ガルズの理由(巡礼の旅の前日譚+α)
銀の王子と黒の魔女との巡礼。
俺がその仕事を受けたのは、高い金と割と楽な仕事内容に惹かれたから。
ただ、初めは乗り気ではなかった。
一年間拘束される事と、王族のそばにいるのがめんどくさかったのだ。
今では傭兵をやっている俺だが、元は貴族の生まれだ。
王太子の幼馴染として育ったが、ある日すべてが嫌になって、家を出た。
武官として育てられていたため、手に剣を持ち、各地で魔獣を倒していく。
今までの鬱憤を晴らすように、ただひたすらに進み続ければ、あっという間に戦士として名を上げた。
貴族として生きていた事などとうに忘れ、戦いに没頭する。
この年になり、ようやくゆっくり生きてみるかと思った時に、巡礼について声がかかった。
幼馴染でもある王太子に呼び出されたのだ。
銀の王子の巡礼について行って欲しい。お前なら信用できる、と。
巡礼についていきたいヤツはたくさんいる。
伝説の銀の王子と黒の魔女が揃っている巡礼。
それについていった戦士は間違いなく、伝説になれる。
だが、俺にはその辺の事はどうでもいい。
ゆっくりしようと思っていたから、高い金と仕事内容に惹かれた。
受けてもいい。
しかし、国のためというのがいけ好かない。
更に王太子が弟を頼む、と熱心に口説いてくるのが本当にめんどくさかった。
その日もまた王太子に呼び出され、王太子の元へと上がっていた。
これのくそめんどくさい事はいちいち服を着替えねばならない事だ。
呼びつけられ、王城の一室に閉じ込められて早一週間。
やはりめんどくさいし、そろそろ逃げ出すか、と思っていた所で、偶然、噂の銀の王子と黒の魔女を見つけた。
二人は噴水の前にあるベンチに座り、仲睦まじく話している。
「おい、あれが銀の王子と黒の魔女か?」
「ああ。そうだ」
さりげなく柱に身を隠し、隣を歩いていた王太子に問う。
いつも通りの砕けた口調の俺に王太子は小さく頷いた。
「銀髪と黒髪なんて、本当にこの世にいるんだな」
「いるな。……私はお前の髪も人の事を言えんと思うが」
王太子が俺の髪を見て、口端だけで笑う。
確かに俺の髪色も珍しい。
ただ、王太子のその笑い方が嫌で、ギロッと睨んでやった。
「睨むな。お前の目はそれだけで人を殺せる」
「殺せるか」
適当な軽口を言い合いながら、銀の王子と黒の魔女を盗み見る。
二人は楽しそうに話しているのだが、時折、黒の魔女の目がゆらゆらと揺れているのが気になった。
「……黒の魔女の出身はどこだ?」
黒髪黒目などこの国で見たことがない。
どこからここへ連れてきたのか、と言外に問えば、王太子は口元の笑みを消し、まっすぐに俺を見た。
「……異世界だ」
異世界?
その単語の現実味が無さ過ぎて、俺の頭が理解することを拒む。
「ある日突然、噴水の中に現れた。……こことは違う世界で生まれ育ったらしい。黒の魔女は帰りたいと思っているだろうが、誰もその方法を知らない」
冗談かと思ったが、淡々と続けられる王太子の言葉が真実だと如実に語っていた。
あの黒の魔女はどうやらこの国の人間ではない。
いや、そもそもこの世界の人間でもないらしい。
「……なんでそいつがこの国のための巡礼に出るんだ?」
なんのために?
あの黒の魔女になんの得がある?
脅したのか……。
それとも、ここでの生活の代わりにと取引をしたのか……。
俺が考えを巡らせていると、王太子はまた小さく口端を上げた。
「本人が希望したからだ」
当たり前だろ? と幼馴染の青い目が光る。
……こいつのこの目はよく見た。
こいつが王太子として物事を決める時にする目だ。
「……黒の魔女はどうやって過ごしているんだ?」
「今は王城を出て、こちらが用意した屋敷に住んでいる。この国で生きるための知恵と魔法の力をここで磨いているところだ」
なんて親切な言葉。
表面だけを取れば、この国は異世界から来たという黒の魔女をとても暖かく迎えている。
けれど俺はその言葉をケッと吐き捨てた。
「あいかわらず、国ってヤツはくそだな」
優しい言葉で慰め、生活の場を与えると言って軟禁する。
王太子の言葉から察するに、黒の魔女は何の益もなく、ただこの国のために使われているんだろう。
「そうか? 黒の魔女にとっても悪いことじゃない」
俺の眉間に皺が寄るのも構わず、王太子は口の端を上げたまま俺を見た。
青い目が光っているのを見ると、もう溜息しか出てこない。
わかっている。この国だけじゃない。どの国でもそうだ。
力の強い者、利用価値のある者はあっという間に閉じ込められる。
国のため、国のためと呪詛のように繰り返され、心を殺し、奉仕するように求められる。
「そうだな。……できるヤツにとっては悪いことじゃねーな」
王太子の言葉に俺はガリガリと頭を掻いた。
ああ。悪いことじゃないさ。
奉仕できるヤツはすればいい。
そこに生きる意味を見い出せたのならば、そこで生きればいい。
「俺は大嫌いだけどな」
ハッと笑えば、王太子は青い目でじっと俺を見る。
俺はただその目を見つめ返した。
……俺はそこでは生きられなかった。
どんなに心を殺しても、奉仕しても。
生きているんだって感じられなかった。
俺の目を見ていた王太子はふっと小さく息を吐いて、未だに話を続けている銀の王子と黒の魔女を見た。
銀の王子は優しく笑い、黒の魔女がなんだかおどおどと狼狽している。
「レイベーグは……弟は銀の王子だ。それしかない」
青い目が珍しく、優しい色に変わった。
「父も母も私も……。弟には苦しい思いをさせたくなかった。何も背負わせたくなかった」
それは懺悔なのか。
それとも、ただの告白なのか。
「狭い箱庭の中でしか生きたことが無い。……外の世界を見せてやってくれ」
わかるのは、そこに家族としての愛情が込められているという事だけ。
箱庭で生きてきた王子を外に出したいという願い。
「……お前は弟には優しいな」
ああ。いい兄貴だと思うよ。
十七も歳が離れれば、そんな風に過保護になるのかもしれないな。
箱庭で育てて、そろそろ外に出る頃だからと、御供をつけて送り出す。
幼馴染の俺と銀の王子が気に入っている黒の魔女を付ければ最高だろうな。
「さすが王太子様だ」
小さくハハッと笑ってしまう。
昔からお前はそうだったな。
進む道に障害があればそれを取り除くための犠牲は惜しまない。
行く先に川があれば、人間の橋を作り、容赦なく踏んで、川を渡っていくんだろう。
俺はお前の橋。
そして、あの黒の魔女も。
「……わかったよ。俺が巡礼について行ってやる。銀の王子に危険が及ばないように守り切ってみせる」
「助かる。幼馴染のお前が一番信用できるからな」
「そうかよ」
満足そうにうなずく王太子にハッと鼻で返して、歩みを進める。
王太子もすぐに隣に並び、これからの事を詳しく話すために王太子の執務室へと向かった。
「俺はもう貴族じゃない。容姿とか名声とかで選んだ事にしろ」
「わかった」
「ただの傭兵だ。銀の王子と黒の魔女にもそう言っとけ」
「ああ」
俺からの注文に王太子は頷き、歩みを進める。
青い目はまっすぐに前を向いていた。
なあ? お前には俺が人間に見えているのか?
あの黒の魔女が人間に見えているのか?
あんなに細い体で、黒い瞳をさみしげに揺らしていた。
銀の王子の横で、精いっぱい笑っている彼女を見て、どうして犠牲になれと思えるんだ。
あそこにいたのはかつての俺。
王太子のために生き、王太子のために死ぬ。
俺は男としてこの国で生まれ、貴族として育った。
だから、それが当たり前だった。
でも、彼女は違うだろう?
異世界から来て、この国にはまったく関係がない……ただの女の子じゃないか。
銀の王子のために生き、銀の王子のために死ぬ。
それは当たり前ではないはずだ。
もっと違う未来がある。
彼女が銀の王子のそばを望むなら、それも構わない。
そこで生きていけるヤツはそこで生きていけばいい。
けれど……。
もし、自由になりたいと言うのなら――。
薄暗い酒場には陽気な音楽が流れ、人々の騒がしい声が響く。
トウコと二人でついたテーブルにはたくさんの料理が並べられ、トウコはそれを少しずつ食べながら、酒をあおっていた。
「トウコ、楽しいか?」
トウコの黒い瞳を見て、そっと笑いかける。
トウコはグビグビと飲んでいた酒を置き、にこにこと満面の笑みを浮かべた。
「楽しい!」
酒場ではよくわからない踊りが始まり、トウコも席を立ち、一緒に踊りはじめる。
初めて見るそれにトウコはまったくついて行けていないが、隣にいた女性に習いながら、適当に踊っていた。
黒い瞳がキラキラ輝いて、それを見ていると年甲斐もなく俺の心まで弾んだ。
時折、ガルズー! と呼ぶから、はいはい、と手を上げると、また楽しそうに笑う。
頭に巻いたスカーフがひらひらと揺れた。
トウコ、知ってるか?
この世界の人間はお前を踏みつけるだけじゃない。
一緒に笑ってくれる。
一緒に怒ってくれる。
一緒に泣いてくれる。
そんな人間がたくさんいるんだ。
行く先に川があれば、違う道を探そうって言ってくれる人がたくさんいる。
俺が見せたい。
お前のその瞳を輝きでいっぱいにしたい。
俺が広い世界で羽ばたけたように。
――お前にも広い世界を見せたいんだ。