第五章 スペルレス ~4~
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――いけないっ――!!
ルナは、焦燥を含んだ危機感を覚えた。
イオータに続き、琥珀までも支配されてしまったら、アドルフとスペルレスを止める手立てはない。
いや、そもそもこの地球上に、二人を止めることができるものはいるのか? 手段は未だ分からない。だが、想像神格を支配できる能力者に、支配対象の想像神格が、太刀打ちできるのか?
「防ぐ術などありません! スペルレスは、〝眠り姫のアルバ〟の制御信号を書き換え、強制的に使役する! 夢幻脳界とのアクセスは、ゾンビである以上、回避は不可能なのです!」
だとしたら、神教との全面抗争は必至だ。
強い絶望に足下がふらつく。目の前を闇が覆う。
「……琥珀……」
気付けば、彼の名を呟いていた。
「送信、完了」
しかし、その声はもう届かないかもしれない。彼は、スペルレスの支配に屈したのだから。
「さあ、琥珀! ボクとともに神教をねじ伏せようではありませんか! 全ては、アトナコスの名の下に!」
「――断る」
ルナは、しっかりとした拒絶の台詞を耳にした。
台詞の中には、明確な否定が含まれ、声色からは強い意志が窺える。
琥珀がこちらへと双眸を見せた。
彼の茶に近い瞳は、デルタやイオータの空虚なものではない。信念を宿していそうな、火が灯った目だ。
「安心してくれ、ルナ。オレがあいつらを止める。あいつらを止めて、イオータを取り戻して、負の連鎖を断ち切ってみせる!」
「な……、何を言うのですか!? あなたは、支配下に置かれていないのですか!?」
対照的に、アドルフからは揺らぎを感じた。確定された事項に裏切られ、途方に暮れるような。
「エラーが、生じました」
静かに口を開いたのは、スペルレスだ。
デルタとイオータを軽々支配した、三十一番目の想像神格。
琥珀すらも支配下に置こうとした少女の、無機質で機械染みた声つきが、淡々と事実を告げる。
「絶対司令による、上位命令の送信に、失敗しました。対象者の発する、力場により、通信が妨害されたと、思われます」
「通信妨害!? そんなセキュリティーを持った想像神格など、聞いたことすらありませんよ!?」
――通信妨害? 力場――?
彼女の警告文を脳内で繰り返し、ルナは気付いた。
スティグマの能力は、磁場の生成だ。同じく、琥珀も肉体改造により、磁界王としての力を身に付けている。
そして、磁場の生成には増幅された生体電流が用いられ、強められた生体電流により琥珀の体からは、〝電磁波〟が常に放出されていた。
例えば、琥珀が発する電磁波が、特定の周波数を持っていたらどうだろう?
生物が持つ固有のリズムが、周波数として現れているとしたら?
たまたま電磁波の周波数が、夢幻脳界からの通信時に使われる電波を、傍受する類いのものだとしたら?
だとしたら〝神降ろし〟の失敗にも、納得が行く。
神降ろしには、夢幻脳界との通信が必須だ。しかし、肉体改造の時点で通信妨害の条件を満たし、人格のダウンロード時に信号が途絶えたならば、琥珀の意識が残っていることも説明できる。
もちろん、確証はない。ただの仮説だ。それでも、微かな希望の光が差していると思える。何故ならば、道化宮琥珀が、スペルレスに対抗する唯一の存在であるから。
アドルフが、ぐ……、と唸る。あからさまな警戒音だ。最初に見せていた涼しげな雰囲気はどこにもない。
「まさか、スペルレスの能力が通じないとは……、予定外でした。思いもしませんでしたよ」
ですが、
「天秤はまだ傾き切ってはいません。都合良く、こちらにも戦力がある!」
「ダ、ダメデースヨ! イオータ様!!」
リーガルの悲痛な叫びに、イオータは反応すら見せなかった。
「お願いします、イオータ! 我が道を阻むものを退けてください!」
だと言うのに、アドルフの命令にイオータは臨戦態勢を取る。上半身を僅かに低くして、地を蹴り、こちらへと駆けてきた。
戦闘が、始まる。
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右の貫手が走り、左の膝蹴りが放たれ、続け様、右足が旋回の勢いを持ってこちらを襲う。
琥珀は、回避、防御、後退の順番で、イオータの連動に対処した。
後退のバックステップによって間合いを手に入れ、携帯していたホルダーからレガリアを引き抜く。
右の逆手に構えたレガリアに磁界を加え、高速の振動を引き出しながら、左足の踏み込みとともに振るった。
対し、イオータの反応も踏み込みだ。妥当な対処だと、頭の隅に感想を作る。
振動を得たレガリアの刃は、デルタの肉体すら容易に切り裂く。即ち、鉄すらも切断が可能だ。
生肌のイオータが真面に食らえば、一刀のもとに両断されるだろう。だから、彼は踏み込んだのだ。近付き、刃の射程から逃れるために。
振るった右の前腕を掴まれた。イオータの左手だ。いくら刃に威力があろうと、握る腕に破壊力はない。
そのまま、彼は踏み込んだ左足を軸にして、左回りに反転する。こちらの勢いすらも利用しながら、上腕に右手を添えた。
体が浮遊感を覚える。そのまま、巻き込まれるように琥珀は投げ飛ばされた。
床に対する受け身を取り、ダメージを軽減する。
見事なまでの背負い投げだ。柔道の授業で受け身を学んでいなければ、地に打ち付けられて相当痛かっただろう。
それでも感じる若干の痛みを、今は無視して、琥珀は彼と向き直った。
――反応速度が恐ろしく速い。〝千里眼〟によって、先読みされているのか――?
正攻法で行くのは難しい。思い、さらに、思う。
――なら、軸をズラしてっ……!!
琥珀は、握ったレガリアを投擲した。腕の振りと手首のスナップにより、回転を掛けながら。
加えて、自分も駆け出した。まずはレガリアが的中し、続けて自分が攻撃を仕掛けるタイミングで。
回転運動を伴い、レガリアが頭部を狙い行くが、
――当然、避ける――!
イオータの能力を考慮すれば、意にも介さず回避されるだろう。だから、あえて回転運動を掛けたのだ。
高速回転する刃を、受けたり止めたりするのは難しい。ゆえに、イオータは回避行動を執る筈で、目の前で実行された。
受ける行動を見せた際は、レガリアを反発力で押し込んで終わりだが、流石はイオータ。人格がなくとも手強い。ともあれ、計算通りだ。
琥珀は加速し、イオータに接近。ショートレンジでの勝負を仕掛ける。
武器は拳で、スタイルはジャブを主体にしたものだ。速く、細かく、より多く。拳のラッシュで攻め立てる。
イオータもまた、速く、細かく、的確に、叩きを中心とした防御を見せた。
軽い攻撃は速くあるが、相手の防御が完璧すぎて、決定打にはほど遠い。だが、それで良いと琥珀は考える。
何故ならば、本命の一撃は、拳ではないからだ。
――これだけ攻め込めば、こっちに集中しないといけないよなっ――!!
本命は既に放たれた後だった。それは、先に放ったレガリアだ。
琥珀は、ラッシュの勢いをさらに増し、同時に磁場を発生させた。
空を行く刃が、ベクトルを変える。回りながら戻り来るその様は、ブーメランにも似ていた。
端から目的は挟み撃ちなのだ。前方に注意を向けさせながら、死角となる後方から刃が仕留める算段。
戻り来るレガリアが、加速を得る。琥珀は全速でジャブを放ち続けた。イオータは受け流しの防御を止めない。
レガリアが彼の背中に突き立つ。その数拍前。不意に、琥珀の視界が開けた。
「なっ……!?」
何のことはない。ただ、イオータの姿が左へと逸れ、眼前から消え去っただけだ。代わりに見えたのは、こちらに迫る回転刃。
レガリアは磁力で引き付けられているから、当たり前だが。
「くっ!!」
ギリギリのところで磁力を用いて速度を緩め、キャッチに成功する。できることなら、こんな曲芸染みた行為は勘弁願いたい。
などと思っているところ、左側頭部に衝撃が走った。右に吹っ飛びながら、それがイオータの掌底だと気付く。
「琥珀っ!?」
ルナの悲鳴が聞こえたのは、長椅子に叩き付けられた直後だ。
「いっ……てえ……」
流石に今のは堪えた。脳が揺れたのか、視界が不確かだ。
デルタのときとは事情が違う。相性がすこぶる悪い。
――あの、千里眼ってのは死角もないんだな。あらゆる〝光〟を映すんだっけ? てことは、磁力線も、かな? こっちの狙いは筒抜けってことか……。
正攻法も搦め手も通じない。
そもそも、前後左右に上と下。先読みすらも可能ならば、肉弾戦では敵わないのか。
しかし、止めなくてはならない。千里眼を超えるには、何が必要か。――琥珀の答えは速度だった。
――先読みされるなら、反応が追い着く前に辿り着けば良い――。
そして、そのヒントが足下にある。
琥珀は感じた。デルタとの戦闘時、背後に鉄を感じたように、足下に巨大な力を。
だから、琥珀は足下に磁場を生む。刹那、体躯が風と一体化した。
空気の壁に阻まれながら、それすらも切り刻む速度を以て、イオータの背後、左サイドまで一歩で駆ける。
振るったレガリアから感触を得た。切っ先に赤の色が付いている。
――届いた――!!
〝地磁気〟を用いた、爆発的な加速。速度は、イオータの先読みを超え、彼の頬に一閃を入れた。
通じた。ならば、行け。もう一度。今度こそ、終わらせろ。
琥珀は左足に力を込めて、もう一歩を踏んだ。無理矢理な体重移動で体が悲鳴を上げている。今は良い。後で、ルナに治療して貰おう。
思い、イオータとの距離を瞬間でなくした。振り返るイオータの動きが、酷く遅く感じる。しかし、彼は合わせの動きで左の裏拳を放った。
届く。判断は瞬時。
地磁気の吸引力で、強制的に速度を殺す。筋繊維が千切れそうだ。が、歯を食いしばり、さらに、跳躍を加える。
慣性が働き、きりもみしながら山形に、イオータの上を飛び越え、ついに背後を捕らえた。後は、レガリアで首を裂けば終わりだ。
琥珀は回転しながら、それをエネルギーとして、右腕を突き出し、だが……、
――イオータ様――!!
こんなときに、リーガルの悲痛な叫びがフラッシュバックする。
脳裏に浮かぶ、彼女の泣き顔に腕が強張り、直後、裏拳の旋回から続くイオータの拳が、ぶち込まれた。




