異世界の黒の魔女と銀の王子(本編の王子視点+α)
トウコが忽然と噴水に現れた事を聞いた時。
――ああ。やっぱり僕は銀の王子なんだ。
その事が心にじわっと広がって……。
思わず僕は笑ってしまっていた。
幼いころから当たり前のように銀の王子と呼ばれていた僕。
この国で第二王子として生まれた僕が銀色の髪と緋色の目を持っていたからだ。
それは伝承されていた救世主と同じ容姿。
僕と兄とは十七も歳が離れており、物心ついた時には兄は既に王太子の座を盤石なものにしていた。
そのため、僕は執政者としての役割は求められる事はなく、温室のような生温い中で育った。
王族としてマナーや多少の教養は身に着けたが、それ以上の何かを求められた事はないのだ。
雨も降らない、風も吹かない日々。
それを幸せだと感じられたのはほんの小さい頃だけで、物心がつく頃にはそんな世界にどこか冷めた目を持つようになっていた。
この国が僕に求めているのは僕ではない。
銀色の髪に緋色の目。
この容姿であれば中身などどうでもいいのだ。
僕に求められているのは銀の王子として、民の心を集める事。
外見だけの存在。
世界に破滅など訪れない。
魔王など存在しない。
救世主の姿をした僕。
だけど、僕が救う世界などありはしないのだ。
だから、トウコが……黒の魔女が現れたって聞いた時、声を上げて笑ってしまった。
役目もなく、中身も求められない僕たちが二人も揃う。
この国にとって、これだけ便利な道具はないのだ。
……もう逃げられない。
元から逃げる事はできなかったのかもしれない。
でも、黒の魔女まで揃ってしまった今、僕は死ぬまで銀の王子なのだ。
この国に。
この生温い温室に閉じ込められる。
トウコが噴水から現れて、半年。
トウコはここでの生活に慣れてきたようで、僕の前ではいつも笑っている。
いつもの噴水の前のベンチに座れば、トウコは嬉しそうにニコニコとしていた。
「レイベーグ、今日は何してたの?」
「今日? 今日はいつも通りだよ。朝起きて、朝食をとって、少しばかりの座学をして、昼食。形式ばった剣の訓練をして、今、トウコとお茶をしてる」
「そっか。今日も一日がんばったんだね、えらいね」
トウコがうんうんと頷き、僕を褒める。
トウコは僕の事を弟のように思っているのか、こうしてお姉さんぶるのだ。
トウコが頷く度に黒い髪がサラリと揺れた。
「トウコはどうしてたの?」
「私? ……うん。いつもと一緒かな」
トウコが眉間に皺を寄せたまま笑う。
これはトウコのくせ。
寂しい時や悲しい時。僕の前では泣かずに、精いっぱい取り繕うのだ。
「また、さみしくなったの?」
「……」
僕が少し顔を傾けて聞くと、トウコは何も答えず、黒い瞳をゆらゆらと揺らした。
「大丈夫。大丈夫だよ、トウコ」
ゆらゆらと揺れる瞳を見つめて、なるべく優しく見えるように笑う。
「元の世界に戻れなくても大丈夫。僕がいるよ」
「……うん」
「この世界で一人でも、僕がいるからね?」
「……」
僕の言葉にトウコは困ったように笑った。
何度も。
何度もトウコに言い聞かせてきた。
少しずつ内容を変えて。
――僕に依存するように。
トウコは小さく息を吐くと、空が青くてきれいだね、とか鳥の声がするね、となんでもない事を話し始める。
そんな他愛のない会話でも、人との会話がほとんどないであろうトウコは嬉しそうに話していた。
トウコは人との会話に飢えているのだ。
それは僕がトウコの周りに壁を作っているせい。
トウコは本来なら人から避けられるようなタイプではない。
その明るさで、何人かの侍女がトウコと友人のような関係になった。
僕はその都度、侍女の配置換えを行い、トウコを黒の魔女として扱う事ができる侍女だけにした。
トウコにつく護衛騎士は公私の区別がつく者だけを選別し、トウコとの会話を制限した。
トウコの周りにいるのは仕事を全うする者ばかり。
最初は馴染もうと努力していたトウコも打っても響かない対応にここはそういう所なのだと諦めたらしい。
……トウコはこの世界の人間じゃない。
逃げようと思えばすぐに逃げられるだろう。
王城にいる必要も黒い服を着る必要もない。
黒の魔女として利用される筋合いなど何一つないのだ。
だから、ひたすら依存させた。
僕は銀の王子として生きていく。
黒の魔女がこの世界へ現れたから僕はもう逃げられない。
――なのに僕だけここにいるなんて不公平だ。
黒い瞳にはさみしさを映せばいい。
僕と同じように外見だけの存在。
役目もなく、中身も求められず、ただそこにあるだけ。
……僕は黒の魔女が嫌いだ。
僕には婚約者がいる。
国内の有力貴族の娘。
幼いころに決まったそれは、銀の王子を他国に利用されないために決められたもの。
銀の王子はこれからもこの国で使い続けるという、ただそれだけのものだ。
だから、トウコが現れ、僕が親しく付き合っている事を知り、トウコを妃にという話も当然出る。
だけど、僕はそれを了承しなかった。
トウコは人を惹きつける。
今、トウコが孤独にいるのは一重に何の力もない異世界人だからだ。
もし、僕の妃となってしまえば、地位も力も手に入れてしまう。
僕が作り上げてきた囲いをトウコが自分自身の力で壊すものを与えてしまう事になるだろう。
トウコは異世界の黒の魔女ではなく、トウコに変わってしまう。
――そんなの許さない。
国内情勢に配慮したいだとか、貴族の娘を愛しているだとか言えば、トウコを妃にするという話も立ち消えた。
トウコは異世界の黒の魔女。
銀の王子が面倒をみているだけの、ちっぽけな存在。
黒い衣を纏い、銀の王子の斜め後ろをついて行く。
それでいい。
僕が後ろを振り返った時にだけ、うれしそうに笑えばいいんだ。
他には何も映さず、僕の背中をじっと見ていればいい。
トウコは僕に婚約者がいると知り、距離を取ろうと王城を出た。
これ以上僕に依存しないようにしようと言う、彼女なりの自立心なのだろう。
トウコはなかなか手強い。
異世界で誰も知り合いがおらず、仲良くなる者をことごとく外へやっても、彼女はなんとか立ち上がろうとする。
さっさと諦めて、僕にもっと依存すればいいのに、必死で一人で立とうとするのだ。
黒の魔女のくせに。
トウコは黒の魔女なんだから、銀の王子である僕のそばにいればいいのに。
僕だけを見ていればいいのに。
王城を出る事を許し、トウコから少し距離を置かれたが、相変わらずトウコの周りに人が集まらないように監視し続けた。
この世界の事や魔法の事を知るために王城で勉強を続けさせ、その度に僕はトウコと話す。
トウコは最初は困ったように笑っていたが、時が経つにつれ、またにこにこと笑うようになった。
そうして、ついに巡礼に出る事になった。
期間は一年程。
これが終われば、僕の役目は終わりなのか。
それとも、国民の前に姿を晒すことによって、更に億劫な毎日に変わってしまうのか。
まだわからない。
「ねえ、レイベーグ。巡礼の旅って何をするの?」
「うーん。そうだね。何をするってわけじゃないよ。ただ伝承された通りに町や村をまわり、東の果てまで行くんだよ」
いつもの噴水の前のベンチに座り、トウコと話す。
トウコが王城を出ていく前と変わらない距離に僕の顔は自然と笑顔になった。
「東の果てに行って何をするの?」
「東の果てにね、水天球と呼ばれる物があるんだよ。それに祈るだけだね」
トウコの顔が意味が分からない、と曇る。
「……世界を救うとかじゃないの?」
「いいや、この世界は平和そのものだと思うよ」
トウコの疑問に最もだ、と思う。
何の意味がある巡礼なのか。
何の意味がある僕なのか。
どうして君はこの世界に来てしまったのか。
僕があははっと笑うと、トウコがむむっと口を尖らせた。
「じゃあ、なんでわざわざ……」
「そうだねぇ。まあ、僕がいて、君がいるからかな」
そう。銀の王子がいて黒の魔女がいるから。
ただそれだけ、
外見だけが必要とされている僕らが二人揃っているから。
僕がなるべく優しく見えるように笑うと、トウコはそれを嫌がるように首を振った。
黒い髪がサラサラと揺れる。
「えっと、つまり、伝承通りに銀の王子と黒の魔女がいるから、巡礼に出ないといけないっていうだけ?」
「そうだね。一応この国は五十年に一度、王族の誰かが巡礼に出るんだよ。で、今回は銀の王子と黒の魔女である僕らはそれにぴったりだって事だね」
「でも、目的は特にないんだよね?」
「うん。まあ、民の事を思って王族が巡礼してますよって事を印象付けたいんだよ」
「そっか……」
トウコに言って聞かせると、トウコの眉間に皺が寄る。
僕はそんなトウコの眉間をそっと人差し指で撫でた。
「……トウコはここで待っていてもいいよ?」
さあ。
試してみよう。
トウコの黒い瞳をじっと見つめて、トウコを探る。
君はちゃんと僕を見てる?
僕の後ろにきちんとついてきてる?
黒い瞳のさみしさをじっと見ると、トウコは苦し気に胸に手を当てた。
「……行く」
トウコは少しだけ視線をさまよわせた後、僕の瞳をチラリと見た。
小さな言葉だったけれど、その返事に僕の心には温かいものが広がる。
トウコはちゃんと僕を見てる。
僕の後ろをきちんとついてきてる。
僕はトウコの揺れる黒い瞳を見て、笑顔で頷いた。
巡礼は予定通りに進んだ。
トウコの周りには誰も寄せ付けないようにしていたのに、共に旅をした銅の戦士はそんなのを気にせず、ずかずかとトウコと僕へと近づていた。
僕にしか笑っていなかったトウコが銅の戦士を見て笑う。
その度に胸がズキズキと痛んだ。
巡礼の帰還を祝うパーティの翌日。
ガルズが僕に会いに来た。
どうやら昨夜、トウコと話したようでトウコについての話だった。
「お前にトウコを縛りつけるな」
ガルズが挨拶もそこそこに僕に言葉を投げる。
唐突なその言葉に少したじろいだが、薄く笑って言葉を返した。
「……僕はトウコに居場所を作っただけだよ」
「……ああ、そうだな。それは悪くない」
クルミ色の目でじっと見つめられる。
その目は怒気を孕んでいたが、でも僕を優しく見ていた。
「男なら、やり方を考えろ」
低く簡潔に告げられる言葉。
「……好きな女を泣かせてんじゃねーよ」
そして、右手の甲で優しく、コツッと頭を叩かれた。
「……好きな女?」
「……王子様は頭がいいが、自分の事に無関心すぎるな」
銅の戦士の言葉に目をしばしばと瞬くと、銅の戦士はやれやれと息を吐く。
世話が焼ける、と零して、僕の目をじっと見た。
「いいか。トウコはお前の事を思って、懸命に一人で立とうとしてるんだよ。お前の迷惑になりたくない。お前の世界を壊したくないってな」
銅の戦士の言葉が胸に刺さる。
トウコが一人で立とうとしている事はわかっている。
僕から距離を取ろうとしていることも。
「……知ってるよ。でも、トウコは黒の魔女で、僕は銀の王子だ」
だから一緒にいていいのだ、と言外に伝えれば、銅の戦士は、はあと深い溜息を吐いた。
「トウコはお前が銀の王子だからそばにいたんじゃねーだろ。……ちゃんと名前で呼んで、お前が頑張ってるところをずっと見てたんだよ」
クルミ色の目が優しく僕を見る。
「お前だって黒の魔女にそばにいて欲しいわけじゃねーだろ。……トウコにいて欲しいんだろ?」
銀の王子だから黒の魔女がいるわけではない。
そして……。
「……僕だから、トウコにいて欲しい?」
「……そうだよ。レイベーグだから、トウコにいて欲しいんだろ」
銅の戦士がまた、はあと深い溜息を吐く。
その言葉は僕の心の奥にあったモノをあっけなく引き出した。
「僕は……トウコが好き」
「……そうだろうよ」
銅の戦士が天井を見上げてガシガシと頭を掻く。
銅色の髪がキラキラと輝くのを見ながら、僕はぎゅっと胸の辺りの服を掴んだ。
……ああ。なんだ。
僕はトウコが好きだったんだ。
その事に気づけば、今まで閉じ込めていた思いが胸に溢れていく。
さみしさでいっぱいの瞳に僕を映せばいいと思った。
僕がその瞳を輝きでいっぱいにしたかった。
真っ黒の服を着て、僕の左後ろをついてきて、僕が振り返れば、嬉しそうに目を細める。
がんばったねって。
えらかったねって。
僕だけに笑って、僕だけしかそばにいなくて、僕だけが世界の全てで。
生温い温室に緑を茂らせ、花を咲かせ、果実を実らせる。
トウコだけが、僕の世界を彩ってくれる。
そうだ。
トウコがいればさみしくなかった。
トウコがにこにこ笑うから、王城の噴水を見る度に、心が温かくなっていた。
「一年だ」
銅の戦士が、胸を抑え続ける僕を見て、呆れながら声を出す。
意味が分からなくて見返せば、その目は優しく僕を見ていた。
「トウコを連れて旅に出る。その間に少しは成長しとけ」
銅の戦士はやれやれと息を吐く。
「トウコがこの世界に来て一年、お前と一緒にいた。で、三人で巡礼に出た。後は俺が一年トウコと一緒にいりゃあ、一応公平だろ」
動きが鈍くなった頭で考えるに、どうやら銅の戦士はトウコをどこかへ連れていくらしい。
その期間が一年で、そうすると僕と銅の戦士は公平になる?
「お前は銀の王子だ。……でも、レイベーグとしてやれることがあるだろ。自分を諦めんな」
低い声が僕の耳に響いていく。
巡礼で何度も聞いたこの声。
銀の王子と黒の魔女。そして銅の戦士であるガルズは自然と一緒にいて、いつもガルズはさりげなく助けてくれた。
「お前を見てるヤツはたくさんいる。……大丈夫だ」
『大丈夫』
僕が何度もトウコに伝えた言葉。
いつもトウコを困らせていた言葉なのに、ガルズが言うとこんなにも心強い。
「とにかく、まずはトウコに世界を見せてくる。お前がアイツに縋るからいっぱいいっぱいになってるんだよ。お前から見れば年上だろうが、俺から見ればアイツはまだまだ小娘だ。……お前も男ならしっかり自分で立て」
ガルズの言葉が胸を抉る。
僕は自分で立っているつもりだった。
でも、違っていたのかもしれない。
トウコを依存させていたつもりだったけど、依存していたのは僕の方で……。
トウコを僕と同じにしたかった。
トウコだけが仲間を作るなんて許せない。
……だって僕にはトウコしかいないから。
「一年経てば戻って来る。お前はその間、周りをちゃんと見ろ。……それで、もしそこが嫌だって思えば、俺が連れて行ってやる」
いつしか胸の辺りを掴む手に力が入る。
「お前は王子だから、さすがに色々難しいだろうが……まあ、トウコと俺がいればなんとかなるだろ」
ガルズはバカだ。
僕の事なんか放っておいて、トウコをさらってしまえばよかったのに。
「銀の王子と黒の魔女と銅の戦士だからな。まあ、どこにでもいけるだろ」
僕の大嫌いな言葉なのに、ガルズが言うとそれはとても幸せな言葉に聞こえた。
三人いれば無敵だろ? って。
優しいクルミ色の目が僕の情けないこだわりをほぐして、遠くへ捨て去る。
「この国でやっていきながら、時々巡礼だっつって、旅に出るのもいいんじゃないか?」
ガルズがポンッと僕の背中を叩いた。
その背中がじわじわ温かくなって、僕は知らずにぎゅっと唇を噛み、小さく呟く。
「……僕はトウコが好きだよ」
なのに、こんな、敵に塩を送るような事をしてもいいのか、とじっと見つめた。
「おお。やっと自覚したな」
だけど、そんな僕の言葉など鼻で笑って、クルミ色の目が悪戯っぽく光る。
「これから一年、トウコは俺と一緒だからな。俺の方が有利だろ」
ハハッと声を立ててガルズが笑った。
目つきも悪いし、頬には傷があるし、仕草も全然洗練されていない。
でも、その姿は――
「……じゃあ、僕はトウコが旅に出れるように手を回すよ」
「ああ。よろしく」
ガルズは当然、という風に頷く。
そんなガルズに思わず笑ってしまった。
僕が嫌だと言って、トウコを監禁したらどうするつもりだったんだろう。
……でも、ガルズの事だから、そこからトウコをさらって、連れて行ってしまうんだろうな。
どうせガルズに連れていかれてしまうなら、一年と期間を設けて、トウコに旅立ってもらった方が安心だ。
「……トウコがいない間、僕ももう少しやってみる。……レイベーグとして」
「ああ。……お前ならできる」
ガルズがまた僕の背中をポンッと叩いた。
なんの根拠もないガルズの言葉が僕を奮い立たせる。
――ああ。かっこいいな。
僕もそんな男になりたい。
次にトウコに会えた時は、きちんと謝ろう。
トウコが僕を許してくれるかはわからない。
もう二度と会いたくないかもしれない。
それでも、レイベーグとしてがんばるから。
……また笑って欲しいんだ。