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第3章(4)

 それは、離れていても愛娘の声を聞きたいという願いから生まれた。

 氷の国スノーブルの国王は『人類の至宝』と呼ばれる。その天才的な頭脳によって世界を次々と作り変え、人々の生活を向上させた功績による尊称である。中でも太陽光をそのまま動力に変換する光触炉は、各家庭の空調・調理・洗濯などに活用され、今やなくてはならないものとなっている。光触炉は船舶や車にも応用され、人々の暮らしを支えている。

 長寿で知られるスノーブルの人々の中でも国王夫妻は特に長命で、その治世は五百年を誇る。光触炉が実用化し、量産され、世界中の隅々にまで行きわたるまでには百年の月日が必要だったと歴史書にはあるが、マチルダにはどうもピンとこない。マチルダが生まれたころから光触炉はあたりまえにあり、父も祖父母もそれがないころの暮らしを知らないからだ。

 電信機が話題になったのは、マチルダがちょうど学校に入学するころだった。

 その前年、スノーブル国王夫妻には姫君が生まれた。夫妻にとっては待ちに待った愛し児である。愛らしい寝顔を残したいと考えた国王は写真機を発明し、音声を残すために録音機を実用化した。姫君が寝返りを打つころには映像がそのまま残せるようになり、それを劣化させずに残すために電子化という新しい技術が生まれた。これらの技術革新は、わずか三か月の間に、ひっそりとスノーブル王家の中でだけ行われた。

 姫君が生まれて半年後だった。スノーブル国王はどうしても王宮を空けなければならなくなった。離れていても娘の声を聞くために、スノーブル国王は通信網を整備した。通信衛星が打ち上げられ、世界中に電信機の端末が配置された。『人類の至宝』が人々の生活を快適にすることはすでに広く知られていたから、半ば強引に押し付けられる電信機を各国は好意的に受け取った。使い方を覚えてしまえばこれほど便利なものはなく、公所にのみ配置する予定が事業所からの申し込みが殺到した。いずれみなさんが社会に出るころには必要になるからと、ちょうどマチルダの学年から電信機理論が学校の授業に組み込まれた。

「スノーブルの姫君の名前は、セツムもしくはセツマという」

 電信機を机に置いて、ニースはおもむろに口を開いた。その目の前で、とんでもない高さからティモシーが茶を湯呑に注ぐ。びちゃびちゃと香りのついた湯が飛び散り、ニースは慌てて電信機を胸に抱えなおした。

「ちょ、ティモシー! 電信機は水に弱いんですよ!」

「言いたいことはそれだけ?」

 にこにこと笑いながら、ティモシーはニースの胸ぐらに手をのばす。背もたれに精一杯避難するニースの顔はこれ以上ないほど引きつっている。

「ポールを探すって言ったよね? なんでスノーブルの姫君の名前が出てくるの? それとも何かな? スノーブルの姫君の名前を当てると、ポールは帰ってくるのかな?」

「締まる締まる締まる締まる」

 力任せに持ち上げられて、ニースはティモシーの手を必死に叩く。落ち着け、と割って入ったのはショーンだった。体を滑り込ませるようにして二人を分け、物理的な距離を空ける。

「ニース。説明は短く、だ」

「わ、わかって、ます」

 ショーンの右手で、ニースはごほごほと咳き込む。うん、とうなずいてからショーンは今度は左側を見る。

「ティモシーも。マチルダに対する腹立ちをニースに向けるなよ。殴るならマチルダだろ?」

「え? なんでおれ?」

 突然矛先が自分に向いて、マチルダは驚いて飛び上がった。じっとりと下から睨ねあげるティモシーの視線と、しらっとしたショーンの視線を浴びて、少し考える。

 思い当たることが一つだけあった。

「ごめん。二人にはちゃんと頼んでなかった」

 ティモシーが大きく息をついた。マチルダはまずティモシーを見る。

「とても困っている。助けてほしい」

「もちろんだよ。あたりまえじゃん」

 ティモシーはにかっと白い歯を見せた。手伝わせてほしいとあれほど言われていたのになし崩しにしてしまったことを、マチルダは反省する。

「うん。ありがとう。……ショーンも。頼む」

「正直、俺は今回一番怒っていい立場だと思うんだよね、忘れられてたから。でもまあ、マチルダが俺のありがたみがわかったなら、それでいいよ」

 腕を組み、威圧するようにそれを持ち上げてショーンが顎を上げる。マチルダはくすくす笑う。

「ホントにね。ショーンをありがたいと思う日が来るなんて」

 ショーンがくしゃりと顔全体で笑う。いつも冷静なショーンには、確かにずっと助けられてきた。それでも今日は殊にありがたいと思うのは、マチルダが本当に思考力を失っているからに他ならない。ティモシーとショーンに何も言っていないことすら、指摘されるまで気づかなかった。

「説明を続けてもいいかな?」

 笑いあうティモシーとマチルダ、ショーンに遠慮するようにおずおずと、ニースが声を掛ける。ごめんねえ、とティモシーがニースの首に腕をからめた。伸びてきた手に一瞬怯みながら、ニースは困ったように笑う。

「電信機というのは、途方もない道具なんです」

 それぞれが席に着いてから、ニースは話し始めた。

「電信機の中には、写真や映像や文書や、さまざまな情報が蓄積できることは広く知られています。しかも一度電信機を通して保存した情報は、相手に通知さえすれば同時に、どこからでも閲覧することができます。私はこれが不思議でおもしろくて、専門学校に行ってまで研究しました。その結果わかったのは、この薄い板は、どこかにある膨大な情報が蓄積された資料室につながっているということです。資料室のカギを開けることさえできれば――そうですね、たとえば鍔処ノゲシの裏帳簿さえも簡単に見ることができます」

「ヤダなあ、その言い方。うちは二重帳簿なんて面倒なことしないよ?」

 ティモシーが鼻を鳴らす。たとえですたとえとニースは困ったように眉根を寄せた。

「スノーブルの姫君の名前も、そんなふうにして見つかりました。同時にスノーブルの国防施設が動き出したという警告が飛んできて、それ以来この話題はご法度になっています」

 スノーブル国王の姫君に対する溺愛は、世界的に有名な話である。何より電信機の普及がその証左にほかならない。国防設備というたいそうなものがどのようなものかは、たぶんマチルダの想像に余るので考えないでおくことにする。

「僕は一時期この資料室の鍵を見つけることに夢中になりました。何度かあと一歩というところまで行きました。ただ、相手は『人類の至宝』と呼ばれる天才ですから、個人的な情報を盗み見ることに成功したことはありません。でも、個人的ではない情報――たとえば公所に置かれたままの電信機が今何を『視て』いるかについては、今すぐ知ることができます」

「ちょっと待って。それって、マチルダに聞かせていい話じゃないんじゃない?」

 ティモシーが焦ってマチルダを振り返る。マチルダは首をかしげた。

「おれは大臣ではなく、マチルダとしてここにいるんだからいいんじゃないか? ただちょっと、その話は大臣としても気になるから、そのうちニースにはゆっくり話を聞かせてもらいたいけど」

 マチルダは笑う。

「正攻法でダメならニースに頼れってログが言った意味が、ようやくわかったよ。ティモシーの心配する通り、ニースのそれって合法的な手段ではないよね?」

「正確には、非合法ではないと言った方が正しいんです。今のところシェトラにも国際法にもこれを取り締まる法はないので」

「なるほど。法がないか……」

 ショーンが顎を撫でる。それを横目で見てからニースは、解析してみますか? とマチルダに上目づかいに尋ねた。

「解析?」

「電信機が置いてある公所がいくつあると思います? ポールがいなくなってからどれほどの時間が経っていると思いますか? それらをすべて目で見て確認していたら、途方もない時間がかかるでしょう。それを電信機にやってもらうんです」

「つまり解析とは、電信機による照合と考えて間違いはない?」

「そうです」

 ニースはうなずく。マチルダは首を傾げた。

「だとしたら、照合するためにはポールの写真とかそういうのが必要だと思うんだけど」

「それは――問題ありません」

 ぼそぼそとニースは答えた。その後ろでニースに腕をからませているティモシーがショーンと目配せをしてにやにや笑う。マチルダはぽんと手を打った。

「そっか。公所の画像があるから、ポールの画像もすぐに手に入るんだ。……確度は?」

「やってみないとわかりませんが、かなり信じられるかと」

「わかった」

 マチルダは椅子から立ち上がった。不思議そうに目で追うニースに深々と頭を下げる。

「ポールを見つけてください。お願いします」

 ほんのわずか狼狽えた後、ニースは任せてくださいと胸を張った。


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