第二章 水色の編入生 ~3~
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「一応、睡眠欲はあるみたいだな」
人生の一大転換期が起こった、翌日、朝。
琥珀は、欠伸を噛み殺しながら通学路を進む。
晴れた空が、自分の置かれた現状とは異なり、随分とのどかだ。
目が覚めたら夢オチでした。などと言う、面白味のない展開は訪れず、何時もと同じく朝が来て、今日も学校生活が始まるようだ。
できることなら、つまらなくて良いから夢オチであってくれ。そんな細やかな願いは、天に届かなかったらしい。
相変わらず、空腹感はゼロに等しく、朝食抜きで登校。
形だけで良いから腹を満たしておこうかな? とも考えてみたが、消化できない可能性も考慮して、結局絶食を継続中だ。
デバイスに消化とか吸収とか、人間らしい能力は備えられていないかもしれないし。
つくづく思う。オレは人外になったんだな、と。
自分の感覚で理解し、自分の思考で納得して、僅かな不安に溜め息を吐く。
「何を溜め息吐いているのかなあ? 道化宮くん?」
〝三堂〟と煉瓦造りの校門が、目視できるところまで来たとき、不意に背後から声が掛けられた。
文章にしたら丁寧そうだが、耳に聞こえる音声には、どうにも敵意が滲んでいる。
必要以上に強い力で両肩を掴まれ、琥珀は、錆び付いた蛇口が無理矢理捻られるような動きで、目線を背後に移した。
「おはよう。道化宮。良い朝だな」
「お、はよう、ございます」
そこにいたのは、歓迎会を提案したバスケ部の友人だ。
凄く笑顔なことが、不吉さを倍増させる。自分でも理由が分からないが、琥珀は年齢ではタメの友人に、敬語で挨拶を送った。
「実に良い朝だ。……言い残すことはないな?」
「頼む。執行猶予を付けてくれ」
彼の判決に、慈悲を求める。そうでなくても、自分は一度死んだ人間。もう、三途の川を見るのは懲り懲りなのだ。
「本っ当に、反省しているんだ。オレがキャンセルしたことで、祝勝会(仮)が台無しになったことに対して、それはそれは深く!」
「ああ? 台無しになる訳ないだろ? ちゃんと、飲み食いの宴は開いたさ」
「……え?」
「適当に理由作って、騒ぎたかっただけだからな。お前がいてもいなくても何ら変わらん。お前が約束破ったことだけが不服なんだよ」
――じゃあ、これまでのオレの心配とか気遣いって不要だったのかよっ――!?
琥珀は、地味にショックを受けた。
「これからお前にパスするときは、顔面を狙うとして……、それはさておき、道化宮知ってるか?」
さておくなよ! とか、それゲームにならないだろ! とかの、ツッコむ気力も失いながら、泣き寝入りしそうな顔つきで、何が? と聞く。
「今日から編入生が来るそうだ! しかもかなり美人の!」
「何で知ってるんだ? 今日からなんだろ? 編入生って」
「野郎のコミュニティー舐めんじゃねえよ。学校の上層部にもコネがある。それに、急な編入で噂が立つには十分だろ?」
無駄に高性能のコミュニティーだな。とは言わない。自分の心の中に、引っ掛かるような違和感を覚えたからだ。
急な編入。との言葉が、より一層引っ掛かりを強くし、違和感を具体的にしていく。
「何でも、手足が長いモデル体型で、スラッと高身長の欧風美人らしいぞ! しかも、胸がデカいそうだ!」
琥珀は、一人の女子の姿を頭の中に描いていた。
〝彼女〟の肌は白く透き通り、顔つきも欧米人に近い。
ほころぶ白百合のような笑顔は、美人以外の言葉では表現できず、右腕を包んでいた両の手は、柔らかく、かつ、しなやかだった。
生憎と、胸元はどうだったか思い出せないが。
「なあ? その子って、もしかして水色の髪じゃないか?」
「らしいんだよ! 良いよな! 異国人っぽくて!」
「で、こう、肩まで届くミディアムくらいで、フワフワの癖毛だったりしないか?」
両手のジェスチャーで、彼女の髪型を再現すると、流石に不審そうに、
「……何で知ってんだ?」
との疑問形が来て、琥珀はまた溜め息を吐いた。どうやら、想像図は正解らしい。
「立ったな。フラグ」
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四時限目の科目は、〝化学〟だ。
授業内容が実験であるために、一年三組の全生徒は理科室にいる。もちろん、琥珀も、新しいクラスメイトも含めて。
「……そして、ここでビーカーに温度計を入れ、温度を測るとしましょう」
一年三組のほぼ全員は、呆気に取られた顔つきで、教壇に目を向けていた。
そこにいるのは、化学の先生。……では、ない。
本来、実験を仕切る立場の女教師は、教壇の横で、生徒たちと類似な目つきをしながら、教壇に立つ一人の女子生徒を見ている。いや、生徒たちの抱く思いが好奇なら、教師の抱く思いは畏怖の方が近い。
視線をスポットライトとした彼女は、セーラー服姿で紺色のスカートを穿いていた。富士境高校女子の、夏服だ。
ホワイトボードの前にある教師用の机の上では、ビーカーに注がれた液体が、ガスバーナーの炎で熱せられていた。
刻々と熱湯に近付いていく、ビーカー内の液体を見詰め、タイミングを見計らったように、今日から一年三組の一員となったルナ・エリクソンが、温度計を静かにビーカー内に挿入する。
場違いな感想だが、彼女の髪色と、胸元を飾る薄緑のリボンは、どうにも似合った配色だ。
「ここです。この際に、熱せられた液体の〝熱エネルギー〟は、温度計を暖めるため、若干減少することになります」
彼女は、落ち着いたイントネーションで、女教師の方を見た。
澄み切った美しいソプラノに、本当なら教える方の彼女は、ビクッと体を震わせる。多分、説明しづらい恐怖を感じているのだろう。
「つまり、温度計で、ビーカー内の液体の温度を正確に測ろうとしても、温度計により熱が奪われるため、それは不可能だと判断できます」
ですから、
「先生の仰った、七〇度ちょうどに暖めてください。と言う指示には、残念ですが、問題があると言わざるを得ません。これは、所謂〝不確定性原理〟に基づく……」
「わ、分かりました! 先生は勉強不足でした! だから、もう許してえぇぇ――っ!!」
女教師はギブした。
何でこんなことになったかと言うと、実験に際して、
「ビーカー内の液体は七〇度ちょうどに暖めてくださいね?」
と指示を下したからだ。と、思う。
そこでルナが挙手をして、……今の惨劇に至る訳だ。
先生側も、編入初日の教え子からダメ出し食らうとは、思ってもいなかっただろう。
ルナは目立ちまくっていた。
「何か、良く分かるような、分からないような……」
「そもそも不確定性原理って、何だ? 中学で習ったっけ?」
「とにかく、勇者だねえ……。あるいは、賢者?」
自分の席に戻るルナに対して、小さな拍手と大きなどよめきが起きている。
そんな中、琥珀は彼女の印象を、こう表す。
――生真面目な子だなあ……。
出会ったときから何となく、そう感じていた。
自分が復活し、同時に、彼女が失敗(?)したときの、恭しさと失望具合は、生真面目優等生そのものだ。
彼女を眺めながら、そんなことを考えていると、ルナの双眸がこちらの視線に気付く。
視線がぶつかった直後、煌めく金色に影が差した。
湿り気を帯びた重苦しいジト目で、ガン付けるように真っ向から視線が来る。
明らかに、不満と不愉快が入り混じった、不快を訴える目だ。
「オレ、そんな悪いことしたのか?」
琥珀は、気圧されたように視線を逸らし、呟いた。
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富士境高校の校舎内に、四時限目の終わりを知らせるチャイムが響く。
理科室から、意気消沈した女教師を先頭として、生徒たちが退室していった。物珍しい光景を見たためか、誰も彼もが興奮気味である。
昼休みに突入し、各々が昼食を摂りに向かっているのだ。多くが複数形となり、一緒にランチを楽しもうとしている。
その中で、単独行動を執ろうとしているものがいた。それは琥珀だ。理由は単純。彼は、そもそもに置いて、食事をしようとは思っていないのである。
何しろ、琥珀には空腹感とやらがないからだ。さらに言えば、彼は、自分の体に起こった変化を理解している。
ゾンビとなった琥珀は、自分の予測から食事を避けていた。
恐らくは、一人で時間を潰そうと思っているだろう琥珀は、理科室を出てどこに行こうか考えている。
その制服の裾を握るものがいた。
自分が誰かに引き止められたことに、琥珀が後ろを確かめる。腕を引いていたのは、水色髪の編入生ルナだった。
「え? ど、どうしたんだ? ルナ……さん? オレに、用?」
琥珀の言葉は困惑気味で、どう聞いても戸惑っている。
それもそうだろう。先ほどまで、徹底的に半眼で睨まれていたのだから。
彼と同じ立場になれば、ルナは自分を嫌っていると、誰もが思うだろう。
事実、彼女はやはり、先ほどからの目つきを継続中だ。
「〝ルナ〟で良いです。琥珀。ワタシと一緒にお昼をしましょう」
美貌であり、先刻、知性の高さを露呈しただけもあり、彼女の存在感は濃い。
それゆえ、琥珀のクラスメイト大半が、その言葉に歩みを止めて、二人を凝視する。
推測するに、男子生徒ほぼ全員は、琥珀に対して小さな殺意を抱いただろう。
負のオーラを四方八方から感じたのか、琥珀は冷や汗を流しつつ、
「いや。悪い、ルナ。オレ腹減ってないんだ。だからさ? ここはオレなんか放っといて、みんなと仲を深めるために……」
「だから、です」
半分は自己保身だが、もう半分は気を利かせた琥珀の台詞を、ルナは接続詞で拒否した。
「アナタのお腹が減っていないから、一緒に食べようと」
「矛盾してないか? その理由。何だって、オレと一緒に?」
渋る琥珀に、ルナが唇を尖らせて、
「それがワタシの責任だからです! アナタを霰もない姿にして、異物を体内に挿入した挙げ句、体のあちこちを弄ったからです!」
刹那。どこからともなく、ひび割れの音が聞こえる。
その音は、その場にいた全員が共通して耳にしたもので、世間一般に〝空気が凍る〟と比喩される音だ。
ルナが言っていることを訳すと、琥珀の上着を脱がせ、ゾンビパウダーを注入し、ゾンビの体に改造したことを意味する。
しかしながら、彼女の台詞は、誤解するには十分過ぎるほど不透明な表現が用いられ、当然の如く、琥珀が焦った。
「ル、ルナ? そう言うことは余り人前では言わない方が……、ほら、誤解を招くだろ?オレとしても少し恥ずかしいと言うか……」
言ってることが正しいため、真正面からの否定ができない。
しどろもどろと苦し紛れする琥珀。その言い訳が、ルナの癇に障ったようで、彼女にしては珍しく感情がこもった声で、
「ワタシも恥ずかしかったんです! アナタは、ワタシにあんなことを口にさせたんですよ? 良いですか? アナタはワタシのご主人様で、ワタシはアナタの所有物なんです!その自覚を持ってください!」
約全員の誤解がほぼ確定になった。
辺りに散らばるのは、「あの道化宮が既成事実!?」とか「どんなプレイだよ! 高等過ぎるだろ……!!」とか「MとSを超越している!?」とか「最低!!」とかだ。
「これからずっと一緒なんですから、責任と言うものを……」
「わ、分かった! 一緒にご飯を食べよう! 何か急に腹が減ってきた! 今すぐ。うん、今すぐ行こう! 一先ずここから離れよう!」
明らかに、ルナの言葉を遮るタイミングに失敗している中、文字通り逃げるように琥珀が走り出す。
ルナの手を握って、できる限りの全力疾走を行う琥珀を見送り、一名の男子生徒が、持っていたシャーペンで力一杯ノートを突いた。




