第二章 水色の編入生 ~1~
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〝クレマパレス〟の最上階は、自分たちが自由に使っても良いらしい。
オーナーである〝アトナコス〟の末裔が、この場が戦場となってもかまわないように、と配慮してくれたからだ。
ルナの自室は、九〇一号室。
玄関からリビングダイニングキッチンまで直結となっており、二つの個室も用意されている。
個室は、和室と洋室が一つずつ。
リビングの奥には、大きなガラス窓があり、ベランダも備えられていた。
決して豪華とは言えないが、それでも、生活を送るには快適過ぎる、優良物件と言えるだろう。
だが、ルナはこの部屋に永住するつもりはない。もちろん、イオータやリーガルもそのつもりだと思う。
自分たちの目的は、デルタを追い、止めること。それさえ達成すれば、イギリスに帰国との腹積もりだ。
だからこそ、選んだ家具は最低限だった。
テーブルとソファ。あとは、ノート型パソコンを用意しておけば、生活に支障を来すことはない。
飽くまで、この部屋は仮の住まいなのだ。ならば、不要なものを揃えて、万が一、戦闘の邪魔になってしまっては本末転倒。合理性に欠ける。
……だから、彼の死亡が分かった際は複雑でしたね――。
自分が仕えるべき〝想像神格〟。
ただ、想像上に佇んでいた〝磁界王のスティグマ〟の〝器〟が、目の前に用意されたのだから、第一印象のために、お洒落な部屋にしておいたら……! と悔いを感じるのは、乙女の純情だろう。
だが、しかし、何故に、どうして、
――その不安が自然消滅するとはっ……!!
彼は、確かに言った。自分の名は道化宮琥珀だ、と。
いや、聞き間違いかもしれない。そんな訳がない。自分の耳が悪いんだ。そう、錯覚。錯覚に違いない。
ぶんぶんと、不安を払拭するように頭を激しくシェイクして、改めて尋ねる。
「すみません。どうも、耳が遠くなっていました。大変申し訳ないのですが、もう一度。あなたのお名前をお聞かせ願えますか?」
「うん? 道化宮琥珀。富士境高校一年三組男子。不本意ながら、学級委員長に今日から就任」
ルナは絶句した。馬鹿な。そんな馬鹿な。まさか、ここまで生前の記憶が残っているなんて……。
「あ、もしかして、キミがオレの治療してくれたのか? 凄いな。絶対致命傷だと思ってたんだけど」
道化宮琥珀が、トドメを刺しに来た。
流石に、これは諦めるしかない。
あってはならないことだが、自分は、人生の大半の時間を費やし恋い焦がれてきた、仕えるべき主の〝神降ろし〟に、見事なまでに失敗した。その事実を、受け止めなければいけないようだ。
ルナは、包み込んでいた琥珀の右手から両手を放し、膝から崩れ落ちる形で、フローリングに四肢を突き、目一杯へこむ。
「あれ? ど、どうした? 何故そんなにも、負のオーラ全開で項垂れているんだ?」
琥珀が戸惑っているが、気にしない。
お願いだからそっとしておいてください。と、何時もの八〇パーセントオフ以下の声量で、ぼそりと呟いた。
「これは……、珍しいケースだな。こんな現象は今まで――、少なくとも、この肉体に降ろされてからの一〇〇年間は見たことがないよ」
背後から、心底興味深げなイオータの言葉が生まれる。
ルナの体にさらなる重みが加わった。
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「想像神格のインストールに失敗? いや、〝生体デバイス〟への組替えは終わっているようだ。傷も塞がっているし、能力使用の準備は整っている。……考えられるのは、〝夢幻脳界〟との不通。それにより、人格がインプットされていないこと。何か、通信を阻む原因が?」
ブツブツと、自問自答をイオータが繰り返す。
彼の独り言。その全てが、理解不能だと言いたげな顔つきで、琥珀が眉を歪ませた。
と、不意に琥珀の瞳が、イオータの右腕にピントを合わせる。
「あんた、腕の怪我はどうしたんだ?」
確かにイオータの右腕は、ほんの数時間前に風穴を開けられたばかりだ。回復するには、幾分か以上時間が足りないだろう、大怪我を。
だが、イオータの腕には包帯すら巻かれていない。
彼は、ケロッとした顔つきで、その腕を振って、
「心配はいらないさ」
と傍らに立つ、幼女染みた少女の肩に手を置いた。彼女の頬が赤らむのを、微塵も気に掛けずに。
「この子。〝リーガル・マロリー〟がちゃんと治してくれたからね」
「治すって……、あんな大怪我を? 一体、どうやって?」
「基本的に君と同じさ、琥珀。私、イオータは〝想像神格〟だからね」
琥珀の表情が、より不思議そうなものになるのを見て、イオータが苦笑いを浮かべる。
「そして、琥珀? 大変受け入れ難い事実だと思うが、君は間違いなく死亡したよ」
一瞬、琥珀の体が強張り、やがて恐る恐ると呟いた。
「……でも、オレは……?」
混乱気味になるのも、無理はない。
何しろ、琥珀には間違いなく思考もあれば、感覚もある。記憶に狂いも見られないだろうし、現に今、こうして生きているのだから。
「言ってみれば、作り替えられたのさ」
対し、イオータは、その台詞を皮切りに、順を追っての説明を始めた。
彼は、未だダメージから復活できずに、ただ、地に伏している水色髪の少女を、右手の差し出しで示す。
「彼女〝ルナ・エリクソン〟が、言ったよね? 自分は〝ネクロマンサー〟だと。ネクロマンサーは、言わば、プログラマーのことだ」
「プログラマー?」
「そう。〝想像神格〟と言う存在の〝生体デバイス〟。その管理人だね」
琥珀がさらに、イオータの口にした固有名詞二つを、噛み砕くように復唱した。
イオータが、首を縦に振り肯定としながら、続ける。
「〝想像神格〟とは、この国の遙か遠方。海の向こうに封印されている、〝有機演算器〟が生み出す情報世界〝夢幻脳界〟の住人のことだ」
〝夢幻脳界〟とは、
「今で言う、〝ニューロコンピュータ〟。人間の脳髄を素材とした演算装置、〝有機演算器〟が見る〝夢〟のようなものだね。その夢に出てくる、登場人物三〇名。その仮想人格を、想像神格と呼ぶ」
「ま、待ってくれ。唐突に、そんなオカルトな話をされても……」
引きつりに近い表情の琥珀に、イオータが軽く微笑む。
「これは、飽くまで科学な話だよ。バイオテクノロジーや、システム工学の話だと思ってくれれば良い」
そして、と接続詞を一つ挟んで、
「ネクロマンサーは、想像神格のインストール先。つまり、デバイスの制作者であり、管理者でもある。――ここまで来たら、君の身に何が起こったか、分かるかい?」
「……まさかとは思うけど、オレが、その生体デバイスになった。ってことじゃ、ないよな?」
限りなく、否定に近い疑問形。
ノーの一言を待つような、彼の思いを無視するかの如く、イオータが首肯した。
「君は、〝ゾンビパウダー〟と言う〝ナノマシン〟によって、肉体改造を施され、七番目の想像神格〝スティグマ〟になる筈だったのさ。つまり、私と同じ存在。――〝ゾンビ〟に、ね」
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……んな、アホな……。
まず、琥珀はそんな感想を内心に作る。
イオータは、科学な話だと言ったが、ここまでオカルト……と言うか、ファンタジーな話をされては、困ってしまう。
「ゾン、ビ? 某ゲームで雑魚キャラとしてわんさか出てくる、あれ?」
「その反応で、信じられないと言う気持ちが嫌ほど伝わるけど、真実か嘘かは、君自身が一番分かっていると思う」
どうだろうか? と、哀れみに近い視線が、こちらへ向けられた。
「〝あの感覚〟は、君自身が体験しているだろう?」
ゾンビならば、多分感じない心臓の音を、琥珀は確かに耳にする。
だとしたら、これだけ胸の鼓動を感じるならば、自分は死んではいないだろう。
ずっと生きていたのか、さっき生き返ったのか。本来、絶対に前者を答えに選ぶだろうけど、琥珀は後者を選んだ。
何故ならば、
――確かに、あれは〝死〟だよなあ……。
感覚に嘘は吐けない。自分の体が、鮮明に記憶している。
刃が体を突き抜け、夥しい血液が、生命力ごと体外に漏れ出し、同時進行で感覚を奪われ、意識まで無となる、あの感覚。
紛れもない、死の記憶。
青ざめた顔で、琥珀は自分の胸元に手を遣った。傷口は、もうない。
気遣うように、一拍を挟んで、再びイオータが口を開く。
「私たちは、〝デルタ〟と言う能力者を追うためにこの国を訪れ、止めるために動かなければならない」
「デルタ、ってのは?」
「君も出会っているだろう?」
質問に返された質問。
回答としては、落第点だと思うが、その意味の為すところを察するには、十分過ぎる応えだ。
「あの……オレを殺した赤い男?」
「ああ。私たちは、何としても彼を止めなくてはならない。君は、――正確には、君の死体は、援軍となる予定だった。スティグマへのゾンビ化。〝神降ろし〟の素材に」
申し訳なさそうに、イオータが頬を掻く。
「その過程で、スティグマの人格が君に上書きされる筈だった。要するに、君と言う人格が残っているのは、とても不可思議な事態なんだ。大変申し訳ないことなんだけどね」
大体、事情は把握した。
つまり、オレこと道化宮琥珀は間違いなく死亡し、その死体は改造され、どこか遠くにあるコンピュータのデバイスになる運命にあったのだ。
そこに、何かイレギュラーな事態が生じて、〝スティグマ〟とやらのインストールに失敗。
生前の記憶を残したまま、琥珀は復活した。そんなところだろう。
「琥珀? 君にこんなことをお願いするのは、気が引けるんだが……」
……と言う説明を噛み砕いたので、イオータが迷いを含んだ視線をしている理由は、容易に想像できた。
先ほどの戦闘を近くで見ていたから、デルタとやらの脅威は嫌ほど理解している。
彼一人では、手に負えないと言うことを。
「その、……我々に力を貸してはくれないだろうか?」
「ああ。良いよ」
瞬間。誰もが口を閉ざし、沈黙が生まれた。
イオータもリーガルも、失望に打ちひしがれていたルナまでもが、あらゆる思考を止め、こちらに視線を送る。
その視線から感じるのは、疑問とか、驚愕とか、呆然と言った類いのもので、それは、要するに、つまり、
「キ、キミは、何を言ってるか、分かっているのデースカー?」
この世のものとは思えない、珍生物を間近で発見したような、リーガルの反応そのものだった。
「良いデースカ? ワタシたちは、キミの体。正確には、死体をアテにして、ゾンビ化こと神降ろしを行ったのデースヨー?」
「ん? もちろん、分かってる。オレが生きてるのは偶然で、あんたたちに取っても、想定の範囲外なんだよな?」
「だったら、何故?」
「いや、想定外だったんだろ? オレが生きているのは」
ならば、と琥珀は思い、告げる。
「だったら、命の恩人であるあんたたちに、オレができることは、想定内の役目を果たすことだ。そう思ってさ」
三人は、スティグマの力を欲していた。なのに、スティグマは顕現せず、お零れを貰う形で琥珀は生を得た訳だ。
それが予定外だと言うならば、自分がその代役になるべきだろう。それなら、スティグマの本来の仕事をこなせば、予定外は予定内に意味を変える。
「正直、オレを殺した奴とまた会うのは、考えただけでも嫌なんだけどさ? あんたたちの予定を狂わせた償いだと思うよ」
力なく、空元気に、乾いた笑い声を上げた。だが、それに対する反応は、待っても待っても来なかった。
再び、自分以外の全員が、信じられないと言いたげに、こちらを見ている。
だから、琥珀は尋ねた。
「あれ? オレ、何か変なこと言ったか?」