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(6)その天井には

 その天井には年輪のようなシミがあった――意識の回復したフェイがまず気付いた事は、そんなどうでもいい事だ。

 どうやら気絶していたらしい。いつの間にか保安所の簡易ベッドの上に寝かされている。

 天井にある茶色いシミは、おそらく衛視達の吸う紫煙(しえん)が何年も掛けて描いたものだろう。年輪と言うのもあながち間違ってない。


 フェイは少し体を動かしてみようとして――腹に激痛が走り、諦める。

 目線で体を確認すると、裸にされた上半身が包帯でグルグル巻きにされており、そこから塗り薬の匂いが漂ってきた。

 手当てをされたらしいが、右肩の包帯の巻き方が異常なくらい下手で、きついくせに隙間だらけだ。

 その先に、心配そうな顔のセラがいた。


「フェイ!」

「く、くるな」


 抱きつこうとしたセラを動く左手で辛うじて押し留める。

 その騒ぎに誰かが近づいてきた。真っ赤なドレスが印象的な婦人だ。


「おや、気付いたみたいだね。よかったよかった」


 傷に触る明るい口調で頷いたのは、あの装飾店ユノの店主で、名もそのままユノと言うらしい。

 年齢はまったく不詳で30代前半に見えることもあり、50代に見えないこともない。


「いやぁ、悪かったねぇ。まぁ、誤解されてもしょうがない状況だったし、恨みっこは無しだよ?」


 フェイの不機嫌そうな顔を物ともせず、ユノは調子よくまくし立てていた。

 運良く腹に穴はあかなかったそうだが、今度は胃に穴があきそうだ。

 カシムとその主人ユノにクロフが既に事情を説明したらしい。勘違いとわかったユノは巧みに責任をぼかし、話をまとめにかかっていると言う訳だ。

 冗談じゃない、慰謝料くらいふんだくらないと気が済むものか――そう思うのだが、痛みでろくな言葉が浮かんでこない。


「フェイ、大丈夫?」


 辛そうなフェイを唯一心配してくれたのは、セラだった。

 目を真っ赤にしているところを見ると、気を失っている間に泣いていたのかも知れない。

 近年まれに見るお人好しであり、貴族社会の荒波に乗り出せば、さぞ苦労するに違いないだろう。

 しかし、セラにはこのままでいて欲しいと思った。綺麗事など忘れてしまった貴族どもに、一陣の風を吹かせて欲しいと。

 フェイは柔らかな金色の頭に手を置き、これ以上心配させないよう声を掛ける。


「気にするな、大丈夫だ」

「そうかい! 大丈夫かい! そりゃあ良かった! さすが領主令嬢のガーディアンはタフで心が広いね。おまけにいい男だし。うちのカシムが負けるわけだよ」

「ま、待て! 俺はっ――くっ」

「おっと、興奮すると体によくないよ。うん、そうだね。あたいらは退散したほうがいいね。それじゃあフェイロン君、再就職先を探すならウチはいつでも歓迎するよ。では、これからも装飾店ユノをごひいきに!」


 一気に話を終わらせると、ユノはカシムを引き連れてさっさと保安所を出て行ってしまった。

 あまりの調子のよさに、フェイは口をぽかんと開けてそれを見送ってしまった。

 その様子をこっそりうかがっていたクロフは、部屋に入ってくるなり爆笑する。


「ぷっくっく、くぁっはっはっは! 災難だったなぁ、フェイ! まぁ、犬に噛まれたと思って忘れようぜ!」

「うるせぇ。犬に噛まれた方が遥かにマシだ!――っ痛うう」

「おいおい、無茶するなよ……おっと、何時の間にか外が真っ暗だな。俺はセシリア様を城に送ってくるから、フェイは寝てていいぞ」

「すまん、助かる」

「なぁに、礼を言うのはこっちの方だ」


 クロフは昇進が、ひいては結婚がかかっているせいか、えらくご機嫌だ。

 芝居がかった動作でセラの前に仰々しくかしずく。


「それでは、セシリア様――」

「いやっ!」


 しかし、セラはクロフを振り向きもせず、その呼びかけを一蹴した。

 クロフはピクリと顔を引きつらせたが、なんとか作り笑いだけは崩さない。この少女を泣かせれば昇進どころかクビが飛ぶ可能性だってあるのだ。


「セシリア様、これ以上遅くなると領主様が本気でご心配されますよ」


 クロフの声は恋人のレンファに話すときのように紳士的で優しさにあふれていたが、セラはベットにしがみつき眉すら動かさない。

 フェイはため息を吐き、痛いのを我慢して上半身を起こすと、セラを見て言った。


「セラ、家に帰るんだ。クロフは俺より強い。十分セラを守れる。ほら、安心して帰るんだ」

「いやっ!」


 今度はフェイの顔が引きつる。元気だったら絶対に怒鳴っていただろう。


「セシリア様、一体どうなされたのですか。私ではいけませんか?」

「だめなの! 私を守るのは、ガラムとフェイだけなのっ!」

「あの風のガラムと俺を同格にしてくれるのは嬉しいけど、でもな」

「だって約束したじゃない! 私のガーディアンになるって!」

「……は?」

「フェイ、お前、そんな約束したのか?」


 クロフが細い目を見開いてフェイを見たが、フェイは細かくクビを振って全否定する。

 まったくもって身に覚えが無いことだった。


「そ、そんな、一生私の事を守るって言ったのに……」

「一生って! おまっ、おまっ、お前っ、まさかっ!」

「ちがうっ!」

「酷い……約束、したのに――」


 セラは大きな目を見開いて、そのままポロポロと泣き出した。


「あああっ、また泣くかよっ――ッテテ、くそっ、傷が開く」

「……フェイ、なんとなく分かったぞ」

「クロフ! 分かってくれたか!」

「ああ、お前の趣味がな」

「そっちかよっ! ぐっ、腹が、クロフ、頼む、城から、誰か、呼んで来てくれ……」

「そうだな。このままでは由緒ある保安所が修羅場になってしまう」


 その言葉にフェイは殺意の限りクロフを睨みつける。だがクロフはニヤリと笑って視線を避けると、さっさと保安所を出ていってしまった。

 喧しいクロフがいなくなると保安所の中は急に静まり返り、セラのすすり泣く音だけが残った。


――エルカなら、こう言う時になんて言うのかな


 女性の扱いに長けたエルカ成らざるフェイには、何の言葉も思い浮かばない。ただ、セラの頭を撫で続ける事しかできないまま、ゆっくりと時は過ぎていった。

 ふと、フェイは右肩に巻かれている包帯を見る。

 明らかに包帯の巻き過ぎであり「包帯の無駄遣いはこのようにやります」と言う見本のような巻き方だ。


 おそらく、セラが必死で巻いたのだろう。


「ありがとな」


 フェイは小さくつぶやいた。



 窓から見える景色はすっかり真っ暗だった。

 ここから城まではバイスアルムを通ればたいした距離じゃない。

 もしクロフが走っていれば、もうすぐ戻ってくる頃合だろう。


「……ヒック」

「セラ、泣き止んだか?」


 出来る限り優しい声で尋ねると、セラは小さく小さく頷いた。


「そうか、じゃあ話しておくな」


 真っ赤な目のままセラは不思議そうにフェイを見上げた。その目は「何を?」と雄弁に語る。


「お前をさらった男、チック=トライムについてだ」


 その名を聞いた瞬間、セラの顔色が変わる。

 どちらかと言うと嫌な物を思い出したような顔だが、無理もない。さらわれた挙句、親切心につけ込んで騙されそうになった相手なのだ。

 しかし、これから言う事実を伝えれば、この少女は一体どういう反応を示すのだろう。

 フェイはセラの碧色の目をまっすぐに見つめた。


「チック=トライムは公開処刑なると思う。つまり、死刑だ」


 その言葉の意味が浸透するや、セラの目が大きく開かれる。


「だ、だって、鉱山で働くって、さっきの人が」

「いや、死刑だ」


 途端にセラは泣きそうな顔をする。

 自分の物言いの悪さを反省しながら、フェイは慌ててフォローを入れた。


「悪い、少し違うな。このままセラが何もしなければ、死刑になるって事だ」

「わたしが?」

「そうだ、領主――つまりセラの親父さんは、セラの事を大事に思ってるよな?」


 その言葉にセラは大きく頷き、その目には一分の疑問も見えない。よほど大切にされているんだろう。

 物心がつく前に親に捨てられたフェイから見ると「羨ましい」と言うより、ただ「眩しい」と感じた。


「だから、領主公はチック=トライムを絶対に死刑にする」

「お父様が、そんな……」

「セラを守るためさ。セシリア=ラドクリフに手を出す者は絶対に容赦しない。それを町中に分からせるには、派手に公開処刑にした方が効率的だ。これで、セラも狙われなくなるぞ?」

「でも……」


 セラの顔が目に見えて青くなり、そして何とかしようと必死で考え始めた。

 その様子にフェイは少なからず感動を覚える。

 自分をさらい、そして騙そうとした相手のために、ここまで真剣に心配できる人間が、貴族にもいた。信じられないが、この街にいたのだ。


――こいつが次の領主になったら、面白いだろうな


 だから、そんな小さな感情が、この時芽生えたのだろう。

 フェイはそのコロコロと変わる表情を見て、静かに告げた。


「……もしそれが嫌なら、お前が領主に減刑を頼み込むんだ」

「でも、お父様は、お仕事に口出ししちゃ駄目だって。それは良くない事だって」

「そうかもしれないな。じゃあ、ここであきらめるか?」


 ハッとしたようにフェイを見上げ、セラは首を横に振った。


「だったら、変えてみせろ。セラ」


 セラは胸の前で両の手をグッと握ると、深く頷いた。


「よし。じゃあ、約束だ」


 フェイは人差し指をセラの真っ白な額にピタリとつけ、ゆっくりと告げる。


「剣の民に、偽りなき明日を」


 『必ず約束を守る』と言うシュバート国で広く使われる儀式だ。特に制約のない子供だましの儀式だが、この場にはそれが似つかわしいと思った。

 真っ赤になった目をパチパチと(まばた)かせたセラは、ようやく意味を理解したのか、薔薇(バラ)が咲いたように笑った。


「じゃあ、私からも、約束!」

「ん?」

「必ず、私のガーディアンになって」


 そう言って、セラはベッドに乗り込んでフェイの額に指をつけようとする。


「冗談じゃない、そんな一方的な約束があるか!」


 フェイは慌てて顔を捻り、迫る小さな人差し指をギリギリのところで避けた。

 そのせいで胸元まで掛けてあった毛布が滑り落ち、フェイの上半身が裸になったが、セラはそんな事はお構いなしだ。

 ベッドに這い登ってきて、フェイの額を追いかけまわす。


「きゃっ?」


 やがてバランスを崩したセラはフェイの上に倒れこむ。

 おまけにセラの手が着いた場所はカシムが作ったアザへ容赦なく吸い込まれた。


「ぐあっ!」


 あまりの激痛に、フェイの意識が飛んだ。



 意識が飛んだのは、ほんの一瞬だったはずだ。

 だから、意識が戻って目を開いた時、そこに憤怒の形相の男が立っていて驚いた。


――なんだコイツ? 待てよ、どこかで見た顔だ


 そして、クエスト屋エルカーナの店主、エルカに似ていると思い当たる。いや、似ているどころではない。まるで親子だ。


――でも、なんでそんなに怒ってるんだ?


 フェイは体を起こそうとしたが、うまく動かない。

 不思議に思い、胸元に視線をむけるとそこにセラがベッタリと抱きついていた。

 さらに酷いことに、セラが抱きついている自分の上半身は――裸だった。


「……あ」


 ズバキィイイイ!


 口を開きかけた瞬間、バーベルで叩きつけられたような質量の右ストレートがフェイの顔面を打ち抜いた。


――ああ、死ぬる


 鉄の味を深くかみ締めながら、フェイは深い闇へと落ちていったのだ。


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