第11話「峠にて」
日もすっかり暮れた、午後8時半。
俺たちは、赤谷峠山頂のパーキングにいた。
まだ8時半とはいえ、相変わらず平日の夜に来るものは殆どいない。
第一、この道を利用するのは、観光客か走り屋くらいだ。
観光客は景色の見える昼間しか来ないし、走り屋も殆どは土曜の夜しか走りに来ない。
また、峠の向こう側にある赤谷町へと向かう一般車はトンネルを使って山の下を通り抜けるので、わざわざ峠越えのルートなど通ることはないのだ。
現在パーキングには、3台の車が並んでいる。
一台はもちろん、俺の愛車。
隣に並んでいるのは、シルバーメタリックに塗装された、ミラTR-XX。
士の愛車だ。
そして、士のXXを挟んで反対側の駐車スペースにもう一台、白い車が止まっている。
丸みを帯びたボディを持つその車の名は、ダイハツ・コペン。
さて、この車の持ち主だが―――
「2人とも速いです。私もまだまだってことですね」
そんな台詞と共に、コペンのドライバーがパーキングに降り立つ。
車内から姿を現したのは、肩に掛かるくらいのセミロングの髪形をした女性だった。
顔は結構美人・・・・・・のようだが、実を言うと、きちんと見た事がない。
というのも、彼女は前髪を長く伸ばしており、鼻が隠れるほどあるため、顔の上半分が見えないのだ。
正直、前がきちんと見えているのかすら疑問である。
士の話によると、彼女はある理由により前髪を短くする事が出来ないらしい。
何故かは聞いていないが、彼女も士と同じく3年前の「事件」の被害者だという事だし、おおよその見当は付く……。
が、それを本人に聞くのは、失礼というものだろう。
女性は、先に車を止めて降りていた俺たちの方へと近づいてくる。
彼女の名前は「岬 春奈」。
俺の走り屋仲間であり……付け加えれば、士の彼女でもある。
「彼女いない暦=年齢」の俺には羨ましい話だが……。
「いやいや、俺たちの車とのチューンの差を考えたら、登りでついてきているだけでも十分凄いさ」
士の言葉に、俺も頷く。
彼女のコペンは、ROMの書き換えとマフラー、エアクリーナーの交換程度しかチューンをしていないので、大体80馬力前後といったところだろう。
対して、俺のワークスや士のXXはタービン交換やボア、ストロークアップによる排気量アップ(排気量アップは白ナンバー登録しなければ違反なのだが、まずバレないのでそのままである)、鍛造ピストン装着などのパワーアップを行っているので、おそらく通常で110〜120馬力程度出ているはずだ。
登りでは車重とパワーがダイレクトに影響してくるので、それらに劣る車でついてくるというのは、腕のあるドライバーでも難しい。
こちらもある程度セーブしていたとはいえ、以前に比べて随分速くなったものだ。
春奈さんは、俺たちの言葉に微笑みながらも、謎めいた言葉を放つ。
「ありがとうございます。……でも私、もっと速くなりたいんです。……そうすれば、いつか、思い出せるような気がするから……」
「……?」
思い出す?
一体何の事だろうか?
気になって尋ねようとした俺だったが、それを遮る様に、士が口を開いた。
「……ん?麓から一台登ってきたみたいだぞ」
「……本当ですね。エンジン音が聞こえます」
士の言葉に耳を澄ましていた春奈さんにも聞こえたらしい。
暫くするうちに、俺の耳にも件の車の排気音が届く。
甲高く連続的な排気音。
エンジンというより、モーターの回転音のようにも聞こえる。
一体、誰だ?
「……聞きなれない音だな。ロータリー車みたいだが……」
「……ロータリー……まさか!」
士の台詞を聞いて、俺の脳裏に、ある車の走る光景が鮮やかに思い起こされた。
そうしている間にも、排気音はどんどん近づいてくる。
そしてついに、件の車は北ルートの最終コーナーを抜け、俺たちの前に姿を現す。
その姿を見た瞬間、俺は先刻の予想が間違っていなかった事を確信した。
「やっと会えたぜ……狂気の蒼!」
艶消しのダークブルーに塗装された、小さな車体。
その車の名は、「オートザム AZ-1」。
俺のワークス同様に、軽自動車規格で作られたスポーツカーだ。
だが、あのマシンは「軽スポーツカー」などとは言えないハイチューンを施されている。
その象徴が、エンジンだ。
ワークスと同じ、F6Aエンジンが納まっているべきエンジンルームには、RX-8に搭載されている13B-RENESIS型、1308cc、2ローターの自然吸気ロータリーエンジンが搭載されている。
つまり、800kgを切る軽量ボディに、ノーマルで最高出力250馬力を誇るエンジンを搭載しているのだ。
「狂気の蒼って……あの、噂の化け物か!?」
士も噂は知っているらしく、驚いた口調で俺に話しかける。
「間違いない。NAロータリー特有のエキゾーストノートに、ダークブルーのカラーリング、そして「AZ-550 typeA」ばりにリトラクタブルに改造されたヘッドライト。あんな車は2台といないだろ!?」
そういいながらも、俺の目は奴の車に釘付けになったままだ。
北ルートから上ってきた奴の車は、速度を落としてパーキングへと続く直線を走ってくる。
一体どんな奴がドライビングしているのか?
俺たち3人は、興味津々で奴がパーキングに入ってくるのを待っていた。
だが――――――
「なっ!?また加速してる!?」
俺たちの予想に反し、蒼いAZ-1は再び加速する。
パーキングには入らずに横を通過すると、南ルートの下りへと消えていく。
後には再加速するAZ-1の甲高いエキゾーストノートだけが残された。
「くそっ!逃がしてたまるか!」
俺は悪態をつきながらも、急いでワークスのドアを開け、シートに滑り込む。
しかし、そこで士が待ったを掛けた。
「待て!今からじゃ追いかけても無理だ!」
「じゃあ、どうするんだよ!せっかく奴に会えたのに、このまま逃がしてたまるか!」
ここで逃がせば、次に何時会えるか判ったものではない。
思わず士に食って掛かろうかとも思ったが、士は自信ありげにこう言った。
「大丈夫だ。奴は必ず、戻ってくる」
「何故そう言い切れるんだ?」
「奴が北から上がって、南ルートへ降りたからだ」
「は?」
どういう意味で言っているのかが、さっぱり判らない。
漫画なら、今頃俺の頭上に「?」マークが踊っているところだろう。
「?……意味がわかりません……」
隣の春奈さんもご同様らしく、不思議そうに首を傾げている。
「いいか、奴は今、北から上がって南へと抜けた。逆に、南から上がってくる奴の姿は見ていない。つまり、奴は北ルート方面からやってきた事になる。北から来たのなら、北に帰るのは確実だろ?ここに走りに来た奴がバイパスを通って帰るとは考えられないからな」
「そうか!要するに、奴はもう一度南から上って北ルートを下る。そのときを狙って待ち伏せすればいいってことか!」
「その通り」
ほんの僅かな時間の間に、そこまで考えていたとは……。
この冷静さは、俺も見習いたいものだ。
……恐らく、これからますます必要になるだろうし。
その後、俺たちは各々の車へと戻り、パーキング前のストレートに車を止めた。
奴が戻ってくれば、直ぐにでも追いかけられる体制である。
そして、15分後。
俺の耳に、再びロータリーサウンドが届いた。
音から判断して、予想通り南ルートを登ってきている。
「……OK、士の読みどおりだ!」
俺は、思わず指を鳴らす。
1年前にあのキレた走りを見せられて以来、ずっと探し続けてきた相手に、とうとう挑めるのだから当然だろう。
「さあ、早く来い!」
そう呟いた直後、俺の声に答えるかのように、ヘッドライトの光がバックミラーに映る。
蒼いAZ-1は、ハザードを焚いたまま止まっている俺たち3台の横を通り抜けていく。
今回もやはり、パーキングには入らずに来たルートを下るらしい。
AZ-1が横を通り抜けた直後、俺はギアを1速に叩き込むとクラッチを繋ぐ。
軽いホイルスピンの音と共に、ワークスは急加速を始めた。
そのまま、AZ-1の後へ付ける。
「さて、勝負と行こうじゃないか!」
俺はAZ-1に向かってパッシングを放つ。
この峠では、流している最中にバトルを仕掛ける際はパッシング3回というローカルルールがある。
これに対し、承諾する場合はハザードランプを点ける。
拒否する場合は左ウインカーというのがセオリー。
そして、承諾した場合は先行車が右ウインカーを3回出した地点でスタートという事になる。
だが、AZ-1に反応する素振りがない。
2年以上前からここを走っているらしいので、このルールを知らないとは思えないが……。
「拒否はしないでくれよ……」
そう呟いた次の瞬間、AZ-1のハザードが点灯した。
「よっしゃ!承諾か!」
ハザードを確認した俺は、こちらもハザードを焚く。
後続の二人に、バトル開始を知らせるためだ。
直ぐに、後ろの2台からも了承を示すハザードが焚かれる。
AZ-1はそれを確認してハザードを消すと、40kmほどで定速走行を続けた。
もちろん、俺たちもその後に続く。
そして、タイムアタックのスタート地点であるバス停を通過する直前、AZ-1の右ウインカーが光った。
バトル開始の合図だ。
「よぉし、行くぜ!」
俺は、叫ぶより早くシフトレバーを2速へ叩き込むと、アクセルを床まで踏みつけた。
F6Aエンジンが、俺の右足に反応してrpmを上げていく。
他の3台もフル加速を始め、峠道に4台のマシンの咆哮が響き渡る。
それはさながら、バトルの幕開けを告げるファンファーレのようであった。
お読みいただき有難うございました。
作中のロータリー搭載型AZ-1、こんなことできるのか?と思った方もいるかもしれませんが、現実に存在します。
もっとも、すごいじゃじゃ馬らしいですが。
ご意見、ご感想お待ちしております。