第五章 スペルレス ~5~
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琥珀の体躯が、こちらへと吹っ飛んでくる。
受け身も取れず、琥珀が地に叩き付けられワンバウンド。更にもう一度跳ねた後、地を転がり、ようやく止まった。
「か、……っは! うぇっ……!!」
声とも呼べない、苦悶の吐息。どうやら、鳩尾に全力の一撃を叩き込まれたらしい。
琥珀の手にはレガリアはなく、今、それはイオータの手中にあった。身悶えするほどの威力を人体の急所にぶち込まれたのだから、仕方ない。彼に、非はないだろう。
だとしても、状況は最悪に転がっていた。ルナは思う。
――懸念が、当たってしまいましたね……。
クレマパレスで、デルタを止めた際に抱いた思いだ。
琥珀は、デルタがゾンビであるために、ネクロマンサーさえ見付かれば、死に伏しても復活できると知っていた。
だが、彼は心臓を貫くのではなく、アキレス腱を切断する手段を用いたのだ。
理由は簡単。琥珀は躊躇ったのだろう。殺人行為を。
果たして、自分を殺害した相手にすら情けを見せる優しい人が、仲間であるイオータを、彼を慕うリーガルの目の前で殺すことはできるのだろうか?
現時点での二人の立場が答えだ。失敗した。もっと速く気付くべきだったのだ。
ルナは、己の失態に柳眉を歪める。
琥珀が四肢を突いて何とか体を起こした。が、一見して満身創痍。ここから先は、勝負にすらならないだろう。
――このままでは、琥珀が……。ワタシたちの最後の希望が……、
琥珀は、スペルレスに対抗できる唯一の存在。彼が倒れてしまったら、もはやアドルフたちを止める方法は、ない。
ただ一人。琥珀だけが、絶対司令を防ぐ手立てを持っているのだから。
そこで、ルナは気付いた。琥珀の能力が、司令を拒絶できるなら……。しかし、次の瞬間には、自分の策を否定する。
……ダメ。この方法では、琥珀は無事じゃ済まない。いや、確実に死んでしまう――!!
しかも、
――この方法は、仮説に基づくもので、成功する確証はどこにもないんですよっ――!?
最悪の事態が目に浮かぶ。
琥珀の死亡。それでも、イオータは二足で立っていた。彼を、スペルレスを止める方法は奪われ、神教とアドルフの争いにアトナコス人が巻き込まれる。
何より、心臓を締め付ける恐怖の根源は、
……琥珀が……、琥珀がいなくなる――?
――たとえオレがいなくなっても、ルナにはスティグマがいるだろ――?
何時かの言葉が反響し、ルナは自分の身を抱いた。歯と歯がカチカチ音を立てている。全身が震え、言いようのない不安が悪寒となって襲い来た。
……嫌っ……!!
嫌なんだ。琥珀がいなくなることが。耐えられないくらいに。スティグマと出会えることを加味しても、絶対に。
だって、ワタシは、
「――ルナ? 何か、思い付いたんだな?」
はっとして意識を戻すと、琥珀がこちらの瞳を覗き込んでいた。短い付き合いだと思う。それでも、彼は確証を得たように微笑みを向け、打診してきた。
「オレは、どう動けば良いんだ? 教えてくれ。それに、賭けよう」
「ダメですっ!!」
必死の形相で、ルナは拒む。
「この方法では、琥珀が死んでしまいます! 嫌なんです……! 琥珀が死んでしまったら、いなくなってしまったら、ワタシは……!!」
「――じゃあさ? 約束、しないか?」
おびえるこちらを包み込む、柔らかな口調で彼が言う。
「――約束?」
「ああ。オレが死んだら、ルナが生き返らせてくれ。どんな状態になっても。たとえ、一〇〇パーセント無理に見えても、諦めないでオレを呼んでくれ」
そしたら、
「オレは絶対に戻ってくる。閻魔様に喧嘩売って、スティグマとだって戦って、この体は誰にもくれてやらない。必ず、ルナの声に応えるさ」
彼の言葉には根拠などなくて、ただの口から出任せにすら聞こえるけれど、
「本当……、ですか? 絶対に、ですよ?」
震える声を振り絞るように、出した。
「オレはルナの言うことを信じる。だから、ルナもオレの言うことを信じてくれないか?ずっと、一緒なんだろ?」
「約束、ですよ?」
涙で滲んだ世界の中で、
「約束する。誓うよ」
確かに琥珀が頷いた。
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「何を言い合っているのか分かりませんが、この状況を打開できるならやって見せてください! ――イオータ!!」
打ちのめされ、それでも立ち上がった琥珀へと、イオータが迫った。
左の手には琥珀から奪ったレガリアが握られている。順手に持った刃を構え、猛然と駆け行く。
それでも琥珀は不動を保ち、自然体で立っている。ルナからの指示を待つように。
「琥珀!」
ルナが掛けた声は、指示へと続き、それもただ一言。
「――受けてください!!」
避けろ。でも、止めろ。でもなく、即ち刃を受け入れろ、との意味合いだ。とてもじゃないが賛同できない、非情な命令である。
琥珀は歯を食いしばり、緊張から表情筋を引きつらせ、だが、しっかりとした口調で、
「分かった」
琥珀の腹部をレガリアが貫いた。
刃が腹を割き、内蔵を掻き分け、背面へと通じ、刀身が姿を見せる。
着用する制服の白シャツが、鮮血の赤に汚されていく。
「が……こふっ……!」
琥珀が吐血した。
誰がどう見たって致命傷だ。臓器が損傷し、出血量も尋常ではない。ショック死してもおかしくなかったし、ともあれ間もなく、琥珀は死に至る。
だが、彼の目は燃えるようで、ルナもまた、諦めてはいない。
その証拠に、涙を浮かべながらも高らかと、ルナが言葉を紡いだ。
『ルナ・エリクソンの名の下に、汝、己が力を誇り給え!』
ネクロマンサーがゾンビに対して用いる、音声入力である。
ルナが唱えた入力は、スティグマが固有に持った、能力増幅を目的としたものだ。
スティグマの能力は〝生体電流〟による〝磁場〟の生成。能力増幅とは、生体電流のブーストと同義である。
レガリアを奪われた現状では、全く無意味なものに思われるが、確かな成果が表れた。
それを、スペルレスの声が示す。
「警告します。正体不明の、ノイズの影響で、イオータとアルバの通信が、遮断されつつあります」
「なっ……!?」
アドルフが彼女の警告に狼狽えた。
「彼は、他者に対しても通信妨害を行えるのですか!?」
結果から言えばそうだろう。
琥珀が偶然手に入れた能力は、生体電流が放つ電磁波によるものだ。電磁波は、電流とセットになっており、ポテンシャルは比例関係にある。
つまり、電流の勢いが増幅されれば、電磁波も強まることになるのだ。
「いけない! イオータ、下がって!!」
後退を指示されたイオータの左手首を、琥珀の右手が掴む。
「逃がさ、ない……ぞ? イオータ? 悪い……が、オレと心中して、くれ……」
息も絶え絶え。しかし、琥珀は掴んだ手首を離さない。
彼がわざわざ体を貫かせたのは、電磁波の影響が届く効果範囲内に誘うこと。そして、その状態を維持するため。イオータを捕らえるためにあったのだ。
「再度、警告します。このままでは、イオータとアルバの通信が、遮断されます」
「イオータ!!」
「オレも、道連れになって、やるさ……。だから、……今は、眠れ」
二者が小さく告げ、一人の叫びが聖堂に響く。
二人の少女が見守る中、イオータの動きが止まった。
「エラー。通信の遮断を、確認」
一人の神格が、囁く中で。
✠ ✠ ✠
アドルフが見たのは、予想外の顛末だ。
謎の想像神格、琥珀に、イオータが機能を停止させられた。最悪だ。まさか、想像神格が自分の人生を妨げるなんて。
「もう一度! スペルレス、もう一度です! 再度、絶対司令を! イオータを支配下に置きなさい!!」
「不可能です。未だ、ノイズは収まっておらず、通信は不可能です」
アドルフは、苛立たしげに唸った。
「ならば……、ならば、彼が倒れてからです!」
琥珀は、死に瀕している。
あの怪我の程度から察するに、保っても数分の筈だ。彼はゾンビであるから、再び蘇るだろう。しかし、その間にできることはまだある。
――こんなところで、止まってなるものか! 自分の生まれた意味を否定させてたまるかっ――!
決意に、歯を軋ませたときだった。
「もう。……止めないか……?」
彼が、話し掛けてきたのは。
「止める? そんなこと、できる訳ないでしょう!? ボクは、神教への報復のために、人生を捧げてきたのですよ!?」
言ったでしょう?
「ボクは、神教に報復するために生まれ、神教に報復するために育てられ、神教に報復するために神父となりました! ボクの人生は、神教への報復のためにあるもので、それ以外の何でもない!! ボクから、目的を奪わないでください!!」
琥珀の言葉は、本当に苛立たしい。
こちらのことなど考えもしない。ただ、正論を述べているだけだ。何も知りもしないで、宛ら、戦争を知らない子供の言い分。
「だから、さ? その生き方、……辛くないか?」
だが、何故だろうか? 彼の言葉はやたらと刺さる。
「辛かったら、……止めよう。……あんたが、……人生楽しめなかったら、意味、ないだろう?」
今もそうだ。死にかけで、途切れ途切れで、弱々しいのに。力が籠もっているように、強く響く。
「……辛い? 楽しむ?」
「そう、だよ。……あんた、自分の人生は報復のためって、……言ったけどさ? それ、あんたが、望んで選んだ、……のか?」
自分の父親は、生粋のアトナコス人だった。
想像神格を崇拝し、口癖は〝神教なんて……〟。
アドルフは、父から神降ろしを学び、父の死後、神教の信者となった。もちろん、スパイ活動を行うためだ。
全ては、父に応えるために。
咳き込む声が聞こえる。琥珀がどす黒い血を吐き出し、血溜まりができつつあった。
死が迫る中。それなのに、彼はこちらを真っ直ぐ見据える。虚ろなようで、確かな光が双眸に宿っていた。
「もし、そうなら……、悪いことは、言わない。……あんたの人生、送らない、か?」
「ボクの、人生」
彼が倒れそうな動きで、頷く。
「しがらみも……、責任も、宿命とか、も、置いとけば、良い。……あんたの人生は、あんたのものだろ? ……どう生きるか。……生きたいか、は、自分で選んでも、望んでも、罰は当たらないよ……」
それは、
「キミも、同じだ。……お嬢ちゃん」
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琥珀に話を振られて、スペルレスは戸惑った。
――ワタクシも――?
そんなことを言われても困ってしまう。自分は、造られた存在なのだから。
「ワタクシは、人工知能をインプットされた、極めて人工的な、存在です。そんなワタクシが、同じな筈――」
「そんなことは、良いからさ」
そんなこと? スペルレスは目を皿のようにした。人工知能を人格の代わりとしている自分には、予め目的がインプットされている。生き方は決まっているのに。
「オレは、……キミの意見が、聞きたいんだ。……キミは、望んでいるのか? ……争いを、さ」
――意見……?
意見とは、何だろう? インプットされた知識を参照するに、自分の考えのことだろう。では、自分の考えを述べるには、望んでいるかを判断するには、何が必要だろう? それは経験だ。
約一〇日間の、少ない人生経験だが、意見を述べるには、振り替えらざるを得ない。
スペルレスは、思い返す。
――はぐれちゃったのか――?
――心配いらないぞ、お嬢ちゃん――。
何故だろう? スペルレスは、不思議に感じる。
――ソフトクリーム。嫌い――?
――だろ? 少し元気出たかな――?
たった、一〇日程度の人生の一日。それも、ほんの数十分にすら満たない時間の筈なのに……、
何故こんなにも、彼との思い出が鮮明に、色濃く見えるのだろう?
ゴボっと音が聞こえた。
回想の中にいた彼。道化宮琥珀が吐血している。苦悶の呼吸は、今にも途切れてしまいそうで、理由は分からないが心臓が痛い。
高鳴る鼓動。なのに、胸が締め付けられるように窮屈だ。何故だろう? 彼に優しくして貰ったから? その彼を傷付けたのが、自分だから?
震える声で、スペルレスは尋ねる。あの日、聞きそびれてしまった質問を。
「どうして、誰かのために、そんなに、優しく、するんですか?」
ずっと分からなかった。彼は、どうして優しくしてくれるのだろう? 自分は、争いを起こすために生まれたのに。
琥珀の答えは、苦笑混じりのもので、
「困っている人を、放っとけないんだ。誰であっても」
聞いて、何かが頭の中に灯る。
正体は不明だけれど、明確なことがあった。
自分は、彼に優しくして貰った。そして、そのことに感謝した。では、彼を傷付け、多くの人に争いを強いる、自分がしていることは何だろう?
「……報告、します」
頬に伝う、雫の正体は涙と呼ぶのだろうか。
「ワタクシは、彼を、……誰も、もう、傷付けたくありません」
それは、
「それは、彼の優しさに対する、裏切りです。ワタクシは、争いを、望めません……」
争いを生むことは、より多くの困っている人を生み出してしまう。それでは、彼が大変だ。彼に感謝しているのに、嫌がることを行うのは恩を仇で返すこと。
自分は、誰も傷付けたくない。それが、自分の意見だ。
「自我……、ですか」
アドルフが、大きく息を吐く。その音が聞こえた。
「仕方ないですね。スペルレスが折れてしまえば、ボクに、争う手段はありませんから」
気のせいかもしれないが、柔らかな口調だ。安堵したような。
琥珀が、微かに口端を上げ、瞼を降ろし、その体が緩りと傾いて、
「琥珀っ――!!」
ルナの声が、木霊した。




