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(40)日が頂点に昇る頃

 日が頂点に昇る頃、ツヴェルフルムに3人の人影が近づいていた。

 ツヴェルフ砂漠の西端に位置するツヴェルフルムは、砂漠の中にポツンとある緑豊かな丘だ。

 丘の中腹にはいくつかの泉が沸いており、それが砂漠に飲み込まれるのを盾のように防いでいる。それに気付いた砂漠の民は、泥と(わら)を混ぜたレンガで住居を建て始め、やがて住居で丘を埋め尽くすと、ツヴェルフルムと名付たのだ。

 ツヴェルフルムには丘の麓から頂点までを貫く大きな階段があり大階段と呼ばれている。

 近づいていた3人は、迷うことなくそこへ足を踏み入れた。


「……フェ、イ」


 丘の頂上にいるセラからはまだ遠く、目を凝らしても黒いゴマ程度にしか見えないのだが、それでも人影が誰なのかセラには十分過ぎるほど分かった。


「な、んで」


 セラの顔は蒼白に染まり、歯はガチガチと鳴り止まない。後ろからはクラーがその細い腕を身動きできないほどに捻り上げていたのだが、セラは痛みすら感じなかった。

 恐ろしかったのだ。

 このままでは、フェイはセラの軽率な行動のために死ぬ――いや、聞いていた話では薬で人格を奪われ、デイルトン公爵のように罪を重ねるだけの一生が待っていると言う。

 あの優しいフェイにとって、それはどれほどの地獄だろう。

 なによりこんな状況でありながら、フェイを見て嬉しく思ってしまう自分が、心底おぞましかった。

 何とかしなくては、その一心でセラは叫んだ。


「フェイ! だめっ!」


 その瞬間、クラーが短剣(スティレット)の柄でセラの後頭部を容赦なく殴りつけた。


「黙っていろ。綺麗な顔で黒猫に再開したければな」


 クラーはセラの眼前に鋭い刃物をちらつかせた――が、セラは目はその刃の遥か向こうだけを見つめ、もう一度叫んだ。


「フェイ! 来ないで!」

「このっ――」


 クラーは眉間にしわを寄せると、その長い指でセラの首を後ろから鷲掴みにした。

 セラの声がヒューヒューと言う風切り音に変わり、苦しそうに顔をゆがめる。


「まったく、これだから貴族の女は度し難い。もう、ただで死ねると思わない事だな。お前を欲しいと言う部下は吐いて捨てるほどいるんだからな」


 そう蛇のようにささやくと、ゆっくり階段を昇ってくるフェイ達の姿を見て、クラーは唇の端を吊りあげた。


「しかし本当に王自ら来るとは、やはり愚者に王たる資格は無いか……ここに総力を集めておいて正解だったな」


 ツヴェルフルムの丘の斜面に立ち並ぶ家々を眺め、クラーは目を細める。

 なにせあの廃墟の中にはゴルゴンの総力――四千を超える賊が息を潜めているのだ。

 そもそも、リア王一人を討ち取るために終結させたのではない。ただリア王就任事件で求心力が薄れつつあるゴルゴンの状況を打破するため、総力を上げて手薄な領に略奪をかける予定だったのだ。そうすれば、民衆の期待も揺らぎ、同時にゴルゴン内の活気も戻るだろうとの算段だった。

 それが思いもよらぬ形で士気を高められそうだ。

 クラーは舌なめずりをし、中腹まで上がってきたフェイ達に声をかけた。


「黒猫――いえ、リア王陛下とお呼びするべきかな?」

「ふざけんな! 俺はフェイだ! それ以外の何者でもねえ!」


 フェイは親指で自分の胸を叩き、その名を誇る。

 その横には鎧を着込んだ屈強そうな男と、レザーメイルを身に着けている黒髪の女がいた。


「手紙には一人で、と書いたはずですが、そちらの二人はどういうつもりです?」


 その言葉にセラの肩がピクリと跳ねた。

 セラはその時、ようやくフェイの横に立っている人物に気付いた。


――――コノハ、さん


 コノハはフェイと肩を並べ、彼を守るべく槍を斜めに構えている。

 静かな決意に溢れた彼女は、本当に美しかった。


――――私も、その場所に立てたら


 そんな羨望が胸に生まれ、羨望はすぐさま絶望へと変わった。

 セラがいる場所はフェイの隣ではない、それどころか、窮地に追い込んでしまった張本人なのである。

 非力で、愚鈍で、何の役にも立てず、ただ不幸だけを振りまく人間――それが自分なのだ。

 死にたいと、痛切に願った。





「構うな、適当に挑発しろ」


 エルカの耳打ちにフェイは小さく頷き、クラーに向かって怒鳴りつけた。


「細けえ事はいいんだよ! それより早くセラを放せ、このロリペド野郎!」

「くっく、あなたに言われるとは心外ですね」


 クラーは薄ら笑いをまったく崩そうともしない。さすがにオルフェルが白蛇野郎と毛嫌いしていただけはあるようだ。

 フェイの横にコノハが近づき、小声で問う。


「フェイ、気付いてる?」


 フェイは小さく頷き、左右の家屋を目の端で確認する。

 中から盗賊たちの気配がプンプンするのだ。一人や二人なら気がつかなかっただろうが、その数は百や二百どころではない。


「……エルカ、作戦に変更は無いか?」


 突き刺ささる視線の数々に顔をしかめながら、エルカは大きく頷いた。


「なおさら変更無しだ。賊の首領を捕らえ、逆に人質にする……稚拙だが、それくらいしか皆が助かる方法が思い浮かばなかった。すまんな、フェイ」

「何言ってるんだよ、エルカらしくもない」


 フェイは短剣(ダガー)を引き抜き、クラー達のいる頂上を見上げる。

 クラーの周りには3人しかいない。チャンスはあるはずだった。


――――セラ


 セラはクラーに後ろから首を掴まれており、苦しそうに顔をゆがめている。

 そして、右半分の髪が無残ににも切られており、長さの不揃いになったその髪は、まるで乞食のように髪が乱れていた。

 フェイの胸の奥にどす黒い衝動が駆け巡る。

 その表情に気付いたのか、クラーはぐいとセラを突き出した。


「さあ、リア王よ。婚約者の命が惜しければ、その辺りで止まってもらおうか」


 クラーは心底嬉しそうに唇を舐めると、するどく指笛を鳴らした。

 家屋から町を埋め尽くすほどの盗賊たちの群れが、ゆっくりと姿を現す。

 後から後から建物から沸いて出て、あっという間にフェイ達は囲まれてしまった。


「随分と大袈裟な歓迎だな! この腰抜けが!」

「ええ、使えるものを使うだけですよ。さあ、武器も捨てなさい――さもないと」


 クラーは針のような短剣(エストック)で、セラの残った片方の髪の束を斬り飛ばした。

 バサリと大階段の上に、金の束が力無く、落ちた。

 この行為にコノハが激怒の叫びを上げる。


「貴様ああああっ!」


 クラーは短剣(エストック)をセラの喉元(のどもと)に突きつけ、フェイ達の動きを止める。


「私は、やると言ったらやります。武器を捨てねばどうなるか、分かりますね?」


 この行動に、エルカがうめき声を上げる。


「まずいな、想像以上に慎重なヤツだ。この距離ではどうしようもない。本当に盗賊か?」

「フェイ、どうするの?」


 コノハがフェイに問うた、その瞬間だった。

 セラが喉元にあった刃を飲み込むように噛み(くわ)えたのだ。

 そして、首をひねると短剣(エストック)をクラーの手から引き抜いた。一歩間違えば、刃先が(のど)に突き刺さる行為である。

 そして、渾身の力を込めてクラーの足を蹴りつけると、(いまし)めていた手から逃れた。


「うわあああっ!!」


 セラは短剣(エストック)を握ると目茶目茶に振り回し、必死で周りにいた賊たちを威嚇する。

 それを見たクラーの顔がみるみる怒りの色に染まった。


「この小娘があっ!」


 振り回す短剣の隙間から、セラの腹を容赦なく蹴り飛ばした。

 セラは後ろに飛ばされ苦痛の声を上げるが、すぐさま歯を食い縛って立ち上がると、短剣を構えなおす。


「小娘が、よくよく死にたいらしいな」

「ケホッ……死ぬの、なんて、怖くない。私はあなたを、許しませんっ!」

「っ!」


 その時、セラの目をみたクラーは一瞬ひるんだ。

 悪魔のようなウィシャの目を見ても平然といられるはずなのに、それ以上の殺意を感じたのだ。


「セラッ!」


 セラがクラーから離れたタイミングを見計らい、フェイは走り出していた。

 3人を取り囲んでいた賊も、注意がセラ達に向いており、フェイはその間を黒猫のように駆け抜けた。

 そして包囲の一枚目を抜けると、懐からボウガンを取り出すや、大雑把(おおざっぱ)な狙いでトリガーを引いた。


 キョン


 狙いは大雑把だったが、鉄矢(ボルト)はクラーの肩に命中する。

 撃たれたクラーはたまらず(うずくま)り、その側近たちは浮き足立った。


「コノハ、今だ! 中央突破でいくぞっ!」


 エルカの指示に、コノハは即座に応答する。

 そしてフェイを背後から狙おうとした盗賊の群れに突っ込み、それぞれの武器を振るった。

 たまらず賊たちはフェイをあきらめ、コノハ達を迎え撃つ。


「フェイ、後ろはまかせて! あいつを!」


 コノハの声に押されるように、フェイは影のように駆けると、迫る刃を()(くぐ)り、クラーに詰め寄る。賊たちもフェイを生け捕りにしろといわれた手前、中途半端な攻撃しかできず、次々と突破される事になった。

 さらに、そのフェイに気を取られた盗賊たちが次々とエルカとコノハに討たれていく。

 狙われていると分かったクラーは、大声で部下達に命じた。


「も、もういい! 生け捕りはやめだ! 全員殺せっ!」


 この号令に様子を(うかが)っていた盗賊たちが、待ってましたとばかりに我先へとフェイ達に殺到する。

 ここから旗色が悪くなった。

 フェイ達の中央突破は最初こそ順調だったが、行動を開始した段階でのクラーとの距離が遠すぎたのだ。

 突破するべき道を、盗賊達が埋め尽くしていく。


「くそっ、数が多すぎる……」


 あと数歩でクラーに届くと言う所で、フェイは盗賊達に道を(はば)まれ、むしろ押し返されていた。

 肩越しに後ろを振り返ると、エルカとコノハとの間も、完全に盗賊たちで埋め尽くされている。

 その途端、冷たい不安が胸をよぎった。


――――くそっ! あきらめるなっ!


 フェイは自らを叱咤し、目の前の敵を一人、また一人と切り伏せていく。だが、その数は減るどころか、加速度的に増えていくだけだった。


「きゃあああ!」


 悲鳴のした方に目をやると、短剣を振り回していたセラが盗賊に取り押さえられていた。

 その光景に気を取られた瞬間、背中に衝撃が走り、次いで焼けるような痛みが襲ってくる。背後にいた敵に斬られたのだ。

 傷は浅いと分かったが、すぐに二撃目が来るはずだった。避けるなり、振り向くなりしなければ、終わりだ。

 だが、フェイの目には、セラにのし掛かった盗賊がその服に手をかける光景が映る。


――――ああああっ、くそっ!


 フェイは振り返る事を諦めた。

 無防備な背中をさらしながらもボウガンを構え、セラを襲っている賊を狙い、撃った。

 ボウガンから射出されたボルトは、正確に賊のこめかみを貫き、息の根を止めた。

 そしてフェイは、背後からくる最後の一撃を待った…………だが、その斬撃(ざんげき)はいつまで待っても来ない。

 おそるおそる振り返ると、そこにいたのは、灰色の髪をなびかせ、二本の曲刀(シャムシール)(あやつ)妖艶(ようえん)な美女。

 

「ディアナ!?」

「黒猫ちゃん、お疲れ様。私たちの――――勝ちよ!」


 ディアナの曲刀(シャムシール)が砂漠を指した。

 フェイが呆けた顔でその先を追うと、そこには何も無い砂漠が広がっているだけ……いや、違う。

 砂漠に巨大な染みがあり、それがうごめいているのだ。


「な、なんだあれはっ!」


 ソレに気が付いた誰かが驚きの叫びを上げ、その声がさらに周囲の視線を集めていく。

 砂漠に広がった染みは、ゆっくりとツヴェルフルムを目指して動いており、しかもそれは一箇所だけではない。広大な砂漠のあちこちに見ることができた。

 まるで空を埋め尽くす(イナゴ)の大群が、全て地に落ち、ゆっくりと迫ってくるようだった。

 ディアナは唇のを片方だけ上げて笑う。


「あれは全て剣の民。あたしの見たところ……そうね、五十万はいるんじゃない?」

「ごっ――五十万だって!? な、なんでそんな?」


 聞いたことも無いような数字にフェイの目が零れそうなほど見開かれる。


「なんで、とはご挨拶ね。リア王とその婚約者を助けに来た義勇軍なのよ」

「義勇軍!?」


 その声が聞こえたのか、盗賊たちの間に驚愕(きょうがく)の声が木霊(こだま)する。


「バカなっ、あれが人の群れだって!?」

「ふざけるなっ、こんなの聞いてないぞ!」


 盗賊たちの悲鳴をディアナは心地よさそうに聞き流しながら、義勇軍を指差しフェイに向かって説明する。


「あの辺の部隊はツヴァイ領とアハト領の公子が指揮してる民、およそ十万。あっちがゼクスの民五万をクソ親父が無理して率いてるわ。特に多いのが中央の部隊、あたしらが救出したエドガー王子が扇動した王都の民、二十万ね。王都の人口は三十万だって言うのに、たいしたボウヤだわ」

「エドガーが!? 駆け落ちしたんじゃなかったのかよ……」


 フェイは壮観たる光景に足が震えた。

 フェイだけではない、盗賊たちですら立ち尽くし、その光景に飲まれていたのだ。


「……フェイ」


 いつの間にかセラがフェイの傍に来ていた。

 目を合わせず、おびえ切った表情で、彼女はそこにいたのだ。


「セラ」


 フェイが呼ぶと、セラは泣きそうな顔を見せた。

 青ざめ、今にも消えてしまいそうなセラを、フェイはひょいと持ち上げ、その左肩に乗せた。


「わっ――」

「セラ、見てみろ!」


 フェイに言われるまま、セラはゆっくりとその光景を見た。

 雲霞(うんか)の如き人の群れ――あまりの多さに鳥肌が立つ。


「セラ、分かるか? これが全部、お前の声に立ち上がった奴らだよ!」

「わたし、の?」

「そうだよ! お前が言ったんじゃないか、剣を持って立ち上がれって。なあ、セラ、見えるか?」

「……うん。見えるよ、フェイ……すごい」


 口元を押さえ静かに涙を流す少女に、フェイは自分の短剣(ダガー)を渡した。


「フェイ?」

「ほら。こんなのだけど、これだって一応王の剣だろ。こいつらの処分、任せたぞ」


 任せたぞ。

 その一言が、セラの胸に途方もない安堵が染みてゆく。

 これも、フェイの優しさかもしれない。

 でも、フェイがそう望むなら、セラはまだ生きようと思った。


「はい……リア王陛下」


 セラはフェイの肩に乗ったまま、小さな剣を高々と掲げ息を吸い込むと、喉よ裂けよとばかりに叫んだ。


「リア王の名において、あなた方の命は保障しますっ! 投降しなさいっ!」


 フェイの耳がキンキンと遠鳴りを起こすほどの声量だ。

 そして、打算も見下したような傲慢さもないその声は、聞く者の心に入り込む。

 信じてみようか、そう思える不思議な声だった。


「剣を、捨てなさいっ!」


 セラの心を絞り出したような言葉に、一人、また一人と剣を放り、やがて大階段は剣で埋まった。


「馬鹿な! そんな馬鹿なことがっ!」


 フェイはセラを下ろすと、たった一人、狼狽し続けるクラーに近づいた。


「終わりだな、クラー。鉱山でオルフェルが待ってるぜ」

「あ、ありえない! 貴様はっ、貴様だけは絶対に殺すっ! ウィシャ! 黒猫を叩き潰せっ!」


 クラーの叫び声が響き、フェイの首筋に悪寒が走った。

 セラを突き飛ばし、階段から身を投げる。


 一瞬の差だった。

 フェイが刹那の前までいた空間は、今、巨大な鉄槌が存在していた。

 鉄槌は階段にめり込むと、その周囲一帯を陥没させる。


「ぐおああああっ!」


 ウィシャは獣じみた咆哮を上げ、階段の上に倒れたフェイを見下ろす。

 その背後でクラーはやすやすとセラを抱え込んだ。セラは一切抵抗しない。階段に落ちた衝撃で、動けないのだ。


「くそっ」


 フェイがそちらに向かおうとした気配を読んで、ウィシャの手がピクリと動く。

 第二撃はその直後に来た。


「うおおっ!」


 フェイは階段の側面を蹴り、さらに下段へと飛んで二撃目を避けた。

 だが立ち上がる間もなく、既にウィシャは三撃目に入っていた。


「くのやろおおっ!」


 悪態をつきながら階段を転がり、間一髪で鉄槌を避ける。

 ウィシャの恐ろしさは、その膂力(りょりょく)と予備動作の無さだ。避けても避けても、すぐさま次の一撃が追ってくる。それを回避するには、相手の意表を付いた場所に逃げるしかない。

 フェイは凶悪な重量をもった鉄槌を、恐怖を(こら)えて前へと疾駆し、ウィシャの股下を掻い潜る。足を斬る余裕などなかったが、これにはウィシャも予想外だったらしく、次の一撃までの時間を稼ぐことができた。


「セラ!」


 フェイの目に、頂上へと逃走するクラーの後ろ姿が僅かに映った。

 しかし、この化物(ウィシャ)に背中を向けて追いかけるのは、リスクが大きすぎる。

 フェイは止む無く、ウィシャへと振り返った。


「ん?」


 だが、ウィシャは既にフェイを見ていなかった。階段を登ってくる男だけを睨んでいたのだ。

 その先にいたのは、憤怒(ふんぬ)の形相の領主である。


「小僧、セラの元に行けっ! こいつは……わしが仕留める」


 そう言うと、領主は誓約を立てるように目の前で剣を構えた。

 フェイは小さく頷き、地面に落ちていたダガーを拾うとクラーの後を追った。




「こああああっ!」


 領主の直剣(サーベル)が鉄槌と交錯する。

 撒き散らされる火花と、金属の軋む音。

 領主はさらに一歩を踏み込んで、至近距離で二撃目を放つ。

 しかし、非常識な速度で舞い戻った鉄槌が、再び剣の行く手を阻む。


 ギギイイン


 直剣(サーベル)の放つ悲鳴が上がる。

 (なが)きにわたって主人に仕えた名も無き剣は、すでに限界を超えていたのだ。

 それでも、主人の意思を体現せんと、振り下ろされた鉄槌にその身を叩きつける。

 張り詰めるような金属音、涙のような火花――だが剣は耐え切り、鉄槌を弾ね上げた。


「ぬおおおおっ!」


 がら空きになったウィシャの胸に、領主は渾身の平突きを放つ。

 だが、不条理なまでの速度で鉄槌は引き戻され、剣の軌道に立ち塞がる。

 それらが交錯した瞬間、破裂したような剣の断末魔が響く。

 忠実な剣は鉄槌に一筋の傷を残し、粉々に砕け散ったのだ。


「くっ」


 領主の顔が歪み、飛び下がって間を取った。だがウィシャはその後を追わない。

 ウィシャの鉄槌を受け止められる武器など、この世にそうそうない。勝負はこの時、ほぼ決したのだ。

 その時、ウィシャの足元にある何かを領主は見つけた。

 それは一束の金糸――無残に切られたセラの髪だ。それを今、ウィシャが踏みつけていたのだ。


「……貴様、今、何を踏んでいるか、分かっているのか?」


 ウィシャは答えない、足を退()かす事はおろか、ニタリと笑ったのだ。


「その足を、どかさんかああああ!」


 領主は絶叫するや、一匹の獣と化した。拳を引き絞り、武器も持たずに突進する。

 ウィシャは鉄槌を大上段に振り上げると、長年の宿敵を押し潰すべく全力をもって振り下ろした。


「ぬおおおおおおっ!」


 唸りを上げて迫る鉄槌に、領主は拳を突き刺した。

 両者の動きが一瞬だけ止まり、次の瞬間――それは音も無く砕け散った。

 人の体ほどもあった巨大な鉄の塊が、である。


「ぐおおおっ!」


 鉄槌を打ち砕いた拳はさらに加速し、驚愕するウィシャの顔面へと叩き込まれた。

 鈍い骨が砕かれる音が響き、ウィシャは大階段の中深くへと埋め込まれる。


 そして、ピクリとも動かない。

 領主は拳を振り上げると、高らかに勝利の雄叫びをあげた。




「領主公……とうとう、やりましたな」


 階段の途中まで辿り着いたガラムは、その光景を見、万感の思いを込めて呟いた。


「ガラム隊長、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」


 一人では立つ事すらかなわぬガラムを、隣で支えていたアズマは、おずおずと口を開く。


「なんだ、アズマ」

「アレを食らい続け、リア=フェイロンは何故生きているのでしょう?」

「…………()れ、とは恐ろしいモノだな、アズマ」


 アズマが深く頷いた時、ガラムの目に真っ白な異物が映った。

 ツヴェルフルムの頂上から、丸い奇妙な物体が飛び立っているのだ。


「あれは――気球! 奴らは砂漠の民から気球の技術まで奪っていたのか!」




 フェイは切羽詰(せっぱつま)った顔で大階段へと戻ってきた。

 上昇を始めた気球を指差すと、近くに見えたエルカに大声で報告する。


「エルカ! クラーがあそこに! セラもいるんだ!」

「なに、あそこに? ……くそっ! セラがいるならば矢も使えんか」


 エルカが舌打ちをするのと同時に、領主の一喝が場を打つ。


「あきらめるなっ、小僧!」


 領主はフェイに走り寄ると、その足首をむんずと掴む。


「おおっ? ちょ、ちょっとまてっ! まさかっ!」

「ぬおおおおおおっ!!」


 フェイは独楽(コマ)のようにグルグルと回される。

 そして凄まじいまでの回転力が付いた瞬間、気球目掛けて射出された。


「にょおおおおおおおおっ!」


 情けない叫びを上げ、フェイは気球へと一直線に飛んでいく。


「セラを、頼んだぞ……」


 領主の顔は忌々しそうだったが、その声はどこか嬉しそうでもあった。





 領主の狙いは正確だった。

 気球の下にある(わら)(カゴ)へと、フェイは一直線に飛び、わしっとその(カゴ)の外型にしがみつく。

 途端に気球はグラリと傾き、(カゴ)の中からは「うおおっ?」と言う悲鳴が上がった。

 フェイはチャンスとばかりに慌てて(カゴ)をよじ登り、その中へと降り立つ。


「フェイ!」

「貴様、一体どうやって!?」


 フェイはクラーの質問を黙殺し、ダガーを構える。

 しかし、クラーは油断無くセラの喉元に刃を突きつけていた。


「――いい加減、セラを放してくれないか?」

「断る……だが、交換条件といこうか。貴様がその短剣(ダガー)を捨てるなら、小娘を放してやろう」

「フェイ、駄目っ――」


 そう叫んだセラの喉元に剣先が食い込み、一筋の血が流れる。

 やると言ったらやる、その言葉がフェイの脳裏によぎった。


「分かった。その条件、飲んでやるよ……だがその前に聞きたい。お前は何故、そこまで俺を憎むんだ?」

「何故だと? 知れたことをっ! この私が長い年月をかけ、この国の権力を掴もうとしていたのに、貴様はそれをあざ笑うかのように全てを掠め取ったのだ! この泥棒猫が!」

「……権力なんてもって、どうする気だよ?」


 半ば呆れたように言うフェイに、クラーの目が見開らかれた。


「貴様は思わんのか? この世界の頂点に立ちたいと! シュバート国の周りには、弱小国がひしめいているのだぞ! これだけの国力があれば、世界ですら動かす事ができよう!」

「そんなの、面倒くさいだけだろ」


 フェイのその言葉に、クラーの目が憎悪に満ちる。


「……お前もそう言うのか、黒猫」


 どんよりと湿った風が、クラーの白い髪を揺らした。


「団長……ウィシャのヤツもそうだった。面倒くさい、それだけの理由で世界を握る事をやめたのだ! ……私は許せん。その手にふさわしい地位があるのに、簡単に捨てる者が許せんのだ! 生まれ持った幸運を捨てる暗愚どもが、絶対に許せんのだっ!」


 その言葉に、フェイは声を上げて笑う。


「な、何がおかしいっ!」

「お前、俺が幸運だと言ってるのか?」

「違うのかっ! 貴様ほど僥倖(ぎょうこう)を身に受けた者を、私は知らんぞ!」

「ああ、そうかよ。ならば見ろ! 俺の僥倖(ぎょうこう)とやらをなっ!」


 フェイは親指で周囲の空を刺し示す。そこには、真っ黒な雲が立ち込めていた。

 閃光が龍のように走り、すぐさま轟音が耳を突き刺す。


「こ、これは雷雲? い、一体いつの間に?」

「この俺が『幸運(ハッピー)』だって? その冗談、死ぬほど笑えるぜっ! いいか、俺は自身をもって言えるぞ」


 フェイは(カゴ)の縁に寄りかかり、短剣(ダガー)をクルリと回すと、刃先を虚空に向ける。


「俺ほど不幸なヤツ、見たこと無い!」


 その声に呼応するかのように、雷鳴が(とどろ)き、気球を震撼(しんかん)させた。

 まるで黒雲がフェイの刃を見て歓喜の声を上げたかのようだ。


「ま、まさか、いや、そんな訳が……」


 クラーの声を否定するように、再び雷鳴が(とどろ)く。

 それは確実に気球との距離を縮めていた。


「欲しいならお前ににも、分けてやるよ。この黒猫の悪運をな!」

「な、なにを……戯言(たわごと)を」


 そう言ったクラーの声は力無く、恐怖が入り混じっていた。


「さあさあ、神さま御照覧あれ! この不幸王の生き様を! 棒で打たれ、牢に繋がれ、自由を奪われ、恋に破れ、その黒猫が空を飛べばどうなるか――さあさ、とくと思い知れ!」


 祝詞(のりと)のようにフェイは語ると、天に向って短剣(ダガー)を放り投げた。


「セラ、耳を(ふさ)げ!」


 その声にクラーの腕が一瞬だけ緩み、セラは腕からすり抜けると、言われた通り耳を塞ぐ。

 その瞬間――世界が白に染まった。

 気球ごと光龍(いかずち)に食われたのだ。





 耳が痛い。目をしっかりと閉じていたのに、あまりの眩しさにまだ眩暈(めまい)がしていた。

 それでも、セラはゆっくりと目を開ける。

 始めは暗くて何も見えなかったが、視力は徐々に戻っていく。

 そして、その惨状を知った。


 (わら)(かご)は所々破れ、所々こげている。気球と(かご)を繋いでいたロープも、残り2本になっていた。

 焦げ臭い匂いに、上を見ると、真っ白な気球の布に黒い染みが徐々に広がっている。

 燃えているのだ。


 クラーは(カゴ)に寄りかかるように倒れており、体から煙が上がっている。完全に気絶、もしくは絶命しているのだろう。

 そしてフェイが見当たらない事に戸惑う。

 だが、立ち上がろうとして足に何かが当たった。

 うつ伏せに倒れているフェイの姿が、そこにあった。


――――まさか、死んで


 その考えが頭を過ぎった瞬間、心臓が握り潰されたように痛む。


『フェイ! フェイ!』


 叫んだ時に、自分の声が聞こえなくなっている事に気が気付く。雷で鼓膜(こまく)が破れたのだ。

 不思議な感覚に戸惑いながらも、セラはフェイの体を抱えて起こそうとした。

 だが、重くて持ち上がらない。体を横にするのがやっとだった。


 黒ずんだ顔をそっと撫でる――と、目蓋(まぶた)がピクピクと痙攣(けいれん)する。まだ生きていたのだ。


『よかった……』


 安堵のあまり、涙が頬を伝う。

 だが、気球は高度を急速に下げていた。セラにはどうしたら良いか分からない。

 フェイの顔をペシペシと叩いてみても、何の反応が無いままだ。


――――ごめんなさい、フェイ


 心で謝ると、息を大きく吸い込んだ。

 フェイの顔に自分の顔を寄せ、その唇に自分の唇を重ねた。

 そして、力の限り息を吹き込む。

 次の瞬間、フェイがパチリと目を見開き、むせ返った。


『フェイ!』


 嬉しさが胸に入りきらず、泣きじゃくりながらフェイを力強く抱きしめた。

 その温もりが、髪を失った悲しみも、コノハへの劣等感も、全部洗い流してしまう。

 なにより、フェイはこんなところまで助けにきてくれたのだ。命を賭け、傷だらけになって、それでも当たり前のような顔をして、ここにいるのだ。


『私、本当は死にたくなんて無かった! もっともっとフェイと生きたい!』


 セラの心が切ないほど歓喜の声を上げていた。


 フェイは呆然(ぼうぜん)と抱きつかれたままキョロキョロと辺りを見回し、何か口をパクパクとさせたが、耳に手を当て眉をひそめる。

 フェイの鼓膜(こまく)も破れているのだ。


 フェイは立ち上がって(カゴ)から頭を出し、外を見まわしたので、セラも同じように見てみる。

 既に地面は近かった。下は柔らかそうな砂漠だが、このまま加速すれば助かる見込みは少ないだろう。

 フェイは(カゴ)に足を掛けると、ロープにつかまりながらその(へり)に乗った。

 そして、セラへと手を差し出す。

 セラはフェイを見上げた。


『ここから飛ぶの?』


 セラの声が聞こえたように、フェイはゆっくりと(うなづ)く。

 その顔は初めて会ったときから変わらない、ちょっと困ったような笑顔を浮かべていた。

 セラはその笑顔が、たまらなく好きだった。


 その手を二度と離さないよう、しっかりと握る。


 二人は(カゴ)の上に立つ。

 少し体制を崩したセラを、フェイはその手でしっかりと支えた。

 下を見れば砂漠はすぐそこまで迫っているように見える――だが、フェイはまだ飛ばない。


 怖いかと聞かれれば、セラの返事は「はい」だろう。

 では不安かと聞かれれば、その答えは「いいえ」だ。

 ここなら、フェイが死ねば自分も死ねる。思い残すことは何も無いのだ。


――――ううん、思い残したこと、あった。私、まだ言ってなかったんだ


 その言葉にセラが気付いた時、フェイの抱きしめる手に力がこもる。

 次の瞬間、セラは空を飛んでいた。


 静かだった。


 遥か遠くには沈もうとしている太陽、下には広大な砂漠、そして、包むようにフェイの温もりがあるのだ。


――――言わなきゃ


 落ちた時、自分は死んでいるかもしれない。

 だが、今、私は生きているのだ。

 後悔はしたくない。

 今できる事があるのだ。


『フェイ……私、フェイのこと』


 その声が聞こえているかのように、フェイはセラを見た。


『大好きだよ』


 衝撃は、次の瞬間だった。





 一番にフェイの元に辿り着いたのは、リーガンとコーディリアが率いた部隊だった。


「リーガン、リア王は無事でしたか?」

僥倖(ぎょうこう)だな、腕はへし折れ、足は曲がらない方に曲がっているが、生きている。丈夫なことだ」

「そうですか、それはよかった! ああ、セシリア公女は?」

「……恐ろしいことに無傷だ。王の運を吸ってるのかと疑いたくなる」

「そうですか、それはよかった!」


 コーディリアは夕焼けに向かって両手をさし伸ばす。


「ほら、見て下さい。五十万もの民が夕日を背に迫るこの絶景を!」

「……また何か広めるつもりか?」

「なにをバカなことを! これだけの民衆(ヤジウマ)が集まったのですよ? これ以上、リア=フェイロンの何を広める必要があるというのですか」

「お前が天性のサディストだと言うことは良く分かった。今はそれを広めたいよ」

「この世界が変わろうという時に、何を悠長なことを言っているのです」

「世界が、変わる?」


 リーガンは眉をひそめた。


「分かりませんか? 民は立ち上がることを覚えたのです。無能な領主は、容赦なく蹴落とされるようになるでしょうね」

「ずいぶんと他所事じゃないか、アハト領は政治に自信があるのか?」

「いいえ。そうではありません。ただ私は政治より演劇でもやってる方が好きなんです。ああ、そっちの人生の方が、何かワクワクしますね! 一緒にやりませんか?」

「もちろん遠慮する」


 リーガンがため息を吐いた頃、集まった民衆が王の無事を知ったのか、口々に叫び声を上げ始めた。

 その叫びは、自然に一つの唱和へと変わっていった。


「さあ、リーガン。私達も一介の剣の民になって戦の終わりを叫びましょう」

「ふむ、お前にしてはいい案だな。よかろう」


 リーガンとコーディリアは手を振り上げる民衆に混じり、その唱和に加わった。

 そして、あらん限りの声で、勝利を歌う。


「リア王に栄光あれ! 剣の国の黒猫に幸あれ!」



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