第二章 水色の編入生 ~2~
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結局、予定通りの時刻で帰宅することは適わなかった。
それどころか、大幅に超過され、現時刻は九時に届こうとしている。
クレマパレスは富士境の北部に所在し、中央部にある〝道化宮家〟に戻るには、まあ、徒歩でも問題ない範囲だ。
約三時間前。無国籍村まで歩んだ距離と、そう変わらない。
「……しかし、とんでもないことになったなあ」
その約三時間で、常人ならばまず体験できない、スペクタクル過ぎる経験を、一次情報的に味わった。通常の人生で、ゾンビになることは、まずないだろう。
ゾンビ化した琥珀は、右の手に提げる袋に目を遣る。
それは、お暇直前。意識を取り戻したイオータが――それでも慌てた様子で――、用意してくれたお土産だった。
何でも、夜遅くなったことに対する謝罪、兼、ご家族への言い訳に役立てば、とのことだ。
なるほど。ただ夜遊びをして、不良風に門限破った。とならないように、誰かの家に遊びに行ったと言える、口実を作ってくれたのだ。
袋の中には、作り立てのオムレツ。いろいろ、器用な人らしい。
「菊と一と文は、もう寝てるかなあ? まあ、虎徹がいれば、問題ないだろうけど……」
二階建ての自宅が、視界に入ってきた頃。琥珀が気に掛けるのは、八歳の三姉妹のことだった。
年齢が年齢なだけに、腹を空かしたり、眠気に襲われたりしてないだろかと、心配になってくる。
それを思うと、イオータ特性オムレツの存在がありがたい。これには、免罪符としての役目を果たして貰おう。
琥珀は、自宅の玄関まで辿り着き、一旦深呼吸した。
道化宮家は、片流れ屋根の水色塗装。二階よりも一階が大きく、長方形の上に方形を乗っけたような造りだ。
「ただい……」
「遅ぇよ! 兄ぃ!」
「うわぁっ!?」
帰宅直後。ドアを開けた瞬間、怒号に似た非難が来た。
腕組みしながら仁王立ちする、非難の主は〝道化宮虎徹〟。一〇才の実弟だ。どうやら、玄関で自分の帰りを待っていたらしい。
「今、何時だと思ってんだよ! 〝クローバーキッチン〟での歓迎会ってやつは、六時からだろ? 良い年こいて、不良気取りかよ!」
虎徹は、黄色い髪に茶色の瞳。衣服も自分のお下がりと言うことで、必要以上に琥珀と瓜二つだ。
友達からは、良く、道化宮が小っこくなったみたいだ。と言われるが、決まって、でも、道化宮にはこんな威厳ないよな? と馬鹿にされる。
何しろ、虎徹は少し口汚いが、かなりのしっかり者だ。この場を見たら、誰もが納得に頷くだろう。
加えて、女子からの人気が高く、だったら、どうしてオレはモテないんだろうな? と、妙な敗北感さえ覚える。
「菊も一も文も腹ぺこで待ってたんだぞ、兄ぃ! 宅配ピザで解決したけどな!」
どっちが目上か、本気で分からなくなるシチュエーション。そこに、左手側にあるリビングから、三人の妹が加わった。
「お帰りぃ! 兄ぃ!」
「兄ぃ、遅かったぁ。一たちお腹が減ったのぉ」
「だから、虎徹兄ぃと、ピザ食べたよぉ? 美味しかったぁ」
自己完結したなあ。と、内心だけで感想を述べる。
最初の台詞が、長女〝菊〟。少し甘えん坊なのが、次女〝一〟。話を完結させたのが、三女〝文〟だ。
日本では珍しい三つ子の姉妹は、紺色ベリーロングで瞳も同じく紺。同デザインで色違いのワンピースを纏っている。
「悪い。友達ん家に誘われてさ」
「そんで、服が違うのか? 兄ぃ?」
核心を突く賢弟の一言に、琥珀は体を震わせた。
仕方ないと思う。外出時、私服で出掛けたのに、現時点で自分が来ている上着は、ダボダボの白シャツなのだから。
と言うのも、デルタに殺された際、当然、上着が血塗れになった。流石に、それをそのまま着て夜の町を闊歩すれば、どう考えても職質の餌食。
そこで、気を利かせたイオータが、私服を貸してくれたのだが、二〇センチ大きい彼の衣服が、ジャストフィットする訳がない。
「……なあ? 兄ぃ。飽くまで家族として問うけどさ? 友達って男だよな?」
琥珀は沈黙した。下手に口を開くと、事態が悪化する気がしたからだ。
悲しいことに、それを肯定と捉えたのか、
「……兄ぃ? シャワー浴びるか?」
「な、何故だ? 脈絡がなさ過ぎないか?」
「いや……、目覚めたんだろ?」
「目覚めてねぇよ!」
「じゃあ、何で着替えてんだよ! あからさまに男物じゃねえか! 菊も一も文もお年頃なんだぞ!? どう説明すりゃいいんだ!」
「説明の必要がねぇよ!! 誤解だ、誤解! ほら、これお土産」
未だ、疑いの眼差しを向ける虎徹と、状況が呑み込めていない三人の妹。
琥珀は押し付ける形で袋を渡し、いそいそと靴を脱ぎ、奥の階段まで急ぐ。
「兄ぃ? 一緒に食べないのぉ?」
袋の中身を確かめ、はしゃいでいる一と文。長女だからか、一番お淑やかな菊が、不思議そうに尋ねてきた。
琥珀は、眉の寝た笑みで、癒やし系の妹に答える。
「ああ。オレは〝クローバーキッチン〟で一杯食ってきたからさ」
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琥珀の自室は、二階だ。
階段を上って右側。虎徹の部屋より、奥の方にある。
虎徹の部屋と対称的な造りで、南側、廊下奥の書斎の方にクローゼット。西の窓際には、勉強デスクが配置されている。
琥珀は、長男の威光で獲得した中古のテレビにスイッチを入れることもせず、カーテンとお揃いでベージュ色をしたベッドにダイブした。
心身ともに等しく感じる疲弊感。それを吐き出すように大きく嘆息して、仰向けになり、頭を抱えて、
「約束、すっぽかしたなあ……、オレとしたことが」
約束は守る。それが、琥珀なりの自分ブランドだ。
初めっから乗り気ではなかったが、今更ながら、歓迎会に行けなかったことに、後悔する。いや、不可抗力なのだが。
そう。菊にはああ言ったが、クローバーキッチンに自分は行っていない。腹一杯など、場を誤魔化すための嘘っぱちだ。
だが、真実を伝えられる筈もなかった。兄ぃは、裏路地で一度死んでから蘇ったんだ、何て言っても、そもそも信じて貰えないだろう。
しかし、一つだけ確かなことがある。
……全然、腹減らないな――。
鳩尾辺りに手を置いても、胃が動く気配は感じられない。とてもおかしなことだ。
何故ならば、琥珀は昼飯抜きでバスケ練に参加して、相当なカロリーを消費している。その上、ファミレスに行っていないがため、米の一粒すらも口にしていない。
体中がエネルギー不足に陥っても、おかしくない筈だ。
人間ならば、悶絶するような空腹に、顔をしかめること必至な条件が成り立っている。飽くまでも、人間ならば。
そこまで考えて、自覚と仮説が浮かんでくる。
――本当に、オレはゾンビになったんだなあ……。
イオータたちは、自分の肉体を改造したと言っていた。言葉を借りるなら、〝生体デバイス〟と呼ばれるものに。
中途半端な知識に基づく仮説だが、自分の体は〝不活性〟。死んでいる状態なのではないだろうか?
聞くところによると、ゾンビとは、呪術師や死霊術師とかに操られる、死体の下僕らしい。
その噂が本当だったら、自分も操られるだけの存在なのだろう。
思い返せばイオータも、〝夢幻脳界〟がどうのこうの言っていたし、デバイスとなった自分は、もはや人間とは呼べず、OSに操られるだけの、ただの端末と言うべきなのかもしれない。
「そう言えば、彼らの正体を聞いていなかったっけ?」
ふと、そんな思考が頭を過ぎった。
死体を改造し、端末化する――と思しき――技術が、この現代社会に存在するのは、どう考えても不可解だ。
学会で発表すれば、ノーベル賞は確実だろう。ハイテクにもほどがある。
加えて、想像神格とか神降ろしとかには、海の向こうの〝有機演算器〟とやらを使うそうだ。
人間の脳髄を素材とした〝ニューロコンピュータ〟を。
「そんなものが発明されてるなんて、ネットニュースでも見たことないぞ。何だ? あの人たちは、自分たちでそれを発明したのか?」
そもそも、
「オレは……、オレの生活はこれからどうなるんだ?」
質問と疑問ばかりが、頭の中をグルグル巡る。
その中に溺れ、沈んでいくように、何時しか眠りに落ちていた。