(8)扉の向こうに
扉の向こうに気配を感じて、フェイはうっすらと目を開ける。
すでに嫌な予感しかしない。
「だれだ?」
フェイのかすれた声に病室の扉が開き、ひょこりとセラが現れた。
「フェイ!」
当然、フェイは思いっきり強張る。
なにせ、セラの周りに誰もいない――つまり、また一人でこんなところまで来たのだ。
つい先日誘拐未遂にあったばかりなのに、ある意味大した度胸だった。
「……セラ、お前、また抜け出してきたのか」
「お見舞いだって、ちゃんとお父様に伝えてきました」
「た、助かった」
フェイは安堵の息を吐き、疑われたセラは不満そうに頬を膨らませた。
その子供っぽい表情をフェイはマジマジと見つめる。
セラの膨らませた頬はすぐに赤くなった。
「あの、なんでしょうか?」
「――いや」
今朝早く、店長のエルカが見舞いに来た時の事をフェイは思い出していたのだ。
昨夜遅く、エルカが仕事を終えてフェイの様子を見に来た時、そこは戦場のような有様だったらしい。
シーツは派手に血まみれで、床の上に転がったフェイの周りに、チョークで線を引くべきか真剣に迷ったほどだと言う。
幸い、フェイに息があると分かるとエルカはすぐに医務官を呼び、さらにシーツを新しいものに交換してくれた。
本当に持つべきものは優しい店長だと思ったものだ。
ただ、シーツを換えてもらう間、こうなった事情を涙混じりにエルカに訴えたのだが、無情にも爆笑されてしまった。
その後の会話はこんな感じである。
「笑うなよ……」
「悪い悪い。しかし、あの引っ込み思案だったセシリアにそこまで気に入られたか。いやいや、たいしたものだ」
「頼むからやめてくれ……それに、妹の箱入り具合もほどほどにさせないと、いつか困るぞ?」
「私に言われても困る。セシリアと最後に話をしたのは、もう一昨年も前だからな……とは言え、妹が相当迷惑をかけてしまったようだな。すまない、フェイ」
「あ、いや、エルカが悪い訳じゃないし……そうだよ、悪いのはお前の親父だよ! 娘を救出して人間を、言い訳する間もなく殴り倒しやがったんだぞ! なんだアレ?」
「あっはっは、そうだったな。ただ、アレが怒るのも無理のない話しだ。妙齢の娘に裸で抱きついている男がいれば、父親なら鉄拳のひとつくらい当然だ」
「みょうれ……ゴ、ゴフッ」
フェイは思わず吹き出してしまい、痛んだ腹が悲鳴をあげた。
「なんだ、フェイはセシリアの歳を聞かなかったのか?」
「俺だってクエスト屋だ。見れば年齢くらいわかる。あれは7から10くらいだろ」
「それはさぞ傷つくだろうな、セシリアは16歳だ」
「はあっ!? ぐあっ! いいってええええっ!」
フェイは今朝の激痛まで思い出してしまい、顔をしかめた。
――16歳……俺のたった3つ下?
たった今、フェイの前でもじもじしている少女はどうみても8歳児だ。
お世話になっているエルカの妹と言うことで特別温情を上乗せしても、せいぜい11歳だろう。なんの温情か分からんが。
とにかく、これはなんと言うか、あまりにも……可哀想だった。
「セラ。色々あるけど、がんばれよ」
「はい!」
セラは何を誤解したのか、満面の笑みを浮かべて元気良く頷いた。
「フェイも、頑張って下さいね」
「ん? 何をだ?」
セラはテクテクとベッドに近づくと、フェイの額に人差し指を押し付けた。
「約束成立です。がんばって、私のガーディアンになって下さいね」
セラにやんわりと額を押された勢いのまま、フェイは力無くベッドに転がった。
目の前にはやたらと白い天井が視界一杯に広がっている。
「勘弁してくれよ――ったく」
フェイのうめくような呟きは、しかし、誰の耳に届く事も無く、さわやかな朝の風に流されていった。
――まぁ、後で何とでもなるか
実際、フェイは楽観的な男だったのだ。
ゆっくりと上半身を起こすと、サイドテーブルに置いていた濡れた布を腫れた右肩に押し当てる。
滅茶苦茶痛いのだが、医者が言うには骨は折れていないそうだ。我ながら丈夫だと他人事のように感心している。
「そうだ、セラ。親父さんとはチック=トライムの件で話せたのか?」
「はい。死刑には、しないって」
そう言って嬉しそうな顔で笑ったセラの顔は、今までで一番大人びて見えた。
「そうか。そりゃあ良かったな。あの親父なら娘の提案なんて無視して、強引に死刑にするのかと思ってたんだけどな」
「お父様、最初はそんな感じでした」
「へぇ。じゃあ、なんて言って説得したんだ?」
少し興味があった。頭に血の上ったあの凶悪そうな頑固親父に奇麗事を押し付けるなんて、簡単に出来る事じゃないだろう。
セラは言おうか止めようか少し迷った後で、せわしなくフェイと宙を見比べてから、ポツリと真相をこぼした。
「家出して、フェイのところへ行くって言ったら、それだけはやめてくれって――」
「おい」
「それでお父様、死刑だけは取りやめてくれました……でも」
「でもってなんだよ! そこで終われよ!」
その時、ドドドと言う地響きがベッドを通して伝わってきた。
どうやら何か巨大なものが近づいているようで、嫌な予感がしてたまらない。
「でもお父様、当分フェイの所に行っちゃだめだって」
「……じゃあ、なんでお前はここにいるんだ?」
「だって、会いたかったから」
「許可とったって言ったじゃねーかっ!」
「だから、ちゃんと手紙を置いたの、フェイのお見舞いに行くって」
「はぁ!? 手紙ぃ?」
悪びれも無く頷いたその顔には、恐ろしい事に悪意がカケラも感じられなかった。
――だめだこいつ、早くなんとかしないと
フェイは寒気がするのに、額に吹き出た汗を拭う。
なるほどこれが冷や汗かと妙に納得した。
そんな現実逃避から引き戻すように、ドドドと言う地響きはますます大きくなっていった。
「セ、セラ、はやく俺から離れろ! この部屋から出てってくれ!」
「ひ、ひどいっ」
とたんにセラの瞳が潤み、眉根が寄る。
これも意識しないでやっているのだろう。忌々しい事に。
「ば、ばかっ! 今だけは泣くなっ!」
「ばかって……ひどい……ヒック」
セラは今にも泣き出さんばかりだ、地響きはもう部屋のすぐそばまで迫っている。
迷っている暇は無かった。なにせ今、これ以上のダメージがあれば、たぶん――死ねる。
「分かった。ガーディアンでも何でもなってやるから。だから今だけは泣くな。なっ?」
自分でも気持ちの悪いような猫なで声でなだめすかした効果は、意外な事にてきめんだった。
泣きかけていたセラは驚いたように目線をフェイに向け、一瞬のうちにその碧眼から涙が消える。
「――フェイ。それ、ほんと?」
「あ、あぁ。だから――」
「フェイ!」
セラは感極まったようにベッドに飛び乗り、遠慮なく抱きついてきた。
「ぅぐあっ!?」
「約束ですっ!」
飛び乗られた激痛で硬直したフェイの額に、セラは人差し指をもう一度押し当てる。
そして、はた目には二人が仲睦まじく抱き合っている状況で、最後のドアは――開かれた。
「小僧……」
野獣が、涙ににじんで見えた。




