第二章 水色の編入生 ~4~
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富士境高校の本校舎。その正面。昇降口側は二階建てになっている。
左右の三階建てに、挟まれるような造りの最上階は、所謂屋上だ。
いくつかのベンチが設置された、図書室と人気を二分する憩いの場。〝屋上広場〟と名付けられたスポットだ。
「ルナ? 心からのお願いなんだけど、さっきの台詞、人前では絶対言ってほしくないんだ」
「何故ですか? ワタシは、間違ったことは言ってませんよね?」
「うん。だけど、超誤解されてるから。損する方に」
生徒たちの憩いの場にて、琥珀はグッタリと俯いた姿勢でベンチに座っていた。
全力疾走で疲れたこともあるが、それ以上にメンタルが過労死しそうだ。
そんなこちらの様子と台詞の意味に対して、傍らに座るルナが、不思議そうに首を傾げている。
「あと、〝ご主人様〟とか〝所有物〟とかも、これからは禁句で。本当、一生のお願いだからさ」
「そこまで言うのでしたら……、分かりました」
言動の中に、まだ、理解できていない節が見られるが、こちらの疲弊具合を感じ取ってくれたのだろう。
渋々な顔つきで、ルナが了承の言葉を口にする。
「では、琥珀。お弁当を用意しましたので、存分にお召し上がりください」
言って彼女は、ここに来る途中、教室に戻って持って来た手提げ袋から、弁当箱を取り出した。
それも、一つや二つではない。計六つのタッパーだ。
その中一つにつき、八切れのサンドイッチが並んでいる。
ハム・卵・野菜にポテトサラダ。デザート用なのか、果物を挟んだものもあった。
ハッキリ言って、夢のような展開だ。
超が付く美少女が、自分のために早起きして昼食を用意してくれていて、しかも、その子が自分のことをご主人様視している。
何時もの自分なら、死亡フラグだと警戒するくらいのレベルだ。
「ああ……、その、凄く申し訳ないんだが、ルナ? オレ、言い訳とか抜きで腹減ってないんだ。――それに……」
「やはりそうでしたか。だと思いましたので」
――オレには、消化機能とか、もうないんじゃないか?
と尋ねようとした言葉が、ルナの納得に消される。
「は? それってどう言うこと?」
「少し辛いですが、我慢してくださいね?」
断りを入れて、彼女が、
『ルナ・エリクソンの名の下に、汝、糧を得給え』
唱えた直後、言いようのない、不快感を覚えた。
「ふ……ぐ、うぅぅ……?」
腸が掻き混ぜられるような、腹の中で蛇がのたうち回っているような、流動を腹部に感じる。
胃袋が絶え間なく、収縮と拡張を行い暴れていた。まるで、駄々をこねるように。
久しぶりに感じる、この喪失感を琥珀は良く覚えている。喪失感の名前は〝空腹〟だ。
「は、腹が……」
情けないくらい盛大に、胃袋が音を立てた。今、ルナが差し出してくれたサンドイッチが、宝物にすら思える。いや、それ以上に。
「〝神降ろし〟もしましたし、傷の修復にもエネルギーを使いました。その様子では、あれから何も口にしていないのでしょう?」
どうぞ。と、ルナがタッパーを開けた。
「す、すまん! いただきます!」
調理師である彼女と、目前の命の糧に感謝を述べて、猛然と両手持ちで貪り始める。
口一杯に広がるうまみは、彼女の腕前はもちろん、空腹感が極みに至ったことも要因だろう。空腹は、最高のうまみ調味料だ。
「食べながらで良いので聞いてください。――アナタは、ゾンビとなったことで、不老不死になりました。軽度の怪我なら直ぐに治せますし、致命傷を負っても意識を失うだけでしょう」
ただし、
「素材としたのは人体です。ですから、食物の摂取はこれまで通り必要となります」
「そうなのか?」
お行儀が悪いですよ? との注意を挟んで、説明は続く。
「体を動かすのはもちろん、能力行使のためにもエネルギーが必須です。つまり、消化器系・循環器系による消化・吸収・代謝は、これまで通り行っていただくことになります。その役目をワタシが担当します」
彼女の忠告通り、一旦手を止め、口の中の食事を呑み込んで、
「ああ、それで、〝ずっと一緒〟って」
先ほど、彼女が口にした言葉の真意に気付いた。
どうやら、ゾンビは、エネルギーを生産するプロセス。消化・吸収・代謝を自発的に行えないらしい。
それが、不老不死に繋がっているのか否かはともかくとして、それらの役目を担うのも〝ネクロマンサー〟の使命なんだろう。
幸か不幸か、これから琥珀は、ルナとの共同生活をするようだ。
「はい。不本意ながら、一緒に時間を過ごすことになりますね。不本意ながら」
――二回言うかあ……。
との事実と、彼女の目つきが恨みがましいものになったことで、自分がルナに完全に嫌われていると理解した。
「何か……、ゴメンな?」
「全くです」
ルナがキッパリ断定する。
「ワタシは、父から神降ろしを学ぶそれ以前から、〝スティグマ〟様に仕えることを望んできました。憧れ、焦がれ、やっと出会えると思ったら、アナタの意識が残っていたんです」
ですが、
「それがワタシの使命ですから。不本意ながら、とても不本意ながら、仕方なくお仕えしますので」
四回目の〝不本意〟を耳にして、琥珀は本当に申し訳ない気持ちになり、素直に彼女に謝った。
「本当、ゴメン」
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流石に、ルナは困惑を覚える。
琥珀の表情も声色も、心の底から申し訳なさそうだからだ。
「……あの。本当に、そう思っているんですか?」
「謝り足りない?」
「い、いえ! そうじゃないんです」
琥珀が更に譲歩するから、逆にこちらが居たたまれなくなる。
「その……、琥珀は被害者なんですよ?」
そう。本来、彼が謝る必要なんてどこにもない。何故ならば、
「琥珀は、イオータ様を助けようとして、巻き込まれただけなんです。だから、謝罪する必要なんて……」
「でもさ? オレの意識が残ったのって、予定外だったんだろ?」
苦笑すら浮かべて、琥珀は頬を掻く。
「ルナが、スティグマって人に憧れていたのも分かったし、本当はオレって言う人間が、こうしてちゃダメだったんだ」
「そ、そんなことは……」
ルナは、自分の言葉が、徐々に弱々しくなっていくのを感じた。
同時進行で、強い罪悪感が浮かび上がってくる。
――ワタシ、とても酷いことを言ってしまいました……。
今までの彼に向けた言動が、自己中心的だと気付いたからだ。
彼は、純然たる被害者。と言うか、寧ろ、協力者でもあった。琥珀の助けがなければ、イオータは暫く戦線を離脱していただろう。
加えて、こちらは琥珀の体を勝手に改造して、器にしようとした。
結果的に、琥珀の意識が残ったのは、神降ろしに失敗したからで、本人に非はない。どこにもない。
なのに、個人的な感情で〝不本意〟とか〝仕方なく〟とか毒づいて、彼に謝らせて……、
「……ごめんなさい。ワタシ、言い過ぎました」
シュン。と肩を落として、萎れると、頭をポンポンと撫でる感触が来る。
「生真面目だなあ。そんなこと気にするなよ」
それは、笑み声すら混じった声だった。自分事なのに、他人の事情を優先している。普通はできないことだ。だから彼は、
……変な。いえ、優しい人、何ですね――。
「そんなことよりさ? ルナはこの辺、もう巡ったりしたの?」
「巡る? いえ、ワタシは任務で訪れましたから」
自分の身に起きたことを、〝そんなこと〟で片付けた彼は、寧ろ、そのことに焦点を当てて話題を変える。
「もったいないなあ。富士境は結構、観光とかに向いてるんだぞ? 〝無国籍村〟は国内外問わず人気だし、〝聖堂区画〟には特殊な文化が根付いてるし」
そうだ。と、琥珀は自己完結気味に提案してきた。
「今日、富士境を案内するよ」
「え? でも、琥珀の予定が……」
「大丈夫だよ。今日は土曜日で午後の授業ないし、部活もないしさ! ルナの使命は、オレと一緒に行動することなんだろ?」
ニっと、歯を見せて、琥珀が笑う。
「だったら、使命を果たしてくれよ。そうすれば、飲み食いもできるし。何より、オレはお礼をしたいんだ」
虚を突かれた感覚を心が覚えて、だが、不思議と込み上げてくる感情に従って、
「そうですね。それは、楽しそうです」
ルナは微笑んだ。




