第二の人生も度胸が大事
祖父さんの家でかれこれ数日の間反復でレッスンされ、もう行儀作法やあれこれが身に沁みついた。
今なら町を歩きながらも王城を闊歩するように優雅に振る舞い、王族の中に何人禿げがいるかも、どの程度まで自分の毛髪にコンプレックスがあるかも、陸軍大臣が何回条約締結の署名で誤字ったかも諳んじられるぜ。
…いかん。後半に行くほど捻くれてきた。
どうも大人気ない大人達に囲まれて嫌気が差して意地が悪くなったようだ。
ダニエラに漏らすと「それは元々かと存じます」と涼しい顔で言われた。
ダニエラは正しくクールビューティーだ。見た目も中身も。
透き通る白銀の髪に夕闇から夜に移り変わる直前の空のような深い青の瞳。
表情も変わらず、常に優美で洗練された仕種だ。いついかなる時も冷静沈着で、オレがどんな年に似合わない突拍子な事を初めても平然とし、手助けさえする。
…歩行練習の時に手を取って「あんよは上手」とか無表情で声掛けされた時は力が抜けて中々まともに立てなかった。
今の所教師全員から「…お見事」とか、「もう教えることはございません」と敗北感さえ滲ませてお墨付きをもらえたんで、すっきりしたね。
ざまぁ見やがれ。保身に走った大人は嫌いだよ。
教師達によって行われる必要以上の授業内容の全ては、オレの作法に漏れや至らない点があったら、祖父さんにとっちめられる、そう恐れての事だ。
授業に入って二日目にベッドに入るとその辺りをダニエラに教えられ、「だからそう無理をしなくともよろしいですよ」、と言われていた。
そして本当は祖父さんもそこまでの内容をさせようとしていなくて、ただ貴族式のお辞儀や挨拶を教えてやってくれ、と頼んでいたそうだ。
食事の時のオレの疲労困憊、といった様子を見て驚き、教師達の自分へ阿る態度に思わない事が無くも無いそうだが、オレが不服も泣き言も漏らさないで食いついているからか、何も言わないらしい。
全く。祖父さんは獅子は千尋の谷から我が子を突き落とす、を体現したような人だ。
見るからにお堅い祖父さんは軍人だった。
だから自分に厳しく他人にも厳しい。
そういう人は嫌いじゃない。むしろ子供をろくに叱らない母上様に比べたら、よっぽど好きになれる教育方針だ。
正直、前世じゃ将来の跡取りとして、ウチの家系に生まれた男として心身ともに厳しく育てられたから、そのくらいの方が性に合っている。
それに、教師連中も気に入らなかったからな。
この話を聞かせたダニエラはオレが二日連続フラッフラになっていたから、見かねて無理するな、と言いたかったらしいが、オレの様子に諦め、フォローする方向にシフトした。
おかげでオレは体調を崩すことも無く授業に出続けることが出来たよ。
そして今日という日を迎えた。
今日はそれぞれの授業でそんなやり取りが立て続けに行われ、当初の予定よりも随分と早く切り上げられたんで暇だ。
そこで今まで出来なかった屋敷の散策などしてみたくなり、ダニエラ一人引きつれて歩き回っている。
…絶賛迷子中だが。
前世からオレは場所と場所の位置関係がわからなくなる。
今も気の向くまま、目の前にあるまま曲がって進んでいるが、今自分がどこにいるのか全く分からない。
ダニエラなら今辿って来た道を把握しているんだろうが、聞いても「私はアレク様の行く先に従うだけです」と涼しい顔で言うだけだろう。
…けど、山とかで遭難しかけたらオレと共倒れしないように「こっちです」とか言い出すんだろうな…
オレはダニエラの主人に何があろうと一人で逞しく切り抜ける所が好きだ。
ダニエラがこんなんだからオレは思うさま自由に無茶が出来る。
…いや、流石にもう危ない事に首は突っ込まないよ?取り返しのつかない事ってのがどういう事か骨身に沁みて分かったから。
馬鹿は死んでも治らないけど、いくらかマシになるみたいだ。
…ん~…こっちかな…
見当をつけて突き当たった通路を右に曲がると、これまでどんな進路を取ろうと口を出さなかったダニエラが口を開いた。
「時にアレク様。初日にされた注意は覚えておいでですか?」
ダニエラの忠告に意味の無い物は無いので、記憶を遡って思い出す。
この屋敷で過ごすにあたって、初日にいくつか注意をされていた。
「ん?えっと…お祖父様の塔には立ち入らない、だっけ?」
「はい。
実は先程の曲がり角から、ヴォルフ様専用の塔に踏み入ってしまっております」
ピタリ、と足を止めた。予想していたのかすぐ後ろを歩いていたダニエラがオレとぶつかることは無かった。
ギギギ、と錆びた鉄細工のように首を回してダニエラを振り返る。
「…え?本当に?」
「本当です」
「……な、なぁ、ダニエラ。こっからどう戻れば…」
「私はアレク様の行く先に従うだけです」
「ぶれないなぁ!!」
思わず突っ込むとダニエラはさっと目配せしてオレの口を塞ぐ。そのまま「失礼」と言ってオレを脇に抱え、適当な部屋に入る。
扉の脇で固まっていると、その横の廊下を歩く足音がする。
ここまで堂々とした歩みは祖父さんだろう。
…やっべ…魔王の居城に武器無しで入りこんじまった…
武器が無いとなると撤退しかないが、撤退しようにもマップは無い。優秀な人間マップはあるが、使えなければ意味は無い。
いや、ダニエラの存在価値はそれだけじゃないけどさ。
オレどんな状況でもダニエラがいれば大丈夫だって信頼してるし。
そう。オレに仕えてから早二年。
その間にダニエラのハイスペックさは目の当たりにしている。
そもそも、普通の貴族の子供は教育役の側役が一人に、身の回りの世話をする専任のメイドが十人はいる。
しかし、オレの一切はダニエラが行っている。
それだけで有能さがわかるってもんだろ。
平民出身ながら貴族以上の教育を施されたダニエラは大抵の事をそつなくこなし、時に「何を思って身に着けようとした」、と問いかけたくなるような、使い所が限定される技能を持っている。
どうしようと思っていると、ダニエラはオレを離し、コツコツ、と壁を拳で叩いては耳を押し当てている。
そんな光景には一つしか心当たりは無かったが、そんなまさかと打ち消しながら様子を眺めていた。
オレのメイドさんはこちらの斜め上の存在だということも忘れて。
十回程繰り返してからこっちに目を向ける。
「アレク様。こちらから脱出できます」
「……ダニエラ。今までどんな人生送って来たの?」
「女の過去を紐解くには、お子さま(坊ちゃま)は役不足です」
「いや。いくつになってもダニエラの秘密を暴ける気はしないわ」
「光栄です」
褒めてねぇ…
とはいえ見つかった脱出路を使わないという手は無い。
壁を押すと本当に出てきた入口に足を踏み入れようとしたら、ダニエラに手で制される。
「お待ちください」
そう言うとスカートの中から取り出したマッチを擦り、中に放る。
ああ、酸素があるか調べてんのね。
ところで、さっきスカート捲った時に足に色んなポーチ巻き付けてんの見たけど、他には一体何が入っているのかな?
そしてダニエラはオレと一緒にいる時にどんな事が起こると想定しているのかな?
疑問は尽きないが、意味は無いので口にせず、安全を確かめられた通路にダニエラを先頭に入る。
さすがに嵩張るランタンは持っていなかったようで、行く先を照らすのはオレの作った小さな火の玉だ。
「足元にお気を付け下さい」と言いながら、もしオレが滑ってずっこけても受け止められるよう、腕を後ろに引いて庇う姿勢を取っている。
…うん。普段は突き放した、一歩引いた立ち位置にいるけど、こういう時は率先してオレを守ろうとするんだよね。いつぞやの誘拐騒ぎの時もそうだったし。
…結局騎士団や周りの人の助けを待つまでも無く、ダニエラが全員叩きのめしたけどね。
ダニエラは体術も修めていました。
オレ達は順路に従って道なりに進んでいく。
出口が繋がっていたのは談話室みたいな部屋だった。
暖炉があり、その上には肖像画。暖炉を囲むようにソファーがあり、部屋一面の壁を覆うように本棚が置かれている。
本好きの虫が騒いで「こんな所いいよな~」と思う一方、こうも考えていた。
こういう所って本棚に見せかけて隠し通路への入口あるよな、と。
…案の定ダニエラが探すとすぐに、隠し通路のある気配はあるとのことだった。
気配、というのは開く手段や手がかりが見つからないからだそうだ。
しかし、わからないという事が不服だったのかダニエラはあちこちを探り、ああでもないこうでもないと考えを巡らせ、ほんの数十分で見つけ出してしまった。
色々と複雑な手順を経て現れたのは仕掛けは何と暖炉が半回転し、ガーゴイルが両脇に控えるいかにもな石造りの入口が姿を現す、というものだ。
…こういうのハリ〇タであったぞ?
…ここで唐突だけど、パンドラの箱ってあるだろ?
Q.あれは何で箱を開けたんでしょうか?
A.そこに箱があったからです。
Q.では、明らかな開かずの間があったら?
A・そら入ります。
ですよね~
ええい!男は度胸!!
そう思い決めるとオレとダニエラは新たに見つかった隠し通路に入って行った。