第四章 赤剣と千里眼 ~1~
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空が黒ずみ、天上には月が浮かんでいる。
月明かりの下、国道を走る一台の車があった。
外国製の四輪車には、誰が見ても称賛を贈りたくなることだろう。黒の車体には汚れ一つなく、月の光が雫のように伝うほど、艶やかだ。
本来ならば、成功者か大金持ちしかご縁のない豪華な車両に、様々な事情があって琥珀は乗っていた。
それも真面な事情ではなく、〝富士境神教聖堂〟を襲撃した大男を確保する協力、と言う、一般的な男子高校生では絶対に味わえない、非日常的なものだ。
ならば、高級外車で凱旋と言うのも、報酬と捉えて喜ぶべきなのか?
だがしかし、車内は、走行時の騒音も振動も、全て打ち消されたかの如く静かだ。
その上、話をするものもいないから、重苦しい沈黙がただただ漂っている。とてもじゃないが、快適とはほど遠い。
運転席にはイオータが、助手席にはリーガルが座り、後部座席の左右が、それぞれルナと自分と言う配置だ。
ちなみにトランク内には、ほんの少し前の死闘で、イオータと協力して何とか捕獲に成功した赤い大男、デルタが、鎖でグルグル巻きのまま、荷物のように詰め込まれている。
未だに正体は分からないが、人間であるとは思うので、その扱いはあんまりだと感じるけれど。
「なあ? これで、全部終わったんだよな?」
沈黙に耐えかねて、琥珀は三人に尋ねた。
三人は答えない。おかしな話だと思う。
イオータたちの目的は、デルタを止めることだ。そのために、イギリスから国際線で、遠路遙々やって来たと聞く。
その重要な任務を完遂したのだから、もう少しテンションが上がったって文句は言わないのだが……。
――何か、捕まえる前よりもピリピリしていないか――?
三人の表情は固く、緊張が解かれていない。まるで、ここからが本番だとでも言うように。
「と、ところで、あのデルタの扱いってあんなんで良いのかな?」
だからなのか、口を突いた話題は敵の心配だった。
いや、本当は心配する気はないのだが、余りにも空気が重過ぎる現状を、会話と言うコミュニケーションで打破しようと思ってだ。
まあ、鎖で束縛して、トランクに押し込まれているから、ちょっと気の毒だと、同情はすべきだろうか。
「それに、あれから全く動く気配がないんだけど、まさか、死んでるってことはないよな?」
寧ろ、不安なのはそこだった。
〝富士境神教聖堂〟での戦いで、イオータに回し蹴りぶち込まれた彼は、それから一向に動かなくなったから。
確かに、一般人が顎に全力の蹴りをかまされたら、脳が揺れるどころじゃないかもしれない。流石に、殺害の片棒は御免被りたいものだ。
「問題はないよ。そこまで柔な男じゃないさ。彼はね」
「そうか。なら良いんだ」
ようやく、イオータが言葉を発してくれたことと、殺人の共犯者とはなっていないこと。その二つに対して、安堵の息を吐く。
「恐らくは、活動の停止を選択したんだろう。捕らわれた状況で、無駄にエネルギーを浪費するのは賢くないと」
だが、イオータが続けた台詞に、どことなく不吉な匂いがする。
匂いと言うか、予感だ。何故ならば、彼の説明風な台詞はまるで、
「……その言い草からは、デルタもゾンビだって聞こえるけど……」
と解釈できてしまうからだ。
「まさか、デルタも〝想像神格〟でした、何てオチはないよな?」
半分冗談のつもりで、琥珀は乾いた笑いを発する。もちろん、即刻の否定が入ると思って。
「そうですよ? 琥珀」
だが、思惑とは裏腹に、隣のルナが冗談を肯定した。若干困っていそうな、苦笑いを浮かべつつ。
「……え?」
琥珀もまた、笑み顔のまま、ポツリと呟いた。それも必然。何故なら、今まで戦ってきた敵の正体が同類だと言われれば、固まらずにはいられない。
様々な謎が生まれてきた。
そんな自分を乗せたまま、車は、富士境の北側へと走っていく。
白く上品な、九階建てのマンションが見えてきた。〝クレマパレス〟と名付けられた、三人の仮住居が。
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クレマパレスの九〇一号室。
ほとんど家具がないルナの自室に、四人の姿があった。
昨日と代わり映えのないメンバーだ。――ただ一人、赤ずくめの大男を除いては。
赤いコートの新参者は、昨日の琥珀と同じように、テーブルの上に横たわっている。胴体部分を鎖で拘束されたまま。
大体の人は、彼の方が被害者だと断定する筈だ。
四人が部屋に来る際、非常階段を用いなければ、かなりの確率で新たな問題が起きていただろう。
残りの四人は、彼の足側。玄関やキッチンがある方に、無造作に突っ立っている。
その中の一人、琥珀が三人に尋ねた。
「さっきのことについて、詳しい説明が欲しいんだけど……」
戸惑いや混乱を孕んだ、険しい顔つきだ。
彼の心情は理解できなくはない。ついさっき、車内で触れた告白は、端的ながら困惑するには十分だろう。
「このデルタって男は、間違いなく〝想像神格〟なのか?」
「はい。彼は〝赤剣のデルタ〟。日本国内に唯一存在する、四番目の想像神格です」
当然の如く、あっさりと、ルナは答えを返す。
先ほどの戦闘に際し、彼女はデルタの能力について熟知しており、その知識を以て琥珀のサポートをしていた。
敵対者の能力から、体質まで随分と豊富な知識だったが、その理由はごく当たり前のことだったのだ。
ネクロマンサーである彼女なら、想像神格であるデルタのことを知っていて当然だろう。
「じゃあ、あんたたちは仲違いしたってことか?」
「いや」
琥珀の質問をイオータが否定する。
「なら、想像神格には善と悪がある、とか?」
再びイオータが首を横に振った。
「想像神格は、アトナコス人が心の支えとする存在デースヨ? 二元論とは無関係。想像神格は、常に絶対正義デスネー」
「じゃあ、……何で?」
琥珀が疑問を抱くのも仕方のないことだ。
アトナコス人に対する絶対正義の存在が、どうしてイオータたちと対立することになったのか? そもそも、何を目的に大暴れしていたのか?
彼には、分からないことが多過ぎた。
「詳しいことは、私たちにも分からないんだ」
唇に指をあてながら、イオータが語る。語ると言っても、琥珀の質問の答えではない。情報の共有だ。彼に取っても、現状は疑問なのだろう。
「先日、突如としてデルタとの連絡が途絶えてしまってね。当初、私たちの本来の目的は、デルタを止めることではなく、デルタの捜索だったのさ」
だが、
「彼を発見したときは、どうにも視線がおぼつかない状態でね。問い詰めてみたら戦いが始まっていた」
彼はデルタの体躯を眺め、首下や両手首の裂傷を確認する。
ゾンビならば。ネクロマンサーがいるならば、治って当然の傷を。
それが意味する可能性は……、
「この様子を見る限りでは、彼のネクロマンサーはもう……」
言葉の末尾を、イオータは濁す。
それを聞いた琥珀の頬を、一筋の汗が伝った。見るからに蒼白な顔つきで、ショックだったのか息を呑む。
「仮に、想像神格が有害な行動を執った際は、制御用の信号が送られる仕組みなんだ。想像神格の長〝眠り姫のアルバ〟からね」
だから……、と一旦イオータは口を噤む。
そして、嘆息を一つ入れてから、
「考えたくはないけれど、事実上、止めようのない暴走行為が引き出された。そう言うことだね。――黒幕の手に寄って」
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「黒幕?」
イオータは、琥珀の怪訝そうな疑問形を聞いた。
「ああ。こちらで観察を行って分かったことだよ」
「観察?」
単語での質問が再び。イオータは無言で首を縦に揺らす。琥珀とルナが親睦を深める中、自分は自分で動いていたのだ。
「私の〝千里眼〟は、ありとあるゆる〝光〟を感知する。それは〝電波〟も例外ではなくてね。物質を透視することも可能なんだ」
本来、人間は、四〇〇~八〇〇ナノメートルの波長を持つ〝可視光〟しか視認できない。
だが、自分に限っては可視光以外の光。即ち、電波や〝ガンマ線〟までをも感知できる。
物質を通り抜ける類いの〝電磁波〟を感知することは、物質を透視することに等しいのだ。
ちなみに、名誉のために言っておくが、犯罪に使用したことはない。良く聞かれるが、断じてない。
「その能力を用いて、デルタの様子を探っていたんだよ」
それは、今朝からのことだった。
千里眼が持つ不都合な性質は、そのままでは〝見え過ぎる〟ことだ。
自分の千里眼には、全方位・全物質の視覚情報が映り込んでくる。しかし、それら全てを認識していたら、脳がパンクするだろう。
だから、特定の光を選択するシステムをイオータは持っていた。
昨晩の戦闘で得た、デルタの視覚情報。それを処理システムの選択肢に加え、監視を行っていたのだ。
「初めの内は、微動だにしなくてね。恐らく、現在のようにエネルギーを節約するためだと思う。だが、ある瞬間を切っ掛けに、彼は目覚めて……、とある施設を襲撃した」
分かるかい? と問う。二人には分かる筈だから。
「……富士境神教聖堂」
答えたのは、ルナだった。
続けて、琥珀が目を見開く。
「そうか……! それで、あんなグッドタイミングで助けてくれたのか!」
そんな二人に頷きを返す。そう。琥珀のピンチに颯爽と登場したことは、偶然でも何でもない。デルタの挙動を追っていたところに、二人が駆け付けたのだ。
「君と交戦に至ったところで、私は観察を止め、そちらに向かった訳だよ。その方が都合が良いと思ってね」
「都合が良い? どう言うことだ?」
「君と協力して、デルタを捕獲することができるからだよ。琥珀」
一息。
「デルタが目覚めた切っ掛け。それは、何者かからの信号を受信したことだったんだ」
最初、デルタと相対したときにも、それは見えていた。
当初、アルバから送られた指令かと思っていたが、様子を見る限り間違いだったのだろう。
何しろ、いくら受信しようと停止することはなく、逆に、暴走の切っ掛けになったのだから。
「だとしたら、君とともにデルタを捕まえた方が手っ取り早い。彼を拘束し、送られてくる信号を見た方がね。所謂、逆探知と言うことさ」