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(37)ラドクリフ公爵

「ラドクリフ公爵、ウィシャが出たと報告が入りました。教会のすぐ近くだそうです」


 エルカの報告に、領主は大きく頷いた。


「分かった。すぐに向かおう…………だがその前に、少し頼みがある」


 エルカは顔を上げ、領主の目を見た。

 その眼は、いつもの威厳を微塵(みじん)も感じさせない。ただそこにあったのは、覚悟と悲壮――エルカの胸に不安がよぎる。


「なんでしょう、ラドクリフ公爵」

「もう一度、父と呼んでくれんか」


 エルカは目を見開らいた。

 つい、『父上』と口に出てしまいそうになるのを抑え、首を振る。


「御免です。そう言う事は、王都に戻ってセシリアに頼んでください」

「相変わらずだな。だが、家を出た頃と比べ随分マシになった。大人しく戻ってくるなら公爵を継がせても良いが、もう無理であろうな」

「……いい加減にしてください、公爵閣下」


 怒りを抑えてエルかが睨むと、領主は最後に苦笑を浮かべ、それ以上何も言わず列車から飛び降りた。

 その背中をじっと見つめ続けるエルカに、ガラムは声をかけた。


「殿下、領主公は大丈夫です。なにせこの私を圧倒したのですから」

「初耳ですよ、そんな事……ですが、ウィシャと言う男も、師匠(ラビ)に勝ったのでしょう?」


 ガラムは沈黙で答える。

 それはどちらがより強かったのかすら、雄弁に語っていた。


「……師匠(ラビ)、父上を頼みます」

「この命尽きるまで」


 ガラムは両の拳を合わせると、風と言う名に相応しく、羽のように列車を飛び降りた。





 ウィシャの鉄槌(てっつい)は、予備動作も無くクロフに振り下ろされた。


「うおおおおおっ!」


 クロフは身を(よじ)り辛うじてそれを避けたが、鉄槌は垂直に軌道を変え、クロフの横腹にめり込む。


「うえっ……けほっ」


 クロフは地を四転し、持っていた剣はさらに遠くへと飛ばされてしまった。

 ウィシャの鉄槌が無理な軌道を描いたため即死こそ免れたが、肺を強打されたクロフは呼吸困難に(おちい)り、動く事ができない。


――――まだ、死ねない


 ウィシャは倒れたクロフを見ても、一切の動作を止めず、ただ真っ直ぐに近づいてくる。

 クロフは遠くに転がる剣に手を伸ばすが届くはずも無く、ただ蛙のように地を這いずっただけだった。

 ウィシャの影が、クロフの体の上に落ちる。


――――レンファ!


 クロフは目を閉じ、必死で愛する者の名を胸に刻んだ。

 しかし、死の鉄槌はクロフに迫る途中で、その軌道を変える。


 ギィンッ


 そして、鉄槌は飛来した何かを弾き飛ばした。


「クロフッ!!」


 その懐かしい声に、クロフの目に涙が(あふ)れる。


「……フェ、イ」


 (にじ)んだ視界に、黒いひょろりとしたシルエットが映る。

 少し視線をずらせば、矢のように疾駆(しっく)するもう一つの細いシルエット。


「クロフから離れなさいっ!」


 コノハは音すら置き去りにした渾身の突きを放つ。

 鉄槌は難なくその軌道を()らすが、続けざまに鉄槌の防ぎ(にく)い足元を狙う。だが、その一撃は鉄槌のグリップエンドで弾かれ、すぐに間合いを取られた。


「クロフ、大丈夫か?」


 その間にフェイがクロフ助け起こし、回収した剣を渡す。


「フェイ、コノハ、お前ら最高だよっ!」

「喜ぶのは早いぜ、クロフ……まだいけるか?」

「教会にレンファがいるんだ。やれないわけが無いだろ!」


 クロフは体のダメージを確認する。呼吸は戻っている。骨にひびくらい入っているかもしれないが、まだ動けないほどではない。

 いける――クロフは愛用の剣を構えなおすと、フェイやコノハの動きにあわせ、ウィシャの周りを囲む。

 屈強な大人に対抗するため、三人で何度も練習した陣形である。

 その懐かしさが、クロフの中から恐怖を拭い去った。

 今なら何でもできる気がする。


「あれ、いくよ!」


 コノハは号令を掛けると、二人の返事も聞かずに加速する。

 フェイもダガーを目の前にかざすと、地面すれすれを駆け出した。

 最後にクロフは剣を中段に構え、ウィシャへと突進する。


 コノハが軽やかに空へと跳ぶ。

 跳べばその軌道は簡単に読まれ、一対一の武術においてはとんでもない悪手である。

 だが、反対から地を這う攻撃と合わさればどうなるか――無論、視線が追いつくわけが無い。前後上下からの攻撃に対応できる人間などいないのだ。

 となると、対抗する術はその二人の対角線に入らぬように移動するしかない。


――――けどな、移動なんてさせねえぜ


 腰を落として下がろうとしていたウィシャに、クロフは真正面から突撃する。


「うおおおおおっ!」


 剣にクロフの全体重を乗せ、力任せにぶつかった。

 当然、ウィシャの鉄槌は剣を受け止め、ダメージを与えることはできないが、動きが一瞬止まる。そして、それで十分だった。


「いけっ、コノハ! フェイ!」


 その叫びに応えるように、コノハが逆光を背に槍を放ち、フェイが影に紛れて足を刈る。

 その時、ウィシャの顔に壮絶な――笑みが浮かんだ。

 クロフの背に再び悪寒が走り、そして気付く。巨大な(つち)を持っているのは、ウィシャの右手一本だったのだ。

 自由な左手は、神速で迫る槍の穂先をあっさりと掴み、フェイのダガーも刃先を見もしないで踏みつけ、封じてしまった。

 三人の必殺のはずだった攻撃は完全に封じられ、一瞬の静寂が訪れる。


 ドスッ


 ウィシャの顔がピクリと歪み、その腹に食い込んだ鉄矢(ボルト)を見た。


「俺はもう、躊躇(ためら)わない」


 フェイが左手に隠し持ったボウガンを、用済みとばかりに横に投げ捨てた。

 ウィシャの力が緩み、その隙に止めを刺すべく、三人が動作を開始しようとした刹那――落雷のような警告が飛んだ。


「よせ! それは、罠だ!」


 領主の叫びは、三人の命をギリギリで救った。

 コノハは槍を捨て、後方に跳び、クロフもフェイも唸りを上げる鉄槌を紙一重で避ける。


「退け! リア=フェイロン!」


 フェイ達は言われるままに距離を取る。

 領主の気配に呼応したのか、ウィシャは虚空に雄叫びを上げた。


「……ひ、ひや……く、をおおっ! うをおおおおおっ!」


 それは飢えた嘆きの声だ。


「憐れな、まだ解放されぬのか……」


 領主は鈍い光を放つ直剣(サーベル)を抜き放ち、野牛の如く突撃した。

 その一キュピトにみたぬ刃は巨大な鉄槌と比べ、あまりに貧弱だ。


「ぬおおおっ!!」


 だが切り上げた直剣(サーベル)の一撃は鉄塊を跳ね上げ、がら空きになった胸を狙う。

 しかし、跳ね上げられた鉄槌は、さらに加速して引き戻される。

 耳が痛くなるほどの金属音と大量の火花。

 弾き飛ばされた両者の武器は磁石のように引き合わされ、轟音に変わる。

 手を伸ばせば触れる距離で二匹の化け物は互いの命を晒しあい、剣戟(けんげき)速度(ビート)を上げていく。

 重量を無視したような速度で振り下ろされる鉄槌を、ただ一本の直剣(サーベル)が真正面から受け止めた。


 一瞬の膠着(こうちゃく)


 両者は後方に飛ぶと同時に一瞬だけ息を継ぎ、水に潜るように再び交わる。


 叩き、受け、薙ぎ、潰し、潰し、潰し、逸らし、突く


 しかし、際限なく速度を上げると思われた打ち合いは、一歩だけウィシャの速度が上回った。

 常人なら持つ事も適わぬ鉄槌を振りまわす速度が、である。


「ぬおおおおおおお!」


 領主は形勢の不利を理解し、それでも渾身の突きを見舞う。

 だが、喉元(のどもと)を狙った一撃は、ウィシャの素手に掴まれた。

 ウィシャの顔が狂喜に彩られ、鉄槌が凶悪な弧を描く。


「領主公っ!」


 ガラムは一陣の風となり、鉄槌と領主の間に体をねじ込んだ。

 鉄槌を防ごうとした二本の曲刀は一瞬のうちに砕け散り、その胸に鉄槌が食い込む。

 領主は一瞬で来た隙を付いてウィシャを蹴り飛ばすが、ウィシャは宙で一回りすると事も無く地に降り立った。


「この馬鹿者がっ!」


 領主は倒れ伏すガラムを罵倒した。


「すみませぬっ……殿下との、約束……で」

「黙れガラムッ! 貴様とわしの約束が先決のはずだ! 必ずこの悪魔(ウィシャ)を止めてやる。だからそこで待っていろっ!」


 領主は勝ち目が無くともこの戦いを止めるつもりは無く、その闘志は欠片も衰えなていなかった。

 変化があったのは、ウィシャの方であった。

 (よだれ)がとめどなく流れ出て、体を掻き(むし)り始めたのだ。


「あああっ! ひや……くぅおおおおっ! くらあああっ!」


 何かを叫び、突然、背を向けると西門に向って一直線に逃亡を開始した。

 領主は追いかけようと一歩を踏み出し、そこで倒れているガラムを見て、立ち止まる。

 そして、領主のほかに誰も、追いかける気力などありはしない。狂気の逃げた先を見て、呆然と立ち尽くすのみだった。


「何をしておるっ! 敵は去ったのだぞ! 急いで消火にあたらんかっ!」


 呆けていた一同に、領主の一喝が告げた。

 ようやくこの戦いが終わったのだと、誰もがその時思ったのだ。





 エルカは復旧処理を済ませるまで、このゼクス領に留まる事をフェイに告げた。

 当然、領主やガラムもゼクスに残る事になっていた。だが、


「コノハ、別に無理して王都に戻らなくても良いんだぞ」

「いいの。あたしはあんたと一緒に行くって、そう決めたんだから」


 そう言いながらも、王都近くに来るまでの数時間、蒸気列車(ダンプフェン)に揺られながら、コノハは五分おきにゼクスの方角を振り返っていた。

 あそこには彼女の家族がいて、道場があるのだ。一応の安否は分かったとはいえ、傍に居たくない訳が無い。多くの門下生だっている。天涯孤独なフェイとは違うはずなのだ。

 フェイが心配そうにコノハを見つめると、コノハは頬を染めてフェイの額をこずいた。


「あたしは大丈夫って言ったでしょ! それより、フェイこそ大丈夫なの? あんたいっつも無駄な責任抱え込むんだから」

「……」


 すっかり見抜かれていた。

 この戦いは、フェイが原因で始まったようなものだ。

 自分が犠牲になれば、被害は自分ひとりで済んだかもしれない。ゼクス領に倒れていた犠牲者たちは、すえてこの首の代償なのだ。

 もし、今、コノハが傍に居なかったら、きっと後悔と自責で塞ぎこんでいた事だろう。


「正直に言うと、コノハがいてくれて助かる……ありがとな」

「フェイ……」


 その言葉にコノハは泣きそうな顔を見せ、呼吸が届くほどフェイに近づいた。

 フェイと同じ漆黒の瞳が潤み、真っ直ぐに見つめる。


「あたし――」

「ケホンッ! あー、それ以上は解散してからにして頂けないでしょうか。ここには一人身のヤツも多いので」

「えっ?」


 ケホンケホンと咳払いをしたのは、顎鬚(あごひげ)の立派な千人隊長だった。

 周囲を見回したコノハは、そこにいる大量の将兵を見るや、慌てて一歩下がり、すっかり(うつむ)いてしまった。


「フェイ将軍、すみませんな」

「ん? いや、とにかくそのフェイ将軍っての止めてくれよ」

「と言いますと、黒猫将軍と呼べと?」

「なお悪いわっ!」


 フェイが怒鳴ると、千人隊長は苦笑した。


「気難しい方ですな。それより、ほら、王都に入りますぞ」


 言われて、フェイは窓の外に身を乗り出した。

 王都の古めかしい門が見え、遠く小さく見えるシュバート城まで真っ直ぐ伸びている白き巨道が……何かに埋もれていた。


――――道が塞がれてる?


 門の向こうの道が、大量の何かで埋まっているのだ。

 しかもそれは、もぞもぞと(うごめ)いている。


――――まさかあれ、人か!?


「あぶない、どけええっ!」


 フェイが窓から身を乗り出し巨道を塞ぐ人々に叫ぶと、その万倍の叫び声が返り、あまりの轟音に車内が小刻みに揺れた。

 蒸気列車(ダンプフェン)はやむなく減速するが、その凶悪なブレーキ音ですら大歓声に打ち消される。

 (うつむ)いていたコノハも、何事かとフェイの横から身を乗り出した。


「なんの騒ぎだ、これは!」


 フェイの叫びを聞く事が出来たのは、横にいたコノハだけであった。


「この鈍感! みんなあんたの勝利を祝ってるのよ!」

「勝利!?」


 フェイは素っ頓狂な声を上げた。


「そうよ! あんたはよくやったわよ! ゼクスを救ったのよ!」


 コノハは誇らしげに笑った。


――――俺が、救った? 冗談じゃない、俺のせいなのに


 フェイが眉根を寄せると、コノハは不満そうに(ほほ)を膨らませた。

 しばらく思案した後、コノハはおもむろにフェイの手を掴むと、道を埋め尽くす民衆へ強引に手を振らせた。

 歓声がさらに沸き返る。


「おいっ、コノハッ! やめろって!」

「これも将軍のお仕事でしょ! はい、笑って笑って!」


 確かに、コノハの言う通りかも知れない。

 たとえ悲しんでいても、皆を明るく勇気付ける事が、将軍の責任の取り方なのだろう。


――――うん、きっとこれが、責任だ


 隣で笑っているコノハを見て、フェイはそう思った。


 それにそう、大切な友人であるクロフを守れた。それだけは、事実なのだ。

 戦いの後、レンファに抱きついてワアワアと泣いているクロフを見てフェイは思った。

 クロフにとってレンファは、本当に心の支えなのだと。

 結婚の宣誓にあった、『守る喜びを知る者』とは、本当の事だったのだ。

 そして、思う。

 自分も守るものが欲しいと、心の支えが欲しいと。


――――帰ったら、ルナに告白しよう。怖いけど、断られるかもしれないけど、俺の気持ちを正直に言おう


 フェイは拳を握り一大決心したのだ。




 シュバート城の廊下で、ルナは窓枠に身を預けているエドガー王子を見つけた。

 エドガーはゆっくりと迫り来る列車と、それに群がり歓声を上げる人々を、遠い目で見つめていた。


「王子、どうかされましたか?」

「ルナ! ……いや、僕は、その」


 ルナは王子の前に座り込むと、その白く美しい手を優しく包んだ。


「何かあったのは見れば分かります。私でよければ、話してください」

「……あの、僕は……その、怖いのです」


 王子はポツポツとルナに語った。


「実は明日、王になれと父上に言われました。既に父上は、退位の儀まで済ませてしまったのです」

「大丈夫、あなたは素敵な王様になれます。この私が保証します」

「でも、僕はフェイ将軍の足元にも及ばない。あの大歓声は、すべてフェイ将軍に向けられているのです。僕が王になって、果たしてあの大歓声が得られましょうか?」


 王子の澄んだ蒼い瞳には、涙すら溜まっていた。


――――フェイなんて、たいしたこと無いのに……でも、これは


 ルナは天使(サキュバス)のような微笑を浮かべると、王子の手をそっと引く。


「なら、私が勇気を差し上げますわ」

「勇気を?」


 王子は引かれるままに、ルナの後ろをどこまでも付いて行ったのだった。



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