第四章 赤剣と千里眼 ~3~
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左斜め上から斬撃が襲い来る。
右下から足下を狙って赤い剣が払われる。
左下から逆の袈裟斬りが放たれる。
――それら全てを、琥珀は磁場の生成でいなし、体術を以て躱し切った。
この体質を得たことで感謝すべき点は、その能力が目前の大男と、相性が良かった点だろう。
赤い両刃刀を振るう〝赤剣のデルタ〟は、〝鉄分の結晶化〟能力を持った想像神格らしい。
鉄は等しく磁場の影響を受ける。
そのため、戦闘に無縁だった自分でも、何とか戦うことができるのだから。この能力がなかったらと考えるだけで恐ろしい。
磁場による軌道修正を繰り返し、いなし、躱し、誘導する。
と、琥珀は背面に感触を得た。デルタとの攻防――と言うか、ほぼ防戦――で、少しずつ後退していたようだ。
壁を背負う形。琥珀は逃げ場を限定された。
しまった! と思う暇もなく、デルタが容赦なく突きを放つ。
刃は、横向きに倒されていた。本当に容赦ない。右に逃げても左に逃げても、即座の横薙ぎが襲い来るだろう。血も涙もない男だ。いや、彼は操られた被害者だったか。
琥珀は一瞬逡巡し、だが、感じた。
――助かった! 鉄筋コンクリートか――!
詳細は分からない。多分、自分自身が能力に馴染んできたのだろう。
背後の壁から、〝鉄〟の気配を確かに感じたのだ。
だから、琥珀は上に逃げる。直後、赤剣が壁面を抉った。刀身の向きを考えるに、上方への振り上げは放てない筈だ。
磁力を用いて鉄筋に吸い付き、壁面を足場に変えた。
足下に磁場を作りながら、琥珀は走り行き、天井すらも踏襲する。
左右前後に天と地を加え、立体的に動くことができれば、逃げ場は格段に増えるだろう。本当に、スティグマ様々と言うべきか。
天を行くこちらに向けて、地に立つ男が更に赤い剣を放った。新しく、血中から生み出されたダガーだ。
連続して投擲される短剣が、背後の天井に突き立つ。
琥珀は足場を蹴り、中空で身を回転させ、フローリングの床に降り立った。
天地を戻し、軽いステップで着地したこちらに、デルタが駆け迫る。
琥珀は、駆け寄る相手に背中を向けた体勢だ。そこから左足を後ろに引き、バックターンを行いながら、左腕を横に振る。
上段からの振り降ろしを、何度目かも分からない誘導でやり過ごし、琥珀は大きな隙を見付けた。
右腕を強制的にねじ曲げられ、デルタの体躯がバランスを失っている。今、こちらがレガリアを振るえば、確実に命中するだろう。
反射的に、掻き切ろうとして、慌ててその動作をキャンセルした。何故ならば、自分の役割を思い返したからだ。
それがこちらの隙となって、男が逆に、正拳突きを放つ。
「うわっ!?」
硬質化された拳が、壁を砕いた。間一髪、右下の床を転がらなければ、頭蓋骨が砕けていただろう。
「くそっ! こっちが反撃できないからって……」
先ほどの一瞬、勝利は確定していたかもしれない。しかし、琥珀はトドメを刺す訳には行かなかった。
飽くまで、自分は足止め係。ここで勝利してしまったら、信号が途絶えるかもしれないのだ。
琥珀は舌打ちして吐き捨てた。
「防衛戦ってのは、キツいなあっ!!」
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ルナは、キッチンに身を潜めながらも、琥珀の戦闘を眺めている。
激しい戦闘だ。だが、確実に琥珀が有利を保っている。まさか、こんな展開になるとは、最初は思いもしなかった。
そんな彼とデルタの再戦の中で、ふと気付いたことがある。
――明らかに、琥珀は成長していますね――。
さっき、壁を背にして逃げ場を立たれた時点で、数時間前の琥珀ならば終わっていただろう。
だが、彼は磁場を用いた探知によって、鉄筋の存在を確認し、それに吸い付くことで回避を行った。多分、金属探知の要領で。
不思議なことだと感じる。
当たり前の話だが、想像神格には、己の能力の使い方が予めインプットされており、ゾンビとなったものには、自然、そのプログラムが適応される。
しかし、琥珀に限っては、使い方がプログラミングされていないようだ。
彼は、実戦経験を基にして学習し、成長している。とても人間らしい。
……そう言えば、琥珀は多数の部活を掛け持ちしているとか――。
〝無国籍村〟で彼が話してくれたことだ。
琥珀曰く、昼飯に困らないかららしいが、彼の気質を考慮したら、単純に断れなかったのだろう。どこまでも優しい人だから。
ともかくとして、
――物凄いセンスと言えますね――。
これも推測だが、運動部を転々としている内に、体使いの心得や、適応能力などが磨かれていったのだ。
元々の素質とあいまって、戦闘技能にまで昇華されている。
本当に、想像神格としてはあるまじき、イレギュラーな存在だ。
「想像神格でありながら、想像神格とは異なる存在……ですか」
ルナは呟いた。誰に聞かせる訳でもなく。だが、こうは思う。彼の存在はどんな結果を生むのだろうか?
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黒い空の下を走り抜けた車が、路上駐車する。
車の色も空と同じく、真っ黒だ。
その車は外国製らしい。証拠として、左の扉から降りてきたのは、運転手であるイオータだった。
「ここで間違いないかい? リーガル?」
彼は、助手席のドアを開けながら、己の従者をエスコートする。どうやら、生来の紳士気質のようだ。
「ハイー。考えにくくはあるのですが、ワタシのナビゲーションは嘘を吐きませんヨー」
「そう、か」
斜め上を見ながら、言葉を落とすイオータにリーガルが、
「琥珀とルナは良かったのデースカ? イオータ様。居場所が分かったのですし、今からでも呼び寄せるのは遅くはないデースヨ?」
「悪くない考えだけど、それはまず相手を確認してからだね」
リーガルの提案を、イオータは半分承諾し、さらに自分の考えを述べた。
「まだ、黒幕の手の内が明かされていないし、突入するより先にデルタを仕留めてしまっては、相手が逃亡を図るかもしれない」
だから、
「ベストの選択は、こちらが黒幕と対面し、同時に琥珀がデルタを行動不能にさせることだよ。そうすれば、相手の駒を減らしながら、チェックメイトもできるしね」
「流石はイオータ様デスネー! 完璧な戦略デースヨ!」
「ルナならば、GPSもお手のものだろうからね。リーガルは二人に何時でも連絡できるように」
「了解デースヨ!」
しかし……。
と、囁くような小声でイオータが疑問した。
「何故、こんなところにいるのだろうね……?」
二人が乗ってきた車が止まっているのは、煉瓦塀に囲まれた建物の前だ。
教会にも似た造り。両開きの木製扉。
現在は、進入が禁じられている、その建物があるのは、富士境の南西〝聖堂区画〟である。
建物の名は、〝富士境神教聖堂〟。
世界最大の宗教〝神教〟の聖堂の一つであり、デルタの襲撃を受けた場所。