死神の苦楽
「よぉ」
碧の瞳に私の姿を映し、肩に届くか届かないかの間にある長さの金の髪を揺らしながら、まだ十代後半くらいに見える外見をした彼は片手を上げて私に声を掛けた。
「おや、久しぶりですね」
だから私は微笑み、そう返す。
ここは、狭間の扉。
死と生の間。
私が司る領域。
。☆・死神の苦楽・☆ 。
「今日は少し相談したいことがあって来たけど……いいか?」
俺の目の前には、女みたいに長い銀髪と真っ赤な瞳をした青年がいた。
そいつは真っ白ででっかい扉の縁に寄りかかっていたが、のっそりとその整った顔を上げて俺を見る。
「ええ。ここは、暇ですから」
なっ……さらっと笑顔で言いやがったよ、こいつ。
「おいおい……管理者のくせに何言ってんだよ」
思わず呆れてそう突っ込むと、
「いいではないですか。彷徨う死者がいては、私の仕事が増えて大変ですよ」
あっさりとそう返された。
ところで『さまよう死者』って、亡霊なんじゃ……。
て、ことは―――。
いや……突っ込むのは、止めておこう。
疲れるだけだし。
俺は深い溜息を吐いた後、話を変えることにした。
「で、俺の相談なんだけど……」
海上で炎上する飛行機の残骸。
交錯する無数の魂。
そして、それを運ぶために送られた死神達。
「ちっ、どれから運べばいいんだか」
その中で俺は、その多さに舌打ちをしていた。
これじゃ確かに、たくさんの運び屋が必要だな。
……面倒くさい。
そう思っていたとき、一つの魂が俺に話し掛けてきた。
『わ…たしの父と母を、知りま…せんか…?』
それは、まだ若い少女だった。
外見だけだと、俺とあまり変わらない。
笑ったら可愛いだろうな、と思えるその顔は……涙で歪んでいた。
『わ、わたし…い…いきなり、何があったのか分からなくて…それで…』
泣きじゃくり、必死で言葉を紡ぐ少女。
俺はそんな彼女を見て、こう思った。
あまりにも突然であまりにも一瞬だったため、彼女は気づかなかったんだなって。
……自分が死んでいる、ということに。
「―――それで?」
そこまで話したところで奴は俺にそう言ってきた。
いきなりだったため、俺はキョトンとしながらも訊き返す。
「『それで』って、どういう意味だ?」
「彼女の魂、運んだんですか?」
痛いところを突いてきた。
だから、俺は正直に答える。
「……運ぼうとはしたんだ」
だけど……
「つまり思いが強すぎて運べなかった、と?」
うっ……当たってんのが悔しい。
でも俺は頷いた。
そして言葉を続ける。
「よく分からないけどその魂の持ち主は……かなり両親のことが心配だったらしくて、な」
「で」
は?
何だよ、『で』って!
しかも笑顔だし。
「続きをどうぞ」
「……って、話を遮ったのはお前だろ〜がっ!」
つい突っ込んでしまった。
笑顔のこいつに無駄だと分かっていても突っ込んでしまった。
ああ、悲しき突っ込みの性。
「まぁ、まぁ、落ち着いて下さいよ、クドオ」
で、笑顔のまんま……俺の名前を呼ぶ。
まぁ、『クドオ』っていうのは本名じゃねぇけどよ……。
でも、気に入ってんだけど『ごまかし』に、使うなっ!
「あぁ……たくっ、お前には絶対に勝てねぇよっ!」
俺は自分の前髪をグシャグシャと掻き毟った後、開き直ったようにそう言って続きを話した。
「あっ、あのなぁ―――」
あんた、死んでんだけど……と言おうとしたが止めた。
ここでそんなことを言っても意味がないことに気づいたからだ。
その代わりに口から出た言葉は、
「……天に逝ったら会えるんじゃないのか?」
だった。
すると今まで泣いていた少女はキョトンとしながら言った。
『―――えっ? 上ってどこですか?』
彼女は、空を見上げている。
しまった!
……遠回し過ぎた。
俺は頭を抱え、焦る。
どうやって上手く伝えればいいんだ?
おかげで、その際に少女に背を向けてしまった。
『……羽?』
「―――あ」
少女はふっと顔を曇らせる。
俺は、さらに焦った。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ(以下続く)。
冷汗がダラダラと流れる。
『……わたし……ひょっとして……』
それを見た瞬間……絶対にヤバイ、と思った。
本気でそう思った。
でも……
『目がおかしくなってしまったんでしょうか?』
そう言って目を擦りだす少女を見て、俺は呆然とした。
て……天然。
なんか、無性に悲しくなってきたぞ。
これじゃ、黙っている俺のほうが馬鹿に思えてきちまう。
そして、俺は覚悟を決めて……言った。
「あんた……死んでんだよ」
『え?』
彼女は目を丸くして驚いてる。
まぁ、無理もないな。
だからよけいに辛くなった。
「そりゃあ……吃驚するけどさ、本当なんだよ」
ついに言った、言っちまった……。
『えっ、と……じゃあ、あなたは』
そして、俺はこう言われるかと思った。
死神、と。
『―――天使さん?』
でも彼女が言ったのは全く逆と言ってもいいくらいの存在。
あんまりにもあんまりな答えに俺は不意を突かれちまった。
で、ズテッとコケた。
それはもう、お笑い芸人も拍手するくらいに。
そして、内心でこう思った。
(おい〜……確かに羽はあるけど、黒いぞ。しかも黒い服着て、鎌持ってんだぞ。これの何処が天使なんだよっ!)
いや、脳内突っ込みをした。
けれど―――それと同時に少しだけ嬉しかったのも事実だった。
そんなことを言われたことが無かったから。
『え……違うんですか?』
彼女は不安そうにそう呟く。
けれど、そう呟いた後、
『じゃ、じゃあ……っ、父と母は……』
見た。
後ろを振り返って、炎上している飛行機のなれの果てを……。
『―――っ、う……そ……』
俺が知っている限りで言えば……一人を除いて乗員乗客全員死亡だった。
それに……きっと彼女の両親の魂は別の死神達に運ばれてしまっているだろう。
「だから―――言っただろ。天に逝ったら会える、って」
そう言ってみて少しだけ罪悪感を覚えた。
早く魂を運んでいれば良かった、と。
俺のことを『天使』と呼んだこの少女を。
『じゃあ……わ、わたし……無理です……』
そして少女は泣きながら確かにそう言った。
「?」
で、俺は少し首を傾げた。
一体、何言ってんだ……と思った。
意味が分からない。
『だって……まだ、親孝行していないんですよ。ここまで育ててくれたのに、《ありがとう》とすら言ってないんです』
そして、辛そうな表情でそう言った。
「―――……」
少しの間、言葉が出なかった。
俺にとって、それはショックなことだった。
「……そう思ってんなら、逝けるだろ」
そして、無意識にそう呟いていた。
そんなに……親のことを考えられたんだから。
『えっ?』
不思議そうにそう訊き返されて、俺はハッとして慌てた。
何、言ってんだよ……俺。
「いっ、いや、今のは忘れろ。あ、安心しろって。魂の逝くところなんてほとんど一緒なんだし……」
言ってみてなんだけど、矛盾したことを言っていることに気がついた。
さっきは天に逝ったら会えるとかなんとか言ってたよな、俺?
でも少女はそんな俺に穏やかに笑いかけて、
『ありがとう』
と、言った。
その笑顔は……綺麗だった。
「―――ふ〜ん」
俺の話が終わった時……そいつは目の前で一体どこから取り出していたのか、ワケの分からん謎の本を読んでいた。
で、適当な相槌をする。
「……おい」
少し怒りを込めて……呼んでみた。
「なんですか?」
はあっ!
『なんですか?』じゃねぇよ!
それにその優しそうな笑顔で俺をからかうなっ!
「前からずぅううぅうぅっと思ってたんだけど、お前―――俺をからかって楽しんでないか?」
「ええ、楽しんでますが?」
うわっ……即答。
何気にキツイぞ、それ。
だけどこのままだと……悲しすぎる。
精神的に。
「この、鬼」
俺はいじけつつ、適当な貶し文句を思い浮かべて……そう呟いた。
しかし相手が相手なのをすっかり忘れていた。
「残念ながら私は鬼ではありませんよ。死神もどきです」
キッパリとそう言い切りやがったんだ、そいつは。
「ヘリクツ魔」
さらっとそう返されて俺は完全にいじけてしまう。
「で、その少女の魂はどうなったのですか?」
どうやら俺をからかうのに飽きたらしい。
話を無理矢理元に戻しやがった。
「……このやろ」
俺はそう呟いて『話を逸らすな』と言った目でそいつを睨む。
「まぁ、そういう目をしないで話して下さいよ」
「うっ……」
腹の立つ笑顔だな。
俺はなんとか気分を変えて、困ったようにこう言った。
「運んでいる途中で消えた」
すると、今まであまり興味の無さそうだったそいつが……ピクッと反応を見せた。
「それで?」
「……分からない。ただ……不思議で」
それを聞いた瞬間、そいつは嬉しそうに……顔を綻ばせて、
「そんなに不思議ですか。クスっ……あははははは」
声を上げて笑った。
それはもうこれ以上面白いことはないと言っているかのように笑っている。
「なっ、なんだよっ!」
「それは実に簡単ですよ。偶然……いや―――必然か」
楽しげに笑ったまま俺には理解不明なことを言い出す。
「だ〜か〜ら〜なんなんだよっ!」
「彼女は死んでなどいなかったのですよ」
「!」
その一言で俺の思考が停止する。
「一時的なショックで霊体が抜けただけ」
あはっと笑ってそいつは説明した。
俺は理解するのに、正確には―――受け入れるのに少し時間がかかった。
死んでなかった?
一時的なショックで霊体が抜けただけ?
「でっ、でも……なんで」
「正確に言うと―――私のところに来たんですよ、彼女」
「は?」
目が点になった。
だからなのか、そいつは分かりやすく説明し始める。
「彼女は強く願ったんです。『最後に別れる前に両親にお礼が言いたい』と。その強い思いがこの扉を少しでも動かしたんですよ」
そう言って自分の後ろにある……でっかい扉に視線を移す。
「だから……私が彼女を呼んだんです。そしてお別れをさせてあげました」
「―――……」
呆然とした。
驚きすぎて声も出ない。
「そしてそれが終わった後に丁度―――貴方が来た。ただ、それだけの話ですよ」
「……そう、か」
それを聞き終わった後、ははっと力が抜けたように笑っていた。
「だから、俺のこと―――天使って言ったんだ……」
と、同時に頬に伝う何かに気がつく。
違和感があってそれに触れてみた。
液体なのに温かいそれは……涙。
俺は確かに―――泣いていた。
「『ありがとう』だそうですよ」
「えっ?」
そいつは微笑んでいた。
いつものどこか人を喰ったような笑みじゃなくて、少し儚げで優しげな……温かい笑顔。
「彼女、『天使さん』にお礼を伝えて欲しいと言っていましたから」
そう言ってフッと目を伏せた。
「死神でも辛いだけが全てではないですよ」
「……イゼル……」
俺は目の前にいる彼の名前を呼んだ。
俺に『クドオ』という名を付けて初めて呼んでくれた……銀髪の青年を。
「……ありがとな」
俺は、笑った。
まだ、涙の伝った跡が残ったままで……。
多分、心の傷は消えないと思う。
けど……たまにはこんなことが在ってもいいと感じてしまうのは、
罪だろうか?