(41)剣の国の黒猫
『剣の国の黒猫に幸あれ』
五十万の民がそう叫んだ日から、既に半月が流れている。
この半月の間、フェイは王都にある病室で療養しており、様々な人がこの病室を訪れた。
グロスター伯やアイオールが見舞いに来たり、武者修行の途中だと言うカシムがぶらりと訪れた事もある。
わざわざゼクス領からクロフがレンファが来た事は、フェイにとって何よりの贈り物となった。
ただ、ルナとエドガーがピタリと寄り添いながら来た時には、さすがに笑顔が凍りついた。どうやら、本当に恋人になっていたらしい。余計な期待などさせないで欲しいものだ。
一方、エルカだけは、入院した翌日に一度顔を出したきり姿を見ていない。忙しい身なのは分かるが、それが少し寂しかった。
逆にコノハは将軍の激務にもかかわらず、それこそ毎晩のようにやって来て、あれこれとフェイの世話を見てくれていた。
そしてセラも、毎週のように竜馬の馬車に酔いながらもやって来て、あれやこれやとゼクスの近状を話してくれる。短くなった髪をしきりに気にしているが、綺麗に切りそろえた髪は、むしろよく似合っていると思っている。
まったくの余談だが、セラが来る時は必ず領主も一緒に来ていた。そして話している間、部屋の片隅で黙って腕を組んで立っていた。本当にたまらない。
ただ気のせいか、以前に比べると、表情はほんの少しだけ柔らかくなっている気がした。本当にほんの少しだけだが。
と言う訳で、来客の頻度を考えれば、この状況はいつか必ずやってくる事態だったのだ。
外はすっかり日が落ちており、ベッドサイドに二つ置かれたイスには二人の女性が座っていた。
セラとコノハだ。
二人とも満面の笑顔が顔に張り付いているのだが、目が怖いし空気が痛い。
なにせ二人の間が揃ってからと言うもの、一切の会話が無いのだ。
ここまで来れば、いくら鈍感なフェイでもなんとなく想像が付く。
――――これは、修羅場だ
「あ、そうだ! フェイ、何か果物欲しいんじゃない?」
「い、いや、いいよ、コノハ」
「ガラムは明日退院だそうです、今度連れて来ましょうか?」
「いや、いいって、無理させちゃ悪いし」
一向に視線すら合わせない二人に、胃が痛くなってきた。
セラの直球な気持ちは嫌というほど分かっていた。
そしてコノハも、フェイの世話をする端々に、思わせぶりな言葉をポツポツと置いていくのだ。
もしかして……と思っていた矢先に、この状況である。
「子供は子供らしく、外で遊んでいるのが普通だってフェイは思わない?」
「……は?」
「身体的特徴を侮蔑する人間って、フェイはどう思います?」
「……え?」
「キスで妊娠するとか思ってるのって、完全に子供よね。フェイ」
「……あ、あの」
「すぐにキレて見境なく暴力を振るうような悪魔、いつか尻尾が生えるに決まってます。そうでしょ、フェイ?」
二人の間にある空間が、プレッシャーに負けてぐにゃりと歪んだ気がした。
――――まずい、なにかとんでもなくまずい方向へ話がぶっ飛んで切る気がする
何か、雰囲気を明るくする話題が必要だと、フェイは必死で考えをめぐらせた。
だがしかし、話題を探している時間など、あのセラが待つ訳が無かった。
いつものようにセラは唐突に立ち上がった。
「私は、フェイを愛してます!」
突然の告白――と言うよりは、決闘の申し込みのような口調だった。
フェイはセラよりも早く領主へと目を向ける。
壁際で腕を組んでいる領主は、無論、鬼のような形相でフェイを睨んでいた。
「さあ、コノハさんはどうなんですか?」
セラは勝ち誇ったような顔で、コノハを見た。
喉をぐぅと唸らせたコノハだったが、負けじと立ち上がる。
「あたっ……あたしも、フェイが、好きなの」
顔から火が出そうなほど真っ赤になってコノハは呟いた。
その言葉を確認すると、セラはそのままフェイに詰め寄る。
「さあ、フェイ、選んで。あなたが選ぶなら、ちゃんと納得するから!」
「あ、あたしも。白黒付けてくれるなら、そっちの方がいい」
――――とうとう来たか
フェイの返事は決まっている。もし、こんな事態なれば本心を正直に告げると決めていたのだ。
ここで嘘を言っては勇気を出して気持ちを伝えてくれた相手に失礼だった。
それに、生まれた時から嘘は苦手なのだ。
――――覚悟は、出来ている
フェイはその胸にあった想いを、ハッキリと告げた。
「どっちも嫌だ」
部屋の気温が氷点下まで下がる。
コノハの手に、どこからともなく大根棒が現れた。
そして、セラは領主の元に泣きながら走っていく。
「お父様……嫌だなんて、私」
領主は拳をゴキゴキと鳴らし、壁から離れた。
「ちょ、ちょっとまてっ! ちゃんと選べば諦めるって、そう言ったじゃねえか! ほ、ほら、俺は今、誰とも付き合うつもりが無いだけで、友達最高! みたいな」
フェイはギブスの付いた両手をブンブンと振って自己弁護する。
しかし、コノハは大根棒を正眼に構えると、氷のような声で宣告した。
「言いたいことは、それだけ?」
領主は鉄槌すら砕いた拳を、慈悲のカケラも無く引き絞る。
「身の程を知らん愚者が……遺言を聞こうか」
フェイはギブスをあわせて懇願した。
「――お願い、優しくして」
その願いは、塵のように無視される事になる。
その夜、フェイの断末魔が途絶える事は無かったのだ。
次の日の朝、エルカが病室を訪ねると、そこは血の海だった。
その中心でフェイがガタガタと震えている。
エルカはフェイの体を起こすと、口を開いた。
「……よく飽きないな」
「他に言う事あるだろっ!」
フェイは血塗れのまま叫んだ。
「ちょっと待っててくれ、今医務官を呼ぶから」
エルカはテキパキと指示を出し、フェイを綺麗なベッドに寝かせた。
「医者が言うには裂傷と打撲だけで、特に問題無いそうだ。良かったな」
「良くねぇよ!」
フェイは頭を抱える。
「あああ。退院したらすぐに王様なんぞに戻らなくちゃいけないんだ……嫌だああ」
エルカは「やはりな」と呟いた。
これ以上フェイが王様など続ければ、良くてノイローゼ、悪ければ本当にハードゲイにでも走りかねない。
そして、それを打開するために、エルカは見舞いにも行かず準備をしていたのだ。
フェイの肩に、優しく手を置いた。
「フェイ、一緒に別の国……海の向こうへ行かないか?」
「海の、向こうへ? でも、俺は」
「王ならエドガーが上手く継いでくれるさ。その準備はしてきた。なにせ、あの歳で二十万の民を先導したんだ、大丈夫だよ」
「…………いいのか? 本当にいいのか? 俺は、自由になってもいいんだな?」
フェイの目が潤む。とことん真剣に王が嫌だったらしい。
「もちろんだ、好きな国を選ぶといい。そして、また、一緒にクエスト屋をはじめよう」
「エルカアアアッ!」
フェイは目一杯力強くエルカを抱きしめる。
エルカはフェイに見えないように、ニタリと笑った。
三日後、退院する日の早朝、フェイはエルカに連れられ病院を抜け出した。
フェイの残した置き手紙がきっかけで、シュバート国はさらに変革することになるのだが、それはまた別の話である。
丸二日、駿馬の馬車に揺られ、フェイとエルカはツヴァイ領の港にたどり着いた。
朝靄の中、フェイとエルカを待っていたのは神出鬼没の美女ディアナだった。
「エルカ、待ってたわ」
「遅くなってすまない、ディアナ」
そう挨拶を交わすと、二人は強く抱きあった。
「新婚旅行の行き先、勝手に決めて済まなかったな」
「何言ってるのよ、悪いなんてちっとも思ってないくせに」
そう言うと、フェイの視線も気にせず濃厚なキスを交わした。
「……えっ!? えええええっ!?」
フェイがあたふたと狼狽すると、エルカはさもうっかりしていたと言わんばかりの惚けた顔で言ってのけた。
「おや、言ってなかったか。ちょっと前に結婚したんだ」
「なああああああっ!?」
ディアナはエルカの肩にしな垂れかかり、小さくため息を吐いた。
「あのクソ親父に現役復帰してもらったから、砂漠の長から解放されたの。そうなったら、急にあそこから出たくなっちゃって」
「は、はぁ……」
フェイは呆然と立ち尽くした。
「ほら、フェイ、私たちの乗る船だ。新造の豪華客船だぞ」
――――氷山に当たって沈没しないだろうか
そんな疑問を抱いたまま、フェイは船に乗り込んだ。
――――いよいよ、この剣の国ともお別れ、か
出航の鐘が鳴り、岸が徐々に離れていく。
郷愁の念がフェイを襲い、セラ、コノハ、クロフ、オルフェル、その他多くの人々の顔が頭を過ぎった。
――――みんな、黙って出発してごめんな
「暗い顔してどうしたの、黒猫ちゃん?」
「黒猫ちゃんって呼ぶな! なんども言ってるだろ!」
「いいじゃない、そのくらい。細かい男はモテないわよ」
「女は当分いらん!」
すると、エルカがゆっくりとディアナに近づき、その肩に手を置いた。
「ディアナ、フェイの気持ちも分かってくれ。ここには、もう戻れないかもしれないんだ」
そう言うと、エルカもフェイと同じように故郷を眺める。
そこには、エルカの今までの人生が全て詰まっていたはずだ。
悪い、と思いつつ、エルカがいなくて外国でやっていく自信など無い。
「エルカ、本当に、いいんだな?」
エルカは振り帰ると、大きく頷いて笑った。
「ああ、もちろんだ。剣の国の黒猫の物語を、ここでお終りにしよう」
シュバート国がすっかり水平線に消えた頃、フェイは水を貰おうと船倉にやってきた。
「水の樽は……おお、これが全部そうなんだ。さすがに豪華客船は違うなぁ」
ふと、天井から吊り下がった干物が目に止まった。
だがよく見ると、それは干物ではなかった。薄皮で出来た風船のような物体であり、天井から伸びている紐にぶら下がり、タプンタプンと揺れているのだ。
「これは……カエルか?」
その妙にリアルなカエルに手を触れようとした瞬間、鋭い制止の声が飛んできた。
「さわるな、それは危険物だっ!」
どこかで見たような水夫が、真剣にフェイを呼び止めた。
「その物体は絶対安静、天地無用に願う」
「……あ、ああ」
その迫力に、フェイは素直に頷いた。
気を取り直すと、カエルの真下にあった樽の蓋に手を掛けた。
蓋は思いのほか簡単に開らき…………そして、すぐさま閉める。
「……おい、セラ」
『はい』
「何やってるのか、聞いていいか?」
『ええと、家出と密航、です』
「一応、動機を聞いておこうか」
『……エッチ』
――――捨てよう
フェイは樽を持ち上げようとすると、観念したのかセラが樽から這い出てきた。
「あ、あの、これをフェイに渡そうと思って」
「何だこれは?」
「ゲロちゃんです」
セラはカエルの干物に躊躇無く口をつけると、プゥと脹らませた。
「ほら、可愛いでしょ」
「――で、呪いを掛けにわざわざここまで来たのか?」
「ちっ、違いますっ! あの、私、背がちょっと伸びたんです」
セラはフェイに一歩近づいた。
「気球から落ちたせいか、雷に打たれたせいか、分かりませんが、成長してるらしいんです」
「……まぁ、それはよかったな」
「はいっ! だから、私、いつかきっとフェイに好きになってもらえる女性になるんじゃないかと――」
「言ったはずだ。今は誰とも付き合わないって。セラがいきなり俺と同じ背になったって、それは変わらない」
フェイが厳しく言うと、セラは瞳を潤ませる。
「分かってます。でも、私、決めてたんです。たとえ横に並べなくても、フェイの背中を追っていくって」
フェイを真っ直ぐに見つめる碧眼は、強い意思を湛えていた。
何をもってしても、それは曲がらないのだろう。
「……ったく、仕事の邪魔だけはするなよ?」
「フェイ!」
セラはフェイの首に飛びついた。
「私、信じてるんです。雷でも、落下の衝撃でもなくて、フェイが呪いを解いてくれたんだって」
「俺が?」
「ほら、気球の中で……その、口と口のキス、したでしょ?」
「――ああああっ!」
フェイの脳裏に、あの一瞬の記憶がよみがえった。
雷に打たれた後で目が覚めた瞬間、セラの顔が目の前にあり、さっきのカエルのように空気を挿入されていたのだ。
ちなみに、それがフェイのファーストキスの記憶でもある。
悲しい記憶だが、コノハがここに居なくて良かったと思う。聞かれたらまた酷い惨事になっていた事だろう――そう思った刹那だった。
「……ふぅん、そうだったの」
背後から冷たくゾクリとするハスキーボイスが聞こえた。
振り向かなくてもそれが誰なのか、すっかり不幸に慣れてしまったフェイは瞬時に理解する。
「ちがうんだ、コノハ!!」
甘美であった。やはりこうでなくてはならない。
物陰からフェイ達を覗いていたエルカは、強くそう思った。
「リーガン、知らせてくれてありがとう。これで充実した時間が過ごせるよ」
「い、いや、他ならぬエルカーノの頼みだからな。でも、これ見てて楽しいか?」
リーガンが指し示す先には「このロリコン露出狂のハードゲイ童貞」と声を張り上げ、大根棒で小突き回しているコノハと、小突かれているフェイの姿があった。
ディアナが目を剥いた。
「こんなに面白いものが分からないなんて――なんて可哀想な人」
――――やはり、私の妻になる女性はディアナしかいない
エルカは満足したように頷いた。
彼にとって女性を選ぶときに重要なのは、価値観の一致であった。そこにくると、ディアナはまさに理想の女性なのだ。
エルカが熱くディアナを見つめると、彼女は飲み掛けのワイングラスを掲げた。
「私達の幸福な未来に」
「乾杯」
エルカは持っていた空のワイングラスを軽く当てた。
バンッ!
船倉の扉がけたたましく開かれ、血相を変えた水夫が大声を張り上げた。
「大変ですっ! ゴルゴンの生き残りが、船を占拠しようと暴れてます! 至急非難してくださいっ!」
必死で報告する水夫に、エルカは感嘆の声を上げる。
「シージャックか……さすがフェイだな」
空のワイングラスを水夫に押し付けると、エルカは船倉の奥に向って告げた。
「何をしている、フェイ、コノハ、セラッ! さあ、初仕事だ!」
「俺たちはゴルゴンの生き残りだっ! この船は俺たちが占拠した。命が惜しくば、さっさと金目の物を置いて、海に飛び込むんだな!」
フェイ達が船倉から上がってくると、メインデッキの上で屈強な男が刀を手に怒鳴り散らしていた。
その周りでは、武器を持った悪人面の男達が五人ほど、ニヤニヤと笑っている。
エルカは吠え猛る賊を無視し、ある一点を指差した。
「いたぞ、あれが船長だ」
指し示す先には盗賊達から隠れるように、毛布をかぶって震えている恰幅のよい男がいた。
エルカは男に近づき、遠慮なく毛布を剥ぎ取る。
「あなたが船長ですね」
「うわあああ、頼む、命だけはっ!」
船長はあたふたと床の上を這いずって、エルカに命乞いを始めた。
そこにセラがしゃがみ込んで、優しくその手を取る。
「違います。あの賊を駆除するご依頼を、私たちに頂けませんでしょうか?」
「は? いや、でも、君達は?」
セラは満面の笑みで答える。
「私たちは、クエスト屋です」
「クエスト屋?」
船長は顔を上げ、五人を見た。
「そうですとも!」
エルカは一歩踏み出すと、芝居がかった動きで両手を広げる。
「クエスト屋エルカーナの経営方針は迅速、確実、徹底的」
ディアナが柔らかな曲線を誇示するように、その隣に並ぶ。
「黒猫の捜索から、盗賊退治まで、なんなりと」
フェイはいつものようにちょっと困った笑顔で、恭しく頭を下げる。
「必ずや、依頼人の依頼も要望も解決し尽くし」
コノハは凛と背を伸ばすと、すこし照れたように笑顔を作る。
「とびっきりの笑顔を差し上げます」
セラは短い金髪を揺らし、精一杯胸を張り、透き通るような声を響かせた。
「私たちの願いは、たった一つなのです!」
最後に五人が一礼を決めた呼吸は、これからの未来を示すように、寸分の狂いも無かった。
「「「あなたにより良い明日を!」」」