第一章 道化宮青年の受難 ~1~
東京都大田区富士境。
国際線である〝東京国際空港〟の影響で、この町は、住民、町並みともに、とてもボーダーレスだった。
南東に位置する〝無国籍村〟は、観光客だけでなく住民からも大人気で、南西に位置する〝聖堂区画〟は、グローバルな住民の、宗教に関する要望を満たし、不安を一気に払拭してくれる。
もちろん、〝富士境高校〟も国際的な配慮は申し分ない。
富士境の中央に所在を置く、高等学校だ。
富士境高校は、主に三つの建物からなる。
〝コ〟の形をした、三階建ての本校舎は、茶色をメインカラーとしていた。
デザインは、古来よりの〝学校〟のイメージとはほど遠く、ガラス張りの空間があったり、ベンチを擁する広場が屋上にあったりと、随分お洒落に見える。
煉瓦造りの校門から見て、右側にはベランダ付きの教室が。左側には、休憩所を兼ねた図書室が目視できた。
本校舎の隣。図書室側にあるのは、体育館だ。
かまぼこ型の天井を持つ体育館は、本校舎と同じく茶色が中心で、本校舎と同じく三階建て。
一階は、剣道・空手・柔道用。二階に三列のコート。三階には、テニスコート及び屋内プールが設けられている。
特筆すべき建物は、キャンパスを出て、道を挟んだ向かい側。
そこにそびえるのは、五階建ての白い台形だ。
一階に食堂。二階三階に講堂。四階は礼拝堂、五階は教会となっている。
全校生徒二五六名の内、約二割が異邦人。当然ながら、異なる教徒が共存生活を送る、国際学校のような富士境高校特有の施設、と言えるだろう。異文化に寛容だ。
この五階建ての建物は、食堂・講堂・礼拝堂の数から〝三堂〟と名付けられていた。
時刻にして、大凡一〇時。
富士境高校一年三組の教室には、二〇名ほどの生徒がいる。
東に光差す窓。廊下がある西には学生専用の、個別ロッカー。
生徒の座席は計四列で、主に五席で一列だ。
一見で、国際的と言えるだろう。生徒の中には、色素が薄い金髪の少女や、褐色肌で逞しい体つきの少年が点在。瞳の色も統一されていないため、全員が邦人だとは絶対に思えない。
人種のるつぼとの表現が、とても似合う。
だが、生来の文化が異なると予測されるクラス内のほぼ全員が、どう言う訳か一斉に、打ち合わせていたかのように、片手を挙げた。
同時、教壇側のホワイトボードに、一人の生徒が〝正〟の字を、四つほど並べ書く。
〝正〟の一番上には、〝道化宮琥珀〟と綴られていた。
「はーい。では、本人以外の満場一致で、二学期の学級委員長は道化宮くんに決定ー!」
ほぼ全員のクラスメイトは、やはり一斉にある一点へと目をやった。悪戯が成功した悪ガキに近い表情で。
視線の先にいるのは、頬杖を突いた中肉中背の少年だ。
黄色をベースに、黒色が混じったメッシュのミディアムヘア。
紺色ズボンの上に白い半袖シャツを羽織り、深緑のネクタイを締めている。
彼は、茶色の両目を瞬かせ、やや高い声域で、
「いや、良いんだけどさ? 悪意を感じるんだよね……」
道化宮琥珀は、嘆息した。
✠ ✠ ✠
道化宮琥珀には、悩みがある。
例えば、学級委員が困っているときに、率先して助けてしまったり、仕事を肩代わりしてしまったり、とかだ。
自分で言っといてなんだが、とても良いことだと思うし、寧ろ、美徳だと思う。日本人らしい日本人特有の行動だ、と誇って良いんじゃないだろうか?
そんな行動を、迷うことなく実行に移せる自分が、自分自身好きだし、今更、性根を変えようとも思わない。
ただし、
「じゃあ、面倒く……重要な仕事は道化宮くんに一任で!」
「ややこ……大切な案件宜しくな!」
ご存知だろうか? 一般的に、〝イイ人〟と呼ばれる人種は、損をするようにできていると言う、悲しい現実を。
お人好し:名・形動 何事も善意にとらえる傾向があり、他人に利用されたり騙されたりしやすいこと。また、そのさまや、そう言う人物。
辞書は正直なことだ。
事実として、先日を以て実力テストが終了。一学期の学級委員の仕事が、大方片付いたと言うことで、二学期の学級委員を選抜するべく開かれた、学級会。そこで見事、学級委員長の座を射止めたのだから。
「噂聞いたよ? 道化宮くん。中学の頃、全学期全学年通して学級委員長。って言う偉業を成し遂げたんだってね?」
理由が見当たらないが、何故か不満そうな顔つきで、右隣にいる女生徒が話し掛けてくる。
暴挙とも呼べる手段で、立ち位置を確定された自分が不満をぶつけられるなんて、酷い神様がいるものだ。
「そんな学級委員長のエキスパートなら早く言ってよね? 一学期目の失態で、皆勤賞が台無しじゃない」
「うん。まさに、そんな反応があると予測したから、黙ってたんだけどな?」
自慢にならないような武勇伝を語って、委員長の仕事を押し付けられたら、流石にどうなんだ? と言う訳で、黙っていた次第なのだが、心内を察して貰う手段ってないのだろうか。
――しかも、兼任で生徒会に所属しながら、ポジションが副会長だったしなあ……。
中学時代の苦い思い出だ。
あんなにもしゃかりきに働いて、期待に応えながら、最終ポジションが〝副〟って何だよ。
絶妙な達成感のなさから、高校ではもう少し公的なことと距離を置こう。そう思っていたのに、結局この立ち位置だ。
生来の気質と言うのは、随分としつこいのだろう。
いや、不満はない。先に述べた通り、自分は〝イイ人〟である道化宮琥珀のことを、気に入っている。
「じゃあ、これから宜しくねー」
一学期の学級委員長からそう言われ、琥珀は諦めたように、もう一度息を吐いた。
……これから、ねえ……。
その言葉の意味するところが。暗に〝ずっと〟と聞こえる、押し付けがましいニュアンスが〝不安〟なのだ。
道化宮琥珀の悩みは、抽象的に表現すると〝そう言うこと〟だった。
✠ ✠ ✠
昼休み。
琥珀は、昼食を摂ろうと、〝三堂〟の食堂へと向かっていた。
富士境高校には、異邦人の生徒も数多い。
だから、食堂のメニューもバリエーション豊富だ。
各国の家庭料理も揃っているし、宗教的理由から食材が限定されている場合にも、しっかり対応している。しかも、学食なので安い。
加えて、とある事情があって、琥珀は三堂を良く利用していた。
そんな琥珀の現在地は、
「あ、それは二階の本棚でお願いできますか?」
「了解」
学生の憩いの場、こと〝図書室〟だ。
何のことはない。何時ものように自分の生き様が、通常運行しているだけだ。
三堂へ行こうと思っていたら、非力そうな女子生徒が新しい書物を抱え、フラフラ廊下を歩いていたのだから、男として手伝わずにはいられない。
乗り掛かった船だから、最後まで付き合おうと思い、現在に至る。
富士境高校の図書室は、結構広い。
三階まで吹き抜けになった開放的な一郭で、一階はカフェのような見た目の読書スペース。本棚は二、三階にあり、階層を繋ぐのは、らせん階段だ。
ガラス張りで明るく、広々とした図書室は、くつろぐには持って来いだが、整頓には不向きかもしれない。
「はい。今ので最後でした。ありがとうございます」
「うん。お疲れ。じゃあ、オレはこれで」
二階から一階に戻ると、図書委員の女子生徒が、ぺこりと一礼する。こう言う瞬間が、琥珀は好きだ。
右手を挙げて、別れの挨拶としながら、壁際の時計を確認する。
――ってか、ちょっと時間マズいな――。
時計が示す時刻は、昼休み終了十五分前。移動の時間を考えると、急いだ方が良いだろう。
今月の自分は、サッカー部に所属している。
サッカーは結構体力を使う。だとしたら、十分な栄養を補給しておくべきだ。
「あ、道化宮!」
駆け足を始めようとしたところ、背後から声が掛かる。
振り返ると、バスケ部に所属する友人が、少し遠い位置から右手を振っていた。
「ちょうど良かった。道化宮、昼飯まだ?」
「ああ、図書委員の手伝いしてて」
「相変わらずだなあ、お前」
呆れたような苦笑いで、彼は近付いてくる。
琥珀は、彼の思惑が分からず、尋ねた。
「で、ちょうど良かったって、何が?」
「おう。今日からお前には、バスケの練習に付き合って貰う」
「何でだ? 今月はサッカー部だろ?」
恐らく、他校の生徒が聞いたら、訳の分からない会話だと思う。だが、富士境高校の、特に運動部にしては、当たり前の会話だ。
〝道化宮琥珀レンタル制度〟と名付けられた、これから伝統にするらしい、助っ人制度がある。
読んで字の如く、道化宮琥珀――つまり、オレ――を、運動部全般で共有すると言う、決まり事だ。
自画自賛になるが、自分は結構運動神経が良い。
それも、脚力・腕力・跳躍力・決断力・反射神経などを兼ね備えた、万能タイプだ。
一学期の体育の授業でそれが露呈し、これは便利だ! となり、今に至る。
正直に言うと、レンタルとか便利とか、人権無視も甚だしいのだが、おこぼれがあるのも確かだった。
つまり、レンタル料金。
琥珀は、一ヶ月毎に一つの部活に所属するのだが、その部活には〝昼食代金奢り〟と言う請求が、キッチリ設けられている。
決して、家が裕福と言えないこちらに取っては、結構ありがたい制度だ。
「レンタル権を買い取ったんだよ。サッカー部、今月は部費がヤバいらしくさ」
――オレの飯代って、部費からだったのかよ……!
どこか、罪悪感を覚える真相が発覚した。これからは、割安なメニューとか定食系で固める方が、精神衛生上良さそうだ。
しかし、友人は悪びれもせず、笑顔で続ける。
「そんな訳で、今月の飯代はバスケ部が払ってあげよう。感謝しろよ?」
「分かった。今日から練習に加われば良いんだな? じゃあ、早速頼むよ。バスケもサッカー並に疲れるし」
と、三堂へ向かうべく踵を返そうとしたところ、
「ああ。……ところで、道化宮、今月末の練習試合なんだけどさ? 相手のガードが曲者らしくてさあ」
「オレの相手ってこと?」
「おう。ディフェンスが厄介だから、お前には外からの――」
琥珀は、スポーツ全般が好きだ。
好きこそものの上手なれ。との言葉が示す通り、食わず嫌いなく、全種ある程度囓っているし、経験値も豊富な方だと思う。
中学では野球一筋だったが、高校でユーティリティーデビューしてからは、それぞれ楽しんでいる。
さらに、その多角的な経験を活かし、それぞれのスポーツを、別の視点から語れるくらいになった。
だから、こう言う戦略の話は、時間を忘れるくらい楽しい。
「――で、後は上手いこと〝ベン〟まで繋いでくれるか?」
「オーケー。ポイントガードの腕の見せ所だな?」
拳と掌を合わせ、歯を見せるように笑う。
友人も同様に笑い、しかし、おもむろに携帯を取り出して、やはり笑みの顔で液晶をこちらに向け、
「そんな訳で、もうすぐ昼休みも終わりだな」
ディスプレイが示す時刻は、授業開始五分前。
「はあっ!? おまっ……! ま、まさか、そのために打合せを……!?」
「何のことだ、道化宮? さあ、授業の時間だ! 飯食ってる暇はないぞ?」
言って、彼は颯爽と去っていき、一人残された琥珀は、ダメージから立ち直れず、口元をだらしなく半開きにする。
高らかな笑い声を上げる友人が、廊下の角を曲がり見えなくなった頃、ダラリと両腕をリフトダウンして、
「空腹状態でバスケなんて……、殺す気かよ……」
琥珀は項垂れた。