第五章 スペルレス ~3~
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琥珀は感じた。
聴覚から音を。触覚から風を。そして、第六感で気配を。
音は、駆け足が地を鳴らすもので、風は、駆け来る誰かが大気を乱すもので、それは即ち気配だ。
気配は、猛烈な速さを以て、迫り来る。背筋に走った悪寒を合図に、琥珀は左に横っ飛びした。
その動作は極めて本能的な反応だ。危機感からの回避行動。刹那、風と影が自分が立っていた地点を走り抜けた。恐らくは、強襲の動き。
通り過ぎた影は、見知った男の形をしていて、動作で言えば、蹴りの型を取っている。だから、琥珀は目を見開いた。
そんな……。内心を感想にしたら、その一言が相応しい。
「イオー……タ?」
琥珀は彼の名を呼んだ。
自分を蹴り飛ばそうとした男は、長身を白いローブで包み、薄緑のポニーテールを風に遊ばせている。
メガネを掛けた男の容姿は、紛れもなくイオータのものだ。
ただし、その瞳に知的な輝きは見えず、言うなれば、デルタが宿していた空虚な闇が見て取れた。
まさか、とは言わない。心の奥で予想はしていた筈だから。
――イオータも、操られているのか……?
信じたくない、事実であるが。
「質問に答えましょう」
アドルフが口を開いた。信じたくない事実を、説明によって強固なものにするが如く。
「デルタを。――そして現在、イオータを操っているのは、彼女〝名無しのスペルレス〟ですよ」
白髪の少女を示しながら告げたアドルフに、食って掛かる勢いでルナが反論した。
「そんな能力は聞いたことがありません!」
「そうでしょう。ボクが生み出したのですから」
ルナが絶句する。
信じられない。しかし、現実として、信じなくてはならない。イオータとデルタがその証拠。
そんなふうに、葛藤しているようにも見えた。
「〝神降ろし〟時。想像神格をダウンロードするに際し、〝夢幻脳界〟へのアクセスが可能となります。そのタイミングで特定のプログラムを入力することで、架空の想像神格を組み込むことができる」
追い打ちだと言わんばかりに、アドルフは詳しい説明を繰り出す。内容は良く分からないが、考えるに、スペルレスの製造方法だ。それしか考えられない。
「普通のコンピュータで呼ぶところのハッキングに似ていますね。有機演算器の素材は人間の脳です。当然、騙し偽ることも可能なのですよ。錯覚や暗示を用いれば」
「何故……? 何故、そんなに詳しく……? アナタは神教の神父なのでしょう?」
ルナの瞳が揺れている。仕方ないことだ。
彼女の先祖が秘匿していた、テクノロジー。それが、筒抜けになっていたのだから、いくらルナと言えど、動揺は隠せないだろう。
加えて、彼女は神教を嫌っている。そのショックは、想像し難いほどである筈だ。
「だとしたら、何故――」
ルナが言葉を止めた。握る拳が、微かに震えている。知りたくもない真実を知ってしまった。彼女の様子が、そう訴えている。
「そうですよ? 簡単な話だったんです」
ようやく分かりましたか? そんな副音声を含んだ口調で、
「ボクはアトナコスの末裔。知っていて当然でしょう?」
アドルフが、口角を僅かに上げた。
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頭の中で歯車が噛み合う。
ルナは、ピースとピースが組み合わさり、パズルが完成するように、脳裏に正解を導き出した。
……そうですか。確かに、それならば答えになりますね――。
自分が提示した、三つの質問。その答えが、アドルフの一言に集約されている。
彼がアトナコスの末裔ならば、想像神格を知っていて当然だ。想像神格は、アトナコス人の心の支えなのだから。
アトナコス人ならば、優れた技術水準から、想像神格の製造技法を編み出すことも考えられる。そもそも、想像神格を造ったのはアトナコスの人々だ。
……そして、彼が神教聖堂を襲った理由は明白。自分同様、否、それ以上に、彼は神教を恨んでいるのだろう。
ルナには分かる。自分も、神教は苦手だ。――アトナコスが滅びる原因を作ったのは、神教だから。
「あんたが……、アトナコスの末裔?」
一人。琥珀だけが取り残されている。分からないのは当然だ。彼は、完全なる部外者なのだから。
「ええ。ですから、神教聖堂を襲った理由も分かりますよね? アトナコスは、神教に滅ぼされたようなものですから」
「…………は?」
必然戸惑う琥珀に、ルナは弱々しく囁く。
「アトナコスは、神教からの植民地支配を受けていたんですよ」
言ってる自分で、覇気のない声だと感じる。戸惑っているのは彼だけではない。自分もだ。いや、放心していると言った方が近いか?
「それが、終わりの始まりだったそうです」
「そう。一五〇〇年代のことでした」
こちらの言葉を拾って、アドルフが語り始めた。
「欧州からやって来た侵略者たちは、神教の名の下に、アトナコスを蹂躙しました。戦う術のない我らが祖先を、虐殺し、隷属し、支配下に置いたのです」
それが、想像神格誕生の切っ掛けになったのだから、皮肉なものだ。
侵略者が絶対視していたのは、〝神童〟と言う不確かな存在。
存在と言って良いのかすら分からない概念を、正義と唱える彼らの所行は、アトナコスの常識を変えるに足るものだった。
結果として、一六〇〇年代前半。想像神格が生み出されたと言われている。
「侵略者たちは、高度な水準を誇っていたアトナコスの科学技術を、暴力的手段を以て奪い去りました。所謂、搾取です」
その頃、世界に産声を上げた理論や、発明、発見などは、ことごとくがアトナコス由来のものだったそうだ。全て、権利を不当に踏みにじられた。
「搾取の魔の手は、〝有機演算器〟にまで迫ろうとしました。有機演算器が奪われてしまっては、アトナコスはお仕舞いです」
有機演算器を失うことは、夢幻脳界の消失、及び、想像神格の離散を意味していた。だから、
「アトナコス人は、〝ジャッジメント〟を起こしました。爆発的なウイルスの流行〝パンデミック〟です。それにより、アトナコスは呪われた地、退廃の都と呼ばれるまでになりました。――有機演算器の秘匿と引き替えに」
真正面から神教と対立したら、何れ、有機演算器の存在も暴かれる。
そこでアトナコスの住人は、パンデミックを引き起こすことで、国ごと歴史の闇に葬った。もはや、誰も近付きたいと思わないように。
それが、アトナコス滅びの歴史。神教との因縁の始まり。
「……だったら、何で、あんたは神父を務めているんだよ!」
静聴していた琥珀が、アドルフに叫び掛ける。
「あんたは、神教を恨んでいる。それは分かったよ。だったら、神教の神父って立場は矛盾するだろう!」
「神父という立場を、利用したんですね?」
アドルフへの質問と言う形で、ルナは琥珀に答えた。考えられるのは、それだけだ。敵の懐に入るとしたら、それ以外考えられない。
「内部調査するには、神父と言う立場は最良ですから」
同時に、恐ろしく冷徹な判断だと感じる。自分では到底真似できない。憎む相手側の重役に就くなどとは。
「そうです。神父とあらば、多くの情報が入ってきますからね。お陰で、内部事情にも大分精通しました。とてもじゃないですが、神童を敬うことなどできませんが、計画を練るには最高の環境でしたよ」
礼拝中の聖堂を襲ったのも、より悪い印象を与えるため。信仰の最中に、暴漢が襲い来るなどと言うシチュエーションは、信者に取って脅威でしかない。
彼が、神教に報復するとしたら、願ってもない結果を生む筈だ。
「全ては、火種となるためですよ。アトナコス人が決起する切っ掛けになるため。神教との戦争を始めるためです!」
だから、
「ボクはスペルレスを生み出し、デルタを支配下に置いた。アトナコスに取っての絶対正義が立ち上がれば、皆も決心を抱くだろうと……!」
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「イオータとデルタの遭遇は、ハッキリ言って予定外でした」
アドルフがスペルレスを〝神降ろし〟したのは、九日前のことだ。
製造者は自分だが、如何せん、存在しなかった神格を、ほとんど無理矢理〝想像力〟頼りで創造したのだから、性能テストが必要だった。
スペルレスの〝絶対司令〟は、〝眠り姫のアルバ〟の〝上位命令〟を改竄し、こちらの司令を強制的に実行させるものだ。
絶対司令によって、どれだけ緻密に動くだろうか? どれくらい明確な司令を与えるべきなのか? それを調べるために、テストを行っていた。
つまり、テスト中のデルタが、イオータと偶然出会ってしまった次第だ。
「デルタが、イオータとの戦闘に至った経緯は、具体的には分かりません。恐らく、制止や情報開示を求めてきたイオータを、敵と見なしたのでしょう」
デルタに取って最優先すべきことは、如何な状況でも止められないことだった。
当然だが、制止を促されて行動を中断するようでは話にならないし、情報を探られれば、反発しなくてはならない。
ある程度の危機的状況に陥っても、自己判断で乗り越えなくてはいけなかった。計画の実行者である自分が、そんなふうに命じたのだから。
「そして、本日、ボクは満を持してこの聖堂を襲撃させました。ときの声を上げるために、ですね」
これで、アトナコスの末裔は目を覚ます。そう思ってのことだ。
現在、人々は平穏に毎日を送っていることだろう。だが、果たしてそれで良いのだろうか?
神教は、無慈悲にも我らが故郷を踏みにじったのだ。ならば、相応の屈辱を味わわせるのが自然の摂理。否、アトナコスの子孫である、自分たちの使命なのだ。
それでも……、
「イオータの答えには、正直ガッカリしました。幻滅しそうでしたよ。彼は、平和ボケに荷担し、愚かな神教信徒までも庇おうとしたのですからね」
「だから、……ですか?」
ルナの問い掛けは、不明瞭なものだった。それでも、アドルフは彼女が何を言いたいか、瞬時に把握する。
……だから、イオータを支配したのですか?
「ええ。ボクは生粋のアトナコス人。できるならば、支配下に置くのは最終手段としたいのですが、腑抜けたことを言われては仕方がありません」
アドルフは、ルナへと向けていた視線を、初対面の想像神格に移した。
〝琥珀〟と言っただろうか? 自分の知る想像神格に、そんな名をしたものは思い当たらないが。
何にせよ、彼も絶対正義なら良い。賛同してくれれば、切っ掛けになる。それで良い。
「あなたは、分かっていただけますよね? 琥珀?」
「ああ、分かったよ。――だけど、協力はできない」
だが、琥珀は即否定した。
「あんたが神教を恨む気持ちは分かるさ。許せないよな。オレも、自分の故郷が踏みにじられたら、そんな奴らは憎いと思うだろうよ」
だけど、
「今! 今、生きている神教信徒には! ――あんたには! 裁く権利も、裁かれる責任もない筈だ! 全部、過去のことなんだろう? あんたがしがらみに捕らわれる必要はないんだよ!」
彼の言葉に、自分の顔つきが歪む感触を得る。眉間に皺が入り、奥歯がギリギリと軋んでいた。
彼もまた、イオータのように神教を庇うのか。いや、それよりも、
――ボクが……、ボクを救おうと、そう思っているのですか……?
不可解だ。それ以上に、不愉快だ。まるで、聖職者にも似た物言い。余計なお世話だ。こちらの人生を知りもしないで……。
「あなたに……、何が分かるんですか? ボクは、神教に報復するために生まれ、神教に報復するために育てられ、神教に報復するために神父となりました! 全ては、神教への報復のためにっ!!」
なのに、自分の存在価値はそれだけなのに……、
「ボクから全てを奪うつもりですかっ!?」
「そんな訳ないだろっ!! オレは……」
「黙りなさい! ――良いでしょう! もはや問答は不要! あなたの意見にはうんざりです! 我が支配下に落ちて貰いましょう! スペルレス!」
荒く呼吸を繰り返し、三十一番目に司令を下す。
彼女は、頷きを一つ返し、
「〝絶対司令〟。――今から、ワタクシが、支配者」
能力を行使する。
アドルフは口元に、サディズムな笑みを浮かべた。




