婚約破棄で君に自由を(本編の王子視点)
ルルスキニの第三王子として生まれて。
自分の妃がこの国の生贄になる事ぐらいわかっていた。
私は生まれながらに生贄だが、これからその生贄である私がもう一人の生贄を探さなければならない。
色々とめんどくさくなって、婚約者になりそうな令嬢を集めて、くじびきをした。
くじの紙には自分で名前を書くようにしたため、きっと様々な事が行われたはずだ。
名前を書かない者。人の名前を書いた者。白紙にした者。
みなが緊張する中、木箱に手を入れ、中を探った。
大体は半分に折られているようで、それが何枚か掌に触れる。
そんな中、小さな小さな紙の感触が私の指先に触れた。
きっとあの紙を小さく小さく折りたたんで、必死に私に選ばれないようにしたのだろう。
小賢しくて、素直でかわいい。
なんだかその紙にそんな感想を持った私はそれを引いた。
木箱から手を引き抜いた瞬間に『ひっ』という声を聞いた気がしたが、気にせずに折りたたまれた紙を開く。
その紙は本当に小さく小さく折りたたまれていて、広げながらも口元が緩んでしまった。
「フランダリ旧伯爵家次女ヴァラグリーア」
書いてある名を読み上げる。
すると、隠れるように後ろにいた一人の令嬢が素っ頓狂な声を上げた。
「うっそだぁ!」
淑女とは思えないその台詞。
薄い黄緑色の髪はやわらかく編み込まれ、とび色の瞳が大きく見開かれていた。
……これが私の婚約者。
そう思えば、なんだか胸がふわふわとして……。
思わずクスクスと笑ってしまった。
そんな出会いから早二年。
彼女は王宮での妃教育をがんばっていた。
時折、逃げ出しているようで、私の友人でもある彼女の兄に連れ戻されていたが。
「本当にいいのですか?」
彼女の兄が眉間に皺を寄せて、私を見る。
私はそれに、構わないと鷹揚に頷いた。
「わざわざ生贄に立候補してくれてるんだから、婚約者を旧子爵家に変えてしまえばいい。どうせ私の道は一本道だ。多少ガタガタした方が面白そうだろう?」
「……そう言って、くじびきをしたのが二年前です」
「そうだったね」
二年前の婚約者を決める時。
どうせ行く道は変わらないのだから、出てきた障害を適当にこなしながら生きていけばいいかなと思ったのだ。
だから、人となりを知る事もせず、たった一度きりの機会で婚約者を決めてしまった。
「……あのくじびきはなかったね。よりによって、一番やりたい事がある娘を選んじゃうんだから」
きっと少しでも話していれば選ばなかっただろう。
雨の森で新生物の観察をしたいって……。
その時を思い出してフフッと笑ってしまう。
そんなおかしな令嬢がいるとは思わなかった。
王宮で死んだような目で妃教育を受けているのに、私を見るとその目を輝かせて……。
そして、たくさんの話をしてくれた。
今では知りたくもないのに、雨の森の情報に詳しくなってしまったのだ。
「……ヴァラグリーアは腹芸などができる類ではありませんが、ああ見えて、世渡りの術を心得ています」
「ああ」
「末っ子故か、なかなか小賢しい。……第三王子妃として問題なかったかと思います」
彼女の事を思い出したのか。
眉間の皺がググッと更に深くなる。
「殿下は……ヴァラグリーアといらっしゃる時、とても楽しそうでした」
離してしまっていいのか、とこの友人は私に言っているのだろう。
彼女の兄と、私の友人としての立場と……。
両方の思いを知りながらも、こうして私の背中を押そうとしてくれる。
「……でも、私の道に巻き込めないよ」
私はそんな友人に小さく微笑んで返した。
私の道は一本道。
私の道に巻き込んでしまえば、彼女は雨の森へ行くことはできない。
「それに旧子爵家のレイアもなかなかに楽しそうな人物じゃないか」
「……女狐です」
「ああ。いいじゃないか。私の道が思う存分ガタガタしそうだ」
先の事を思いクスクスと笑う。
すると友人ははぁと小さく息を吐いた。
そうして情報を集め続け、下準備を整え。
ようやく今日、彼女に婚約破棄を告げた。
やはり、彼女はとても喜んでいて……。
こうして、私から離れられて良かったと思う。
そして、二年も留めてしまい申し訳なかったとも。
……これで、こうして手を触れて、話す事もないのだろう。
彼女がきらきら笑っていて、とても嬉しい。
でも、それが寂しい。
私のそんな様子に気づくこともなく、彼女は扉を開けて出ていく。
しかし、なぜかすぐに戻ってきて、扉を開け放った。
そして、私の傍までやってきて、手をぎゅっと握った。
「殿下――シャルスターク様。私、ちょっと、今のは間違えました」
「間違い?」
じっと見てくるとび色の瞳は澄んでいて……。
思わず、目を瞬いてしまう。
「婚約破棄にありがとうございます……と言ってしまいましたが、そうじゃなかったです。……あの、二年間でしたが、私はシャルスターク様といるのが嫌いではありませんでした」
「そう? 王宮には嫌そうに来てたよね」
「それは、勉強が嫌だっただけです」
私がいじけたように言うと、彼女はあっさりとその言葉を蹴飛ばした。
「一緒にお茶をしたり、庭園を歩いたり……。シャルスターク様はいつも私の話をクスクスと笑って聞いてくれました。完璧な婚約者じゃないのに、笑って許してくれました。きっと、シャルスターク様でなければ、もっとつらい日々だったと思います」
「……私も君と過ごせて良かったよ。今まで君をここに留めてしまい、申し訳なかった」
私の思いつきで彼女を生贄にしてしまった。
でも、彼女はそれに小さく笑う。
「いえ、あの……くじでしたから」
そして、彼女がぎゅっと手に力を入れた。
小さくて、暖かい。
私の婚約者の手。
「私、雨の森でがんばってきます。それで、この国のためになるような発見をしてきます」
その手が私から離れる。
「シャルスターク様。婚約者になってくれて、ありがとうございました」
とび色の目をきらきらさせて、にこにこと笑う。
そこには未練なんてなにもなくて、ただただ未来をまっすぐに見ていた。
それだけ告げると、戻ってきた彼女は私を置いて、あっという間に外へ飛び出して行ってしまう。
窓からそっと外を伺えば、走りながらぴょんぴょんと飛び上っている彼女の姿が見えた。
「……君の妹、走りながら跳んでるよ?」
「……後できつく叱っておきます」
隣を見れば、更に眉間に皺を寄せて、彼女の背中を睨んでいる友人がいる。
「殿下……。私は殿下から離れません」
「……ああ」
その言葉に思わずふっと息が漏れた。
どうやらこの友人は妹とは違い、ずっとそばにいてくれるらしい。
「私は権力闘争に勝ち続ける。これからもずっと」
「はい、お供します」
「では諸事を片付けよう」
これから忙しくなる。
婚約を破棄し、新たに結び直す。
そして、貶めようとした者たちをじりじりと追い込む。
執務机に戻る前に、もう一度窓の外を見た。
そこに彼女の姿はない。
籠の鳥はもう空へと飛び立ってしまったのだ。
窓に背を向け、執務机に座り、書類を広げる。
そして、諸事を任せる者を呼び、友人と共にこれからの事を相談した。
彼女にとっては辛い二年間だったかもしれない。
けれど、私は楽しかった。
この日々を糧に。
一本道を歩いていく。