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第3章(2)

 法務庁庁舎二階の小会議室は、その名の通り小さな部屋だった。

 足に車輪がついた白い机が四角く組まれ、その一つずつに椅子が二脚差し込まれている。椅子は背もたれと座面だけの簡素なもので、女房宿舎で支給されたものともしかしたら同じものかもしれないとティアナは思った。四つの机と八つの椅子を置くだけでいっぱいになる小さな部屋には、ほかには収納棚一つない。

「階段は、大丈夫でしたか?」

 ソワンに手を引かれてティアナが扉を開けると、椅子に座っていた二人がさっと立ち上がった。一人は法務庁長官グレンヴィル、もう一人の若いほうは教育庁長官フレデリクだ。ちょうど今朝、鍋をかき混ぜながら話題に上った二人の長官がそろっていて、ティアナはちょっと笑ってしまった。

「はい。御迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 笑いを隠すの半分、感謝半分でティアナは頭を下げる。

 ティアナの記憶は、王宮前広場で途切れている。そこから法務庁庁舎までの距離は決して短いとは言えない。それを運んでくれて、医者に診せてくれたのがこの二人のどちらかであることぐらい、ティアナにも察しが付く。

その、ありがたさも。

「顔を上げてください。あなたが無事目を覚ました、それだけで立派なご褒美です」

 穏やかに柔らかい声は、法務庁長官グレンヴィルのものだ。そういえば女房衆の噂話の中に、グレンヴィルの奥様はお医者さまだと聞いたことがある。グレンヴィルは仕事熱心だが、奥様もまた仕事を持っているのでグレンヴィルを許容できるのだろう――わたしには無理だわと嘆く声とともに、思い出す。

「具合はどうですか? 気分は落ち着いていますか?」

 グレンヴィルの隣で、フレデリクは首をかしげる。女房衆の間では結婚相手として一番人気のフレデリクだが、どうもティアナにはぴんと来ない。確かに顔立ちは整っているけれども、優しすぎて男らしさに欠けるような気がするのだ。仕事と結婚すればと彼女に振られたという話も、ティアナには情けなく聞こえた。

「運んでくださって、お医者さまにも診せてくださって。本当にありがとうございます」

 総合的に考えておそらくそれはグレンヴィルだろうと推察し、ティアナはややグレンヴィルに足先を向けて丁寧に頭を下げる。診察代はいつ支払えばよいのだろう? 金額を聞くのは失礼に当たらないだろうか? そんなことをぐるぐる考えていると、気にする必要はありませんとグレンヴィルの優しい声がする。

「御存じのとおりあれは私の妻です。恐縮なさるには及びません」

「大臣補佐の件について、話があるそうだ。……座らせても良いか?」

 ティアナの後ろからやってきたセシルが、にゅっと顔を出した。作業着に単眼鏡という突飛ないでたちの彼女が財務庁長官であるということは、ここへ来るまでの道すがらソワンに聞いた。ソワンと同郷で、それなりに名の知れた彫金師という芸術家が本職であることも。

 ああどうぞとグレンヴィルが応じるより早く、セシルはいちばん手前の椅子を引いた。目線で座るように促されて、ティアナは礼を言って腰を下ろす。感情の起伏が少ないのか、それとも芸術家とはそういうものなのか、セシルは表情に乏しくことばがない。それでもティアナが礼を言うと、口の端を持ち上げてかすかに笑う。その笑顔はかなり美人の部類に入るとティアナは思う。

 ソワンがティアナの隣に座り、セシルはグレンヴィルの隣に座った。椅子は机に二つずつだから、セシルはソワンの左側に座ることになる。ティアナの正面で椅子を引き直して座りなおしたグレンヴィルが、どうもありがとうございますと穏やかに話し始めた。

「私たちは、雪とともに消えてしまった大臣補佐を探しています。その現場に倒れていたあなたが話をしてくれることは、とてもありがたいことだと感謝しています。どんな些細な情報でも良いので、知っていることはできるだけ細かに教えてください」

 グレンヴィルは机に額が付きそうな角度で頭を下げる。ティアナの父よりもはるかに年長の男性が、たかが女房衆の小娘一人に頭を下げることにティアナは衝撃を受けた。唾と一緒にその衝撃を呑み込み、ティアナは顔をあげたグレンヴィルの目をまっすぐに見る。

「ポールさまは、行方知れずになってしまわれたんですね」

 隣で見守るソワンの視線を感じる。

 どこから話せばいいのかわからないので言いたいことから口に出したのに、誰も何も言わなかった。これが大人の態度なのだと、ティアナの胸の中で心臓が飛び跳ねる。

 ――がんばりたい。ふんばりたい。

「あんたがマチルダ? と、訊かれました」

「誰に――です?」

「わかりません。見たこともない人でした」

 問い返すフレデリクの目を見て、ティアナは首を振る。

「わたしはあまりものを知りませんが、もしかしたらこの星の人ですらないんじゃないかという印象を受けました。髪の色が緑というか青というか、どこの国の人とも違うし、たぶん目の色も違うと思うんです。着ているものもこうふわふわっとしていて、見たことがないというか……」

「それは、あなたが見たことがないというだけではなく?」

「わたし、死霊使いなんです」

 グレンヴィルの質問に、ティアナはしっかりとした口調で答える。

「死霊使いと言っても、あたし程度では死霊を使役することなんてできません。会話するのがせいぜいで、その中でも特に相性がいい人がちょっと助けてくれるかなぐらいのものです」

「それは――そう、ですか」

 努めて何でもないように語ったけれども、グレンヴィルとフレデリクはやはり少なからず衝撃を受けているように見えた。すぐ隣にいるソワンは見えないからわからない。左側に座っているセシルは頬杖をついたまま、取り出した紙に熱心に筆記具を走らせている。

「能力が発現したのは、思春期のころでした。唐突に死んだ人が見え始めて、声が聞こえて――田舎なのに、いろんな国の人がいるんです。だから髪の色も目の色も、服も、そのころからなんとなくわかるようになりました」

 フレデリクとグレンヴィルはうまく相槌を打てないでいる。表情をこわばらせたまま唇を湿し、目だけをティアナから逸らさない。腹を括ったティアナがそれでも先を急ごうとしたときに、いきなりがちゃりと扉が開いた。

「いやぁ、女ってのは冷たいね。帰れないかもって言ったら長官なんだからあたりまえって言われたよ。配達人時代はちっと約束に遅れるだけで大騒ぎだったのに、さ」

 首の後ろを撫でてぼやきながらのっそりと部屋に入ってきたのは、国土庁長官スタンリーだった。おそらく門番の案内を受けたのだろう、足音が遠ざかっていくのが聞こえる。門番にはメアリ女医が言い置いて行ったのかもしれないとティアナは考えた。

「ええと、今は、この人の話を聞いているのかな?」

 困惑もあらわなフレデリクとグレンヴィルにスタンリーは尋ねる。そう、と答えたのはセシルだった。相変わらず目線は紙に向けたまま、だから座ってと向かい側の椅子を示す。

「どうも。ウィル=スタンリーだ。柄にもないし自分でもそう思うけど、国土庁長官をやっててな。どこに何があるかはオレがたぶん一番よく知ってっから、少しは役に立つかもしれんぞ?」

「ティアナ=マグレリアです」

 国土庁長官が官吏の枠に当てはまらないのは、女房衆の間でも有名である。ことばの近さに勝手に親近感を覚えていたティアナは、ただ一人自己紹介をしたスタンリーに好感を持った。横をすり抜けていくスタンリーにつま先を向けて、丁寧に頭を下げる。椅子を引きかけたスタンリーが、あれ、と口を丸くした。

「マグレリア? マグレリアって言ったら、セラムの大地主じゃなかったか? あんた、レブナントさんの血縁者か?」

「長官、じいちゃんを知ってるのすか?」

 大人らしく上品に名乗ったのに、すべてをぶち壊しにする勢いでティアナは立ち上がった。対照的にフレデリクの隣の椅子に腰を下ろしながら、知ってるともとスタンリーはうなずく。ソワンがそっと袖を引いたので、ティアナは慌てて椅子に座った。

「オレはもとは長距離郵便配達人だからさ、町の顔役はみんな知ってるの。マグレリアのご当主とは、一緒に酒を飲んだこともあるよ。配達が遅くなったときに、いっつも泊まってけって気楽に声かけてくれんの。あんたとも会ったことがあると思うよ。庭でちっこいのが遊んでるの何度か見た。あれが女房衆になるなんて、そりゃオレも年を取るわなあ」

 スタンリーはフレデリクに同意を求めるが、フレデリクはまばたきを繰り返すだけで答えない。話の腰を折った闖入者にグレンヴィルは顔色一つ変えず、さすがだなとティアナは尊敬した。祖父だったらきっと、スタンリーをどやしつけていることだろう。

「何年前かなあ。レブナントさんがさ、しんみり語ってたんだ。孫娘がとても大変な贈り物を天から授かっちまったって。天はそれがあの子に見合うと判断したのだろうけど、じじいとしては心配でならないって。死んだ人間を見るなんて能力、女の子には酷だって」

 女房衆にしていただいたとは聞いてたけど、それがあんただったんだなあ――スタンリーは黒縁の眼鏡を中指で持ち上げる。不思議と話が戻ったので、フレデリクがまた目をぱちぱちさせた。グレンヴィルもセシルも顔をあげて、スタンリーを見守っている。

「今日も――見なくてもいいものを見ちまったんだろ?」

「うん」

 泣くつもりはなかったのに、ティアナの目頭に熱いものが一気にこみ上げてきた。黒縁眼鏡の奥のスタンリーの細い目はとても優しくて、ティアナは鼻をすする。涙を腹筋でせき止めて、グレンヴィルに目を戻した。

「あたし――見えるだけなんです。生きている人と死んでいる人の区別がかろうじてつくくらいで、死霊使いといっても本当に何もできないんです。でもポールさまは」

 ――お互い、苦労するわね。

 ティアナは目を閉じる。

 女房衆は真言魔術師と元素魔術師の二大勢力に分かれて除雪をしていた。女房衆は確か全員で九十人はいるはずなのに、残ったのはわずかに十六人だった。精霊使いや風水師が小さな集団を作って笑いながら除雪しているのを見つめ、十六人はそれぞれに天賦を説明した。空間師、魔術探知師、数学師――聞いたこともない天賦を聞くたびに、ティアナの心は重くなった。

 オバケ。

 十四歳のある日、ティアナは廊下を歩く知らない人を見た。家の中に客人がいることは珍しいことではない。だからティアナは気軽に挨拶をした。その人は驚いた顔をして、しばらくティアナを付け回した。それが生きていない人だなんて気づかなかった。寝ているところを覗き込まれて眠れなくなり、助けを求めた祖父が連れて行ってくれた祈祷所で、ティアナは自分が死霊使いだと知った。祈祷所に赴いたティアナの噂はあっと言う間に広まり、ティアナは死霊使いではなくオバケと揶揄された。庇ってくれる人はいたし祖父もにらみをきかせてくれたものの、友達づきあいはそれ以前とは変わってしまった。逃げるように故郷を出て生き直すつもりだった。また同じ目に遭うなんてと思った。

『あたしは、死霊使い……』

 ぼそぼそと小さな声で言ったからかもしれない。同僚たちはそれぞれに眉をしかめた。ああまただとティアナの胸が震える。それを破ったのはポールだった。

『お互い、苦労するわね』

 ポールは精霊使いだと言っていた。魔術師に比べれば数は減るが、希少能力というほどではない。それでもここにいるのは、自分が精霊が使えない精霊使いだからだと笑った。

『わたしも見えるだけなのよ。……家の事情で、修行できなかったの。自分の能力を持て余しているという意味では一緒なのね。ここにいて、いいかな?』

 ポールは困ったように全員を見回す。その一言で雰囲気が変わったのをティアナは感じた。それぞれ能力は違っても、同じような能力を持つ人がそばにいないという点では共通している。希少能力者ならではの体験が次々に披露され、わかる、あるあるとさざめくように笑いが広がる。ポールはそれをにこにこと聞いていた。

『何かできないかな』

 おしゃべりは楽しかったが、周囲では同僚たちが額に汗をして働いている。それぞれに笑い声は上がっても、自分たちだけ傍観しているといわけにもいかない。空間師が雪を転移できないかと四苦八苦すると、数学師が雪が消えるまでを数式化して動かそうとする。同僚が能力を使えないかと頑張る姿を見て、ティアナもすぐそばの中年男性に話しかけた。

「スノーブルの人でした。王宮警備の仕事をずっとしてきて、雪で大変だと聞いて力になれないかと思ってやってきたのだけど、身体がないから無理だと笑っていました」

 ティアナは顔をあげた。

 目の前に座るグレンヴィルを――その向こうを覗き込むように、震える唇を開く。

「寒気がしました」

 そのときのことを思い出すと寒気がして、ティアナは無意識に自分を抱きしめる。

「怖いヒトがいる証拠でした。おじさんがすっと消えて。あたし、本当に能力が使えないから、わかるだけなんです。現実に干渉できるような強い『思い』を持つヒトがいても、逃げるしかできない」

 だから、逃げようとしました――ティアナはかたかたと震えだす。

「かわいらしい女の子でした。年は十七・八? ふわふわした襟に上着を重ねて帯で締める、見たことのない服を着ていました。ふんわりと裾が広がっているんですけど、その先がぼやけてて――浮いてて」

 逃げようとした先に立ちふさがったそれを見て、ティアナは一瞬驚いた。

 どんな情念も感じさせない、整った姿かたちをしていた。

「生きている人と変わりませんでした。緑がかかった青い髪と、宝石みたいな碧の目でした。肌が透けるように白くて、とてもきれいで。羽毛がついた扇子を持ってて、ぱちんと目の前で鳴らしてあたしを見ました」

 あんたが、マチルダ?

 それは、扇子をティアナの鼻先に突き付けて尋ねた。

 その表情はのっぺりとしていて、何を考えているのかはわからない。それでもただ確認しただけではないことは、空洞のような碧の目からはっきり伝わってきた。死してなお姿を残す情念――その対象が、マチルダ。

 フレデリクはぽかんと口を開けたまま眉をひそめ、グレンヴィルも口を引き結んで難しい顔をしている。セシルさえも顔を上げる中で、スタンリーだけがあいかわらず腕を組んだまま首をひねっている。

「どう答えればいいのか、わかりませんでした」

 そっと肩に置かれたソワンの手のひらに目をやって、ティアナは続ける。

「いいえと答えるのは簡単です。でも、朝、ソワンさんがポールさまに言ってたんです。ポールさまはこの国でかけがえのない方だって。お守りするのがあたしたちの役目だって。だったらマチルダさまはもっと大事で、守らなくちゃって思って」

 ごめんなさい、とティアナは顔をくしゃくしゃにして肩を震わせる。

「でもあたし、はいって言えなかった。ただもう怖くて怖くて、声が出なくて。泣きそうになって震えてたら、ポールさまがどうしたのって声をかけてくださったんです」

 それから、あなた誰って――ティアナは子どもがいやいやをするように首を振る。

「情念が強い死霊は――現世に干渉することができます。ふつうの人に視えることだってある。……精霊使いのポールさまにも視えていたんです。でもそれって、ポールさまに見えるってことは、それほど怨みが深いってことなんです」

 あんたが、マチルダ――死霊はポールに尋ねた。

 ポールは答えず、ただ無言で体をティアナと死霊の間に入れた。

 なにそれムカツク、なんなのよと死霊が声を荒げる。ぶわっと雪が一面に舞い上がった。思わず両手で顔をかばったところで、ティアナの記憶はぷつんと途切れた。

「ごめんなさい」

 魂の奥底から搾り出すようにそう言って、ティアナは膝に置いた両手が白くなるほど握りしめる。ティアナはもう遠巻きにされるだけの子どもではなかった。自分の能力を自分で説明できるほどには大人で、誰かを守ることもできたはずだった。

 でも、できなかった。

 修行をしていないことに逃げて、甘えて――その結果、ポールは姿を消した。

 ポールを守るのは、ティアナの役目だったのに。

「ずいぶん怖い思いをなさいましたねえ」

 グレンヴィルが穏やかに口を開いた。ティアナは涙に濡れた顔を上げる。グレンヴィルだけでなくフレデリクも、いたわるような優しい目でティアナを見ていた。

「最後の――死霊? の出てきたあたりは、聞いていても怖気がしました。話を聞くだけでこんなに怖いのですから、直接対峙した貴女はよほど怖かったでしょう」

 手帳と鉛筆を机の上に置いて、グレンヴィルはまっすぐにティアナを見つめる。目元に刻んだ皺が深くなると、さらに優しい印象になる。

 ティアナはぽかんと、正面に座るグレンヴィルを見つめる。その隣でうんうんとうなずくフレデリクを順番に見る。

「あなたが生きて戻ってきてくれたおかげで、あのときあの場所で何が起こったのかを知ることができました。原因がわかれば結果を推測することもできますし、対策だって取れます。あなたは十分がんばりましたよ」

 どうもありがとう――穏やかな声音で言って、グレンヴィルは頭を下げる。少し地肌が見えるその頭頂部を信じられない思いで見つめて、ティアナはふるふると首を振った。

「わたしが……わたし、わたしが、ポールさまを、守れれば」

 慰めてもらえるとは思わなかった。慰めてもらおうとも思わなかった。これはティアナの弱さが招いた結末で、大人になったティアナはその責任を負わなければならない。優しく受け容れられては立つ瀬がない。

「こんな感じ?」

 歯の根を震わせるティアナの前に、セシルが一枚の紙を突き出した。先ほどからずっと熱心に取り組んでいたそれは、一枚の似顔絵だった。丸い顔に大きな目、低い鼻にぽったりした唇――細かに説明したわけでもないのに、まるでティアナの記憶を覗いたようにそっくりな死霊の少女の姿がそこにあった。

「これは天賦なのか職業病なのか。……話を聞くだけで絵が浮かぶんだ」

 筆記具をくるくると回しながら、セシルはあいかわらずの無表情でティアナを振り向く。

「これは立派な手がかりだ。自分の記憶力に感謝するといい」

「そうですね。確かに十六、七歳の女性です。なるほど、この服は見たことがありませんね。彼女と関わりのある場所を探せば、手がかりになるかもしれない。――お手柄です」

 セシルの描いた絵を覗き込み、グレンヴィルが大きくうなずく。良かったね、とソワンがティアナの隣で優しく微笑んだ。

 グレンヴィルの手からスタンリーが似顔絵を抜き取り、しみじみ眺める。フレデリクが長官心当たりありますかと問うと、ね、と短く答えた。こんな服、見たこともねえなあ。どこの人だろう?

「わたし、ポールさまを探したいです」

 机を挟んだ向こう側の話に加わりたくて、ティアナは腰を浮かせた。ソワンが唇をきゅっと結んでティアナを振り向く。

「分をわきまえなさい。わたしたちの出る幕ではないわ」

 何を言われているのかわからないまま、ティアナは穴の開くほどソワンの顔を見つめる。

「わたしたちは女房衆なの。国政には関与できない。わかるわね?」

 ティアナの手を握るソワンの手は震えている。化粧ごしにもわかるほど、ソワンの顔色は悪くなっている。採用されて一年近く、ソワンはティアナの教育係として一緒にいてくれた。だからティアナも、ソワンが本心では納得できていないことがわかった。それでもどうしようもないことに震えているのだと理解した。

「はい。……申し訳ありません」

 ポールは――大臣補佐は、ティアナたち女房衆の直属の上司だ。女房衆は形式上王家に直接雇われているという形になっているが、実際は採用から給与支給まですべて大臣補佐の管轄下にある。ティアナとそう年齢は変わらないのに、ポールはそれを一人で見事にこなしていた。こまめに女房宿舎に顔を出して、困ったことはないか気になることはないかを聞いてくれた。関わりで言えば絶対にティアナとソワンのほうが深いのに、それでも、職務外だと言われれば退かざるをえない。

 それが、現実だ。

 苦いものを呑み込んだような重い気持ちで、ティアナは机の向こう側に頭を下げる。いえいえいずれ手伝っていただくことがあるかもしれませんとグレンヴィルは言ったが、社交辞令というやつだろう。

 ティアナの役目は終わったのだ。

「戻れますか? 大丈夫ですか?」

 机の上に似顔絵を置いたまま、グレンヴィルが首をかしげる。椅子に深々と腰を下ろしたまま、ティアナははいとうなずいた。お時間をいただきありがとうございましたと、もう一度頭を下げる。

「念のため、彼女は宿舎の自室で休養させます。何か御用がありましたら、宿舎までご連絡をお願いします。わたしは一晩、電信のそばで休む予定です」

「そうですか。よろしくお願いします」

 セシルが立ち上がって扉を引く。ティアナはソワンと二人、小さく頭を下げて部屋を出た。出てすぐにソワンがふわりと片手で抱き寄せてくれた。泣く理由はもうないはずなのに、なぜか涙がこぼれてきた。


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