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(4)涙を拭う暇なんて無い

 涙をぬぐう暇なんて無い。

 斬音は耳のすぐ後ろで絶え間なく続いているのだ。

 足には相当の自信を持っていたフェイだったが、一向に引き離せない。

 この追っ手、装飾店ユノのオーナーは確かカシムと読んでいた……名前から砂漠の民だろうが、相当の手練だ。


「おおおっ!」


 フェイは雄叫びとも悲鳴ともつかない叫びをあげ、セラの消えた路地へと入った。

 幸い、路地はまっすぐ一直線に伸びており、遠くに男と二本の金髪が踊っているのを確認できた。


「いたっ!」


 フェイが叫んだ時に出来た一瞬の隙をついて、カシムの斬撃が容赦なく襲う。


 ビチィッ!


 フェイのジャケットをかすめる。かすっただけでこの音――まともに当たったら本当に死ぬる。

 ヒィと言う情けない悲鳴を飲み込み、フェイはひたすら全力で駆け続けた。


……おっ、あれは!


 フェイは路地脇に右に山積みされていた樽を見つけ、内心で歓声を上げる。

 ゼイゼイと息をきらせながら樽に近づくと、その一番下の樽を思い切り蹴り飛ばした。

 中身は空だったらしく、山積みされた樽はガランゴロンと音をたててあっけなく崩れ落ちる。

 案の定、後ろから「うお」と言う小さい悲鳴が上がった。


――よし、これで少しは時間が稼げたはず


 フェイが路地の先を睨むと、ちょうど樽が崩れる音にセラを抱えた男が振り返ったところだった。

 男はフェイに気付き、その顔を焦りの色に染めて逃げ始める。

 一瞬、抱えられたセラとも目があう。

 今にも泣き出しそうなその顔に、希望が浮かんだ。


――待ってろ


 セラの顔を見た瞬間、暴れていた鼓動が、上がっていた呼吸がスゥと落ち着いた。

 ふっと短く息を吐くと、フェイは路地の渇いた土を蹴って加速し、男との距離を詰める。

 セラも必死で暴れ走る邪魔をしていた。


――よし、いいぞ! あと少しで……


 ゴキィイイイ!


 そう思った刹那、右肩にとんでもない衝撃が落ちた。

 肩の感覚が消し飛び、膝はガクンと折れる。


 カシムに追いつかれたのだ。


 激痛で意識が飛びかけたが、歯を食いしばってかろうじて繋ぎ止める。

 そして、フェイは霞む意識の中で、感だけを頼りに地面を転がった。


 ガッ


 カシムの追撃が地面をえぐった。


「ちっ」


 背後から舌打ちが聞こえるが、息をつく暇は無い。

 フェイは立ち上がりざま、執念で前へと駆け出す。


――これ以上、カシムを無視するのは危険だ


 まずはカシムを何とかしなければ……フェイは覚悟を決めると、怪我の具合を確認する。

 右腕は熱いケトルでも押し当てたように脳へ痛みを訴え、指先まで震えていた。

 あきらめて、フェイは利き腕でない左手で愛用のダガーを引き抜く。

 そして、走りながら徐々に右の家屋に近づく。

 目指すは、三軒先の出っ張った窓だ。


――3 2 1


 タイミングを見計らい、窓に向かって飛んだ。


 タン


 走っていた勢いを使って窓枠を蹴ると、さらに上へと跳躍する。

 フェイの体は急制動を掛けながら、空高く舞い上がった。


 ビュオ!


 フェイの足のすぐ下を、大根のように太い棒が、轟音を上げて通り過ぎる。

 直後、踏鞴(たたら)を踏んだカシムが足下に現れた。

 やはり砂漠の民だったらしく頭は見事に剃り上がって、上半身は裸だ。そして、その背中は想像以上にゴツい。

 正面から戦っては、ほとんど勝ち目など無かったろう。

 だが、この一瞬だけは、その無防備な背中をフェイに晒しているのだ。


「うおおおぉ!」


 落下と同時にフェイは雄叫びをあげ、カシムの首元にダガーのグリップを叩きつける。

 大木でも殴ったような手ごたえ――利き腕の攻撃でなかったので心配だったが、カシムは「ぐぬっ」と低くうめくと、ゆっくりと前のめりに倒れた。

 ついで、大根のような巨大棒がズンと重量感ある音をたてて主人の脇に倒れる。

 あんなので殴られたのだ、よく意識が残っていたものだとフェイは人事のように感心した。


「よし、頼むからいい子で寝ててくれよ」


 ピクリとも動かないカシムを飛び越えると、フェイは休むも無くセラを追う。

 男はまだ見える位置にいた。だが、あの先はたしか枝道が無数にあり、ここで見失ってしまうと、見つからなくなる可能性が高くなる。

 フェイは走りながらダガーを素早く収めると、今度は腰に下げているボウガンを引き抜いた。


「ったくよぉ」


 フェイは悪態を吐きながら、その場にひざを付く。

 そして、立てたひざを使いボウガンを固定する。


「クエスト屋を――」


 照準を男に合わせ、トリガーロックを外す。

 男は右脇にセラを抱えているので、なるべく遠い左足へとさらに照準を絞った。

 神経を冷たく細く尖らせる。

 そして、痛みすら消えた一瞬、フェイは吠えた。


「なめるなっ!」


 キョン


 小気味良い発射音と共に、鉄製のボルトが鋭く射出された。

 ボルトは路地の狭い空間を気持ちよさそうに疾走する。

 そして、セラをかすめて男の右肩に吸い込まれた――男はたまらず、セラを地に落とす。


「あ、あぶねっ。くそっ、照準が狂ってやがる」


 さっき叩かれたときか、店でオバちゃんに跳ね飛ばされたときか、ボウガンのフレームのどこかが歪んでしまったらしい。

 フェイは冷や汗を拭いつつ、地面に転がったセラへと走り寄った。


「く、くるなっ!」


 男は走ってきたフェイに気付き、撃たれていない左手でセラを担ぎ直そうとしたが、セラも必死で抵抗しており上手くいかない。

 フェイがさらに迫ると男はとうとうセラを諦め、バタバタと逃走を開始した。


 フェイは倒れてうずくまっていたセラに近づき、その背中に手を当てる。

 小刻みに震えていた。


「おい、セラ。大丈夫か?」


 セラは両手で自分の肩を抱いており、地面にこすり付けるようにしている顔は蒼白だ。

 なんとか体を起こして地面に座らせたが、とても声が出そうな状態には見えない。

 言いようのない不快感がフェイを襲い、路地の先を睨む。

 男は肩を抑えながら、枝分かれしている道を真っ直ぐ逃げていた。

 ここで逃げられては、セラはまた狙われるだろう。


「ちょっと、待ってろ」


 セラの頭をポンと叩き、フェイは数歩進みと再び片ひざをついて座った。

 腕に仕込んであったボルトをボウガンへ素早く装弾し、右肩に激痛が走るのを無視してボウガンを一気に引き絞った。


「っくそ、俺は早く帰りたいってのに」


 わたわたと逃げる男に照準を合わせると、そこからさらに左下へボウガンの切っ先をスライドさせる。

 そして呼吸を整え集中する――痛みに震える照準がピタリと止まった一瞬、静かにトリガーを引く。


 キョン


 ボルトは右足へと見事命中し、誘拐犯はもんどりうって道端で転げまわった。

 しかし、命中したにもかかわらずフェイは不機嫌そうに舌打ちする。


「くそ、やっぱり歪んでやがる。修理代も高いってのに……おい、セラ、そろそろ立てるか?」


 じっとフェイを見つめていたセラは、慌てて地面に手を付き立とうとする。

 しかし、足腰にまったく力が入らないようで、申し訳無さそうに首を振った。


「困ったな……」


 セラをこの場に置いて男を保安所に突き出しに行けば早いかもしれないが、あの男に仲間がいないとも限らない。

 フェイは小さくため息をつくと、セラの前に屈んだ。


「早く乗ってくれ。アイツが復活すると話がややこしくなる」


 そう言ってセラをさらった男はではなく、ずっと後方で昏倒しているカシムを指差した。フェイの偽らざる本音だ。

 セラは少しの間戸惑ったが、おずおずとおぶさってきた。


「……軽いな。本当に乗ったのか?」

「は、はい」


 フェイは左手でセラを支えると立ち上がり、撃たれた箇所を抑えギャアギャアとわめいている男へと近づいた。

 そして、痛む右手でボウガンを何とか持ち、それを男に突きつける。トリガーも引いてないが十分だませるだろう。


「よし、手を頭の上に乗せろ。ああ、撃たれたほうは勘弁してやる。いそげ!」


 男はゆっくりと左手を頭にのせて、こちらをうかがう。

 その目はまだ諦めているようには見えず、まだ油断はならなかった。


「よし、そのまま立て。左足が無事なら立てるだろう?」


 フェイが命令すると、男は座ったままベラベラしゃべり始めた。


「た、頼む! 見逃してくれ!」

「ダメだ。さっさと立て!」


 ここで付け入る隙を与えてはいけない。

 フェイはボウガンの先をさらに男に近づける、が、男はさらにまくし立てた。


「頼むよ。家には腹をすかしている女房と子供がいるんだ。俺だってこんな事したくなかったさ。生きるために仕方なくやったんだ。なぁ」

「残念だったな、今日の善意はとっくに品切れだ。後は保安所に掛け合え」

「お、俺が帰らないと子供が飢えて死んじまうんだよ! なぁ、頼むぜ色男の兄ちゃん」

「うるせぇ! ぐだぐだ言ってないでさっさとっ……グェ」


 突然、首を絞められた――セラだ。

 負ぶさっているセラがギュウギュウと首を締めていたのだ。


「グッ、セラ! なにするんだ!」

「……逃がして、あげれない?」

「ふざっ、ふざけるなっ! 駄目なモノは駄目だっ!」

「……でも」

「ほらほら、この可愛い嬢ちゃんもこう言ってることだしさ。なぁ、頼むよ」


 男は必死に懇願しながらも、チラチラとフェイの隙をうかがっていた。

 危険だ――そう感じたフェイはボウガンの先を男の眉間にあて、つぶやく。


「そうか、死体にした方が楽だったな」


 この脅しに男は慌てて起き上がる。

 だが、当然背後からはセラの猛抗議、つまり絞首攻撃にさらされる事になったのだ。


――このガキ、ここで捨てたろか


 必死の思いで助けた相手に首を締め付けられ、さらに、男を警戒するためボウガンを構える右手は下ろせない。しかも、この状態で保安所まで歩けと言う――極めつけは、これが金にもならないのだ。

 何故こんなに頑張っているのか、フェイにはもはや分からなかった。

 ただ分かっているのは、今日が最悪の厄日だと言う事だけである。

 フェイは一刻も早くこのゴタゴタをどうにかしたい、そればかりを痛切に願っていた。


 しかし、やがて彼は後悔する。

 ここで捨てればよかったと。


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