第三章 琥珀とルナの放課後 ~3~
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約三分後。
琥珀は飲み終えたシェイクの代わりに、二つのソフトクリームを手にして、二人の元へと戻ってきた。
「はい、お嬢ちゃん!」
身をかがめ、左手の一つを少女に差し出す。
不思議そうな視線は、もう見慣れていた。だから、琥珀の台詞は決まっている。
「ソフトクリーム。嫌い?」
いらない? ではない。それでは、どこか押し付けがましく感じるだろうから。
飽くまでも、このソフトクリームは自発的に買ってきたもの。少女のためを思ってとか、ご機嫌を取るためではない。
彼女が食べてくれたら嬉しいと、自分で思ったからだ。だから、彼女の意思を尊重する。
じっと、こちらの瞳の奥を覗く少女が、横に首を振る。食べる? と尋ねると、今度は縦に。
ソフトクリームを受け取る少女に、もう一度笑みを見せて、
「じゃ、ルナも」
立ち上がり、もう一人の少女に右手の一つを差し出した。
「ワタシも、ですか?」
「あれ? シェイク飲んでたから、嫌いじゃないと思ったんだけど……」
「好きですけど、何故?」
「お詫びとお礼だよ」
彼女には迷惑掛けっぱなしだからだ。と言うか、出会ってから今まで、迷惑しか掛けていない。
折角の街案内も中断させてしまったし、少女の面倒も見て貰っているし。
ルナは、迷子の少女のそれに似た不思議な顔で、ソフトクリームとこちらの顔を代わり代わり見て、やがて、理由は分からないが照れた表情で、
「……ありがとうごさいます」
受け取った彼女の指が、どこか火照っていた。
「…………美味しい」
背後から、声がする。
振り返ると、少女が手にしたソフトクリームに口を付けていた。
正直な話、感情が掴めない少女だったが、現在、〝喜〟の感情を持っていることは、一目瞭然だ。
一心不乱に、ソフトクリームを舐めているから。
「だろ? 少し元気出たかな?」
先ほどよりも、ずっと子供めいた顔で頷く。
「よし! 元気が出てきたところで……」
「――あの、その子は?」
親御さんを探しますか! と明るく提案しようとした言葉尻が、静かな。だが、良く通るテノールで遮られた。
見ると、少女の体躯の先から、歩み来る痩身がいる。
イオータに負けず劣らずの、かなり身長が高い男だ。
ルナ並に色白で……いや、青白いが正確だ。ルナの健康的な白さではなく、血の気が引いた、病弱そうな肌色だった。
年齢は、二〇代後半と言ったところだ。
「迷子になってしまったようで……、もしかして、この子のお父……お兄さんですか?」
だとしたら、お父さんはおかしいだろうか? 少女の正確な年齢は分からないが、引き算したら、灰髪の青年は余りにも若い。
失礼にならないよう、琥珀は、言い掛けた言葉を急遽修正する。
「いえ。ボクは、その子と血の繋がりはありません。ですが、保護者には当たりますね」
青年は、鼻の上に掛けたメガネを、右の指二本で上げ、苦笑気味の微笑みを浮かべた。
笑み顔に慣れているのだろう。彼の口角は自然と上げられ、黒目すら見えないくらいに細い瞳も、下弦の弧を描いている。
「ボクは、〝富士境神教聖堂〟で神父を務める、〝アドルフ・ラ・ヴォワザン〟と言うものです」
確かに、彼はどう見ても神父にしか見えない。
アドルフと名乗る青年が纏っているのは、牧師が着る黒い法衣だからだ。コスプレイヤーじゃないとしたら、アドルフは間違いなく聖職者だろう。
「その子には両親がいないので、代わりにボクが面倒を見ているのですよ」
――なるほど、それでか……。
琥珀は納得を覚えた。
少女に両親の存在を尋ねた際、否定のモーションを見せたのは、つまり、いないと言うことを示していたのだ。
名前がない。との発言も、本当の名前は分からない。との意味合いかもしれない。
彼女は孤児なのだろう。
「しかし、世の中も捨てたものではありませんね。あなたたちのように、慈悲深い方々もいらっしゃるのですから。これも、〝神童〟の思し召しなのでしょう」
神父らしい感謝の言葉に、若干の照れを覚えた。
〝神教〟とは、〝神童〟と呼ばれる〝現人神〟を崇拝する、世界最大の宗教だ。
世界各国に根付き、信者の総数は二〇億に届くと言われている。
「良かったですね。お兄さんとお姉さんに、お礼を言って差し上げなさい?」
肩に手を置かれた少女が、一旦、彼の方へと目を向けて、続いてこちらに上目遣いを見せ、ペコリと一礼。
苦笑を浮かべる神教神父に、琥珀は眉の寝た笑みを見せ、十分です。との意思表示をした。
「それでは、ボクたちは失礼いたします。〝聖堂区画〟を訪れる予定がございましたら、是非とも〝富士境神教聖堂〟へお越しください。本日は〝礼拝〟も行われますので。――それでは、神童のご加護があらんことを」
深々と一礼するアドルフを真似てか、もう一度、少女が浅く身を折る。
去り行く二人の背中を見送って、安堵の一息を吐いた。
「良かったな、見付かって。ルナも、ありが……」
協力者でもある、彼女の方へ頭を向けると、その顔つきは複雑そうだ。
唇が尖り、眉根が寄った、困ったような戸惑ったような表情。
「……ルナ?」
「あ、はい! 良かったですね」
呼び掛けると、直ぐに明るさが戻ってくる。だが、琥珀は違和感を得ていた。
ルナが、ここまで満面の笑みを見せることは、珍しいから。
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日が傾きつつある。
太陽の光は、色味と角度を変えながら、降り注いでいた。
斜陽の明かりが作るのは、長く伸びる二人分の人影。
ルナと琥珀は〝聖堂区画〟を歩んでいた。
「――で、この〝聖堂区画〟は、ある意味、特区中の特区なんだ。教会、礼拝堂、寺院、仏閣などが普通に隣接してるから」
聖堂区画には、暗黙のルールがある。
――異文化に寛容であれ。
との一文に、その全てが集約されているだろう。何しろ、異教徒と異教徒が隣り合わせしているのだから。
当然だが、宗教関係の争いは、如何なる場合も御法度。
ルールを守れる人だけが利用してくださいね? と言う話である。
「神教・エル教・曼荼羅教。もちろん、神道系もカバーしてある」
解説しながら歩む琥珀の横で、ルナは浮かない顔をしていた。先ほどから、どうにも様子がおかしい。
「ルナ? どうかしたのか?」
「え? そう見えますか?」
「ああ。あの、アドルフって言う神教の神父さんと話してから、何か、不機嫌そうに見えるけど……」
琥珀がそう言ってから、僅かな沈黙が訪れた。
ルナが俯き、逡巡する素振りを見せる。琥珀も、彼女の答えを待ってか、何も言わない。
ややあって、彼女が細く、だが、長い呼気をして、
「実は、ワタシ、神教が少し苦手なんです」
琥珀が数回瞬きをした。彼女の言っていることを噛み砕くように。
「あ、そっか。ルナに取っては、アトナコスってとこが故郷になるんだっけ」
彼の浮かべた解答は、ルナは神教を異教と捉えている。だった。
彼女は、古代文明都市アトナコスの子孫だ。詳しいことを琥珀は知らないが、故郷に根付いた宗教観をも引き継いでいる。そう考えたのだろう。
俗に言う、〝土着信仰〟と言うものだと。
「アトナコスにも、独自の宗教があるのか?」
琥珀は当然のようにそう続ける。自分の意見が正しければ、ルナは肯定するだろう。
「いえ。アトナコスは無宗教です」
だが、ルナの答えは否定に近い。琥珀は思わず、え? と疑問形で呟いた。
「珍しいな。アトナコスは島国なんだろ? それに、古代ってことは歴史もそれなりにあるだろうし、宗教が根付かないって変じゃないか?」
ルナは、一呼吸の間を開けて、歩を止めることなく、
「琥珀? 宗教とは、何を崇めるものですか?」
琥珀に尋ね返す。
「そりゃあ、神様とか、聖人とか?」
「では、神様や聖人とは何でしょう? それを定義付ける概念は?」
思わず口を噤み、唸りながら考える琥珀。
異文化の街、富士境に暮らす彼だが、余り気に掛けたことはないようだ。
「それは、奇跡や超常現象です。琥珀」
十分に考えて貰い、困惑気味になってきたところで、助け船を出すように、解答をルナ自身で示す。
「人間は、己の知性が及ばない驚異や不可思議に対して、奇跡と名付ける習性があります。これは、理解できないものを説明するために、人智を超越した何者かを持ち出し、その仕業だとすることです」
何故、そんな存在を創るかと言えば、
「そうやって、不思議なことや恐ろしいことを定義付けして、無理矢理納得させるんです。何しろ、人間が一番恐れることは〝分からないこと〟ですから」
例えるならば、お化けなどが当てはまる。
システムやメカニズムでは解明できない超常現象と言うものには、常に恐怖が付きまとうもの。
人間は、不確かで説明のできない物事に対して、恐れを抱く生物なのだ。
「そうして創られた概念を、神様と言うんですよ。……ですが、琥珀。始めから〝分からないこと〟がなかったら、どうでしょう?」
「そりゃあ、神様なんて……」
あ、と琥珀が口を開き、
「アトナコスには、現代文明を凌駕する科学技術が……!」
ルナが首肯した。
「そうです。流石に現代人は、分からないことがあっても、これは神様の仕業だ。とは、言いませんよね? アトナコス人も同じです」
「なるほど。……あれ? じゃあ、〝想像神格〟ってのは何だ? 〝神格〟ってことは神様なんだろ?」
「想像神格は、後世において、アトナコス人自らが創ったものです」
「神様を……創った?」
琥珀の顔が怪訝に歪む。訳が分からないと言いたげな表情だ。
確かに、現代文明超えのテクノロジーを持つ人々が、神様を創る理由は思い浮かばない。いや、それ以上に不可解なことは、
「創ろうと思って創れるものなのか? 神様って」
それでも再度。ルナが首を縦に振る。
「〝有機演算器〟は、人間の脳髄三〇人分を素材にした、超高性能演算器です。そして、人間の脳を用いたゆえに、有機演算器は〝想像力〟と言う、人間独自の特殊機能を持っているんですよ」
知っていますか?
「人間の想像できることは、ことごとく実現可能なんですよ? ライト兄弟が空を飛んだのも、彼らが空を飛べると思い続けたからですよね? ――想像神格は、想像力の粋を尽くして創造された、能力者のプログラム。有機演算器の材料〝人柱〟が持っていた人格を知能とした、人工生命体なんです。所謂〝偶像崇拝〟ですね」
「偶像崇拝……」
「はい。滅ぶことを選んだ、アトナコス人の心の支えになったと言えるでしょう。想像神格は、〝ゾンビパウダー〟と〝神降ろし〟を用いれば、どこにいても顕現して貰えますから」
ルナの説明を聞き終えて、琥珀が耳の後ろに手を遣った。どこか、居心地が悪そうな顔つきだ。
まるで、先ほどの二人の気分が交換されたような状況。
戸惑い気味にルナが、琥珀? と聞く。
「いや、その心の支えってのを、オレが奪っちゃったんだよな……。偶像崇拝ってことは、やっぱり神様と同等なんだろ? 本当、ゴメン」
歩みを止めた琥珀が、ルナと正対して頭を下げた。嘘のない、純粋な謝罪だ。
「……それほどじゃないですよ? 今は」
「え?」
琥珀が顔を上げると、彼の双眸はルナの顔を映した。
どこか照れたような、はにかむような、優しい顔だ。若干の赤らみは、夕日の所為なのだろうか?
「ルナ……?」
と、彼が尋ねたときだ。彼の背後で破砕の音がしたのは。