本編後のトウコとガルズの旅(ガルズ視点)
トウコと旅に出て三か月。
トウコは何をするのも楽しいらしくて、いつもきらきらと瞳を輝かせていた。
けれど時折、ふとその瞳が陰る。
きっかけはよくわからない。
ただ、その瞳がさみしさでいっぱいになっているのだ。
俺がいるんだから、俺を頼ればいい。
でも、トウコはそんな時ほどよく笑う。
さみしい、さみしいって瞳を揺らすのに、一人でなんとか乗り越えようとする。
この街で一週間。そろそろ違う街へ立つか、とトウコに言えば、トウコはにこにこ笑って頷いた。
夕食時、この街の名物を旅の思い出にとたくさん頼んだが、その時はまだちゃんと笑っていたはず。
トウコの瞳が陰ったのは、席を立った時か。
部屋に戻る頃には瞳がゆらゆらと揺れていた。
もしかして、あれが必要になるかもしれない。
トウコと別れ、自分の部屋に入った後、ごそごそと荷物を探ってそれを取り出した。
トウコの好きな果実のお酒。
中身が無くなる毎に買い足してきたそれ。
部屋にある小さなティーテーブルにそれを置くと、トウコの部屋の側の壁に寄りかかって立った。
さすがに壁越しに声が聞こえるほどではないが、もし起きていてうろうろしているようなら物音が聞こえるはずだ。
一人で部屋を出るほど不用心ではないと思うが、もし部屋の扉を開ければ物音で気づくことができる。
……我ながら情けない姿だ。
こっそりトウコの好きな酒を用意して、常備しておく。
もしかしたら、さみしさで眠れないのではないかと、隣の部屋の気配を伺う。
腕を組んで壁にもたれて立っている自分。
そんな滑稽な姿にフッと鼻で笑った。
「なにやってんだろうな、俺は……」
部屋の中で一人ごちれば、隣の部屋からガタガタと窓を開ける音。
やはりトウコは眠れなかったようで、外を見て気分転換でもしているのだろう。
自分の見立てが間違っていなかった事に、口元が綻びそうになり、慌てて口を結ぶ。
もたれていた壁から身を起こし、酒の置いてあるティーテーブルへと向かった。
そして、トウコの好きな酒を手に取ると、窓へと向かい、ガタガタと音を鳴らして窓を開ける。
トウコの部屋の方を向けば、トウコがこちらを見ていて……。
真っ黒の夜空と同じ、トウコの黒い髪が風に靡いてサラリと揺れる。
少し泣いていたようで、濡れた瞳に星がきらきらと輝いていた。
……きれいだ、と思う。
この世界にはないその色が。
「眠れないのか?」
「……うん」
声をかければ、トウコは目をウロウロとさまよわせる。
きっとあまり見られくない姿だったのだろう。
……いつもそうだ。
傍にいるのに。
一人じゃないのに。
俺がいるのに。
「飲むか?」
トウコが一番食いつくのは優しい言葉でも、美しい宝石でもなくて、おいしい酒。
それを知っている俺がトウコを釣ろうと手に持った酒を見せると、トウコは眉間にぎゅっと皺を寄せた。
「……そっちに行っていい?」
その顔には不満がありありと浮かんでいるが、言葉は正直だ。
まんまと釣れたトウコに、思わずフッと笑ってしまう。
「ああ。ちゃんと鍵かけてこいよ」
「わかってるよ」
声をかければ、トウコははいはい、と生返事をして窓を閉めた。
それを確認すると、俺も窓を閉める。
ティーテーブルへと向かい、手に持っていた酒を置き、グラスを二つ置いた。
そうしているうちにトウコが部屋にやってくる。
ティーテーブルを挟んで、二人で向かい合わせに座った。
「おつまみはないの?」
「ねーよ。もう寝るところだったんだからな」
「そっかぁ」
残念そうにしながらも、グラスに酒を注いでやれば嬉しそうに目が細まる。
俺には少し甘いこの酒も、トウコにはちょうどいいらしい。
おいしそうにゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいた。
……トウコはどうやら早く酔おうとしているらしい。
あっという間に飲み干し、おかわりを要求する。
いつもよりかなり早いそのペースに小さく息を吐いた。
こうやって一緒に飲んでも、俺が何も言わなければずっとにこにこと笑っているんだろう。
「トウコ、無理しなくてもいい」
しなくてもいい。
俺の前では。
「……してないよ」
精いっぱい優しく声を出したのに、トウコはフンッと鼻を鳴らして、お酒をあおった。
言葉だけでは足りないか、と思わず溜息が出てしまう。
強がりなトウコの本音が聞きたくて、その頭に手を伸ばした。
大丈夫だ、と。
俺には話してもいいんだ、と。
気持ちが伝わるようにゆっくりと撫でる。
黒い髪。
異世界から来たあかし。
寝る前だったからか、いつものスカーフは巻いていない。
直接触るその髪は滑らかで……。
トウコは俺に撫でられたまま、小さくボソリと呟いた。
「……さみしい」
「ああ」
そうだ。
そうやって言えばいい。
「……自分がわかんない」
「ああ」
やっと話してくれた本音が嬉しくて。
もっと縋って欲しくて。
優しく頭を撫でているのに、トウコはぎゅっと唇を噛んだ。
「ごめんね……こんなのめんどくさいよね」
「……別に、これぐらいどうってことねーよ」
「でも、私、めんどくさい」
さっきまでよろけていたはずなのに。
精いっぱい優しい声を出して、ゆっくりと頭を撫でたのに。
トウコはあっという間に立ち直ろうとする。
「……ちゃんとしたい」
してるよ。
いつだってお前はちゃんとしてる。
「早く元気になって、一人でも大丈夫だってガルズに見せたい」
……わかってる。
トウコはきっと一人でも大丈夫。
この世界の事を知れば、自分の道を決めて、自分で歩いて行けるやつだ。
「……ガルズ、いい年なのに。私の面倒見てたら、もっと行き遅れになる」
「……ほっとけ」
けれど、トウコからそんな話を聞くと、なぜか胸が痛い。
一人でも大丈夫だ、と。
俺がいなくてもいいのだ、と。
――俺はここにいるのに。
思わず、頭を撫でる手が強くなってしまう。
それでもトウコは何も言わずに、じっと俺を見上げた。
「……私、ガルズに頼ってばっかりなのに、何も返してない」
黒い瞳が宿屋の小さな灯りの下できらきら輝く。
その瞳に俺が映っているのを見ると、心がふわっと温かくなった。
「……そうでもねーよ」
黒い瞳にそっと笑いかける。
「俺はお前が頼ってくれたら嬉しいし……笑ってる所を見たら、幸せだなって思うよ」
そうだよ。
こうやってお前と二人でいる時間が。
幸せだって思ってるよ。
「……ガルズってバカだね」
「俺もそう思う」
トウコの言葉に思わずハハッと声を上げて笑ってしまった。
本当に馬鹿だ、と自分でも思う。
この旅はたった一年。
王城でレイベーグの囲いから出られなかったトウコを連れ出しただけ。
レイベーグは自分の気持ちに気づいていなかっただけで、それに気づけばトウコに対する態度も変わるだろう。
巡礼の旅を供にして、トウコの事で話したからわかる。
レイベーグは見どころのあるヤツだ。
王城に戻ったとしても、トウコがさみしさで苦しくなる事はきっとない。
……トウコはレイベーグといると、嬉しそうに笑っていた。
二人はすれ違っていただけで、俺との旅が終われば、向き合っていけるだろう。
――そうすれば、俺の役目は終わりだ。
自分で決めたこと。
一年後には王城に戻る、と。
けれど、戻りたくないと思ってしまう俺がいる。
そんな自分にフッと笑ってしまうと、トウコは唇を尖らせて俺を見ていた。
「……ガルズといたら、私、弱くなる。なんかもう全部捨てて飛び込みたくなる」
……なんだそれ。
口説き文句か。
「……なに笑ってるの?」
「いや?」
どうやら俺は笑っているらしい。
けれど、それを止める事ができなくて……。
その顔のままトウコを見れば、トウコは不満げな顔をしていた。
「……私、今、ガルズに文句を言ったんだけど」
「そうか」
そうやって、むっと眉根を寄せた顔も。
星の下でさみしさに瞳を揺らした顔も。
酒を飲みながら、明るくにこにこ笑う顔も。
……どうしようもねーな。
勝手に湧き上がってくる気持ち。
――本当に。
――すべてを捨てて飛び込んでくれればいいのに。
ゆっくりとトウコの頭を撫でれば、トウコは嫌がるようにぶるぶると頭を振った。
動物のようなその行動に、ハハッと笑って手を離す。
すると、トウコはそんな俺の顔を見て、少し考えるような素振りをした後、小さく笑った。
「ありがとうね……」
「ん?」
「……さみしくない」
照れたようにちょっとだけ。
その顔にまた勝手に気持ちが湧き上がった。
ああ。
くそ……かわいいな。
――俺の事、好きになってくれねーかな。