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(42)がんばれ、セラ!

 TOCです。ここまでのご愛読ありがとうございました。

 続編は絶対に書かないつもりでした。ですが、あまりに多くの方が続編を望んで下さったので、感謝の気持ちを込めて二年後の話を書かせて頂きました。

 蛇足だとは思いますが、少しでも笑って頂ければ幸いです。

「がんばれ、セラ! もう少しだ!」


 フェイは小さな手をきつく握り、何度も何度も声を掛ける。

 しかし、セラはベッドの上で苦悶の表情を浮かべ、うんうんと唸るばかりだ。白い額に脂汗をびっしりと浮かべ、そのお腹ははちきれんばかりに大きい。


「フェイ、もうだめっ!」

「あきらめるな、がんばれ! もうすぐ生まれるぞっ!」


 小さく頷いたセラは濡れる双眸(そうぼう)をギュッと閉じ、小枝のように頼りない腕を宙に彷徨(さまよ)わせる。その細腕がフェイの背中を掴むや、信じられない力で抱き寄せられた。


「おい、セラ?」


 だが、その声はもう届かない。少女はフェイの耳元で喉よ裂けよとばかりに絶叫したのだ。


「ああああああっ!」


 やがて、フェイの聴力が戻るにつれ、呼吸のような泣き声が耳に届いた。慌てて視線を下に向ける。するとそこには羊水に濡れる赤子がうずくまっていたのだ。


「お、おいっ! 生まれたぞ! がんばったな、セラ!」


 フェイは感極まってクシャクシャとセラの頭を撫でる。


「……フェイ、赤ちゃんを見せて」

「ああ、待ってろ」


 フェイは慎重に赤子を抱き上げ――そこで違和感を覚えた。


――――あ、あれ?


 赤子の髪が異常に長いのだ。なんと背にかかるほど伸びている。

 恐る恐る赤子を抱き上げ、その顔を見た。


 …………顔が、コノハだった。


「うっぎゃああああああああああっ!!」


 フェイは絶叫と共に飛び起きた。

 カーテンがフワリと揺れ、木窓から入る爽やかな風が寝汗に濡れたフェイを優しく撫でる。


 チュン チチチッ


 長閑(のどか)な小鳥のさえずり、そこはまぎれもなく、朝だった。


「夢かよっ!!」


 しかし、夢とは思えない臨場感だった。フェイの心臓はまだバクンバクンとフル稼動しており、寿命が数年削り取られた気分である。


――――なんて夢だ。しかもなんでセラが母親で、コノハが赤ちゃんなんだよ。普通は逆だよな。


 そこで、はたと思考を止めた。


「いや待て、普通って何だよ」

「ふむ、普通か」

「おわっ!」


 慌てて身をよじると、枕元にぬっと立ち尽くすエルカがいた。


「普通とは、大多数の現象を平均化したモノを呼ぶ。実に曖昧(あいまい)な言葉だな。反意語には特殊や特別、異端、変などの言葉があるが、私にはこれらの方が好ましく思える」

「エルカ、いたのか……いったいいつからそこに?」

「セラ、セラとお前が愛しそうに呼び続けた頃かな」

「うがああああっ!」


 フェイは頭を掻き毟って弁護する。


「ちがうんだ、エルカ! 昨日、産気づいた妊婦を助けたんだよ。でも医者が来れなくて、出産まで立ち会わされて、そのショックがだな――」

「フェイ、必死だな」

「違うって!」


 あたふたと言い訳を続けるフェイの様子を、エルカは幸せそうに眺めた。そしてやれやれとばかりに首を振る。


「まあ、昨日の事は聞いている。医者の心得も無いくせに、泣きながらへその緒を切ったばかりか、母親に赤子の名付けまで頼まれたそうじゃないか。何故断った?」

「当たり前だっ! くそっ、二度と妊婦なんて助けねぇぞ」

「できない事は言うものじゃない。さあ、いい加減起きてリビングに集まってくれ」


 フェイが首を傾げる。まだ朝食には早い時間だからだ。


「いやなに、頼みたい仕事が入ったのだ。お前好みの仕事だと思う」


 エルカはそれだけ言うとフェイの返事も聞かず、さっさと部屋を後にした。


「俺好みの仕事?」


 傾げていた首を反対側にカクンと傾げるが、さっぱり答えは出てこなかった。




 フェイは着替え終わると、早々にリビングに入った。

 そこには優雅にお茶をすするエルカと、朝食の準備をするエプロン姿のセラがいた。

 セラの所帯じみた格好から先程の夢を思い出し、フェイはドキリとする。

 二年前に切られた金髪は肩にかかるまで戻り、また手足もスラリと伸びていた。十八歳にしてはまだまだ小さいが、もう十歳児には見えない。町へ出れば誰もが振り向く美少女なのだ。


「おはようございます。フェイ、よく眠れましたか?」

「え? あ、ああ、一応は……」


 歯切れ悪く答えると、エルカが実に楽しそうにこちらを見ていた。


(まさか、エルカに限って寝言の事なんて言わないよな?)


 嫌な汗が額を伝う。

 ここ最近、相変わらず無邪気にまとわりつくセラに、動揺する事が多くなった。これ以上、誤解を与えて暴走して欲しくないというのが本音なのだ。


「今朝のメニューはオニオンとブガットのオムレツにしてみたのですが、どうですか?」


 そんなフェイの気も知らず、セラは皿へ盛ったオムレツを自慢げに見せる。

 薄黄色のオムレツは七割ほど満ちた月のように綺麗に焼けており、色鮮やかな野菜が添えられている。見るからに食欲をそそられた。二年前のヘドロオムレツとは比べ物にならない。


「よし、見た目は合格だ」

「やったぁ! 味も自信があるので温かいうちに食べてくださいね」

「ああ、分かった……あれ、コノハはどこだ?」


 コノハの名前が飛び出た瞬間、セラの表情がそれと分かるくらいに陰った。


「気になるんですか?」

「いや、ほら、エルカが仕事の話って言うからには、全員集まるのかなぁって」

「……コノハさんは今、ディアナさんを起こしに行っています。すぐ来ますからっ」


 オムレツの入った皿を乱暴にテーブルへ置くと、セラはパンを焼くために厨房へ足音荒く去っていった。


「ったく、なんだよ」


 フェイはセラに聞こえないように呟いて席に着き、エルカはそんな二人を見て幸せそうに微笑むのだ。





「ディアナ、いい加減起きて」

「うーん」


 コノハはダブルベッドで眠るディアナを何度も揺する。だが、毛布にくしゃくしゃに包まれているディアナは唸るだけで、さっぱり起きてくれなかった。

 やがて、コノハの切れ長の目が吊り上がってくる。


「ちょっと、ディアナ!」

「もうちょっと寝かせて……昨夜、エルカが全然寝かせてくれなくて」


 寝かせてくれないという言葉に、毛布を引き剥がそうとしていたコノハの手がピタリと止まった。

 今まで気にもしていなかったベッドの乱れ具合が急に気になってくる。


「おや、顔が真っ赤だよ? 何か想像しちゃったかい?」


 毛布の隙間からディアナの灰色の瞳がコノハの顔を覗いていた。その目は三日月のようにニヤニヤと歪んでいる。


「ばっ、何も想像してないわよ! いいから、早く起きなさい!」

「ほんと可愛いわね、もう二十歳(ハタチ)なんでしょ? まったく黒猫ちゃんもとんだ罪な男だね」

「……余計なお世話」


 プイと横を向いた途端、ディアナは毛布ごとガバリと起き上がった。


「ね、コノハ。黒猫ちゃんを落とす手っ取り早い方法を教えようか?」

「あ、あたしは、別に、そんな」

「酒さ。あんなお人好し、ジュースだって酒を飲ませちまえばあっという間に理性なんて吹っ飛ぶよ。そこで胸元なんてチラッと見せてごらん? それで勝負ありさ。あんたもそんな膜、いつまでも大事にしてないで、さっさと破っち――」


 どこから取り出したのかディアナの喉元にはナイフが押し当てられ、それ以上の言葉を紡ぐ事が出来なくなった。


「……あと十数える前に起きてよね」


 もう否と言う事はできないねと、ディアナは早々に悟ったのだった。





「お待たせ」


 ディアナがリビングに入ると、そこにはピリピリした空気が蔓延していた。

 その中で、エルカは一人だけ上機嫌である。


「やあ、ディアナ。いい朝だな」

「おはよう、エルカ。今日もいい日になりそうね」


 ニヤリと微笑みを交し合い、朝食の待つ席に着いた。


「全員集まったな。では依頼の内容を説明する。もちろん朝食を食べたまま聞いてもらって構わないよ」


 言われるまでも無くディアナは朝食を突付いた。

 焼きたてのパンにオムレツをのせると、パクリと噛り付く。半熟で柔らかい卵とオニオンの風味、ブガットのほのかな酸味が実に良く調和していた。


――――あら、本当に美味しい。あのお嬢ちゃんも腕を上げたものね。誉めて欲しい人が近くにいれば当然か


 ただ現在、褒めて欲しい人とは冷戦に入っているようだ。エルカの上機嫌の原因はこれだろう。

 悪い人ねと(エルカ)を見やる。


「今回のクエストだが、一つは商人の護衛、もう一つは財宝探索だ」

「財宝!」


 財宝の言葉にフェイが腰をわずかに浮かせて反応した。


「財宝って具体的には何だよ。宝石の類か?」

「いや、美術品だ。依頼人の情報では洞窟の隠し部屋にあるらしい。そこでフェイとセシリアに探索を頼みたい」

「私も!?」


 弾かれたようにセラが立ち上がった。

 今まで迷い人調査以外は留守番ばかりだったセラが、この大きな仕事に抜擢されたのだ。驚かない訳が無いだろう。


「ああ、私とディアナ、コノハの3人で商人の護衛をやるからな。セシリアはマッピングの勉強をしていただろ? フェイを助けてやって欲しい」

「は、はいっ!!」


 その元気良い返事で、今度はフェイが不安になったようだ。


「おい、エルカ。マッピングは確かに有りがたいけど、危険は無いんだろうな?」

「危険はどこにでもある。クエスト屋をやるならいつかは通る道だ」


 そこまで言うと、エルカは厳しい顔をフッと緩めた。


「まぁ、野獣が出たとの報告はないから、多分大丈夫だろう……ただな、ちょっと出るらしい」

「出るって、何が?」


 エルカの視線がスゥと細められ、唇の端がニィと吊り上った。


「なに、ただの幽霊だよ」





 セラは手に持った白墨で、五つめの目印を洞窟の岩肌に書き込んだ。

 目印には数字や記号がつけられており、どの目印を見つけても最悪入り口に戻る事ができる仕組みになっているらしい。


「しかし、幽霊なんてな、本当にいるのかよ」

「しー! ダメですよ、フェイ。幽霊の話をすると幽霊が出るって言うじゃないですか」


 口に指を当てながらパタパタと近づいてくる仕草は子供そのものだ。安全の為にとディアナの革のマントを付けさせたが、大き過ぎて似合っていなかった。

 財宝の探索という浪漫一杯のクエストなのだが、お陰でいっこうに緊張感が沸いてこない。

 しかし、洞窟は狂ったように枝分かれしており、自力で脱出しろと言われても出来ないだろう。

 セラのマッピングは確かに有りがたかった。


「それにしても、誰だっけ、その美術品の作者」

「グラム=ホロゥさんです。高名な美術家さんなのですが、昨年にお亡なりになったそうです。でもその直前、生涯最高の作品ができたとお弟子さんに漏らした事があったとか。グラムさんのアトリエにあった資料から、その作品がこの洞窟に隠してあるらしいのです」

「高名な美術家の生涯最高作品か……やりがいがあるじゃないか」

「はい! どんどん行きましょう!」


 二人はランプをかざして奥へ奥へと進む。たしかに洞窟は枝道が多いが、人間が進めるところはそう多くない。セラのマップには次々とバツ印が増えていった。


「セラ、俺の前は歩くな。罠が無いとは限らないんだ」

「あ、ごめんなさい。つい嬉しくって」


 タタタッと本当に嬉しそうに戻ってくる。


「フェイと一緒に冒険する事は私の夢だったのです。お荷物じゃなくて、パートナーとして。だからこれって夢がかなったんですよね」


 無垢な瞳で見上げるセラを見て、フェイは返事ができなかった。


――――俺は、このままでいいのか?


 つい、そんな疑問が沸いてきた。

 セラも、コノハも、彼女達にはもっとふさわしい人がいるんじゃないかと思う。こんな不幸にばかり巻き込まれている男に、これ以上囚われていて良いのだろうかと。

 そんなフェイの思考を遮ったのは、セラの空を切る叫び声だった。


「きゃああああああっ!」


 ハッと我に返ったフェイは、ランプをかざしてセラの様子を確認する。

 一匹のコウモリがセラに襲い掛かっていた。

 普通のコウモリならば、バタバタと動くものから遠ざかる。しかし、このコウモリはセラがどれだけ追い払おうとしてもまとわりついてくるのだ。


――――吸血コウモリか!?


 フェイは素早くダガーを引き抜いてコウモリを斬り付けた。狙いたがわずコウモリは翼を切られ、ボトリと地の上に落ちる。


「おい、大丈夫か?」


 セラがはいと返事をしようと顔を上げたとき、その目が驚愕の色に染まった。


「いやああああああああああっ!」


 その絶叫にフェイも慌てて振り返る。そこにいたのは、岩肌の天上を埋め尽くすほどの吸血コウモリの大群だった。


「セラ、大声を出すな。あいつらは音に反応する――おい、セラッ!」

「きゃあああっ! いやああっ!」


 すっかり錯乱してしまったセラは、フェイの声などまるで届かなかった。口を抑えようにも、フェイの手もコウモリだと勘違いして暴れまわっている。


 ゾクリ


 首筋に悪寒が走った。

 セラのマントの裾を掴みセラ自身をぐるんと巻くと、抱きかかえ様に走り出す。

 その直後、吸血コウモリの大群がフェイ達を取り囲んだ。厚手の皮ジャケットはコウモリの牙を防いでくれるが、首筋はそうはいかなかったらしく、するどい痛みが走る。


――――くっ、まずい


 フェイはセラを片腕で抱えたまま走り、残る腕でバックパックから雨避け用の大きな薄皮を取り出す。そして、地面に倒れながら薄皮でセラと自分を覆った。

 視界の悪い中、セラにまとわりついているコウモリを一匹づつ追い出し、最後に自分の首筋に食いついているヤツを引きちぎった。

 吸血コウモリと言えど、さすがに薄皮を(めく)って入ってはこれないようだ。


「ふぅ。ひとまずこれで安心か、セラ、大丈夫か?」

「……その、ごめんなさい」


 フェイの腕の中で、セラは小さくなった。どうせ、グジグジと自分を責めているのだろう。


「気にするな、最初はそんなもんだ。それより、落ち込むのは後だ。あいつらを何とかしないと動けやしない」

「……あの、発煙丸を持って来ました」

「おお、そうか!」


 発煙丸とは良く燃え、煙を大量に発生する丸薬だ。主に巣穴にいる動物を燻り出すのに使うが、コウモリ退治にはもってこいだった。

 フェイはポケットから手探りで火打石と木屑を取り出し、木屑の上に発煙丸を数粒置いた。そして、カチカチと火花を散らし、吐息で空気を送り込む。

 赤い火が灯ると同時に、すぐさま煙が広がった。


「ケホッ、ケホッ、頼むぞ」


 コウモリ達が群生している場所へ発煙丸を投げ込み、すばやく薄皮を閉じる。後は群れが退散するのを待つだけだ。

 そうやってフェイが作業をしている間、セラはずっと俯いたままで、元気がすっかり無くなってしまっていた。


「どうした、怖いか? それとも、さっきの事でも気にしてるのか?」


 セラは後者のタイミングでコクリと頷く。やれやれと鼻先を掻くと、フェイはゆっくりと話し出した。


「俺は小さい頃、両親に捨てられて一人で生きてきた。一人は寂しかったけど、今はみんなと一緒に生活できて結構幸せだ。だからチャラだと思ってる」

「チャラ?」

「ええと、つまり帳消しって事だ。どれだけ不幸な過去でも、今が幸せならそれでチャラなんだ」


 自分の言葉にうんと頷く。


「セラが失敗しても、まだ俺たちは生きてる。反省して、おまけに発煙丸も持っていたんだ。完璧にチャラだろ」

「でも、私は、いつもみんなに迷惑かけてばかりで……」


 フェイはセラの頭に優しく手を置いた。


「なら、その分みんなを幸せにすればいい。それで全部、チャラだ」


 セラは小さく頷き、ようやくフェイを見上げた。


「あ、フェイ、首筋に血が」

「ああ、後で消毒しなくちゃ――って、おい、何する気だ?」

「動かないで!」


 フェイの首筋にセラの唇がゆっくりと押し当てられ、その小さな舌が傷口を容赦無く、なめた。





 数分後、薄皮を隔てた向こうでキィキィバサバサと騒がしい音が高まり、やがてピタリと止む。

 それを確認するや、フェイは安全も確認せずに薄皮から這い出た。


――――今度こそ、駄目かと思った


 声を出したら負けと云う、自分に課した試練に辛うじて勝利した彼は、しかし、わずかに涙目だった。

 次いで少しだけ元気になったセラが、キョロキョロと警戒しながら飛び出す。

 あれだけいたコウモリの大群は、群れの習性か全ていなくなっていた。


「……よし、いくぞ」


 気を取り直した二人はさらに奥へと進み、やがて岩壁の行き止まりに突き当たった。


「これ以上は行けないみたいですね。引き返して、別の道に行きますか?」

「いや、なんとなくここが怪しいと思う。ちょっと調べるから待っててくれ」


 フェイはコンコンと洞窟の岩肌を叩き、隠し部屋を探す。すると、ある一箇所の岩から跳ね返る音が、カンと言う高い音に変わった。


「この岩、もしかして」


 フェイがグッと岩を押すと、重そうだった岩は難なく横にスライドした。岩に見せかけた隠し扉だ。

 そしてその奥に現れたのは、幅一人分ほどの細い階段だった。


「すごい! これって隠し部屋ですよね?」

「ああ、凝ってるなぁ……それにしても昇り階段か。これって地上に出ちまうんじゃないか?」

「今まで下っているところは無かったですから、ひょっとするとそうかも知れません」

「考えてもしょうがないか、昇ってみるぞ」


 フェイを先頭に階段を一歩づつ慎重に昇る。

 この先に美術品(おたから)があるのか、出口に出てしまうのか、自然と胸が高鳴ってきた。


「お、扉がある。罠は……うん、無いようだな。開けるぞ」

「はい」


 ゴクリと唾を飲み込み、安っぽい木の扉をギィと開け放つ。

 真っ先に二人の目に飛び込んだのは、真っ白な老婆だ。老婆は微笑みながら、宙に浮いていた。


「のぎゃああああああっ!」


 フェイがセラを抱え、転がり落ちそうになりながら階段を駆け下りる。


「ちょ、ちょっと、フェイ!」

「なんだよ!」


 階段を抜けるや、岩の封印を閉めようとするフェイに向い、セラは努めて冷静に言う。


「フェイ、上に戻りましょう」

「バ、バカ! ありゃ、本物の幽霊だ。俺達の適う相手じゃないぞ!」

「でも、あのおばあさん優しそうでした。きっと大丈夫ですよ」

「はあ? お、おいっ! セラッ!」


 フェイの制止も聞かず、セラは再び階段を昇っていってしまう。


「し、知らねえぞ! ったく」


 そう言いながらも、フェイはやはり後を追うのだった。





 部屋に戻ってきたフェイが見たものは、やはり宙に浮いている老婆の姿と、それに近づくセラだった。


「お、おい! セラ!」

「大丈夫です。これ、幽霊じゃないみたいです」

「そんな、だって」


 フェイが恐る恐る近づいても、たしかにその老婆は反応しない。手で触れようとしても、スッと透き通ってしまうのだ。

 この部屋も妙だった。さっき来た時には気付かなかったが、天上から幾筋かの光が漏れているのだ。どうやら地表に近いところにこの部屋はあるらしい。

 良く見れば、地表から光が差し込む穴に人工的に削られた部分や、金属片が埋め込まれている場所がある。


「フェイ! これを見てください!」


 駆け寄った先にあったのは、紛れも無く墓標だった。

 墓標には短く文字が刻まれている。


「こっちの国の言葉か、セラ、分かるか?」

「……はい。書いてあるのは、たった、たった一言ですから」


 セラはフェイへと振り返り、涙目に震える声で言った。


「書いてある言葉は、我が全て、です」


 我が全て、光の老婆、墓標、そして、芸術家グラム=ホロゥの生涯最高の作品、それらの示すところはつまり。


――――そう言う事か


「あのおばあさん、グラムさんの奥さんなのですね」

「ああ。そして、この墓所に眠っている人も、そうなんだろう」


 おそらく、こう言う事だ。

 グラムはどうやってかこの場所と、光が宙に見えるポイントを発見した。そして、それを使って描く技術を見つけ出したのだ。

 自分の寿命が長くない事を知ったグラムはその残りの生涯をかけ、この妻の墓所を作ったのだろう。

 我が全て、墓標に刻まれた言葉が彼の情熱を雄弁に語っていた。


「ったく、死んだ人間にラブレターを書くなんてな」

「……このまま、何も見なかった事にしましょうか?」


 ふむと腕を組んで、セラを見る。


「依頼者はグラム=ホロゥの弟子かなんかだろ?」

「はい」

「なら問題ない。セラの作った地図をそのまま渡せばいい。きっと荒らすような事はしないさ。ここには値打ちモノも、持ち出せるモノもない。あるのは永遠だけだ」

「……フフッ」


 セラがクスクスと笑うので、フェイは顔を真っ赤にして憤慨した。


「ごめんなさい、違うんです。ちょっと昔の事を思い出して」

「思い出した?」

「はい、昔、兄様と喧嘩したことがあって」


 セラはフェイに近づくと、ニッコリと見上げた。


「私が読んだ本に『永遠の恋人』と言う言葉があって、私も永遠の恋人が欲しいと言ったら兄様は笑ったんです。永遠の恋人なんて存在しないって」

「なるほど、エルカらしい」

「そして喧嘩していたら、お父様がやってきて、私たちに言ったのです」


 セラは眉根をよせ、目をキリリと見開いた。もし父親の真似をしているのだとしたら、恐ろしいほど似ていない。


「人の間に変わらぬ愛は無い。まして、永遠の恋となど出会えはしないだろうって」

「鬼か、お前の親父は」


 頬を膨らませ最後まで聞いてくださいと睨まれたので、フェイはすまんと口を閉じる。


「その後、お父様は私たちを抱き寄せて、すごく幸せそうに笑いました。愛というのは出会うものじゃない。作るものだって」


 セラは目を閉じ、かつて父が語った言葉を忠実に再現する。


「毎日の言葉で、行いで、温もりの中で愛は形作られる。そして辛い日々も全部乗り越えたその先に、永遠はここにあったと感じるのだって」


――――愛は作るもの、か


 この墓所を作ったグラムはその事を知っていたのだろうか。いや、もし知らなくても、彼は作り上げたのだ。我が全てとまで言い切った、永遠の愛を。

 フェイは、そんな二人を酷く羨ましいと感じた。


「フェイ、帰ろう。みんな待ってる」


 頷いたフェイは、最後に老婆を見つめる。

 その顔は確かに、愛と幸せに満たされていた。





「むー」


 コノハは小さく唸った。

 帰ってからというものセラは笑顔が絶えない。まあ、それまでは良いとしよう。しかし、フェイまで機嫌がいいのには納得がいかないのだ。

 猫なで声でセラに尋ねてみた。


「セラ、フェイと何かあったの?」

「コノハには内緒」


 ピキッ


 こめかみにうっすらと青筋が浮き上がった。


――――そう。何があったか知らないけど、そういう態度を取るなら考えがあるんだから


 上機嫌で皿を洗い続けるセラに背を向けると、コノハは闘気を立ち昇らせ、静かに自室に入っていった。



 コンコン


「フェイ、ちょっといい?」

「こんな時間に珍しいな。どうかしたのか」


 胸元が開いた浅葱色のワンピースを着たコノハは、ドアの隙間からひょいと顔を出した。

 その顔には気付かれない程度の化粧が施してある。無論、間違ってもフェイは気が付かないだろう。


「今日、商人の護衛をしたでしょ? そしたらお礼にって、その、ジュースをもらったの。一緒にどう?」


 手に持った二つのカップと小樽を掲げて見せてから気づく。ジュースが入っているにしては高価過ぎる小樽だったのだ。不安がザワリと()ぎる。


「へぇ、そりゃ悪いな」


 しかし、フェイはディアナの言った通り、蟻の爪先ほども疑っていない笑みでコノハを迎え入れた。あまりのお人好しぶりに、胸がチクリと痛んだ程だ。


――――ダメダメ。もう、後戻りはできないんだから。平常心よ、平常心


 部屋に入ると、さりげなく鍵をかける。これで邪魔者(セラ)の妨害は無くなったはずだ。

 フェイは座っていた椅子をコノハに譲ろうと立ち上がり、ベッドに腰掛ける。そこでコノハはさも今気が付いたかのように口に手を当てた。


「ごめん、フェイの部屋ってテーブルが無かったっけ。しょうがない、この椅子をテーブルにしちゃおうか」


 やや上ずった声で一息に言うと、フェイの横、つまりベッドに並んで腰掛ける。そして、なにか言われる前に小樽の栓を抜き、震える手でカップに注いで手渡した。


「おお、確かにいい匂いだな。それじゃ頂きます」


 フェイは大きめのカップに並々と注がれていた果実酒を、グイとひと飲みにした。


「あ」

「うん? 美味いけど、ちょっと不思議な味だな。コノハは飲まないのか?」

「……ううん、飲む」


 コノハも深呼吸すると、カップに並々と注いだ液体をグイとあおる。


「ケホッ」

「あっはっはっは、慌て過ぎだろ。じゃあ、もう一杯貰うぞ」


 フェイはカップに再び酒を注ぐ。その顔は既に真っ赤に染まっていた。


(……ちょっと、これキツイお酒なんじゃ?)


 コノハの不安をよそに、フェイの二杯目はあっという間に消えて無くなったのだ。




「だから、コノハ、聞いてくれよ」

「あー、はいはい、聞いてるわよ」


 三杯目当たりからだろうか、フェイの饒舌(じょうぜつ)に拍車がかかり、取り留めの無い愚痴が始まったのだ。

 ムードもへったくれも無い状態が続く。ちなみにフェイは既に六杯目を飲み干していた。


「昨日、妊婦を助けただろ。そりゃあ必死で励まして、元気な男の子が生まれたまではよかったんだ。へその緒まで切ったんだぜ?」

「聞いてるわよ。ほんと、よくよく巻き込まれるわね」


 心底そう思っての言葉だ。でも、だから、放って置けないのだろう。


「で、そのへその緒を切った直後に、妊婦の旦那がやって来たんだ。そしたら凄い剣幕で俺に掴みかかって言う訳さ、俺の嫁のを見たのかって」

「……見たの?」

「それが全然覚えてないんだ。ずっと頭の中が真っ白で、そんな事、気にする余裕も無かったんだ。でもな」


 フェイの険しかった顔が、ふっと緩んだ。


「その旦那、赤ん坊の顔見たらデレッとしやがって、もう俺の事なんて目に入ってねぇの。親子三人幸せそうに抱き合ってさぁ。ああいうの見てたら、子供ってのも悪くねぇなぁって」

「そう、それで許せちゃうなんて、あんたらしいわ」


 つられるように、コノハも上気する頬を緩ませた。


――――あれ? この会話の流れってチャンスなんじゃ?


 実際、フェイとは肩と肩が触れ合う距離にいるのだ。こんなチャンスはもう二度と来ないかもしれない。

 しかし、いざとなると急に緊張してきた。カラカラに乾く喉元をカップに残っていた果実酒で潤すと、思い切ってフェイの肩に頭をのせる。


「ねぇ、フェイ、だったらあたしと――」


 ただでさえ開いている胸元を、指先でずり下げていった。


「そうそう! それで今朝、セラが出産する夢を見たんだ。しかも生まれてきた赤ん坊がコノハの顔してたんだぜ。あれは気持ち悪かったなぁ」


 プツン


 コノハは崩れるように床に座り込むと、ベッドの下に手を突っ込んだ。


「おい、何か下に落としたのか? ああ、大根棒か……って、何で俺のベッドの下にあるんだよ! おい、ちょっとまて!」


 その目には涙と、真っ黒な炎が渦巻いていた。


「言いたい事は沢山あるんだけど、もういいわ……死んで」





 エルカは絶叫が木霊(こだま)する覗き穴から目を離し、ブルリと身を振わせた。


「なんと言う甘美な夜だ。これでまた素敵な夢が見られそうだよ」


 ディアナも覗き穴から目を離すと、それを愛しそうに撫でた。


「痛い出費だったけど、これを作った甲斐があったわね」

「全くだ。来週にはセラを焚きつけてみるか」

「また作戦を考えなくちゃね」


 ここは彼らの寝室、書棚をどかすと銀鏡を使った覗き穴システムが出現する仕掛けである。

 むろん、フェイの許可などとっていない。


「ディアナ、フェイはマゾヒストなのだろうか?」

「いきなりな質問ね。でも違うと思うわ。カサカサ虫よりも頑丈だけど性癖はいたって普通ね」

「では、何故アレだけ叩かれて、それでも明日には笑っていられるのだろうな?」


 理解不能だとばかりに首を捻った(エルカ)に、(ディアナ)は微笑んで答える。


「猫ってそんなものよ」


 愛する夫は「なるほど」と手を打ち、満足そうに頷いた。


「ではそろそろ寝るとするか。ディアナ、良い夢を」

「ええ、良い明日を」


 ディアナは眠る前に、最後にもう一度だけ覗き穴を覗き込む。

 そこにはコノハの前に丸くなってガタガタと震えるフェイがいた。その姿がほんの少しだけ哀れに見え、誰にも聞こえないように小さく呟いたのだ。


「黒猫ちゃんの明日に幸あれ」



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