気が変わりました
旅立ちは夜を選んで行われた。
寮の自室でオレはダニエラに旅装束を着付けられる。
動きやすいようシャツにベスト姿で、その上には厚手のマントを羽織る。
頭には耳当て付きの鍔付き帽子だ。
「アレク様。帰って来た時に何かして欲しい事はありますか?」
「ん~。帰ったらホットココア飲みたいかな?」
「ココア、ですか。それだけでは物足りないですね」
「……物足りないて……」
とはいえ、ほっと一息つきたい時は温かいココアが飲みたくなる。
…じゃあ、ココアの後に…
「…じゃあ、インペリアルトルテ食べたい」
インペリアルトルテは正方形のチョコケーキで、中は多層構造になっているから、作るのはさぞかし手間がかかることだろう。
食べる時も注意が必要で、ナイフを温めずに切ってしまったら切り口がガタガタになる。
どっしりしたケーキで、口にするとアーモンドの香りが強く香る。
…マズイ…思い出したら食べたくなった…
それってドイツじゃなくてオーストリアのお菓子だろうが、というツッコミは聞かない。
オレも始めそう思ったよ。
だが、ダニエラが作ってくれるんで、今世のオレの好物だ。
前世ではケーキはガトーショコラが一番好きだったが、鞍替えした。
手配され、準備された旅支度の中でオレが持って行くのはほんの数点。
グスタフ爺の〝守護の宝珠〟。
磨き上げられたナイフ二本。
ダニエラの用意した野営道具と携帯食料。
それともう一つ。
会長殿から押しつけられた鍵。
アッカルドの王様と対峙する準備を進めていたある日の事。
中庭で一人本を読んでいた時だ。
「グーテンベルク」
名を呼ばれたんで顔を上げると、会長だった。
カール共々呼び出されてから、このように会長はオレの前にフラリと姿を現す。
その度に自分の跡を継げと言ってくる。
どうせ今日もそうだろうと、オレは先んじて否定した。
「会長。オレはあんたの跡は継ぎませんよ」
いつもならこう言えば引き下がり、また後日やって来る。
だが、今日は首を左右に振った。
上着のポケットから鍵を取り出すと、オレに付き出してきた。
「ここで引き下がったら、オレが卒業するまでにお前が帰って来るかわからないだろう」
少しばかり目を見張った。
驚いた。会長までオレが旅に出ることを知っているのか。
一応国家機密並に隠してあるんだが。
というのも、いくら女神様に頼まれたからといっても、下手したらリヒター王国がアッカルド帝国に喧嘩を売ったと捉えられかねない。
そこで今回のオレの目標はヒットアンドアウェイ。
できれば名乗らず、正体を知られず、王様を叩きのめし、ニーナの意だと伝える。
そうしてさっさと撤退。
追撃されるだろうが、撒くのはどうとでも出来る。
「これを引き継がないと、卒業しきれん」
「……ちなみにそれは何の鍵なんですか?」
「それはお前が決めるんだ。ちなみにオレは〝たった一人の革命軍〟の秘密基地にしていた」
アンタ会長のくせに友達いないのかよ!?
愕然とし、思わず内心で突っ込んだが、気を取り直す。
「…それにしたって六年生の引継ぎなら五年生だろ?」
「年も前任者との関係性も関係ない。
能力と、性根で決まる」
………もしオレが引き継いだら、これは一体何の鍵になるんだ?
一瞬でもそう思ってしまったのが命取りだった。
次の瞬間、会長の手の中から鍵がオレに向かって飛んで来た。
咄嗟に受け止めると、会長が〝所有権委譲〟の魔法をかけた。
…流石生徒会長。
これ、中等部で習う付加魔法だぜ?
これでオレは誰かに押しつけない限り、この鍵の持ち主とされてしまった。
「………最後の手段に出たなアンタ」
「そう言うな。これで肩の荷が下ろせる」
「オイオイ。後輩に曰く付きの代物押しつけるな」
そういうのは前世でお腹一杯だよ。
神社にも、オレ個人にも、そうした曰く付きの代物や霊的な(たまに勘違い含む)用件を持ち込む奴はいくらでもいた。
巻き込まれた所でオレ等は神様が守ってくれるから害は及ばないが、ウチの参拝客はそうもいかない。
だから仕方なしに対処していると、その噂が広がってまた…、とキリが無かった。
その事を思い出してゲンナリするオレに会長は爽やかに言ってのけた。
「どう使うかも、それが何になるかもお前次第さ」
そう言うと会長はオレに背を向けて、後ろ手に手を振りながら立ち去って行った。
どうもこの鍵とオレは運命共同体らしい。
何となくそう思った。
だから、今回の旅路にも持って行くことにした。
グスタフ爺の〝守護の宝珠〟はベストのポケットに、ナイフはホルスターに収めてベルトに、ダニエラの野営道具はマントの中で肩から下げるショルダーバッグに。
そして鍵は紐を通して首から下げた。
Q.そんな装備で大丈夫か?
A必要に(いざと)なれば自分で作れます
「じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
ダニエラのお辞儀で送り出され、数瞬後、オレは自室の真上の雲の中にいた。
さて。行きますか。
それから日中は休みなく雲の中を飛び続け、夜になると人里離れた山中にこっそり着地して野営した。
テントを張り、火を焚いて食べるのは叔父貴直伝の旅先のお手軽料理だ。
まず茹でたじゃがいもを適当に潰して塩コショウで味を調える。
次にパンを焼くついでに一緒に焼いていたベーコンを取り上げたパンに乗せ、その上にマッシュポテトもどきを乗せ、パンを二つに折る。
これに携帯食料の瓶詰のスープ(ダニエラ手製)を鍋で温めたのを一緒に出せば、立派な夕飯だ。
パンを齧りながら目を通すのは、ダニエラが調べ上げたアッカルド帝国の王様の調書だ。
アッカルドは帝国だから、正確には皇帝になるのか。
アッカルドの今代の皇帝の名はアドルファス・クライヴ・レッドフォード。
アッカルド皇族の次男として生まれた。
アドルファスは家族の誰とも似ていなかった。
それというのも、アドルファスはアッカルド中興の祖にして英雄のアドルファス・レッドフォードに生き写しの容姿をしていたからだ。
その辺りの英雄譚は今も語り継がれているし、逸話も数多くあるが、そこは省略しよう。
ところが家族はその事を喜びも誇りもしなかった。
アドルファスは容姿の事で家族から爪弾きにされ、祖父や両親の関心は兄にのみ向かった。
家族の誰とも違う容姿。家族の中で爪弾き。兄一人を溺愛。
その上、人並み外れた魔力の持ち主。
「…どっかで聞いた話だな…」
そう、つまらなさからぼやいてから、ペラリと調書を捲る。
二枚目はアドルファスの立てた武勲だ。
先帝にしてアドルファスの祖父は〝軍人皇帝〟と呼ばれていた。
その名の通り、政は大臣に任せ、自分はひたすら軍の総帥として戦争を他国にけしかけ、自ら戦場に赴いて指揮を執った。
その祖父の命で、アドルファスはわずか十歳の時に、少佐として千人部隊を率いて北方の守りを任された。
北方は長年小競り合いを続けている国境地帯で、ここに送られることは死を意味する、と言われる程の冷戦地帯だ。
…そんなとこにたった十歳の孫を追いやるとは、たかが知れている。
先帝の人品も、アドルファスへ向けられた家族からの感情も。
アドルファスの兄は家族の中で唯一アドルファスの味方だったそうだが、その任命も、その後の『計画』も、知っていたのに何もしなかった。
それからの事は目を通すまでもなく知っている。
北方に送られてわずか一月で敵国に襲撃され、部隊は全滅。アドルファス一人生き残った。
その時の負傷が元でアドルファスは隻眼だ。
その襲撃はアッカルド軍が故意に国境警備隊の情報を敵国に流したせいだ。
家族で得られなかった安らぎを部下達から与えられていたアドルファスは復讐を誓い、たった二年でやり遂げた。
そして今や〝殺戮王〟とまで呼ばれている。
…要するにこじらせたわけだ。
家族との不仲を、自分への残酷な仕打ちを、そして自分の事情に巻き込んで部下達を死なせた事を。
そのそれぞれで抱いた感情がごちゃまぜになり、わけがわからなくなってアドルファスは戦場でその思いの丈を振るう。
「…だからって、同情はしないぜ」
立ち上がるとテントや調理器具を片付け、地を蹴って空へ飛び上がる。
気が変わった。
程々で切り上げたりせず、全力でそいつの目を覚ましに行くとしよう。
ここまで迅速に動くのは、ニーナに頼まれたからじゃない。
これはオレの喧嘩だ。
まずは一発殴らせろ。話はそれからだ。
アドルファスの事情を知り、察した内心に、自分と似通った立場に、込み上げてきた苦さを噛み締めるよう、口元を引き締めながら空を飛ぶ。




