(7)目を開けてもそこは闇だった
目を開けてもそこは闇だった。
ただ、寝ている場所だけがいつの間にか変わっている。
硬い保安所の簡易ベッドではなく上質で柔らかいベットへ、いつの間にか移されていたようだ。
――いてえ
心臓が脈打つたびに顔がズクンズクンと痛み、腹の痛みもさっきより酷くなっている。
はっきり言って息をするのも辛かった。
「ったく、いい加減にしろよな……」
かすれた声で天に向かって吐いた悪態は闇の中へ溶けて消える。
すると、誰もいないと思っていた部屋の奥から、意外にも返事が返ってきた。
「あら、ずいぶんなセリフね」
冷たくゾクリとするハスキーボイス。
しかし、それは聞き覚えのある声だった。
フェイは声のした方に顔を向けて尋ねる。
「ひょっとして、コノハか? わざわざ見舞いだなんて、悪いな」
「お見舞い……そうね。見舞いかもね、うふふふ」
ランプにボッと火が灯される。
揺らめく炎に照らされ、コノハの顔が闇に浮かび上がった。
――悪魔だ
普段から鈍感だの要領が悪いだの言われているフェイにも、これくらいは分かった。
コノハは明らかに、怒っている。
「フェイ……約束は、どうしたの」
「や、約束?」
フェイは記憶の海から該当するものを引きずり出そうと、慌てて眉根を寄せた。
すると、すぐさまフェイは上半身を起こして叫んだ。
「ああああっ! しまった! 忘れてた!」
その様子にコノハの顔がごく僅かだが緩んだ。
しかし、次のフェイの言葉でそれも完膚なきまでに消えうせる事になる。
「ルナに店番頼んだままだった! くそ、早く帰る予定だったのに! しまったああっ!」
フェイは頭を抱えてベッドに伏せると、後悔の叫びを上げる。
せっかくの二人きりのティータイムが、泡のごとく消えうせたのだ。これはいくら後悔しても悔やみ足りない。
チョンチョン
ベッドに顔を伏せたフェイの肩を、細い指がつつく。
フェイが顔を上げると、そこにうっすらと微笑んだコノハがいた。
「ひいっ」
思わず、フェイは恐怖に息を呑む。
目が笑っていないだけで、笑顔とはこれほど怖くなるものなのだろうか。
あっという間に喉がカラカラに乾き、目に涙がたまる。
「……いったい、あたしがお店で何時間待ったと思う?」
コノハのその言葉に、フェイはようやく思い出した。
装飾店ユノでの会話が、閃光のごとく脳裏によみがえる。
『しょうがないわね、手伝ってあげる』
『依頼料としてこれの代金、お願いね』
『十分後にこの店の看板のところで――』
フェイの背中に、冷や汗が背筋を伝う。
「あ、あはは、その、こっちにも色々あって」
「……色々、ねえ」
クグラ=コノハ、フェイの知りうる中でエルカより強いと言い切れる唯一の人物。
考えるより先に行動し、融通の利かない生真面目な性格で、座右の銘は勧善懲悪――そして、約束を破ることを何より嫌う。
「保安所で公女様とイチャイチャしてたって聞いたわよ。あたしが一生懸命探し続けてる間に、ね」
「ち、違うっ!」
クロフだ。
この情報のリーク元は、間違いなくクロフのバカ野郎だ。
フェイは上半身を起こして否定しながら、悪友への復讐を胸に刻む。
ガコン
無言のまま、コノハは立て掛けてあった棒を手に取り、静かに構えた。
その棒を見ただけでフェイの腹がズンと痛む――間違いない。カシムの持っていたはずの大根棒だ。
「な、なんでその棒をコノハが?」
「……ユノさんが教えてくれたのよ。保安所でフェイが寝てるって」
フェイはベッドの上でじりと後退りする。
「いい度胸よね。このあたしを待たせておいて……」
「ま、待て、話せば分かる!」
「……で、渡した髪飾りは? あれ、ユノさんにお願いして入荷するのを半年も待ってたモノ、なんだけど?」
言われてフェイはギクリと体を強張らせた。
――あれ、髪飾りってどうしたっけ?
代金を払おうと左手に持っていたのは覚えている。
そこでセラを見つけ追いかけたら、それを泥棒と間違われ逃げ始めたのだ。
――で、カシムと戦う時は左手でダガーを持って……あれ?
いつの間にか、すっぽりと手からも記憶からも髪飾りが消失していた。
フェイの負の雰囲気を察知したのか、コノハは大根棒を正眼に構え重心を下げていく。
その引き絞られた肉体は、肉食動物が獲物を狩る時に似ていた。
――こいつ、殺る気だ
フェイは必死で幸せになれる嘘を探した。
だが、有り余る恐怖心のせいか頭は空回りするばかりで、ロクな言い訳が見つからない。
そしてとうとう、殺気がピークまで高まった瞬間――フェイはついに観念した。
「な――」
「な?」
「――なくした」
血飛沫が舞った。
そして、長い一日はようやく終わりを告げる。
人生が終わらなかったのが不思議な夜だった。