(39)強烈な既視感
強烈な既視感がフェイを襲った。
セラがいなくなったと聞いて玉座の間に駆け込むと、昨日と同じくグロスター伯を初め、領主、公子達が待ち受けていたからだ。ムッとする人いきれや、騒然とした雰囲気まで似ている。
だが、昨日と違う点もあった。
沈痛な空気が佇んでいる事と、硬い玉座へ座るのがフェイだという事だ。
フェイが嫌々玉座に座ると、領主達はその前に居並び、一斉に膝を着いた。
その敬意が自分に向けられていると思うと、気持ちが悪くて鳥肌が立つ。
王の親衛隊長であるアイオールは、玉座の前に進み出ると両の拳をカツンと打ち合わせ、跪いた。
「リア王、脱獄を許してしまいました。申し訳ありません」
「脱獄? どういう事だ。いなくなったのはセラだけじゃないのか?」
「はい。昨夜遅くにドライ領の馬車が消え、ドライ領主デイルトン公とセシリア公女、そして牢にいたゴリネルがいなくなっておりました」
「まさか、ゴルゴンにさらわれたのか!?」
アイオールは「おそらく」と申し訳なさそうに頭を下げた。
ゴリネルは盗賊団ゴルゴンと繋がっていた将軍であり、デイルトン公はそのゴリネルと特に懇意だった領主である。
その三人が一緒に居なくなったとすれば、セラが連れ去られたと考えるのが自然だろう。
「何か、何か手がかりは無いのか?」
「今のところ、置手紙一つ見つかっておりません。ですが、ドライ領の馬車が砂漠へ向うのを見たと、町民から報告がありました」
「やはりゴルゴン……か」
「申し訳ありません、まさか九公爵からゴルゴンに寝返る者が居ようとは」
牢の見張りを担当するのも親衛隊の任務であり、アイオールは深々と頭を下げた。
とにかく具体的な手がかりが無い以上、軍を動かす事も出来ないのだ。
フェイは玉座の肘掛を強く握り締めた。
それから丸一日、何も出来ない時間が過ぎた。
城内の雰囲気も焦燥が募るばかりであり、さらには城の外でもセシリア公女誘拐の噂は広まっていった。それは新王誕生のお祭り騒ぎだった王都に、暗い影を落とす事になる。
そんな折、コノハが持ってきた知らせはフェイにとっては久しぶりの朗報だった。
「フェイ、エルカが王都に着いたって!」
「エルカがっ!?」
フェイは目の前いる書記官をチラリと見ると、その中年の恰幅の良い女官は苦笑を漏らし、王の逃走を許可した。
慣れない公用語でサインしていた書類の束を書記官に突き返すと、フェイは執務室を飛び出す。
すると、執務室から出るのをコノハが待っていた。
先日正式に将軍に襲名したコノハは、白いシャツに紺をベースに金縁をあしらった女性用の将校服を着込んでおり。それは想像以上にコノハに似合っていた。
「玉座の間で待ってるって」
コノハが笑顔で教えてくれたので、二人は並んで廊下を駆け出した。それは王と将軍というよりは、授業をエスケープする学生の姿そのものであった。
玉座の間には確かにエルカがいた。
しかし、その横に憤怒のゼクス領主ラドクリフ公の姿もあった。
冷水をぶっ掛けられたように、フェイとコノハの足が止まる。
「早く、座って頂けませんかな……リア王陛下」
領主の口調は丁寧なのに、強迫されているとしか思えない。
フェイがおそるおそる玉座に座ると、その前でエルカが優雅に膝をつく。
続いて領主も膝を折るが、その目は片時もフェイから離れる事は無い。頭を下げるときですら睨み上げるように目が離れないのだ。耳を澄ませば歯軋りの音がギシギシと聞こえてくる。
――――そんなに嫌なら頭下げなくていいですから
フェイは喉元まで出かかったその言葉を飲み込んだ。
領主は上目遣いでフェイを睨みながら、忌々しげに口を開く。
「この度は、ご即位、おめでとうございます。リア王」
「本来なら早急に駆けつけねばならぬところ、ゼクス領復興の基礎を固めており、遅くなって申し訳ありません」
続いたエルカの低い声は、まるで天使の歌声のようだった。
おそらく、その前の領主の挨拶が地獄の使者そのものだったからに違いない。
「さて、リア王、少々お聞きしたい事がある」
徐々に領主の口調が変わってきた。敬語がところどころ抜け落ちてきたのだ。
「わが最愛のセシリアを、王の庇護下に置いていたのだが、いま、セラは、どこだ?」
「……いや、その」
領主の視線がコノハに向けられる。
「そちらは、新将軍のクグラ=コノハ殿とお見受けする」
「は、はいっ!」
領主の迫力に、さしものコノハも返事が裏返っていた。
「将軍が城に居ながらこの不始末、どういうことか、説明してもらえんか?」
「いや、あの、あたしは昨日正式に将軍になったばかりで、関係ないかなぁ、なんて」
「汚ねえっ! 一人だけ逃げる気かよっ!?」
「だって!」
領主は立ち上がると、コノハに向かって凶獣のような顔をずいと寄せた。
「つまり、責任は全て王にあると?」
「あ、あの、はい」
コノハはいとも易々とフェイを切り捨てた。
領主がズンズンと迫り、玉座に座るフェイの視界一杯に広がる。
「ち、父上。いくら父上と言えど、王に手を上げれば死罪です!」
「黙れエルカッ! 死罪なんぞが怖くて……」
領主がその凶悪な拳を引き絞る。
フェイは玉座の上で涙を流しながら、最後まで首を振り続けた。
「父親ができるかあああっ!!」
玉座ごとフェイは天井まですっ飛んだ。
静かになった玉座の間に、アイオールが駆けてきた。
「リア王、これを! ……これは一体、何事ですか?」
部屋の惨事をみて、アイオールが固まる。
領主はにこやかに玉座を元の位置に戻すと、フェイの襟首を掴み上げ、事も無げに言う。
「いや、王にご忠告差し上げただけのこと。そうですな、リア王?」
「……はい」
フェイが領主の手にぶら下がりピクピクと動いているのを見て、アイオールは問題無いと判断した。
ラドクリフ公と言えば、風に聞こえし名領主なのだ。
「リア王、先ほどゴルゴンから矢文が送り付けられました。おそらく、セシリア様の――」
「貸せっ!」
領主がそれを引っ手繰り目を通す。
解放されたフェイも、横から手紙を覗き見る。そこには盗賊とは思えぬ丁寧な字が連ねられていたが、内容は凶悪の一言に尽きた。
『セシリア公女の命が惜しくば、三日以内にリア王一人でツヴェルフルムへ来い』
ツヴェルフルム――小さな丘の上に沿って造られた、砂漠の民の生活拠点のひとつであり、現在は廃墟となっている場所だ。つまり、どれだけでも伏兵を置く事ができる場所でもある。
これ以上無いほどの、明確な罠だった。
「手紙と一緒に……その、これが」
アイオールが差し出したのは、一房の金糸の束――セラの髪に間違いなかった。
セラ自慢の長く美しい髪が、無残にもごっそりと切り取られているのだ。
フェイの胸に、吐き気にも似た怒りが満ちる。
「まさか、王とあろうものが、ノコノコと行くつもりではないだろうな?」
領主はあくまで冷静な声で、フェイに告げた。
その声が静かな怒りに震えている事までは、この時のフェイには分からなかった事だ。
「い、行くに決まってるだろっ!」
「駄目だ、それは許さん!」
「な、何言ってるんだ! あんたが一番心配なんだろ! ゴルゴンはやるっていったら本当にやるんだぞ!」
「分かっている。だが、セラは臣下で貴様は王だ。比べることすら、許されん」
領主は立ち上がると、そのまま玉座の間を後にする。
その背は悲しみに彩られており、それ以上フェイは何も言うことが出来なかった。
王の私室で、オーク材のテーブルを囲みフェイとエルカとコノハが座っていた。
テーブルの上には、フェイの淹れたベルリーフティーがバイスレイト製の高級カップに注がれ、芳しい香りを放っている。
しかし、フェイはその香りを楽しむことができないでいた。
「エルカ、ゼクス領の様子はどうだった?」
「建物の被害はたいした事は無いが、人の心はそうはいかん。亡くなった衛視達の葬儀に参列したのだが、正直言って堪らんな」
エルカは深くため息を吐いた。
「だが、師匠はなんとか無事だったよ。肋骨はバラバラだが、肺にも刺さっていない。不幸中の幸いだよ。当分、絶対安静だろうがね」
「そうか、それはよかった」
「フェイこそ、王になって喜んでいないとは思ったが……大分やつれたか?」
フェイは頭を垂れ、しばらく迷った後、唐突に切り出した。
「俺さ、ルナが好きだったんだ」
ガタン
コノハが席を立った。
そして、何事も無かったかのように座る。「どうしたコノハ?」とフェイが聞いても「気にしないで!」としか答えず、エルカは口元を隠しつつ、フェイの話を促した。
「それより、フェイ。ルナが好きだったと言ったな。過去形か?」
「あ、ああ。なんかさ、ルナが駆け落ちしたって聞いて、かなりショックだったけど……なんか、本当に好きだったのか、分からなくなったんだ」
「どういう意味だ?」
「上手く言えないんだけど、ルナが幸せになるならいいかなって、そう思ってる自分がいたんだ」
フェイは指先で、カップのふちを軽く突付いた。
「で、フェイ、お前は結局、誰が好きなんだ?」
「もういいよ。今は女より、エルカやコノハが一緒に居てくれる方が何倍も嬉しい」
コノハの顔がピクリと引きつる。
「それって、あたしが女性じゃないみたいに、聞こえないかな」
「ち、違うって! そうじゃなくて、ほら、二人にはすごい世話になったしさ、良い機会だから言っておこうかなって思って」
「――何のことよ?」
いぶかしむ二人に、フェイはゆっくりと頭を下げた。
「今まで、本当にありがとな」
そして、頭を上げた。
ニコニコと笑うその笑顔に、エルカもコノハも、白けた視線を送る。
「な、なんだよ、その反応はっ! ちょっと恥ずかしかったんだぞ!」
「ねえ、あんた一人で抜け出して、セラちゃんの助けに行こうとしてるんでしょ?」
「なっ!?」
コノハの言葉に、フェイは驚いて固まった。
「フェイ、お前が私に隠し事など、百年早い」
「エルカ……そうだよな。ごめん。俺、やっぱり、無理なんだわ。こんな時にじっと待ってるの、耐えられるわけがない」
そう言うと、テーブルにあったベルリーフティをグイと飲み干し、壁にかけてあった黒い革ジャケットを手に取る。
「俺、やっぱり行くわ。あいつがピーピー泣くの苦手なんだ」
そのフェイの後ろ姿を見て、コノハがため息を吐く。
「ったく、しょうがないわね……あたしも行くわ」
「コノハ?」
「あんたとずっと一緒にいるって、約束したでしょ?」
そんな二人を見てエルカが「やれやれ」と呟き立ち上がる。
「なら、王都を抜けるのにちょうど良い抜け道を見つけたんだ。そこを使おう」
「ちょ、エルカ! ちょっと待てよ! リスクしかないんだぞ? しかもとんでもなく分の悪い」
「なら、なおさらこの私が必要だろう?」
「あんた一人じゃ何もできないでしょ。こんな頼りなお王様、聞いたこと無いわ」
そう言って二人は微笑む。
感極まったフェイは、二人を力いっぱい抱きしめた。
「エドガー様、お父様からお手紙ですよ」
「ありがとう、ルナ。手紙にはなんて書いてありました?」
「……まあ! フェイがもう城を抜け出したそうですよ。しかも将軍になったコノハやエルカまで連れて。やっぱりフェイは王様に向いてなかったみたいですね」
「すみません、ルナ。せっかくお芝居につき合せてしまったのに」
「私が言い出したことだから、それはいいんです!」
王都にある宿の一室で、エドガーとルナは微笑を交し合った。
フェイが凱旋した夜、ルナはエドガーを連れ、グロスター王に直訴したのだ。
エドガーの本音を聞いた欲しいと。
「でもまさか、父上がこんな形で辞意を許してくれるとは……思ってもいなかったです」
「たぶん、辛いと思ったんでしょうね。この状況で王様になることが」
その言葉にエドガーは顔を伏せた。
今まで、父が王として気が狂うほど苦しんでいた事を、ずっと見ていたのだ。
そして、それをフェイに負わせてしまった。
「大丈夫ですよ」
ルナは落ち込んでしまったエドガーの肩に両手を乗せた。
「それで、これからどうしますか? エドガー様」
「……僕が出来ることをあきらめないでやってみます。それが、フェイやルナに教えてもらったことだから」
「それでこそ、私の駆け落ちの相手です」
その言葉にエドガーは微笑むと、枕元に立てかけてあった剣を手に取り、部屋の扉を勢い良く開いた。
埃っぽい匂いに、口の中に残る砂の感触。
セラが目を覚ますと、そこはやはり牢の中だった。
いつかフェイがいた牢と違うのは、部屋の一面が鉄の格子で出来ており、その向こうから常に監視されている事だろう。
監視しているのは真っ白な髪に、何もかもを見通すような鋭い目の男――周りからはクラーと呼ばれていた。
クラーはセラが起きたのを見て、嬉しそうに告げる。
「起きたか……あと一日、あと一日で、お前の首を王都に届ける。それまでに黒猫が来る事を、せいぜい祈るのだな」
「――フェイは来ません。絶対に」
フェイは来ない、それはハッキリと分かっていた。
王とは生きている事が役目なのだ。たとえ兵がどれだけ死のうとも、王は死ぬことを許されない。
だからセラは自分が死ぬことに納得していた。そもそもこれは自分が騙された結果なのだ。
しかし、その決意を踏みにじるように、クラーは薄笑いを浮かべる。
「それでも構わんよ。リア王は婚約者を見捨てたと、せいぜい悪評を広めさせてもらうからな」
その言葉にセラは顔を伏せた。
――――私は、死んでもフェイに迷惑を掛けるの?
後悔で、胸が止まりそうだった。
何故、私なんかが愛されていると思ってしまったんだろう。
好きだと言われた訳でもないのに、勝手に勘違いして、勝手に婚約者にして、盗賊達の矢面に立たせ、挙句の果てには王にまでしてしまい、彼の愛した自由をことごとく奪ってしまった。
それをこんな時に、ようやく気付くなんて。
――――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
惨めで、絶対に泣きたくないのに、頬を伝う雫を止めることができなかった。
バンッ!
突然、扉が開け放たれ、一人の盗賊が駆け込んできた。
「参謀! 黒猫が来ました!」
セラの心臓が悲鳴をあげる。
また罪を重ねてしまったような、ひどく息苦しい想いが胸を締め付けた。
「まさか本当に来るとはな。ゴリネルとデイルトンには済まない事をしたか。一人か?」
「いえ、仲間が二人いるようです」
「あぁっはっはっはっは、たった三人か! なんと愚かな!」
クラーは狂喜して立ち上がる。
「黒猫め、散々私の計画を邪魔しおって。気が狂うまで我が奴隷としてくれるわ!」
慌しく牢の鍵を開いたクラーは、セラの細い手を強引に引くと、無理やり立たせる。
「離してっ! 私は――」
「お前は、黒猫を狩るためのエサなのだ!」
――――私は……また、フェイの命を……嫌だっ、嫌だっ!
「いやあああああああっ!!」
だが、セラの叫びは、誰の心にも届きはしなかった。