第三章 琥珀とルナの放課後 ~4~
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琥珀の聴覚は、その音をガラス窓が割れたものだと判断した。
続いて響いたのは人の声だ。主に、恐怖や混乱を表現する、絶叫系の悲鳴。
何が起きたのか確かめるために振り返ったとき。琥珀は、人の群れが一斉に飛び出すのを見た。
人々が我先にと、逃げ出した、施設の名前は、
「富士境神教聖堂!?」
煉瓦塀に囲まれた、教会に似た造りの建物だ。
琥珀は、先ほどの神父の一言を思い出す。
アドルフは言っていた。今日は礼拝が行われる日だと。だとしたら、これだけの人が集まるのも必然の話だ。
神教は世界最大級の宗教。その礼拝日に、聖堂に信者が集うのは言うまでもない。
「どうしたんですか!? 何が起こったんですか!?」
逃げ惑う人々の中から、一人の女性信者を捕まえて、琥珀は端的に質問した。
女性は身を震わせながら、カチカチと歯の音を立てて、潤んだ瞳で答える。
「た、助けてください。男が……赤い剣を持った男が暴れて……」
彼女の説明の半ばで、琥珀の心臓が大きく脈打つ。
女性の口はまだ動いていた。だが、琥珀の耳には彼女の言葉が理解できない。聞こえないのだ。心音が邪魔をして。
琥珀は鋭い音を立てて、息を吸った。
足が微かに強ばっている。しかし、それよりも使命感の方が勝ったらしく、歯を食いしばって現場へと突入した。
人波を掻き分け、両開きの木製扉を潜る。
視界に映る、聖堂の内装は絢爛だった。
縦三列、横八列に並ぶ、参列者用の長椅子。
正面奥にはパイプオルガンがあり、天へと向けて幾本もの金管が、整列しながら起立している。
中空には、神教のシンボルが一つ。十字架に、輝きを模した斜め十字を組み合わせた、〝光輝十字〟と言うものだ。
ステンドグラスから色付きの光が差している。その光をスポットライトのように浴びる、大柄の男が立っていた。
背を向けている男は、深紅のコートを纏っている。髪もズボンも赤ずくめだ。
右の手にも赤い剣。刀身だけで一メートルを超える、両刃の大剣を握っている。所々損傷した長椅子は、その被害を受けたのだろう。
男がユッタリした動作で振り返る。焦点の定まらない黒い瞳孔が、こちらの姿を映す。
瞬間、体中に鳥肌が立った。
間違いようがない。男の首下には、血の流れない裂傷があり、手首から先が鮮血に濡れている。昨日のイオータとの戦闘で負った傷。
彼の名はデルタ。――オレを、殺した男。
もはや、耳の隣にあるんじゃないか? ドクドクと心音が五月蠅い。
呼吸が荒く、喉がカラカラに乾いている。かと思えば、掌が汗でジットリと濡れていた。今にも零れそうなほどに。
目の前にも意識にも、仄暗いフィルターが掛けられたようだ。
視界が歪む。頭が回らない。
「琥珀!」
目を覚ましてくれたのは、何時の間にか右隣にいた、ルナだった。
「大丈夫です。今の琥珀には、想像神格の能力と、武器があります」
彼女が両の手で包み込む、自分の右手には一つの物体が握られている。
目測で三〇センチメートルと思しき、短剣だ。
鍔がなく、柄に当たる部分は布が巻かれただけ。刀身は片刃で、僅かに反った曲刀と呼ばれる部類。
全体が鉄色で、鈍い光沢を放っている。
「これは……?」
「ワタシたちが作り上げた、〝レガリア〟と言うスティグマ様専用の武器です。もちろん、琥珀にも扱えます」
眉が立った、力強く凜々しい笑みを見せて、
「アナタには、抗う力があります。ワタシも付いていますから」
断言するルナが、頼もしい。
心音が収まってきた。まだ緊張は走り続けているが、竦む感覚や脅えの感情は、姿を消しつつある。
「ルナ。じゃあ、早速頼りたいんだけど」
ただ、一つの不安要素が残っていた。
「能力って、どう使うんだ?」
ルナが笑みの顔のまま、止まる。
「…………え?」
と小さく言って、
「わ、分かんないんですか!?」
「当たり前だろ!? オレ、昨日までただの学級委員長だったんだぞ! 超能力とか使った経験なんて、一度も……」
言い合っていると、左側で重量を連想させる、重低音の足音が断続的に聞こえてくる。
デルタが、両刃刀をバックハンドに構えながら、突撃をかましたのだ。