第一章 道化宮青年の受難 ~2~
✠ ✠ ✠
富士境高校の本校舎横。
三階建ての体育館の二階。バスケやバレー、バトミントン部などが共有するコートに、音が響いている。
主に、バスケットシューズとコートが擦れ合う際に生まれるスキール音と、バスケットボールが弾む音。
右手でボールを弾ませているのは、体操服に着替え、今月は富士境高校バスケットボール部ポイントガードな、琥珀だ。
彼は、ボールをドリブルしながら、体躯を右に大きく揺らした。
琥珀の動きに、対峙するバスケ部員は警戒し、琥珀を追うように左に一歩足をずらす。
琥珀は、彼の重心の移動を見逃さない。
右手で突いていたボールを左に弾ませ、ディフェンスの右側へと加速した。
だが、ディフェンスも伊達でバスケはやっていない。後手に回ることになったが、筋力任せのサイドステップで、琥珀を追う。
琥珀の判断は連続した。ディフェンスを抜き去れないと思った刹那、左に移したボールを、掌の返しと腕の撓らせで、背後へと運ぶ。
そのまま、ディフェンスに挑むに先駆け、予め視野で捕らえていた右側の味方へと、視線も移さず放ったのだ。
所謂〝バックパス〟。更に琥珀は、虚を突かれ視線を外した、マッチアップ相手の背後へと駆けた。
必然、琥珀はディフェンスを振り切る。
「ヘイ!」
フリーとなった琥珀が、ボールを持つ味方に声を掛け、両手を示すと、ボールは再び彼の手に収まった。
左足を後ろへと滑らせターンすることで、琥珀はゴールと正対する。後は、胸元に持って来たボールを頭上に掲げ、シュートするだけだ。
だが、琥珀の目の前には、恐るべき巨体があった。
丸太のような腕。二メートルを超える長身。黒い肌。南米からやって来た、富士境高校バスケットボール部のエース〝ベン〟だ。
端から見れば、一七四センチの琥珀と比べて、ただただ巨人である。
褐色の巨人が、琥珀のシュートを叩き落とすべく、大跳躍した。しかし、彼がボールを叩くときは来ない。
琥珀が、シュートの直前で動きを止め、ドリブルに移行したからだ。
当然だが、全力ジャンプしたベンは、琥珀を止められない。傍らを過ぎ行く琥珀を、横目で見ただけだ。
琥珀の最後の動きは、ステップを二歩踏んで、ボールを片手で挙げ、すくい上げるような動きでリングに通すだけだった。
基本的な〝ランニングシュート〟を見た部員全員が、ただ一言呟く。
「…………凄え……」
✠ ✠ ✠
「道化宮って、何者だ?」
休憩中。
スポーツドリンクで水分補給する琥珀に、同学年の部員が話し掛ける。
「初心者がポイントガードやって、ベンから点取るなんてあり得ねえだろ。何だ? お前の両親はNBA選手か?」
「いや、そんな訳ないだろ? ただ、ちょっと運動が得意なだけだって」
謙遜する琥珀を、恨めしそうに半目で眺め、皮肉を込めて、彼は言う。
「その割には、身体能力異常だよな? 確か、体力テストの短距離走、陸上部ぶち抜いて学年トップだろ? それで、〝ちょっと得意〟なんて、酷いよなあ。爆発すれば良いのに」
「何故だっ!? そんなに罪深いかっ!?」
歯軋りし出した彼に、琥珀は慌てた口調で弁解する。
「いやいやいや、本当、器用貧乏なだけだよ! 中学で野球やっててさ! ほら! 野球って総合力のスポーツだろ?」
確かに、野球は打って良し、走って良し、捕って良しなど、総合的な能力が活きるスポーツだ。
特に、琥珀は部内でエースを務め、オールラウンダーとして活躍していた。
もちろん、エースだったと自慢はしないだろう。言ったら、三年間通して呪われそうだから。
「ああー……、まあ、言われてみりゃなあ。何にせよ、戦力としては申し分ないし」
追求を逃れ、琥珀がほっと胸を撫で下ろした。
「ウチは、ガード層薄かったからな。お前がいりゃ、練習試合も圧勝だろうよ。……よし。これは、先に祝勝会挙げとくか」
は? と琥珀が疑問形を作るが、友人は構わず大声で、コート上に響き渡らせるように提案する。
「今晩、道化宮の歓迎会開かねっすかあ!? 練習試合はウチの必勝っすよお!?」
琥珀が戸惑うが、彼の提案は全員の耳に届き、そしてざわめきが生まれた。
「おおっ! 良いな! 事前祝勝会ってことか?」
「確かに、中にベン、道化宮が外でホットラインバッチリだしなあ!」
「景気付け・モチベーションアップにはピッタリか!」
友人は、してやったりと言いたげなドヤ顔で、琥珀に笑みを向け、
「もちろん断らないよな? 道化宮。何しろ、お前が主役だ」
必要以上の力で肩を掴む。
「え? い、いや、それは……」
悪いんじゃないかなあ? との言葉は発せられず、代わりにきゅるる、と弱々しい音がする。
「昼飯食ってねえんだろ? 正直だよなあ、胃袋は」
琥珀は、それ以上何も言えず、ただ、赤い顔で自分の腹部を殴った。
✠ ✠ ✠
〝無国籍村〟があるのは、富士境の南東だ。
富士境一の繁華街には、その名に恥じない〝無国籍〟な店舗が、大通りの両サイドに軒を連ねている。
海外発、大手ファッションブランドの支店。オリエンタルなフレーバーテイストが魅力の、かき氷専門店。開放的な造りのアジアン喫茶店。世界三大料理店から、国内の土産物専門店まで、惜しみなく。
今日も賑わう我らが代表的観光地を、琥珀は、少しだけ気怠い表情で歩んでいた。
一旦帰宅し、制服から私服へと着替え終えている。
青いジーンズと、黄色い古着のシャツ。一応、外行きの格好だ。
「八方美人なのは、果たして良いことなのかなあ……?」
溜め息交じりに独りごちるが、答えは知っている。大体、二:八で損だ。
何しろ、本来ならば断りたいところを、流れ流され承諾しているのだから、正直な話、相手に対しても失礼だろう。
だが、イイ人の代名詞、琥珀さんは、イイ人であることをアイデンティティーとしている。
イイ人一筋十六年。もはや、プロに近い。
だから、
「〝クローバーキッチン〟には現地集合で、六時ジャストから開催。これなら、十五分前にはちゃんと到着できるな」
一度、約束したら、遵守する。キャンセル、遅刻以ての外。
琥珀は、予期せぬアクシデントにも対応できるように、十五分前行動を貫いていた。携帯を確認しながら、誰にするでもなく、一人、首肯する。
富士境のご当地ファミリーレストランで行われる、歓迎会、兼、祝勝会までは、時間的に余裕タップリだ。
五分前到着がベストと考えて、残り一〇分を有効的に活用すべきだろう。
――八時までには帰りたいし……、先にお総菜でも探しておくか――。
琥珀には、年の離れた弟妹がいる。
両親が家を空けている今日この頃。食事担当は自分で、だが、本日は作っている暇はなさそうだ。
まあ、しっかり者の〝虎徹〟がいるから、三人の妹たちに心配はない。正直、二、三日くらい自分がいなくても、問題がないくらいだ。
それでも、一応は一家の大黒柱だから、使命は果たしておこう。
琥珀は、総菜店を目指し、歩みの先を僅かに変えた。
✠ ✠ ✠
琥珀は、後に後悔することになるだろう。
もし、昼食をしっかり食べていたら。
練習であんなにも活躍しなければ。
歓迎会を欠席していたら。
気を利かせて十五分前行動していなければ。
総菜を探しに行かなければ。
あんな結末には至らなかったのに、と。