎたとき、歌が聞こえてきた。
『この闇の中で 独りにしないで……』
一瞬、この歌の詞を聞いていて驚いた。
『すると光は ボクの道筋を照らし 孤独じゃないよと教えてくれた』
偶然とは思えないような詞。
それはおれが過去に出逢った存在を暗示するかのようだった。
それにつられたのか無意識にドアをノックしていたらしく、
「……はい?」
と彼女の声。
一瞬、ビビッた。
「あ、あの、おれだけど」
「あっ! 賀城さんですか」
どうやら覚えていたようだ。
「どうぞ、入ってください」
そんな穏やかな声でおれはドアを開けた。
「あの……美咲さん」
おれは入って早々変なことを言っていた。
後々になって、失礼なことをしたなぁと思う。
「その……こう、銀っぽい奴に逢ったことがあるのか?」
つい、わけの分かりにくい質問をしてしまう。
「え? 銀っぽい人って誰のことですか?」
そのキョトンとした言葉におれは不意を突かれた。
「あ、いや、その歌が……」
「……え?」
すると彼女は机の上に置いてあったCDケースをおれに見せた。
「賀城さん、この歌手……知らないんですか?」
そう言ってその名前を指差す。
そこには《WISH/ALIVE》と書かれていた。
「あ、ああ。おれ、そういう系のもんに興味が無くて……」
そこまで言った瞬間、彼女はおれの手をそっと掴んでそのCDを持たせた。
そのまま、ふわっと微笑んで……
「じゃあ、聞いてみてください。きっと賀城さんも好きになると思いますから」
そんなことを言われた。
ここで『ゴメン。本当に興味ないから』と断っていればどれほどよかったことか……。
まぁ、絶対に出来なかっただろうけど。
結局、気になって自分のCDプレーヤーで再生していた。
そのCDの題名は《使途星》。
いや、意味分からんし。
『この闇の中で 独りにしないで……』
そんなことを思っている中で、その中の一曲は進んでいく。
ふーん。
声からすると男二人組のユニットか。
『すると光は ボクの道筋を照らし 孤独じゃないよと教えてくれた』
ああ……そうだ。
この歌詞の部分を聞いてあんなこと訊いたんだっけ?
《その……こう、銀っぽい奴に逢ったことがあるのか?》
今思えば……かなり変な人だ。
『刹那 奇跡が起きた―――』
再び凹んでいると、あの歌詞の続きが流れてきた。
『逢えないと 逢える筈も無いと思っていた 失ってしまった親友』
この瞬間、おれは確信した。
『彼が微笑んでた――――――』
おれが子供の頃に出逢ったあの銀の青年……。
たとえ偶然重なっていたとしても、ここまで偶然というものが起こるとは思えない。
そう思いながらその曲名を見る。
《喪失と希望の狭間で》と書かれていた。
「―――……」
なんとなく、分かるような気がした。
「はろ〜ん♪」
で、その次の日は最悪だった。
美咲さんに借りた物を返しに行った時、例のトンデモ医師の宮守さんがいた。
彼女の病室内に。
「……」
おれの顔は凄まじく引き攣っていただろう。
別に何にもなかったはずの平穏な今日は一瞬にして崩れ去ってしまった。
それはもう、ガラガラと音を立てて。
「なに、その目。キョタ、ぼくは君に何をしたんだい?」
うわぁ、白々しい人だなぁ……。
それに、《何》って―――あんたのその言動と行動だよっ!
大体、後ろを顧みろよ。
美咲さん、声堪えて笑ってんじゃん!?
「み、宮守医師……な、なんですか。《キョタ》って?」
「こいつ、名前が清貴だからキョタ」
おい〜〜〜っ!
あんた、何勝手に変な説明してんだよ!?
「……美咲さん、コレ、どうも」
宮守さんを無視して彼女にスタスタと歩み寄る。
そしてスッとあのCDを差し出した。
「あ! どうでした、コレ?」
彼女は弾んだ声でそう感想を訊いてきた。
その瞳は生き生きとしている。
「あ……ああ」
昨日のことを思い出して自然と笑みが浮かんだ気がした。
「良かったよ」
歌詞の中に在る重みや歌い手の想い……。
曲が全部終った時にやっと気づいた題名の意味。
「いい歌だった。ありがとう」
その前までは音楽に興味なんて無かったはずなのにそう言っていた。
「……え、あ、い、いえ、そんな」
戸惑っているような表情で彼女はおれからCDを受け取る。
「ふ〜ん」
それを横から見ていた宮守さんの表情は恐かった。
いや、満面の笑顔なんだけど黒いオーラのようなものが……。
おれは、絶対に何か言われると覚悟した。
「罪な男だね〜キョタ」
「は、い?」
予想とは大きく違い宮守さんはニッと悪戯をした子供のように笑っていた。
「ぇ、ぁ……! ちょ、医師!!」
わたわたと慌てて美咲さんが顔を真っ赤にしていた。
「おや〜? 熱でもあるの〜美咲君♪」
「え!」
宮守さんの一言におれは本気で心配した。
一応は病院に入院してるわけだし、この前の宮守さんの反応を見ると……。
だから、肝が冷えた。
「だ、大丈夫なのか!?」
無意識に彼女の両肩に手を置いてそう言っていた。
「あ〜…キョタの鈍感」
ボソッと宮守さんがそう呟いているのが聞こえたりした。
何が鈍感なんだ!?
そう思った直後ガシッと首に腕を回され、宮守さんにヘッドロックされた。
「え? あ! ちょ」
「じゃあまたあとでね。美咲君」
ヒラヒラと手を振って軽い感じで彼は言う。
無理矢理ズルズルと引きずられながら、
「じゃ……あ、こん……ど」
おれもなんとかそう言葉を発した。
く、首が絞まる……。
「さて、と」
彼女の病室を出てしばらくズルズルと引きずられた後、宮守さんはパッとおれから手を話した。
「ゲホッ、ゲッホ……は〜死ぬかと思った」
「大袈裟だなぁ、キョタは」
いや、全然そうじゃないから。
結構長い時間絞まってたんだぞ!!
そんなことを言おうとして口を開いた瞬間、
「美咲君は―――声帯に腫瘍が出来てるんだ」
とても冷酷な言葉に遮られた。
その時、宮守さんは悲しそうに微笑んでいた。
普段はとても巫山戯ている人ではあるが、こういうことにはとても真面目な人だった。
多分……命の重さを知っているからこそ、真剣なのだと感じる。
「最近の検査で分かったことは、悪性だったということだ」
「っ……」
そこまで聞いて脳裏に過ぎったのは……彼女の歌っていた姿。
声帯が冒されているのに、彼女は歌を口ずさんでいた。
「まぁ、そんな顔はしないで欲しい」
「じゃ、じゃあ……なんで」
「手術をしないのか、ということだろ?」
ズキッと心に突き刺さるその一言を躊躇いもなく宮守さんは言った。
そのまま小さく溜息を吐く。
「そうすれば、彼女は確実に……」
その続きの言葉がなんとなく感じ取れた。
絶対にそうならないで欲しいと願いながら、
「歌えなくなる」
無惨にも崩れ去った。
「だから……生きる希望が無くなってしまうかもしれない」
宮守さんは、いつもは見せないような……辛そうな表情を浮べていた。
「手術しても、死なれては意味が無いんだ……」
おれは宮守さんの過去に何が在ったのかは知らない。
けれど……その言葉からこの人が体験した過去の経験を象徴しているかのような重みを感じた。
『人は 涙を流す 生き物だから……』
気がつけば病院の屋上に来ていた。
ほんの少し肌寒い風を感じる。
『零れ落ちた 雫の先に 何を見る……』
無意識に歌を口ずさんでいた。
あまり上手いとは思えないが、いやむしろ下手だな。
「おや……貴方は」
そんな時、後ろから声がした。
「っ!」
不意打ちでビクッと肩が跳ねる。
バッと振り返れば、サラサラと風に靡く銀の髪をした青年がいた。
「あ……あんた……」
「随分と大きくなりましたね。前は小さかったのに」
そう言って自分の腰程の高さで、その頃の身長を示すかのように手を動かしている。
「イゼルなのか……」
忘れられるはずもない、長い銀の髪と紅い瞳の青年だった。
もう十年以上も前にたった一度逢っただけなのに……。
「ふ〜ん。名前まで覚えてるんですか?」
「いや、印象が強すぎて忘れたくても忘れられなかったんだよ……」
意外そうな表情で言われた一言に皮肉を込めて返す。
大体……そんな前のことなのにも関わらず全然年齢が変わってないように見える。
「それはそれは。誉め言葉として受け取っておきますね」
いや、皮肉だから。
そんなキラキラ笑顔を向けんなよ。
絶対、わかって言ってるだろ!?
この文字通りの確信犯っ!!
「でも、残念ながら……」
「は?」
彼は一瞬、遠くを見ているかのような目で、とても寂しそうな表情になっていた。
「大切なモノを一度になくしてしまうでしょうね」
それが誰に向けられた言葉だったのか、普通に想像は付く。
けれど、大切な物を一度に無くす……の意味が分からない。
「っ!? どういう意味だ!!」
嫌な予感が怒りに変わって、頭がカッとした。
怒鳴って、八つ当たりに近いことをしても……彼は穏やかに笑っていた。
「でも貴方は死ねませんよ。その命は貴方のモノであって、そうではないから」
目を細めて微笑んでいる彼の言葉に毒気を抜かれた。
呆然として言葉を言い返せなかった。
この青年に前にもそんなことを言われたからだ。
おれの命はおれのモノで、でもそうじゃないと……。
「賀城さん?」
だが、そう呼ばれてハッと我に返れば……目の前に彼はいなかった。
その代わりにそこにいたのは、桃乃だった。
「へ? え、あ……と、桃乃!?」
「何やってたんだ? 誰もいないのに一人でしゃべって……」
ヤバい!
桃乃の目が完全におれを危ない人だと認識してる!?
「い、いや、そ、そのな」
「ひょっとして、賀城さん……」
嫌な沈黙だ。
酷いことでもいいから、早く言ってくれ。
沈黙が痛い……。
「疲れてんの?」
そう言われて、ガクッと項垂れた。
いや、そうしてくれたほうがありがたいんだけどな。
でも疲れただけで、一人虚しく会話してるのって……そっちのほうが危ない気がするのはおれだけか?
「大丈夫? 俺、賀城さんに会えなくなるのヤだよ」
「え?」
不思議に思って桃乃を見れば、ニッと明るく笑っていた。
「だって俺、一人っ子だから賀城さんが兄ちゃんみたいに思えるんだもん」
そんな直球な一言に少し戸惑いを覚えた。
たった一日にして家族がいなくなったおれ。
そんなおれにそう言ってくれて、嬉しかったのは事実だったけど複雑だった。だからこそ、なんて答えればいいのか迷った。
『ありがとう』はシックリこない気がする。
『そんな冗談、言うなよ』と笑って言えば、桃乃を傷つける。
でも、その時にふと気づいた。
言葉を飾る必要性なんてないんだ、と……。
「ああ」
おれはクスッと笑って、桃乃の頭の上にポンッと手を置いた。
「おれもお前のことを弟みたいに思ってる。だってお前、危なっかしいから保護者がいないとな」
「うわ、ヒド!?」
「本当のことだろ?」
本気でショックを受けてる顔がなんとも言えず、おれは苦笑していた。
「……じゃあさ、俺が三年後くらいになって落ち込んでたら慰めてくんない?」
でも、いきなり桃乃の顔つきが変わった。
複雑そうな表情になった後、苦笑しておれを見ていた。
「……三年後?」
「ああ、三年後」
そして静かに言った。
「秋桜がいなくなった時に……」
信じられない言葉が耳に入ってきた。
だから、おれは……
「……バーカ」
桃乃の頭にゴンッと拳骨を落とした。
「って〜」
「だったら、その三年間の一日一日を大事にしてやればいいだろ?」
「……え?」
「お前なら出来るよ。馬鹿みたいに明るい、ムードメーカなんだから」
手を開いて、グシャグシャと桃乃の髪を掻き回した。
「わ〜やめろって!」
手で無駄な抵抗をしていたが、不意にピタッと止めて……桃乃は笑った。
「……ありがとう、賀城さん」
おれはその時の笑顔がずっと続けばいいと思った。
頑張っていたんだ。
桃乃と秋桜ちゃんは……。
そして、こんな日々が続くと思い込んでいた。
宮守さんや美咲さんと、なんだかんだ言っても楽しいこの日々が……。
でも、突如として終わりはやってきた。
《後編に続く》