迷子の黒猫
『ミャー……ミャー……』
高い鳴き声。
それは猫のモノだった。
そしてその姿はまだ幼い黒猫。
「……迷ってしまったんですね」
そんな黒猫を見て私は……そう呟いた。
ここは、狭間の扉。
死と生の間。
私が司る領域。
。☆・迷子の黒猫・☆。
『ミャー……』
ボクの目の前には、銀色の長い髪をしたヒトがいた。
大人といえば違うような気がする。
子供といえば……そうでもない。
そんな不思議なヒトだった。
「どうして、このような場所に?」
『ミャー……』
わからないよ〜。
と、言っても通じないか。
ボクは、猫で……このヒトは――ヒト。
でもそのヒトは、
「そうですか。それも仕方ありませんね」
にこっ……と笑って、ボクの頭を撫でてくれた。
えっ!
ボクの言ってることが分かったの?
「……でも、分からないほうがいいですよ」
『ミャー……?』
ボクは首を傾げた。
どういう意味だろう?
「あはは。私の言っていることを理解しているんですね」
ボクの気のせいなのかな?
そのヒトは、少しだけ……困っているように見えた。
ボクが、迷惑な存在っていうわけじゃなさそうだけど、困っているように見えた。
なんていうのか……言葉に困っているように見えた。
「……やはり教えるべき、ですよねぇ」
えっと、とっても困ってるよぉ。
ボクのせいなのかなぁ。
どうしよぉ、どうしよぉ。
ボクは、ウロチョロしながら必死で考えた。
いい考えは出てこないけど、必死で考えた。
「クスッ……そんなに悩まなくてもいいですよ」
そのヒトは、また優しく頭を撫でてくれる。
その手は、温かかった。
―――あれ? この温かさ、どこかで?
そして……その小さな黒猫は思い出した。
その小さな黒猫は何も知らず……ただ道路を歩いていた。
キキィ――――――……
けれど一瞬にして……耳障りな音と共に、
グシャッ……
―――その命を失った。
本当に、それは一瞬だった。
バタンッと慌ててドアを開ける音がし、運転手らしき男が出てきた。
そして、
『うわ〜っ、轢いちまった……』
その男は……轢いてしまった黒猫ではなく、タイヤを見る。
少し……血が着いて、汚れていた。
『キッタねぇ……』
そのままその身体を……動かなくなった小さな死体を、軽く蹴り飛ばして転がした。
『ちょっとぉ、早くしてよぉ』
助手席に座っていたらしき女が、そんな男を呼んだ。
『うっせぇなぁ! たくっ……猫、轢いちまったんだよ!』
『え〜っ、それ最悪じゃん。きゃはは』
そんな会話の後……その車は走り去った。
あとには……もう動かない小さな黒猫。
しばらくして、降りだしてきた雨。
黒猫から流れた血を洗い流していく。
もう、ナクコトの出来ない黒猫の代わりのように……。
けれど……
そこだけ……雨は止んだ。
『―――あっ』
そこには、一人の少女がいた。
澄んだ青の傘を差している。
そして、黒猫を見下ろしていた。
『……』
命の消えた、その身体は冷え始めている。
少女は迷うことなく、その小さな身体を抱きかかえた。
水と泥と赫で、その綺麗な服が汚れることは考えていなかった。
そして、そのまま―――走った。
走って、走って……長い川のある堤防の橋の下に着いた。
ときおり、黒猫の身体の上には、雨ではない透明な雫がポロポロと落ちていた。
『―――ここなら、冷たくないよ』
少女は浅かったが穴を掘り……そこに黒猫を入れた。
そしてゆっくりと優しくその身体に土を被せていく。
『……わたしにできることはこれだけなの』
彼女は泣き顔のまま、微笑んだ。
『―――ごめんね』
だから、温かかったんだ―――……。
「……」
目の前にいる銀の髪のヒトは……穏やかな眼差しでボクを見ていた。
ボクは……いつの間にかあったかくて白い光に包まれていた。
「……良かったですね。もう、迷子ではないようですよ」
そのヒトはボクに微笑みかけてくれた。
それは……あの女の子のように優しい笑みで―――……
『ミャーミャー……』
だから、ボクは……ボクなりの言葉でお礼を言った。
温モリヲ教エテクレテ、アリガトウ……って。
「……そんなたいしたことは、していませんよ」
するとその人は笑顔で、ボクにそう言った。
そして……ボクの目の前から、そのヒトは消えた。
―――少し違うかな。
ボクが、そのヒトの目の前から……消えちゃったのかな。
「これで―――もう、迷うこともありませんね」
彼は黒猫の魂がいた場所を見ていた。
少しだけ……キラキラと、まるで硝子のような光りの粒子が残っている。
迷うということは、彷徨うということ。
黒猫が、自分を殺した人間を憎んでいたら……その魂は、永遠に救われることはなかっただろう。
「しかし……先程、私が貴方に言ったことは本当ですよ」
誰に言うでもなく、ただ……独りで呟いた。
「そう、たいしたことはしていないんですよ」
あの小さな黒猫の命を奪ったのも人間ならば―――救いとなったのも人間。
それに気づき、自然と彼の口元には……笑みが浮かんだ。
「……人とは、不思議なモノなんですよ」
「残酷なのか、慈悲深いのか……分からない生き物なのですから」
……黒猫は迷いながらも光へ導かれ……