(32)オルフェルと四十人の盗賊
補足:1キュピト≒1.6mです
オルフェルと四十人の盗賊はフェイ達の退路を断ち、包囲した範囲を徐々に狭めていた。
――逃げ回れるのも、ここまでか……くそっ、予想よりも数が多い
エルカは夜空を睨むように見上げる。
確かに人数の面でエルカの予想は外れた。しかし、その戦術は盗賊をも感嘆させたのだ。足跡を細工し追っ手を違う方向へ引き付け、それこそ砂の中に隠れてやり過ごし、指笛の暗号まで解読して誤報を流す事までやった。
ただ、腕利きの盗賊四十人から四時間も逃げおおせられたのは、解放されたオルフェルが追撃を遅らせた為でもある。お陰で王子とルナは一度も襲撃さずに脱出できたのだ。
だが、フェイ達は砂漠の端まで後一歩のところで囲まれてしまった。
上出来と成功は違う。
エルカは悔しさにギリギリと奥歯をかみ締めた。
「フェイ。この期に及んでまだ『殺すな』とは言わないだろうな?」
「……ああ、我侭を言ってすまなかった」
答えたフェイの表情は、エルカ以上に苦渋に満ちていた。
オルフェルを始め、接触した斥候の盗賊を殺していれば、少なくとも十人は追っ手を減らせたはずだった。自らの我侭でエルカ達を危険な目にあわせているのだ。
――自分の責任は自分で取る
「エルカ、俺が敵を引き付ける。各個撃破を頼む」
フェイはエルカの返事を待たずに一人で飛び出した。
ようやく、砂漠での走り方も様になってきたのだ。すくなくとも十人は集めなくてはならない。
砂漠の盛り上がった部分に立つと、フェイは短剣をかざし、ゆっくりと近づいてくる盗賊たちに叫んだ。
「俺の名は、黒猫リア=フェイロン!」
名前が売れていたのは囮としては幸いだった。盗賊達は面白いようにざわつき、視線をフェイへと集める。
――黒猫なんて、本当の俺じゃない。リア=フェイロンだって本当の名前じゃない。でも、今は使わせてもらう
フェイは月に向かって甲高く笑うと、くるりと短剣を回した。
「今日の俺は機嫌がいい。まとめて相手をしてやるから――かかってこい!」
「ゴリネル将軍! まだ生きていたのかとは、一体どう言う事ですかっ!?」
「……クラーのヤツめ、秘薬を使って王子を操ろうとしたか。だが、天は我に味方した」
ゴリネルは王子には意味不明の言葉を呟くと、鈍く光る剣を抜き放つ。それを見たルナは、ゴリネルと王子の間に割って入った。
「待ちなさいっ! あ、あなたっ、将軍なのに、何考えてるんですかっ! こんな可愛い王子様を!」
そして手に持っていたボウガンをゴリネルに突きつける。その危なっかしい挙動に、ゴリネルは冷や汗を流し一歩引いた。
「貴様――黒猫の仲間か? 手が震えてるぞ? そらっ! そこをどけっ!」
「どきませんっ!」
ルナはボウガンを構えたまま、逆に一歩を踏み出した。ゴリネルの指摘の通り、ルナの膝はガクガク震えている。それでも、この背後にある者は守らねばならないのだ。
ルナは精一杯の怖い表情をし、ゴリネルを睨みつけ、啖呵を切った。
「私は何があってもここをどきませんっ! たとえ、神様が砕けようとっ!」
「砕くなっ! 貴様、それでも神官かっ!」
ゴリネルは思わず突っ込んだ。しかし、ルナは胸を張って答える。
「いいえ、私は神官見習ですっ!」
「……貴様の担当にだけはなりたくないな」
ゴリネルは痛そうにこめかみを抑えた。だが、それも一瞬の事だ。
「わしは、ゴルゴンを何度も撃退した英雄だ! 貴様ごとき、相手にすらならんのだ! 分かったらさっさとどかんかっ!」
ブンブンと剣を振り回され、ルナはバランスを崩し、ボウガンの狙いを大きく逸らしてしまった。
機を逃さず、ゴリネルはルナにとどめを刺そうと剣を振りかざす。
ゴゴゴゴゴゴッゴゴゴゴゴゴゴオッ
突然、轟音が地面を揺るがした。
途切れない断続的な音、石臼で粉を引いた音を何倍も大きくしたような、そんな地響きが近づいてくるのだ。
「なにあれっ!」
素っ頓狂な声を上げたのはルナだけである。将軍と王子は、その正体を知っていたのだ。
「蒸気車が、何故ここに!?」
蒸気車と呼ばれたそれは、まるで鉄の塊であった。真っ黒な鉄の塊がバイスアルムの上を、大量の白煙を吹き上げ接近している。無骨ではあるが勇壮なそのフォルムは、まるで鉄で出来た煙突付きの一軒家が疾走しているようだ。
ギギイイイイイイ
油蝉が何十万匹と擦り潰れたような音が、大気を侵し支配する。ルナはその音に耐え切れずボウガンを投げ捨てて耳を塞いだ。
音と引き換えに鉄の塊は速度を殺し、最後にガタンと止まる。同時に耳障りな音も消え、中央にある扉が跳ね上げられた。
蒼く輝く鎧兜を身に付けた老人が、蒸気車の中から姿を現した。
「ゴリネル……」
怒気を孕んだ声が轟く。
「グッ、グロスター王っ!」
ゆっくりとタラップを降りる人影を見て、ゴリネルはそれこそ目が飛び出るように驚愕した。
「我が最愛のエドガーに、何故剣を向ける?」
「あっ、あの、これは」
「アイオール!」
王の掛け声と共に青い影が蒸気車から飛び出し、ゴリネルと衝突した。
ゴリネルの剣を打ち払い腕を捻り上げる。野生の獣にはありえない、流れるような一挙動だ。
「ゴリネル、言い分は後でたっぷりと聞かせてもらう」
その鬼のような表情の王に、なんの警戒も無く走りよる人物があった。
「父上っ!」
「エドガーッ! 無事だったか!」
グロスター王は先ほどの怒気の孕んだ声とはまるで別人のような優しい声を上げると、駆け寄り、息子を抱きしめた。
「父上、申し訳ありません。僕が不甲斐ないばかりに……」
「何を言う、よくぞ無事でいてくれたっ!」
それ以上の言葉は要らなかった。ひたすら互いのぬくもりを感じるため抱き合う。その光景にルナはそっと涙を拭いた。
トントン
後ろから肩を叩かれる。
何かと思い振り向くと、金髪に二本の尻尾が左右に揺れていた。
「あれ、セラちゃん?」
「フェイは? フェイはどこ?」
「――――ああああっ! あのね、ちゃんと覚えてたよ? ええと、今、盗賊に襲われてて、ギイイっと、方角は、ええと、あっち――なんだけど」
フェイ達の事をすっぽり忘れていたルナは、慌てて答えようと支離滅裂な説明をする。しかし、セラは重要な部分を聞き取ることに成功していた。
――フェイは向こうで、戦っているんだ
セラは頷き、その小さな指で一点の方角を指し示し、王に向って声を張り上げる。
「王様! あそこで、今あの場所でフェイが戦っているのです。力をお貸し下さい!」
「父上、私からもお願いします。フェイは僕を命懸けで助けてくれた恩人なのです」
王は二人に鷹揚に頷き、アイオールに指示を飛ばす。
「蒸気車を北に向けろっ! 今すぐ救出作戦を実行する」
「む、無茶です! これはバイスアルムを走るようにしかできておら――」
「だまれ! 無茶かどうかなど、後で決めればいい!」
アイオールはその言葉を覚えていた。王に仕えて二十年、散々その言葉に泣かされたのだ。だが、今はその言葉をこの上なく嬉しく感じる。
アイオールは両の拳をガツリと合わせ、王への忠誠を誓った。
「――了解、王様! 蒸気車、取舵一杯!」
フェイは思惑通り盗賊たちに囲まれていた。
その数はゆうに十を超え、数えるのが嫌になるほどの盗賊が周りに群がっている。
その中心にいるのがオルフェルだ。
オルフェルは飄々(ひょうひょう)と笑っていた。だが、本当は笑っていない事をフェイは知っている。知っているのに、どうしようもない事もあるのだ。
――今からオルフェルと、殺し合うんだ
短剣を逆手に構え、息を細く長く吐き出す。
気を落としている暇は無い。どこから敵が来るのか、それだけに集中した。
「こいつ、まだやる気だぜっ! ゲハッゲハッ!」
「油断するな、嫌な予感がする……」
盗賊たちの気配も、獲物を狩る時のソレに色を変える。
「頼む。俺にやらせてくれ」
その緊張感を破り一歩前に出たのは、やはりオルフェルだった。盗賊たちは不満そうに声を荒げながらも、しかし、一様に足を止める。
これだけの手練達に命令できるのだ、やはりオルフェルとは凄い男なのだ。
その男が、偽りの嘲笑を貼り付け、武器を正眼に構える。
「――フェイ、せめて俺の手で楽にしてやるよ」
「オルフェル……やっぱりいやだ! 俺はっ」
オルフェルはそれ以上の言葉を遮るように、盛大なため息を吐いた。
「だから、お前は――――嫌いなんだよっ!」
オルフェルの短刀が闇夜に閃き、フェイの短剣と交錯する。響くのは虚しい金属音と儚い火花。
三度の交錯の後、短刀がフェイの肩を切り裂いた。
そして、それを見たオルフェルの顔が、フェイにしか分からないほど小さく、歪む。
ついでフェイの短剣が、オルフェルの手の甲を小さく抉った。
まるで自分を心をえぐったような衝撃が、心臓を締め上げる。
――こんなの嫌だ、嫌だ、嫌だっ! 誰か、助けてくれっ!
フェイが声に出さず叫んだ。
そして、その時、ソレはやって来た。
ゴゴゴゴゴオゴゴゴオオオッ
地面から体を這い上がってくるような轟音。
砂漠にある無数の砂が一粒一粒ピョンピョンと飛び跳ね、フェイとオルフェルの剣が交錯したまま止まった。
「な、なんだ?」
「おいっ! あれっ!」
「地竜か? いや、それ以上の何か……嫌な予感がする」
盗賊達のざわめきの向こうに、とんでもない砂煙が立ち昇っていた。
ゴゴゴ……ゴゴ……ゴ……
その轟音の正体がようやく視認できる距離になって、その物体は静かに停止する。その黒い塊は動けぬ事に不満を表すかのように、盛大な白煙を上げた。
ついで、中から次々と青く光る鎧をまとった人影が沸いて出る。その数は五十人に近い。
「あれは、青騎士団!?」
オルフェルは戦いから身を引いて、息を整えながら目を凝らす。
「青騎士団って、まさか、王の親衛隊か?」
盗賊の一人が聞き返す。青騎士団とはシュバート王国の精鋭四十九人で構成されている、王を守るためだけにある騎士団だ。少数ながら、全員が名のある剣の使い手である。
これには盗賊たちも怯んだ。
「それが何故、王城から出てくるんだよ?」
「どうするよ、オルフェル? 砂漠じゃ逃げ切れねえぜ、いっちょやってやるか? ゲハハハッ!」
「……待て、何か、来る」
砂漠の上を凄まじい速さで走ってくる人影があった。
オルフェルははじめ、竜馬が単騎で駆けているのかと思ったが、そうではない。誰かがその肩に乗っているからだ。ナタクは絶対に人を乗せないのだ。
やがて、そのシルエットが月光によって白く染められる。
「……あれは、ガラム――――風のガラムっ!」
蒸気車はあと一歩のところで車輪が砂に埋まり、減速を始めた。
フェイ達の居場所をルナに確認してもらいながら、一直線にここまで来たのだ。しかし、その重量ゆえ砂漠は走れなかった。むしろ、よくぞここまで走ったと言える。
セラは王の前に跪き、今一度乞う。
「王様、ゴルゴンの処罰を、王子を誘拐した者達の処罰を、どうか私に任せてください」
「……それは、フェイと言う者を救うためか?」
セラは揺れる鉄の中で毅然と踏みとどまり、大きく首を振る。
「いいえ、それは他の誰でもない、私の我侭です。どうか、どうかお許しを」
「どこまでもあいつに似ておる…………良かろう。セシリア=ラドクリフ、お前が裁け!」
王は亡き妻を思わせる少女に、腰にあった剣を渡した。
少女はそれを抱くように抱えると、深々と一礼する。
「心から感謝を申し上げます……ガラム、お願いっ!」
蒸気車が息絶えるように停車するや否や、セラはガラムの肩に飛び乗った。
主人を乗せたガラムは、まるで竜馬のように砂漠の上を走り、フェイ達との距離をみるみる縮めた。
――来た。とうとうここまで来たんだ
セラはガラムの頭にしがみつき、ただ一人を懸命に探す。
また、兄上に怒られるかも知れない。フェイを危険にさらすかもしれない。だからと言って、止まるわけにはいかないのだ。たとえ間違っていたとしても、後悔するとしても、
――フェイの、力になりたい
「セシリア様、ヤツを見つけました……派手に囲まれておるようですが」
「お願い、ガラムっ! 急いでっ!」
返事の代わりに持てる全速力を持ってガラムは応えた。
フェイの姿がセラの目にも映った。肩が裂け血が流れている。そして、信じられないと言った顔で、こちらを見ていた。
フェイと目が合い、胸の奥が火が灯ったように熱くなる。
セラはその小さな体に、吸える空気を全て吸い上げ、力の限り、想いの限り、叫んだ。
「剣を引きなさい!!」
その音量に盗賊達は、一斉にたじろいだ。
そして、その後もセラは止まらない。止まるはずが無かった。
胸に抱く王の剣を抜き、鞘を投げ捨て、両の手で剣を掲げる。
「剣の王の名において、あなたたちの命を保証します! 剣を引き、降伏なさい!」
盗賊達は顔を見合わせた。抵抗するか、逃げるか、降伏するか。
「やめたやめたっ!」
その中でオルフェルは早々に短刀を空高く放り投げる。
「こんなクソみたいな任務なんかやってられるかっ! クラーの召使いじゃねーんだよ、俺はっ!」
その声が引き金になって、剣が次々途中を舞う。
「命が無事なら、まぁいいか」
「どうせなら可愛い譲ちゃんに降伏したいってもんだ。ゲハッゲハッ!」
「くそっ、だから嫌な予感がしたんだ……」
そこに青騎士が駆けつけ、一人一人に縄をかけていく。中には逃げようとする盗賊もいたが、すぐに捕まったようだ。
歓声、怒声、嬌声、奇声……その混乱の中から、ゆっくりと歩いてくる、一つの黒い人影。
「――フェイ」
ガラムは何も言わず、砂漠の上へセラを下ろした。
いまさらながら膝から力が抜け、セラは「あっ」っと小さな悲鳴を上げてよろめいた。
しかし、倒れそうな小さな体を、二本の細い腕が包みこむ。
フェイの細い体が視界一杯に広がり、強く、強く抱きしめられた。
「…………ありがとう、セラ……ありがとう」
体を包む温かなぬくもり、耳元でささやく優しい声、そして初めて見るフェイの涙。
間に合った。生きていた。力になれた。
――間違って、なかった
暖かな腕の中で、セラは声を上げて泣いた。
リーガンとコーディリアが駆けつけた頃には、全てが終わっていた。
そこにあったのは、抱きしめ合う二人の姿だけだ。
「……リーガン、私は決めたよ」
「何を決めたんだ? コーディリア」
コーディリアはその美貌を輝かせ、満天の星空に腕を広げた。
「この物語をシュバート国全域に広めよう! 剣の国の黒猫の物語だっ!」
「『の』が多すぎるタイトルは陳腐だな。せめて一つ削るべきだ。それに、シュバート国全域だと? いったい何年かかると思っている?」
「一週間さ! アハト領の力を侮っているのかい? 吟遊旅団にかかれば、噂なんて一週間で国を満たしてみせる! ああ、リーガン、僕は感動しているんだ。この奇跡を見てそうは思わないのか!」
「確かに、幸運すぎる。どこかで反動が無いといいな」
コーディリアは両手で顔を覆い、嘆きのポーズを取る。さすがに様になっているとリーガンは思ったが、悔しいので口には出さない。
「リーガン! 君はなんと言うネガティブな人間だ! いいかい、君も国に帰って、この噂を広めるんだ」
「なんで私まで……いや、なるほど。彼をゴルゴン討伐の旗印にするわけか」
「旗印だなんて、君はなんと人聞きの悪い事を言うんだい!」
「ほう。では何だと言うんだ? あの黒猫を、一体何にするつもりだ?」
コーディリアは「決まってるじゃないか」と頷いて答えた。
「ただの英雄だよ」