第四章 赤剣と千里眼 ~2~
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なるほど、と琥珀は思った。
一旦、デルタを捕らえておけば、そこに送られてくる信号の発信源を、確実に探索することができる。
そうすれば、被害を抑えつつ、黒幕にも芋づる式に辿り着けるだろう。イオータもそう思って行動したのだ。
「ただ、この現状は予想外だったかな」
「どう言う意味だ?」
尋ねると、イオータがデルタの方へと視線を向けながら、
「現在のデルタは、活動停止中だ。そして命令の役目を果たす信号も送られていない。恐らく、戦闘不能状態に陥ってのことだろう」
「黒幕にもデルタの状態が分かるってことか?」
「ああ。無駄な抵抗にエネルギーを割かない、と言うことじゃないかな。随分と倹約家な発想だね」
困ったように微笑するイオータ。その表情の意味するところを、琥珀はどことなく理解できた。
彼が自分に無茶な頼みをする際、よく見られる目つきだ。恐らく、行き詰まったことに対して、そして、こちらに対する申し訳なさの表れだろう。
何しろ、
「また、大暴れできる状態になれば、信号は送られてくるだろう。ってことか……」
それは彼の解放と、付随して起こるだろう再戦を示唆しているのだから。
既に二回体験した悪夢のような戦闘を、もう一度お願いするのだ。正直自分もできれば避けたい。
参ったなあ、と後頭部に手を遣ると、ゆっくりとイオータが頷く。
「琥珀? 私は強制したくはないのだが……」
「良いよ。気持ちだけで十分だ」
言って、息を長く吐いた。
まだ、彼らの任務は遂行されていない。ならば、彼らに命を救って貰った、自分にできる恩返しは、最後まで付き合うことだ。
黒幕を見つけ出し、止めるまで。
そのために、デルタを解放し、彼を食い止める側と、黒幕を探す側に別れる。
必然的に、食い止める側は自分だろう。
「乗り掛かった船だしな。それに、やられっぱなしも格好悪い」
精一杯強がりながら、床に置いたバッグからレガリアを取り出した。
もちろん抜き身ではなく、革製のホルダーに装填されている。ルナも同じようにして携帯していたのだろう。
決意したつもりだが、やはり握る手は震えていた。
情けないと思う。いや、こんな非常事態で落ち着けるほど修羅場は潜っていないか。まあ、昨日の自分ならば、腰を抜かす事態だ。赤い両刃刀を振り回す大男との、命を賭したガチンコ勝負なんて。
ぐっと、逆手に握ったレガリアに力を込める。強く一つ、腹式呼吸を入れて、無理矢理その気を作った。
「――よし。ルナは下がっていてくれ。イオータとリーガルは、何時でも行けるように、頼む」
振り返り、三人の頷きを見る。
ルナがキッチンまで移動し、イオータとリーガルが玄関まで続く通路に立ったところで、琥珀は磁界を発した。
〝超磁歪振動子〟とやらでできた、鉄の短剣が高速の振動を始める。
琥珀は身をかがめ、床に膝を突いて、奥歯を軋らせるように噛み合わせ、
「行くぞ!」
気合を入れるために、必要以上の大声で告げながら、デルタを捕らえる鎖に一太刀を入れた。
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鉄が断たれる、鈍くも高い音がする。
断ち切られた鎖の端が、ジャラジャラと地面へと零れていった。
これで、束縛も見た目だけのもの。内側から外側へと力を加えれば、容易く鎖は解け、デルタは自由の身となるだろう。
暴走の準備は整った。
そして、イオータの千里眼は見る。僅かな弧を描きつつ、光の波長が彼の頭部に届いたのを。
「――来た!」
さらに、イオータの目は見る。机の上に横たわっていたデルタが、両の腕を広げていくのを。
「イオータ! 行ってくれ! オレはここで、こいつを止めておく!」
「ああ。くれぐれも無茶はしないように」
ゆっくりとデルタが上体を起こす。
視界の端でその動きを見ながら、イオータは玄関を飛び出した。靴は予め履いてる。欧米風の文化などではなく、何時でも駆け出せるようにだ。
ここを貸してくれている男は、自由に使って良いと言ってくれたし、これから戦闘が始まれば、土足すら些細に思われる大惨事が室内を襲う筈だ。
早速、何かが何かをぶち壊す騒音が響いた。
「これは……早くしないと、入居者の皆さんから苦情が殺到するね」
皮肉気味に口端を歪め、イオータは非常階段を駆け上る。目指す地点は屋上だ。
千里眼ならば、あらゆる物質を透視できる。が、千里眼状態では、位置関係の捕捉が難しい。
クレマパレスは九階建てだ。その屋上となれば、結構な高みに立つことになる。そこからの見晴らしならば、通常の視界でも見通しが良いだろう。
千里眼と普通の目の併用により、黒幕の居所を掴む。それが、イオータの狙いだ。
屋上のドアを、若干乱暴に開け放ち、イオータは夜空の下に躍り出た。
流石は日本が世界に誇る都市、東京だ。こんな状況にも拘わらず、感嘆と溜め息が漏れた。
ネオンや街灯の明かりによって、真夜中でも、街では煌めきがいくつも自己主張している。
感動してる場合ではない。その中から、イオータは一つの〝光〟に注目した。光は、通信用の電波だ。
その電波を、受信しているこちら側から、送信しているあちら側へと、視線を滑らせるように追って見る。
光の紐は、放物線を描き遠く遠くへと続いていた。
――これは……、送信元はやはりアトナコス……?
光は南東へと続き、地平線に消えている。
その方角の先。海の向こうには、アトナコスがあった。
今はもう、〝有機演算器〟の管理者である〝イプシロン〟ただ一人。それと、彼のネクロマンサーが時折やって来るだけの、滅びを迎えた文明都市。
……何故? いや、一体誰が? どうやって……?
いくつもの疑問と困惑を覚える。
アトナコスとデルタが送受信を行っているとしたら、考えられる可能性は〝アルバ〟だけだ。
彼女は、想像神格の司令塔。唯一、〝夢幻脳界〟だけを住処とし、そこから信号を送ることで、残り二十九の想像神格を統括・制御する。言わば、安全装置だ。
ならば、アルバがデルタの暴走を指示していると言うことか? それこそあり得ない。
想像神格は、アトナコス人に取っての絶対正義。他のゾンビやネクロマンサーに害を及ぼすことは、プログラム上起こり得ない。
そこまで考えて、イオータは気付いた。
……もう一つ、信号が……?
千里眼が映したのは、海の向こうと結ばれた、一筋の光。デルタに送られる信号の送信源、アトナコスと同じ方角に繋がる信号だ。
角度を計算すれば、断定できるだろう。この電波もまた、アトナコスに続いていると。
だとしたら、
――こちらの光が、真の送信源! アトナコスを経由して、デルタへと送られているのか――!
との仮説が成り立ちそうだ。
そして、光の出所は、クレマパレスからも目視可能だった。特別、千里眼を用いなくても。
何故ならば、そこは南西数キロメートルの地点にあるからだ。
少しだけ、信号の出所に疑念を抱くが、
「リーガル! ナビゲーションをお願いできるかい!?」
イオータは、屋上のドア付近にて様子を見守っていた、ネクロマンサーの少女に呼び掛ける。
「もちろんデスネー! 行き先はどこデスカー?」
「ああ、行き先は――」