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第3章(1)

 シェトラの王都リナレアは、河岸段丘に沿って南北に延びている。

 西を流れるのは大河ユトレイト、遠く隣国カレヴとの国境となる大山脈ムマジヴラに水源を発するシェトラ最長の大河である。人々はこの河に取水口を作り、水路を巡らせてそれに沿って町を作った。街道を整備し、街路樹を植え、道に沿って建物を作っていく。西の丘のいちばん高いところに三つの尖塔を持つ白亜の王宮がそびえるころに完成したはずのこの町は、しかし、大都市の常としていまだに拡大を続けている。

『母さんを連れてきたときは、このあたりはまだ空地が多かったんだけどな』

 毛糸の襟巻に顔を隠すようにしてローヤー剣術道場から歩いてきたマチルダは、鍛冶屋通りと呼ばれる小道の入口で息をついた。ユトレイトに向けて静かに流れる支流が太陽の光を反射してきらきらと光っている。そこに突き出すようにして建つ大小の小屋は、ほとんどが鍛冶屋の工房である。冷たい水を求めて――そして騒音を少しでも減らすために、鍛冶屋は町の拡大に連れて少しずつ少しずつ郊外へと締め出されてきた。二十年前はまだ空地が多かったというこのあたりにはびっしりと建物が立ち並び、時分時のせいかふんわりと煮炊きのにおいが漂わせている。槌音がうるさいと言われたら鍛冶屋はどこに行けば良いのだろうと、マチルダは以前父がぼやいていたことを思い出す。

 鍛冶屋通りの路地は狭い。色あせた赤い煉瓦の道の両側には、鍛冶屋以外にも鍔細工、柄師、鞘師、研師、それらを装飾する螺鈿細工の店など剣具の店が軒を連ねている。今日は休日なのでどこも閉まっているけれど、平日であれば親子連れが笑顔で店先を覗いている姿が多く見られるはずだ。

 マチルダは襟巻を引き上げた。

 時分時だからだろう、鍛冶屋通りを歩く人影はない。

 マチルダが子どものころは、休日ともなればあちこちに子どもの姿があふれていた。マチルダもその一人だった。ログとティモシーとしょうもないいたずらをしては近所の小父さん小母さんに叱り飛ばされていた。マチルダたちが育ちあがった今は、子どもの声は聞こえない。

 誰かに会いたいような会いたくないような微妙な気持ちで、マチルダは歩き出す。

 十五歳で次期大臣に内定してから、マチルダは大臣官邸に居を移した。リナレアの東のはずれの自宅から西端の王宮までは、歩いて通勤するのにはそれなりに時間を要する。その時間を使ってできることもあるだろうと先代国王と大臣は、マチルダとポールのために大臣官邸の部屋を空けてくれた。おれもちょうど弟子を取ろうと思ってたところなんだと父が言ってくれたので、マチルダは安心して大臣官邸に住み込むようになった。

とはいえごくあたりまえの庶民の育ちのマチルダは、官邸にいれば息も詰まる。休みのたびに息抜きのため、長い距離を歩いて気の置けない友人と会うことを楽しみにしていた。最後に帰ってきたのは異変の起きる前――もう、一年近い前である。

 誰にも会わないまま道を進むと、大きな剣の看板が見えた。鉄を燻して黒くした剣には、シュルクーズ剣具店と力強い文字が打ち出されている。灰色の石造りの二階建てのこの建物がマチルダの実家である。通りに面した玻璃窓の内側には父が打ち出した剣がひとふり置かれ、その壁には予約状況の表が貼りだされている。二年先まで予約でいっぱいの父のためにマチルダが始めたものがいまだに残っているのが嬉しくて、マチルダはしばらくそれを食い入るように眺めた。

「メドフォード小父さんなら、今日はいないよ」

 どれくらいそうしていたものか、唐突に声を掛けられてマチルダは振り向いた。鼻先まで引き上げていた襟巻が勢いに負けてずり落ちる。マチルダより少し高いところに、見おぼえのある顔がある。小さな鼻梁、薄い唇、卵のようなつるんとした肌にまつ毛の長い切れ長の目――驚いたように見開いて、ティモシーはまばたきをした。

「あっれ、マチルダじゃん。帰ってくれるなら言ってよ。ウチに電信置いたって言ったじゃん? 今日はオレ、カノジョと旅行なんだよね。お泊りに成功して――」

 ティモシーは首を傾げた。声を発しないマチルダとの距離を静かに詰める。

「何があったの?」

 声をひそめ、ささやくようにティモシーは尋ねる。マチルダはまだ何も言っていないのに、まるですべてを把握したような落ち着いた目で――ティモシーは子どものときからそうだった。誰よりも人の気持ちに敏感で、捨てられていた子犬を見つけるのもティモシーが一番多かった。

「ニースに会いたい」

「オレはね、何があったかを聞いているの」

 マチルダの目を見たまま、ティモシーは眉を持ち上げる。だって旅行に行くんだろうと言いかけて、マチルダは小さく息をついた。

「ポールがいなくなった」

「ポール? ポールって、あのおっぱいの大きい子?」

 顔をしかめ、ティモシーが胸の前で両手で曲線を描く。いささか釈然としないものを感じたまま、マチルダはとにもかくにもうなずく。

「正攻法では見つからないならニースに頼れって、ログに言われた。ティモシーならニースの居場所も知っているって」

「つまり、おれはニースとマチルダをつなげばおしまいってこと? 何それ? 腹立つんだけど」

 左手に持っていた鍵束を放り投げて掴み、ティモシーはふんと鼻を鳴らす。そうじゃない、とマチルダはため息をついた。

「ログもティモシーも、どうしてそう面倒事に首を突っ込もうとするんだよ。……おれは、おまえたちには平和に暮らしてもらいたいから、巻き込みたくないだけなんだ」

「マチルダって、莫迦だよね」

 苦々しく唇を噛んだマチルダを、ティモシーは冷ややかに見下ろす。左手で手繰った鍵束から鍵を一本取り出して、マチルダの鼻先に突き付けた。

「オレやログがどうして首を突っ込むかって? 簡単だよ、友達だからだ。友達が困っていたら助けるのはあたりまえのことだろう? それともマチルダは、オレたちが困っていたらそっと見ないふりをするつもりだった?」

「まさか。おれは――」

 言いさして、マチルダは首を振る。くすくす笑ってティモシーの胸を人差し指で押した。

「彼女とお泊まりなんだろう? 友達の恋路を邪魔するほど、おれは無粋じゃない」

「あいにく、オレは人を見る目だけはあるからね。兄弟同然に育ってきた大事な友達が助けを求めているときに自分を優先しろという人を恋人に持つつもりはない」

 ティモシーはマチルダの手を取る。手のひらを上にして開かせると、鍵束を押し込んだ。

「とりあえず、カノジョに今日は行けないって言ってくる。マチルダはあまり人に会いたくないんだろ? 父さんも母さんも昨日から工房から出てこないから、適当に片づけて待ってて」

「ありがとう」

 今度は素直に、マチルダはティモシーに微笑むことができた。ティモシーは眉をあげて、さっと踵を返す。遠ざかっていく後姿に向けて、マチルダはゆっくりと頭を下げた。


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