序章 三人の来訪者
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その国は、〝滅び〟を選んだ。
太平洋上の小さな島国は、名を〝アトナコス〟と言う。
所謂、〝古代文明〟を築いた国である。
だが、今や古代文明都市には、生命が希薄だった。何故か? と尋ねられたら、その解答は、既に述べている。
〝アトナコス人〟は、自ら滅ぶことを選んだのだ。しかし、その心苦しさはどれほどのものだろう? 我が子を千尋の谷に落とすような、苦渋の決断である筈だ。
その心情を証明するものが、波間にあった。穏やかな晴れ空の下。凪いだ海風を受けながら、一隻の帆船が、海上を漂っている。
帆船の乗客たちは一様に、離れ行く故郷の最期を看取っていた。宛ら、網膜に焼き付けるように。
「私たちの故郷が、去っていきますよ!」
一人の乗客が、目尻に涙を湛えながら、惜しみの言葉を口にする。
両手を合わせ、指を組んだ彼女の姿は、祈りにも似ていた。
「泣いてはいけません! 我らが英知の結晶〝夢幻脳界〟を守るために。そして、我らが解放され、自由を手に入れるために、我らは最善を選んだのです!」
まるで、宗教家の物言いだ。
私たちは間違っていない。自分自身に言い聞かせているのではないだろうか?
やや年を得た、灰髪の老女は、涙を流す女の肩に手を置いて、励ますというより諭す。
「後のことは、〝イプシロン〟様にお願いしましょう。我らは、自由を得たのです!」
アトナコスが植民地化されたのは、一五〇〇年代のことだった。
突如、欧州からやって来た侵略者は、瞬く間にアトナコスを支配下に置く。
アトナコスの技術水準は、高度であり異質でもあった。
先の未来で、〝自然科学〟、〝形式科学〟、〝工学〟と呼ばれることになる科学技術を、未来の文明を凌駕するレベルで根付かせていたのだ。
しかし、彼らは〝戦い〟と無縁な生活を送っていた。
まあ、それも必然で、そもそもハイレベルな文明を誇っていた彼らには、満たされない部分など、なかった。
ゆえに、アトナコスでは〝争う〟理由すら見出せなかったのである。
結果として、欧州よりの襲撃者を、撃退することもできなかったのだが。
「我々は、上手く生活していけるだろうか?」
「もちろんだ! 俺たちの〝力〟を活用すれば、どこでだって生きていけるさ! 何しろ、俺たちはアトナコス人なのだから!」
アトナコス人は賢かった。
彼らは、侵略者の手から逃れ、彼らの文明の利器〝夢幻脳界〟と〝有機演算器〟を守るために、〝反乱〟を起こしたのである。
後の世で、〝ジャッジメント〟と呼ばれる、大規模災害。それを切っ掛けに、国外逃亡を図ったのだ。
確かに、古代文明の一端をちらつかせば、どこの国でも活躍していけるだろう。
何より、アトナコス人には希望があった。
「大丈夫だ! 俺たちには〝想像神格〟がいる! たとえ、世界中のどこにいたって、〝想像神格〟は俺たちの傍らに立っているんだ!」
彼の言葉で、約全員が頷き、歓喜の音を上げる。
だが、その中に、自由に酔いしれないものがいた。
「……私は、忘れはしないぞ。〝神教〟」
彼は、眉間に深い皺を刻み、忌々しげな目つきで、遠ざかる島を見ていた。
「何時か! 何時の日か必ず……! 貴様らに裁きを下してやる……!!」
それは、一八世紀前半。〝産業革命〟が起きる、少し前の出来事。
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〝東京国際空港〟の〝国際線旅客ターミナル〟は、賑わっていた。
一階のエントランスから、五階の展望デッキに至るまで、人、人、人。
黒色人種から、白色人種、黄色人種。紳士淑女少年少女。ビジネスマンから観光客まで、千差万別、十人十色である。
とあるビジネスマンが手にしているスポーツ新聞によれば、日付は二〇一五年九月九日。デジタル時計が、正午を過ぎたことを示していた。
その二階。〝到着ロビー〟に、背丈の異なる三人組が歩いている。
長身の男性。長身の女性。そして、見た目幼女だ。
「――さて、日本語の抜き打ちテストでもしてみようかな?」
長身の男性が、薄緑のポニーテールを揺らし、口元に笑みを浮かべた。
全体的に、柔らかい印象を受ける。年の頃は二〇代後半だろうか?
青の瞳はつり気味だが、眉が寝ているため、優しそうな表情。
口調も穏やかで、身長ほどの威圧感はない。
声色はかなり低いが、音量は小さく、落ち着きやダンディズムが滲んでいた。
ただし、彼が纏っている白いローブは、神父が羽織るそれに似ていて、夏の終わりにしては、少し暑苦しい。
それでも、彼は汗一つ流さず、涼しげな顔つきで、メガネのブリッジを上げた。
「〝ルナ〟? 予習は済ませているかな?」
「Of course, no pro……あ、いえ。問題ありません。〝イオータ〟様」
ルナと呼ばれた長身の女性は、高く透き通った声で、静かにイオータの質問に応える。
文頭こそ迷ったようだが、後半からは〝流暢な日本語〟としか評せない、完璧な応答だ。
彼女〝ルナ・エリクソン〟の容姿は、言葉運び同様、美しかった。
一七〇弱の長身を、黒のワンピースで装飾し、肌は対称的。新雪ほどに白い。
長くしなやかな手足は、モデルの素質に満ち溢れ、だが、僅かな肉付きが〝女性美〟を際立たせる。
口調とは異なり、体つきは良い意味で起伏があり、要するにグラビアアイドルでも通用するだろう。
肩に届く水色の髪は、空気を含む癖毛で、宛ら天使のようにすら見えた。
唯一、金色の瞳が眠たげだ。
「丁寧語と謙譲語の使い分け。寿司ネタの漢字表記。ハンバーガーチェーン店でのプライスレス商品の注文から、〝オレオレ詐欺〟の撃退法まで完璧です」
「うん。雑学が無駄に頼もしいね」
感情の乏しい表情だったが、イオータは気にする様子もなく、苦笑する。
どうやら、彼と彼女は長い付き合いのようだ。
「〝リーガル〟の方はどうだい?」
続いて、イオータは視線を下へと向ける。
彼を見上げるのは、煌めきを宿す水色の双眸だ。はにかんだ表情が、待ってましたと訴えている。
ルナとは違い、とても人間染みた雰囲気の少女だ。
「完璧デースヨ! イオータ様! ワタシ、参考文献を元に猛勉強シマーシタ!」
オレンジのボブヘアを見下ろすイオータが、表情を固める。
茶色い短パンと藍色の半袖と言う、若干少年ぽいコーディネートの少女〝リーガル・マロリー〟は、彼の心配に気付く様子もなく、つらつらとしゃべり続けた。
「〝カベドン〟から〝アゴクイ〟まで、あらゆる萌えシチュエーションに的確に、対応できマース!」
「……リーガル? 参考文献とは?」
「クールジャパンの代表格、〝マンガ〟デースネー! 外人女子のトキメキ、ソックリソノママ模写シマーシタ!」
「うーん。外人を模倣したのが失敗だったかぁ……」
イオータの正直な感想に、リーガルは、ウグゥ……!! とリアクションを取る。
今になってようやく、大きな間違いに気付いたようだ。
「まあ、それはそれとして、リーガル? 〝デルタ〟はどこにいるのか、目星は付いているかい?」
いじけるリーガルに、真剣そうな声色でイオータが話し掛けた。
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「ハイー! もちろんデースヨー!」
イオータに尋ねられ、リーガルは名誉挽回と言わんばかりに、事前に調べた情報を述べる。
携帯端末を出すまでもない。全て、自分の脳みそに刻み付けているのだから。
「恐らくは、この空港から北に進んだ場所にある、〝富士境〟デスネー」
〝富士境〟は、東京都大田区の北部に位置する町だ。
ここ東京国際空港を擁する大田区。その中でも、国際化が盛んな、都内有数の〝国際都市〟だ。
「各国に姉妹都市を持つ、多国籍な町デスヨー。ホームステイも積極的に行い、〝無国籍村〟とか言う、観光地でも有名らしいデスネー」
事前調査で、非常に興味を惹かれた。
何でも、〝無国籍村〟とは、大通りをセンターとして、両サイドに多数の店が展開された、大規模商店街らしい。
裏の細道にも隠れスポットが存在し、多国籍な店舗が数多く並ぶ、異国情緒溢れる景観。富士境を代表する繁華街だ。
聞くところによると、カップルがイチャつくには最適らしく、
――無事、ほとぼりが冷めしたら、イオータ様と一緒に素敵な思い出作りマスネー!
と妄想を膨らませながら調べたため、データ採取は捗った。
心の中で、欲望全開に笑っていると、イオータの眉が少し歪む。
「どうしたんだい? リーガル。変な顔して」
――い、いけマセン! つい、煩悩が顔つきニッ……!!
「な、何でもありまセンネー! それは置いといて、富士境には、特殊な地域があるそうデースヨ」
その名も、
「〝聖堂区画〟。教会、礼拝堂、寺院、仏閣などが、一つの区画に集合した、特区中の特区デスー。天使崇拝の〝エル教〟。経典中心の〝曼荼羅教〟。――当然ながら、世界最大の宗教〝神教〟も完備してマスネー」
〝神教〟との単語に、ルナが反応する。
基本的に、感情が低温な彼女にしては、珍しくハッキリとした、ばつの悪そうな表情だ。
端的に言えば、苦手意識を露骨に表した。
「なるほど。宗教絡みとなると、デルタがいてもおかしくない」
「デスデスー。だから現地の方に、こちらから協力要請出してマスヨー。お迎えにいらしてくれるそうデースネ」
「うん。ありがとう、リーガル。流石に仕事が早いね」
ポンポンと、頭を撫でられ、頬に熱を得ながら、
「あ、当たり前デスー。何と言っても、ワタシはアトナコスの子孫デスカラ」
しどろもどろと応えた。
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キャリーバッグを転がしながら、エントランスを出た三人を迎えたのは、見るからに裕福そうな中年の男だ。
灰色のビジネススーツで身を包む男は、中年にしては若々しい。
髪は真っ黒で、髭は綺麗に剃られており、腹部が盛り上がっていることもなかった。
寧ろ、痩せ形で、清潔感タップリの容姿と合わせて、年齢よりも遙かに若く見える。
「ようこそ、お越しくださいました! 〝ネクロマンサー〟のお二方。そして、イオータ様。長旅でお疲れでしょう。どうぞ、車内でおくつろぎください!」
彼が、左手で示した車両は、外国製の高級車で、どう見繕っても乗用車とは桁が一つ違う、超一流のものだ。
黒い車体には、汚れ一つなく、ワックスコーティングが上品な輝きを発している。
下ろし立て以上。新車同様の仕上がりだ。
不可解なことは、彼ほどの〝見るからに成功者〟が、どうして二人の少女と、神父風な男にここまで謙虚に接しているのか?
「ありがとう。ここまでの〝おもてなし〟は、初めてだよ。流石は〝性善説〟の国。サービスが行き届いている」
イオータが差し出した右手を、男は両手で包むように握る。感激を余すことなく押し出した表情で。
「もったいないお言葉です、イオータ様! 私も、アトナコスの一員! この程度のお手伝いは、当然とお思いください!」
「うん。人前だから、もう少しラフでも良いよ?」
公衆の面前で、信仰心全開だった男は、人の目に気付き、慌ててイオータの右手を解放した。
「す、すみません! 続きは、車内で。お二方もどうぞ」
男は、三人の荷物をトランクに積みだし、三人は男の車へお邪魔する。
リーガルとイオータは後部座席。ルナは助手席だ。
荷物を積み終えた男が、最後、左側の運転席に座った。
「それで、準備の方は万端かな?」
男が腰を落ち着けたのを確認し、イオータが左の後部座席から話し掛ける。
「はい! お三方には、私が所有するマンション〝クレマパレス〟の、九階全フロアをお使いいただきたく思います。ご遠方の際の車両も用意していますので」
「至れり尽くせりだね。申し訳ないとすら思えてしまうよ」
若干苦笑交じりに告げるイオータに対し、
「滅相もございません! 寧ろ、光栄です! 何と言っても、〝想像神格〟のイオータ様にお力添えできるのですから!」
イオータは、やはり苦笑い気味で、だが、ハッキリと、――ありがとう。と言葉を作った。