(35)頼んだぞ、フェイ将軍
「頼んだぞ、フェイ将軍」
「フェ、フェイ将軍!?」
フェイは裏返った声で反芻すると、エルカは顔を伏せ口元を抑えた。笑っているのだ。その笑いがルナとコノハ伝染し、顔を伏せ「弱そ……うくっ」と肩を震わせる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! まさかこんなのが褒美か?」
「そうだ。よもや不服とでも言うまいな?」
「言うよ! 当たり前だろ! 俺がどれだけこの褒美を楽しみにしてたか分かるか? なのにそれが何で国家の犬になれます権なんだよ! 理由を説明しろよっ!」
「ふむ、理由か……よかろう。アイオール、例の手紙を」
王が虚空に叫ぶと、どこからともなくアイオールが現れ、手紙を王に差し出した。
「これは王子が救出された翌日、ゴルゴンから送り付けられた手紙だ。裏切り者のナラド=ガラムディンとリア=フェイロンの首を差し出さねば、奴らは無差別の殺戮と略奪を繰り返すと書いてある」
「なっ、そんな! ゴルゴンが、まさか、そんなっ!」
フェイの悲痛な叫びに、和やかな雰囲気が一気に冷めた。特に砂漠の民であるガラムとカシムの顔が剣呑になる。
しかし、王はあくまで朗々と事実を述べ続けた。
「賊に屈するなどシュバート国の本意ではない。しかし、無視するわけにも行かぬ。なれば、ゴルゴンを討伐し果たす以外に道はない――そう余は考えた。ここまでは良いか?」
これにはフェイも頷かざるを得なかった。大人しく2人の首を渡すと言う回答だってあるのだ。そんなの冗談じゃない。
「だが、王子誘拐の件でゴリネルを将軍から罷免した今、軍を動かせる人間がおらぬ。早急に次の将軍を決めねばならないのだ。しかし、余に信頼できる人間の心当たりが無い」
王の顔が苦渋に歪む。
フェイは威厳の陰に隠れた弱々しい王の姿に驚いた。王ならばだれでも命令を聞くはずだと思っていたのだ。だが、実際はゴリネルのような私益を優先する輩が後を絶たないのだろう。
「二度とゴリネルのような者を任ずるわけにはいかん……そんな中、このエドガーが進言したのだ。リア=フェイロンは優秀で、かつ信頼に足る人物だとな」
フェイが王子を睨むが、王子は悪びれも無く――否、むしろ照れたように頬を染めてはにかむ。
やはり王子とセラは同類だったようだ。
「余も初めは迷った。しかし、ゴルゴンが貴公の首を渡せと指名した以上、貴公が裏切るはずもない。いや、むしろゴルゴンが最も恐れている人物――それが貴公なのだ」
王がフェイに詰め寄り、その肩をガッシと掴む。
「さらに貴公は砂漠の民から全面的な協力を受ける約束を得ていると言うではないか! これ以上将軍に適任な者がこのシュバート国にいようか? 否、断じておらぬっ!」
眼前で王の口調がヒートアップし、その力強い言葉につい頷きそうになったフェイは焦る。
――――まずい! 何か反論をしなくては流される!
「で、でも、ほら、あそこにいるガラムさんは、俺よりずっと強いし、年齢的にも――」
「だめだ。あの者はラドクリフ公爵に剣を捧げておる。王とて、いや、剣の王だからこそ、そのような者を将軍には出来んのだ」
「で、でも……」
「よいか、リア=フェイロン。余は近々退位を考えておる。先日、そこにおるセシリア公女を見て悟ったのだ。この国には新しい力が必要だ、とな」
王はフェイの両肩に手を置いたまま、視線を同じ位置まで下げ、まるで懇願するように見つめた。
「だが、エドガーはまだ幼く未熟である。貴公に、エドガーを助けて欲しいのだ」
「でも、俺以外にも――」
「これほど言ってもまだ分からんかっ!」
フェイがあくまで首を縦に振らないのを見て、王はとうとう声を荒げた。
「貴公でなくてはもう駄目なのだ! この国がリア=フェイロンと言う名の剣を求めておるのだっ! 来て、とくと見よっ!」
王はフェイの腕をむんずと掴み、そのまま引き摺るように玉座の間を出た。事態を呆然と見ていたエルカ達も後を追うように追従する。
連れて行かれた先はとある広間で、その部屋の奥には巨大な扉があった。
フェイ達が城に入った場所とは正反対にある扉で、おそらく裏口のようなものだろうが、十キュピト以上もの背の高さがあり、表の門よりはるかに重厚だ。
パンパンッ
王が小気味良く手を打つ音が響き、左右に控えていた侍従官がロープをガラガラと引く。
すると、重厚な扉がゆっくりと左右に割れた。
「うお……」
深夜だというのに、城の前にはフェイが呻くほど数多の人がいたのだ。
その数は何千、いや何万にのぼるだろう。それらの人が手に手に松明を持ち、城の広場にひしめいていている。
目を凝らすと、城の裏門は開放されていた。そして、人の織り成す光の絨毯は門の向こうにまで続いている。
その雲霞のごとき人の群れが、王とフェイの姿を認めた途端――爆発した。
城をも揺るがす大歓声。
隣で王が何かを叫ぶが、全く聞こえない。
やがて、無秩序だった歓声は、勢いをそのままにある言葉に収束し、唱和した。
「「フェイ将軍、万歳! 黒猫将軍、万歳!」」
「っざけんなこらあああっ!」
フェイは力の限り叫び返したが、圧倒的な火力を前にその叫びは文字通り掻き消された。
――――悪夢だ
ゆっくりと扉が閉められ、王は嬉しそうにフェイの肩に手を置いた。
「これで分かったな、リア=フェイロン」
「分かるか! このバカ騒ぎはいったい何だ!?」
「新将軍の噂がどこからか民に漏れてな。明日の就任式まで待てないらしく、一刻も早く新しい将軍を見せろと騒いでおるのだ。それに、軍都ドライ領に駐屯していた兵たちも、将軍不在によりここに集結しておる」
「噂って、まさか……王子を救出した事もか?」
フェイが恐る恐る尋ねると王は当然とばかりに頷き、次いでとんでもないことを口にした。
「それとな、貴公とセシリア公女の恋物語が王都の民に明るい未来を示したのだ! 今や王都では、貴公の事はラマでも知っておる。黒猫は既にこの国の英雄なのだ!」
フェイは「ぎゃああ」と悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちる。
「俺は何もしてねえ……俺はただ、依頼をこなしただけで……」
「世界はそうは思わん。ゴルゴンもだ。頼む、将軍位を受けてくれ、そしてエドガーを頼む」
「……だ、嫌だ、絶対嫌だ! 俺は断固拒否するぞっ!」
フェイは涙混じりに王に向って堂々と言い放つ。
――――権力がなんだっ! これ以上、俺の日常を脅かされてたまるかっ!
その強い視線に、王は深々とため息を吐いた。
「ならば、止むを得ん。ゴルゴンに貴公の首を差し出しかないか」
「今度は脅しかよっ!」
「本当に止むを得んのだよ。ゴルゴンはやると言った事は必ず実行に移してきた。悔しいが貴公の首を差し出し、時間を稼がねばならん」
「なっ……だけど」
フェイは迷う。
あの多くの民の命を守り、全国民の思いを背負う事などできるだろうか?
そして軍の人々に命じ、盗賊とは言え人の命を奪わなくてはならない。そうなったら、もうエルカーナには帰れなくなる。あの幸せな日々は二度と戻らないのだ。
頷けば恐ろしい未来が待っている。しかし、頷かねば未来は無い。
――――くそっ、くそお! なんでこうなるんだっ!
フェイが頭を抱えて悩んでいる間に、侍従官の一人が王に近寄り耳打ちをする。
王の顔色が見るからに変わった。
「ゴルゴンが大挙し、ゼクス領に進攻を開始したとの報が入った。その数、およそ五千……」
その場に衝撃が走った。フェイはフラフラとする頭で叫ぶ。
「嘘だ! 俺を将軍にしたいための嘘だろっ!」
「嘘などではないっ! 砂漠の長からの報告なのだ!」
王の剣幕にフェイは一歩後ずさった。
もう一歩下がろうとしたとき、グイと胸倉を捕まれる。視線を向けると、憤怒の領主がそこにいた。
「リア=フェイロン。先日結婚したアルター=クロフォードは、お前の友人だったな?」
「あ、ああ」
「五百に満たぬゼクス領の衛視では、1日ともたず全滅するだろう。つまり真っ先に死ぬのは、貴様の友だ。さあ、お前はどうする?」
「――お、俺はっ!」
エルカがフェイの肩に手を置いた。
「フェイ、お前が将軍になると言うなら、私も付き合う。望むならお前の参謀にでもなってやろう」
コノハがいつもの真っ直ぐな目で、フェイを見つめる。
「あたしも、フェイの傍にいるよ。きっとフェイならできる。将軍になって、クロフ達を助けよう?」
ルナが両手を組み、祈るようにフェイに願う。
「お願いフェイ。教会を、町の皆を――助けて」
下を見れば、セラが心配そうな目で見上げていた。
「フェイ……」
――――独りじゃなかった
夢の中でフェイを包んでくれた暖かな手は、一人の手ではなかったのだ。
とれだけ遠くに行っても、迎えてくれる暖かい手は、こんなにたくさんあったのだ。
たとえ体中が血で汚れても、きっと抱きしめてくれる。
「やるよ……将軍ってのをやってやるよ! 失敗しても文句言うなよ!」
フェイの不遜な物言いに、王は満足した笑みを浮かべ頷いた。
「なれば軍に出陣を告げよ! 蒸気車を貸してやる。車両を付け足せばゴルゴンに対抗できる数の軍も運べるだろう」
王は手を叩くと、侍従官がロープを引き、巨大な扉が再び開かれた。
そして、割れんばかりの歓声が響く。
軍はともかく、広場に詰め掛けた人々ですら誰も帰っていなかった。
「静まれ!」
王が両手を広げると、歓声は水を打つように静まる。
両脇に灯されたかがり火に照らされ、その姿は神々しくすらあった。
「今、ゴルゴンが大挙してゼクス領に進攻を開始したと報が入った」
うねりのようなどよめきが、城の前を駆け巡る。
「もはや一刻の猶予も無い。ゴルゴンを討伐せねばならんのだ! さあ、新しき将軍よ、前に出よ!」
王の声に津波のような歓声が沸きあがった。
フェイは王に譲られた場所に、ゆっくりと導かれ、その中心点に立つ。
コツン
肩を叩く硬い感触に振り返ると、エルカが剣の柄を差し出していた。王から賜ったばかりの長剣だ。
エルカの顔にはニヒルな笑みが張り付き、その表情はフェイに語っていた。
将軍らしく、これを抜けと。
キンッ
鞘から剣を抜き放ち、天空に静かに掲げると、広場は再び沈黙に包まれた。
あれだけの歓声を上げていたエネルギーは、今、この剣一本で塞き止められ、決壊する出口を探しているのだ。
熱気とも狂気とも感じる空気に、フェイは総毛立った。
――――しっかりしろ! クロフ達が助けを待ってるんだ
フェイはその細い体に、吸えるだけの息を吸い込んだ。
「剣の民よっ! 俺がリア=フェイロンだっ!」
リア=フェイロン、オルフェルがくれた大切な名前だった。
オルフェルは自分を悪だと言って、その上でフェイ達を育てたのだ。
ならば、自分も言い訳などすまい。
「剣の行く先は、悪だ! どんな大義名分があろうと、悪だ!」
悪という異質な言葉に民たちは困惑の色を浮かべ、顔を見合わせる。
「だが、今必要なものが剣ならば、我は悪になり剣を振るおう!」
フェイは剣を人の群れの中点に向け、突いた。
「皆に問う、その覚悟はあるか!?」
一瞬の沈黙――そして次々と呼応の叫びが続き、拳が振りあがる。
「なれば、我が剣に続け!」
フェイのその一言に、広場に溜まっていた熱気は終に決壊を起こた。
地割れのような歓声が、王都の町を揺るがしたのだ。
「クラー参謀、合図の狼煙があがりました。王都で軍が動いたようです」
伝令の報告に、クラーは持っていた短剣を近くの木の幹に深々と突きたてた。
「やはり、愚かなる剣の民は従わぬか……忌々しい。将軍は情報どおりリア=フェイロンだろうな。ゼクス攻略隊の先鋒の状況は?」
「あと三時間ほどでゼクスの外壁に着くと思われます」
「王都からは竜馬で急いでも十時間はかかる。それだけの時間あれば十分だ。リア=フェイロンなど気にせず、到着次第ゼクスに侵略しろ! そして、進攻後六時間後には撤退するよう先鋒に命じろ」
「はっ。ですが、もし軍が来るまで撤退できなければ――」
「安心しろ、殿は、ウィシャ団長がやってくださる。我らを侮った報いを略奪の限りをもって示せ!」
「はっ」
伝令が去ると、クラーは立ち上がり、誰も伴わずに後方にある馬車へと向った。
「調子はどうだ? ウィシャ団長」
馬車の覆いをめくり、ランプを掲げる。
そこにいたのは鎖に繋がれ、涎を垂らしつづけている一人の男だ。
長く伸びきった黒い髪に隠れているのは、知性の光の無い瞳。鍛え上げられた巨躯は爪で引っ掻いたような傷がびっしりとついている。あからさまに自傷の痕である。
「ひっ……秘薬を……をおおおおっ」
それは水に飢えた野獣のようであった。
クラーが懐から紙包みを取り出すと、男はガチャガチャと鎖を鳴らし、興奮を表す。
「ウィシャ団長。あたなの活躍の場が来ましたよ。殺戮に酔いなさい」
クラーは紙包みの封を破り、荒ぶる男の口元に一筋の粉を降り注いだ。