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(5)陽は赤く染まり

 陽は赤く染まり、空には星がうっすらとその姿を現しはじめた。

 道沿いの客引きの声も商人の巧みな口上から、屋台の騒がしい声へと取って代わる。

 それらの声を一切無視して、奇妙な一団はひたすら歩を進めていた。


「つ……着いた」


 やっとの思いで保安所にたどり着いた時、フェイは疲労と痛みと酸素不足と重度のストレスで涙が出そうだった。

 安っぽい保安所のドアを乱暴に蹴りつける。

 すると、すぐに細目の衛視が「何事だ!?」と出てきて、フェイを見るなり噴き出した。


「おい、フェイ! なんだその面白すぎる格好は?」

「……クロフ、この男を頼む。人さらいだ」


 『人さらい』と聞くやクロフと呼ばれた衛視はさすがに表情を変えた。

 腰袋から錠付き縄を取り出すと、男を素早く後ろ手に縛り上げる。その手馴れた手つきに幼馴染もすっかり衛視になったんだなと、フェイは感慨深く思った。

 クロフ、本名はアルター=クロフォード、フェイの数少ない友人だった。


「クロフ、ちょっと中で休ませてくれ。限界だ」

「事情徴収もあるし、それは構わんが……背中のお譲ちゃんは被害者か?」

「……被害者は俺だよ」


 フェイは死んだ魚のような目でそうつぶやくと、安っぽい扉を開いて保安所の中に押し入る。

 中には他の衛視の姿は見えず、いつも通りの極めて殺風景な部屋だ。

 確かに、衛視は領主の雇う言わば領所属の傭兵隊のようなもので、その詰め所に贅沢など許されるわけも無い。だが、もう少し領民に華やぎを与えるような配慮があっても良いような気がした。

 とは言え、ゼクス領の衛視はバイスレイト製の高級アーマーを支給されているため、他領に比べて恵まれている方なのだろう。その白いアーマーは『白犬』とも皮肉られる原因にもなっているのだが……

 いや、今そんな考察はどうでもよかった。

 フェイは


「ほら、もう立てるだろ」


 フェイは椅子の近くで言うと、セラは無言で背中から降りた。


「なんで?」


 降りた直後、セラはフェイを睨み上げる。

 なんで――あの大男を逃がしてやらなかったのか、と言うことだろう。


「また誘拐されるぞ、それでもいいのか?」


 と言うフェイの脅しにもセラは全く動じず「ちゃんと反省してた」と睨み続けた。

 その真っ直ぐ過ぎる眼差しにフェイは逆に怯む。

 理論が通じない、だから子供は苦手なのだ。


「なんで?」


 頑なにセラは問う。

 フェイはそれに答えず、重かったレザージャケットを脱いでイスにかけると、そこにグッタリと座り目を閉じた。

 その瞬間、今までの疲れがどっと出てくる。

 金槌でガンガン叩いているような右肩の痛みは、クギでも刺さってるのかと言うくらいまで酷くなった。ひょっとすると骨までやったかもしれない。


「なんで?」


 薄目を開けてセラを見ると、口を真一文字に引き絞っている。

 あの顔は返事をするまで諦めないだろう。

 フェイは面倒くさそうに口を開いた。


「自分でやった事の責任は自分で取る。それがこの世界のルールだ」

「でも、そのせいで、子供が死んじゃうなんて……」

「はっ! 飢えて死ぬガキなんざ、この街にはいくらでもいるさ」

「うそです! お父様の街なのに、そんな――」

「いるさ、俺も死にかけたからな」

「……うそ」


 フェイの言葉を聞いて、セラは押し黙った。

 父親が治めるこの町に公然と飢えて死ぬ人がいるとは、温室でぬくぬくと育った少女にはとても信じられないだろう。

 真実が信じられない。ならば、フェイにはこれ以上何も言う事はなにも無い、ダンマリを決め込むつもりだった。


「……ごめんなさい。知りませんでした」


 この言葉にフェイは驚いた。セラは事実を受け止めたのだ。

 その上で、さらに言葉を重ねる。


「でも、その中で助けられる子がいるなら、私は助けたいです」

「……なぜだ?」

「私が、そうしたいからです」


 この答えにフェイは苦笑をもらした。確かにわがままだったが、筋は通っている。

 この少女は現実が見えない訳じゃない、恐らく何も『見させてもらえなかった』のだ。

 ならば質問にはちゃんと答えねば、フェアじゃない――フェイは覚悟を決めた。

 だらけていた姿勢を少し直し、肩の痛みは顔に出さないよう注意して話し出す。


「俺は小さい頃、パンを一本盗んでとっ捕まったんだ」


 セラはキョトンとフェイを見た。「いきなり何を?」といった顔だ。


「とっ捕まって、ここに連れて来られた。その結果、半年の間バイスレイト鉱山に放り込まれて強制労働だ」

「パン1つで、半年も?」

「……そうだな、あの時は俺もそう思った。でも、それがこの街に決めてある代価だ」


 フェイは目を閉じ、まぶたの裏に鉱山での日々と、厳しかった人々を映し出す。

 あの生活は最低だったが、最悪じゃなかった。


「あれがあって俺は生き方を学べた。そのお陰で、俺は生きるために盗まなくて済むようになったんだ」

「……」

「それが正しい代価だったかなんて、そんな事は俺に分からない。ただ、多くのヤツが正しいと信じて決めた代価なんだ。それを払わないなんてフェアじゃない。子供がいるなら、子供が苦しむのもその代価なんだろう」


 フェイの言葉に、セラは理解したのかしてないのか、ムスリと押し黙ってしまった。


――しかし、この俺が罪と罰についての説教とは、ねぇ


 フェイは自嘲気味に溜め息を吐くと、イスにもたれかかる。

 安物のイスは迷惑そうに、ギィと小さく鳴いた。



 やがて、クロフが奥の部屋から戻ってきた。

 さっきの男の言い分を聞いていたらしい。調子のいい口述を長々と聞いたせいか、かなりウンザリした表情だ。

 しかし、クロフに休む間は無い。次は被害者の、つまりフェイとセラの事情徴収なのだ。

 と言っても、主にフェイが受け答えをしたので、それは軽口の応酬となった。


「たっくよぉ、フェイ。俺はまたお前がとうとう誘拐犯にでもなったのかと思ったぞ」

「誘拐なんて小さい犯罪は俺の主義じゃない。俺がやるならもっとでかい事をやるな。たとえば――」

「やめとけやめとけ! お前に犯罪者なんて無理だよ。コノハにぶっ飛ばされてお終いだぞ?」

「ふざけんなっ……って、あれ、コノハって言えば何か忘れてるような……」


 フェイは眉根にしわを作って思い出そうとするが、思い出せそうな瞬間にクロフの声がかぶさる。


「おい、フェイ。そんな事より、こちらにいる美しいお嬢ちゃんをそろそろ紹介して欲しいな」

「ああ、そうだったな。名前はセシリア、セシリア=ラドクリフだ」


 クロフは言われた名前を帳面にさらさらと記載する。


「ふんふん、セシリア=ラド……クリフっと、うん? ラドクリフ?」

「忘れたのか? 白犬の飼主殿だろ」

「あぁ、領主様の娘ね……って、セシリア公女殿下っ!?」


 クロフは目が飛び出さんばかりに開かれた。

 普段細い目がここまで大きくなると非常に怖い。

 クロフはセラの顔をジロジロと眺め、やがて大きく頷いた。


「……なるほど、ここまで綺麗だったとはな。領主様が溺愛するのも分かる」

「領主が溺愛? その話は衛視の中じゃ有名なのか?」

「ああ。なんでも領主様は公女の周りから男をいっさい排除して、城の外には一歩も出さない徹底ぶり――のはずなんだが」

「深いことは考えるな。昇進が遠のくぞ」


 その言葉にクロフは苦虫を噛み潰したような顔で頭をかいた。


「その言葉は耳が痛いな……実はな、レンファが後一押しで結婚してくれそうなんだよ」

「知ってるさ、コノハが散々言い触らしてるからな」

「なっ――ま、まぁいいか。それでレンファのやつがな、せめて衛視長か城勤務に昇進するまで結婚はお預けだって言うんだよ」

「……それはかなり大変だろ。いったい何十年先になるんだ?」

「だろ? 働いてる場所が場所なだけにレンファに言い寄るヤツなんて日替わりでいるだろうし、俺は気が気でなくてな」


 どうにもクロフは真剣に参っているようだ。

 レンファは酒場の看板娘で、気は強いが気立ては良い。酔っ払いから口説かれるなど日常茶飯事だし、心配性のクロフならば日々恐々とするのも無理からぬ事である。


「おお、そうだ! だったらこの公女誘拐の捕り物、クロフにやるよ」

「やるよって、フェイ?」


 クロフがきょとんとした顔でフェイを見る。


「領主の大事な娘を誘拐犯から救出、これなら城勤務の足がかりになるだろ?」

「しかし、それじゃあお前は……」

「おっと、万一報奨金が出たらそれは貰うぞ? 後はどうせありがたい言葉か何だかだろ? そんなもんいらねぇし」

「フェイ!!」


 クロフは両手を祈るように組み合わせてフェイを拝む。おまけに目の端に涙まで浮べていた。

 フェイは「よせよ」と手で払い、ニヤリと笑って条件を追加した。


「その代わり、もし昇進したらクエスト屋エルカーナをよしなに」

「もちろんだよ! ありがとう、フェイ!」


 左拳をガツガツと合わせる。下町で育った者の友情の挨拶だ。


「あの――」


 と、セラがおずおずと声を上げた。

 思えばずいぶんとほったらかしにしてしまったものだ。


「どうした、セラ。便所か?」

「――フェイ、お前はそんなのだから独り身なんだ。顔だけはエルカよりいいのに」

「偉そうに言いやがって、クロフだってレンファがはじめての女じゃねぇか!」

「いいんだよ! 一人いれば十分! 大体、何でそんな事知ってるんだよ」

「いや、それはレンファが言いふらしてるぞ」

「なにいいいいっ!? ちょっとまて、他に何かっ」

「あのっ!」


 二人の軽口を切るようにセラが口を割り込む。大人しかったセラが出した精一杯の声だった。

 フェイが振り返るとセラはまた押し黙るが、クロフがニッコリと笑って「なんでしょう?」と尋ねると、セラはおずおずと話を切り出した。


「あ、あの人は、どうなるんですか?」


 クロフ相手に緊張してるのか、セラの声は震えていた。

 少なくとも茶化す場面でないとフェイとクロフは目を合わせる。


「包み隠さず話してやりな。この町を知ってもらういい機会だ」


 フェイが頷くと、クロフは衛視らしくセラの前にかしずく。


「セシリア様、大丈夫ですよ。先程の男、名はチック=トライムと言いまして、手配中の詐欺師でした」

「さぎ、し?」

「ですが、ご安心下さい。ちゃんと捕らえて厳重に牢に拘束してありますので、もう二度と公女殿下に危害を加えるような事はありません」

「ち、違うの! そのチックさんに、飢えてる子供がいて……その……助けて、あげられませんか?」


 クロフはキョトンとしたが、が、すぐに事情が飲み込めたらしい。


「セシリア様はお優しいですね……ですが、あの男に子供はおりません」

「――――え」

「ああいう手合いのヤツは、捕まった時は大体そう言うもんです」

「そん、な……」

「チック=トライムは、元々賭博で偽手――ええと、つまりカジノでインチキをして儲けていたらしいのですが、そこを追い出されてからは、詐欺や恐喝、強盗まがいの事もやってたようです。一度そういう生き方を覚えてしまうと戻れないモノなんですよ。さっき聞いた証言も嘘だらけで――」

「……それじゃあ」

「チック=トライムの処分は領主様の判断を仰ぐ事になりますが、まあ鉱山での強制労働を二十年と言ったところですか。ですから、ご安心下さい」


 クロフの言葉にセラは魂の抜けたような顔になってしまった。

 後半は、ぼんやりと頷く事も無く聞いていた。

 ショックだろうが仕方ない、これも時間がたてば良い教訓となってくれるだろう。

 フェイが安堵混じりに息を深く吐いた時だった。


 ドンドンッ


 突然、保安所の扉がけたたましく叩かれた。

 クロフは「今日は大入りだな」とボヤキながら席を立つ。

 取り残されたセラは、自分の殻に篭るように俯くと、すっかり塞ぎ込んでしまっていた。

 これ以上自分にできる事など何も無い、そう思ったフェイは少し眠ろうと目をつぶる。


「まったく、高い金を払ってるのに泥棒一人捕まえられないなんて、仕様の無いデクの棒だね!」


 保安所の外から甲高い女性の声が頭に響いてきた。クロフはまだ扉を開けていないにも関わらず、だ。

 フェイは首を(かし)げる。このキンキン声に微妙に覚えがあったからだ。しかも、その記憶は最近である。

 誰だったかなと扉のほうを覗き見ると、クロフが開いた扉の間から二人の影が見えた。


――ん?


 真っ赤なドレスを見事に着こなした中年の女性と、その後ろに申し訳なさそうにしている褐色の肌の男が立っている。

 男は上半身が裸で見事な筋肉を晒し、手には巨大な棒を持っている。

 あの大根のような太さの棒には、強烈な見覚えがあった。


――カシムッ!


 フェイの背筋にゾクリと悪寒が走った。

 慌てて目をそらそうとするが、その瞬間カシムと目がばっちり合ってしまう。


 ガタンッ


 フェイは思わずイスから腰を浮かしてしまった。

 それを見たカシムは全てを悟り、クロフの横を擦り抜け、野獣のようなスピードで迫ってきた。


「ちょ、ちょっと待てっ! ちがっ、ちがっ!」

「うがあああああっ!!」


 フェイは慌てて説明しようとするが、カシムの獣のような咆哮にあっさりかき消される。

 そして、大根棒は唸りを上げ容赦なくフェイの腹に吸い込まれた。


 ドゴスッ!!


 フェイはイスごと空を飛んだ。

 幸いだったのは、そこで意識が途切れた事だったのだろう。たぶん。


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