(30)砂漠は貪欲に
砂漠は貪欲に雨を吸い込む――とうとうスコールが降り出したのだ。
このスコールが降る直前、フェイ達はゴルゴンの隠れ家らしき廃村を既に発見していた。
探索組の六人は逆に発見されないよう、砂漠用に迷彩を施した薄革のシートを頭上に広げ、その下に座り込んでいた。撥水油を塗りこんである雨避けシートは、雨は透さないものの酷く蒸す。
その熱気の中心にいるのは、目を閉じ木の棒を静かに支えているルナだ。
「神様、神様、本当に何度もすみません。これで最後です。尋ね人の名前はエドガー=グロスターさん、どっちにいますか? えいっ!」
木の棒が指した方向の先を、エルカはシートから顔を出してするどく睨み、地図と照らし合わせる。雨の向こうにボンヤリと見えるのは、ひとつの廃村だった。
「あの廃村に王子がいるのは間違いない。建物も限定できそうだ」
「敵は何人くらいだと思う?」
ディアナは必要以上にエルカに近づき、ささやくように聞いた。されどエルカは顔色一つ変えずに答える。
「二十……いや、三十以上はいるか」
「エルカ達なら、やっつけられる人数じゃない?」
ルナの言葉にエルカとディアナは揃えて首を振った。
「あそこにいるのはゴルゴンの精鋭だと思った方がいい。同人数でも勝てる保証は無いんだ」
「それに、王子を盾にとられちゃったら、私たちは一網打尽。いくら黒猫ちゃんが強くてもね」
「だからっ――」
「シッ! ここは廃村から死角になっているとはいえ、大きな音は禁物だ」
不満そうに口を閉じたフェイの肩にポンと手を置くと、エルカは足元に廃村の略図を描いた。
そして、最後に一つの丸を加える。
「ルナの指した方角から、おそらくこの廃屋が怪しい。王子の確認を頼みたいが――フェイ、できるか?」
「勿論だ」
「王子を確認するだけでいい。他領の公子にも応援を頼んであるから、ゼクス領に帰ればそれなりの救出部隊がいるはずだ。救出はそっちに任せよう」
「そいつはありがたい」
「危険だと感じたら迷わず退け、見つからない事が何より重要だ」
「分かってる」
フェイは腰に掛けてあったボウガンをルナに渡した。
「トリガーを引けば使えるようにしてある。ルナに危険が行かないようにするけど、万一の時は使ってくれ」
「ううぅ、使わないで済む事を祈ってるわ」
フェイは渡したボウガンの代わりに、バッグから小さなサイズの薄革のシートを引っ張り出す。ただの黒い防水革だが、用意してよかったと思う。目立たないだけで無く、濡れて動きが悪くならないためだ。
「この土砂降りは天の恵みだ。いつまで降るか分からんが、止むまでに頼む」
「了解、店長!」
フェイは薄革を広げ、頭上に被ると雨の中へ走り出そうとした。
「フェイ!」
呼び止めたのはコノハだ。
フェイは顔だけ振り返り、目で言葉を促した。
「あの……ね、無事に帰れたら、フェイに、その、言いたい事があるの、だから――」
「いや、報酬の相談ならエルカに頼むよ」
ドガッ
「いてっ、何するんだよ、コノハッ!」
「もういいっ! 早く行って! このバカッ!」
フェイは尻を擦りながら、ブツブツと出て行ったのだ。
「セシリア様、着きましたよ」
何時の間にか眠っていたセラを起こしたのは、コーディリアの労わるような声だった。
窓の外は既に薄暗く、空を覆う雲は僅かに赤く染まっている。ツヴェルフ砂漠の方角は既に真っ暗だ。
城門の前ではリーガンが門兵と話しており、その向こうには視界に入りきらない巨大な城がそびえ立っていた。
荘厳華麗、その全てが高純度のバイスレイトで出来ていると言われる白亜の城――
「シュバート城……」
「セシリア様はここに来るのは初めてですか?」
「いえ、エドガー王子の誕生祭――それと建国三百年祭に」
「ああ、そう言えばあの時はエルカーノ殿も来ていましたね。あの頃からエルカーノ様は素敵で……」
コーディリアは頬を染めて自分自身を抱きしめる。
首をかしげるセラの前で、三人のガーディアン達の顔が僅かに引きつった。
「許可が下りた、馬車をここに預けて城に入るぞ」
セラ達を呼ぶリーガンの口調は、始めて会った時より随分と砕けている気がした。これが本来の彼なのだろう。
ガラムに手を取ってもらい馬車から下りると、すぐさま門兵が馬車の収容にかかり――窓に吊り下げられたカエルを不思議そうに見た。
一人の門兵が、好奇心に負けてカエルに手を触れようとする。
「うかつに触るなっ! それは危険物だっ!」
リーガンはするどく叫んだ。触ろうとした門兵は、その剣幕にビクリと直立すると、意味も無くリーガンに敬礼する。
「き、危険物でありますかっ?」
「そうだ、中に恐ろしい危険物が詰まっている。絶対に天地無用だ。お尻を持って速やかに処理して欲しい」
門兵の顔が恐怖に歪んだ。
しかし、セラはそんな事にお構いなく、ギリギリと軋む音をたてて開く巨大な門を見ている。
――とうとう、ここまで来たんだ
もう、甘えも、間違いも、後悔も許されない。ここが自分の戦場なのだ。
セラは深呼吸をすると、門に向けて一歩を踏み出した。
「オルフェル! おい、聞いてるのかっ?」
目の前の男が手をヒラヒラとさせていた。
「ああ、聞いてるさ。ちょっと考え事をしてただけだ。別にスコールくらい珍しくないだろう」
「珍しいさ、ここ一ヶ月は降らなかったんだ。何か嫌な予感がする」
目の前の男はやたらとネガティブなヤツだったと思い出す。何かにつけては「嫌な予感がする」と言っては仕事をサボる。しかし、その臆病さが彼を優秀にしている事も事実だ。
「駄目だ。王子の番は俺がやる。お前は外、変更は無しだ」
「ちっ、すっかり御頭気取りかよ。分かりましたよオルフェル様っ!」
ペッと唾を吐き捨てると、ドンドンと足を踏み鳴らしながら男は廃屋を出て行った。
残されたオルフェルは、机に広げた紙を覗き、ニヤリと笑った。
「お前はそっち側に行ったんだな……フェイ」
ガタッ
「誰だっ!?」
外からの物音――扉近くにある小窓の辺りだ。
オルフェルは胸元から短刀を引き抜くと、壊れかかったドアを蹴り開け外に出る。
「――いない?」
そんなはずは無い、確かに気配がしたのだ。
バサッ
「上かっ!」
音だけで反応して短刀を頭上で一閃させるが、そこに手応えは無かった。あったのはただの黒い薄革だけ。
ピタリ
喉元に短剣の冷たい感触が吸い付いた。
「声を出さないでくれ、オルフェル」
「……フェイ、フェイなのか」
二人の声は、豪雨の中に呆気なく消えた。
「グロスター王、夜分にお目通りを許可して頂き、ありがとうございます」
グロスター王は玉座に深々と座り、挨拶をしたリーガン達に小さく頷いた。
その顔色は見るからに悪い。確かまだ六十に満たない年齢のはずだが、既に七十を超えた老人に見えた。目は淀んでいて、よく見れば手先が震えている。
ギロリ
グロスター王の顔をジッと凝視してしまったセラは、睨み返されて慌てて目線を下に向けた。
リーガンは三人を代表し、一歩進み出る。
「王よ、既にお聞きとは思いますが、エドガー王子がゴルゴンに誘拐され――」
「なんだとっ!!」
グロスター王は玉座から文字通り飛び上がり、ひゅうひゅうと呼気を荒くした。
「き、聞いておりませんか。てっきりゴリネル将軍がこちらに報告に上がったと」
「聞いておらぬっ! ああっ! エドガー!」
荘厳な王座の間で、王は外面も無く跪き頭を掻きむしる。
「落ち着いてください、王っ! グロスター王っ!」
「来るなっ!」
駆け寄ろうとしたリーガンとコーディリアを、グロスター王は拒絶した。顔を見合わせた二人の後ろで、セラは狂乱した王の姿をじっと見つめる。
やがて、グロスター王は疲れたように両手で顔を覆い、ため息混じりに呟いた。
「余は既に、ただの飾り物だ。誰もが余の命を狙っておる。味方など、もう誰もおらん。エドガーが、エドガーだけが、余の心の支えだったと言うのに……」
それは、まるで自らに呪詛をかけているような独白だった。
グロスター王はゆらりと立ち上がり、玉座に倒れこむように座る。また一つ、歳を重ねたように見える。
リーガンは恐る恐る口を開いた。
「王、我らはあなたの味方です。どうか、ゴルゴン討伐の王命を――」
その言葉の先を、王は盛大なため息で制する。
「――軍は、動かんよ。将軍にしか軍を動かせんのだ。だが、ゴリネルは余の命など聞かぬ。理由無くば罷免できぬのを良い事に、余を死人のように扱うのだ」
コーディリアはもう一歩だけ、グロスター王ににじり寄り懇願する。
「では、親衛隊をお貸し下さい。王の親衛隊が立ち上がれば、各領も決起するでしょう」
「それで、エドガーが助かる保証がどこにある? 手薄になった城をゴルゴンが襲わぬ証拠は? 貴様が裏切らない証拠が、どこにあるっ!」
王はどこまでも頑なだった。
リーガンとコーディリアは、最後の抵抗とばかりに食い下がる。
「しかし、王よ。我がツヴァイ領は、建国以来一度も、王を裏切った事などありません」
「我がアハト領も、王の威厳を損なうような詩は、一度として流しておりません」
「それが何になるっ! 余はもう誰も信用せんっ! 信用に足る証拠が無くば立ち去れっ!」
血走った目で、王は一喝した。それは病的なまでの人間不信である。城の中の荒廃と謀略はここまで進んでいたのだ。
――これ以上の説得は、無理か
リーガンは王への説得をあきらめ、去るための一礼をしようとした。
「王様……これが、証拠です」
少女の声がした。
後ろではない。もっと前、すなわち――王の方向。
リーガンがそこに目を向けた時、セラは王の前で、手を振り上げていたのだ。
パンッ
乾いた音が、玉座の間に響く。
叩かれたグロスター王は頬を押さえ、エサを求める魚のように口をパクパクと開閉させた。
「セシリア様っ! なんて事をっ! 王に手を上げたものは、死罪なのですよっ!」
コーディリアは悲鳴のような叫び声をあげ、腰を上げようとして――その肩をリーガンにガッシリと掴まれた。
「任せよう。我らの命運を、あの小さな姫君に」
「よう、フェイ、随分久しぶりじゃないか。すっかり白犬の仲間か?」
「違う! 確かに白犬に友人はいる。でも、オルフェル、俺は今だってゴルゴンに入りたいと思ってるんだ」
「…………なんだと?」
ロープで椅子に縛り付けられたオルフェルは、初めて声に苛立ちを混ぜた。
フェイの懐には猿ぐつわが用意してあるが、オルフェルには噛ませていない。それが危険な行為とは分かってはいるが、オルフェルと話がしたかったのだ。真実をオルフェルの口から聞きたかったのだ。
「どう言う意味だ! お前は領公認の勇者様で、公女の婚約者だろうが!」
「違うっ! あれは断じて違うんだ!」
「じゃあ、どう言う了見で、ゴルゴンを潰そうとする? 何故、ここに来た? ええっ、黒猫さんよ」
答えられず、フェイは部屋の奥に顔を向ける。
そこには牢があり、王子らしき豪華な身なりをした子供が、恐々とこちらを見ていた。
――仕事を忘れるな
フェイは机の上に無造作に転がっていた牢の鍵を手に取る。
そして、牢の前に進み……もう一度オルフェルを振り向いた。
「オルフェル、正直に答えて欲しい……十六年前、あの食糧難を起こしたのは、本当にゴルゴンなのか?」
「……少しは知恵がついたじゃないか。ああ、本当だ」
「なあ、オルフェル、この誘拐は、本当にあんたがやったのか?」
「はっ! 当たり前だ。言ったろう? 俺は悪党だとな」
ガチャン
牢の鍵はあっけなく開いた。
フェイが目で合図すると、王子は頷いて牢を出る。その動作は静かで、物音を立てないよう注意している。愚鈍な王子ではなさそうだった。
「オルフェル、俺はアンタに感謝してる。絶対に恨んでなんかいない」
「うるせえよ! だからお前は嫌いなんだ! さっさと失せろ!」
「オルフェル、声を出すな。アンタを殺したくないんだ」
その言葉にオルフェルはゲハゲハと笑う。こんな笑い方はフェイの記憶には無いのだ。
「笑わせるなっ! お前が殺す? 無理だな、ああ無理だ。お前は悪党には絶対になれねえ。俺が保証するよ、リア=フェイロン!」
その言葉に、フェイは泣きそうな顔をした。
「その名前をくれたのは、オルフェル、あんただ」
「覚えてるさ。そして後悔してる。お前は失敗だった。そのくせ散々俺に懐きやがって、うっとおしいったら無かったぜ!」
ドンドン
ドアが乱暴にノックされた。王子は「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、フェイもドアに向かって短剣を構える。
「なんでもねぇよ! さっさと持ち場に戻れっ!」
怒鳴ったのはオルフェルだ。フェイは目を見開いてオルフェルを見た。
「オルフェル、やっぱり」
「勘違いするな。俺は自分の命が惜しいだけだ。どこにでも行っちまえ!」
フェイは小さく頷くとドアを開き、王子を連れて降りしきる雨の中へと出て行った。
それを確認すると、オルフェルは目を閉じ小さく頷く。
――お前は、こっちに来るんじゃねえ
そして、悪人面を歪ませ、満足そうに笑った。